( 四 ) フイリピンクラブ−1
トラブルが解決した安心感から、そのまま自宅に帰った沼田は、
部屋のベッドに横たわると、珍しく2時間ほど昼寝をしてしまった。
先週の末から時間の流れが速くなっているような感覚がしている。
身体にも気付かない疲労が残っていたのだろう。
約束どおり、海老原から夕方に電話があって、新宿の西口交番前で7時に待ち合わせることになった。
海老原の知っている店で、食事してからマカティに行くという予定を組んでいるらしい。
7時ちょうどに海老原は、事件の後遺症もないように元気で顔を出した。
「先輩、今日は、本当に申し訳なかったです。お詫びに美味しい店を紹介します」
二人は、タクシーに乗って、四谷荒木町の飲食店街まで来た。
四季菜という店の暖簾をあけると、海老原は、「大将、しばらく」と元気な声で挨拶した。
ビールを注いで、乾杯しようとすると、
「先輩、本当にありがとうございました」と、海老原は背筋を伸ばし、かしこまって言った。
そして続けて、「お金は、」と、言おうとする海老原を遮って、
沼田は、「金の話は、都合のつく時でいいから。それにもうそんなに謝らなくてもいいって」と笑いながら話した。
「そうですか....ありがとうございます」
二人は、ビールグラスの音をたてて、乾杯した。
きっちりと、修行したことのわかる美味しい和食が次々と出てきた。
「実は、先輩には、ここの美味しい料理だけじゃなく、飲んでもらいたい酒があるんですよ。
大将、十四代お願いします」
海老原が頼んだ日本酒が出てきた。
確かに今までに飲んだことのある日本酒とは、違うさわやかさがあり、しかもとびきり美味しい。
「これは、とんでもなく美味しいね」
「僕は、嫌なことがあった日や、精神的に疲れてどうにもならない時は、この酒を飲むんですよ」
(海老原は、歳が若いのにかかわらず、自分よりいろいろなことを知っている。
自分も、人に言えない悩みを持っているが、海老原はさらに社会を見てきたようだな)
沼田は、海老原を見直すと同時に、偶然に親しくなったが、この仲はこれからも続くだろうと思った。
ゆっくりとした食事をして、店を出て、外苑東通りからタクシーに乗って、歌舞伎町に向かった。
車の中で、「先輩、この前のマカティでいいですか?」と海老原が聞いた。
「えっ、ああ 別にどこでもいいけど」
「いや、嫌なら、他の店もあるんですが、ミシェルが先輩に結構いい雰囲気だったんで、マカティの方がいいと思いますよ」
「ああ、いいよ」
そう、素っ気無く応えたものの、沼田は、マカティに行くことを最初から期待していた。
風林会館の角でタクシーを降り、途中のコージーコーナーで、海老原は、小さなケーキの詰め合わせを買った。
店のあるビルに着き、エレベータを降りると、この前の黒服が居た。
「あれっ? 海老原さん続いてなんて、珍しい」
「今日も先輩と一緒。ミシェル呼んでくれる」
「わかりました。じゃ案内します」
この前と同じ、一番奥のコーナーの角の場所に案内されると、すぐにリナとミシェルが現れた。
二人は、それぞれ、沼田と海老原の前に立ち、「いらっしゃいませ」と、手を差し出した。
先週とは違って、今度は、素直に握手することができた。
二人とも、先週とは違うドレスだったが、スカートは、同じようにミニスカートだった。
目の前にリナの細く白い足と、ミシェルの豊かな太ももそれでいて、足首の細い足があった。
二人は、席に座ると、「飲み物もらっていいですか」と聞いた。
(この前は、何も飲まなかったけど、あれは、注文しなかっただけか..)
そう思った沼田は、「何でもいいよ」と返事をした。
注文したトロピカルジュースが運ばれてきて乾杯した。
「おみやげ」といって、海老原が買ってきたケーキを出した。
リナは、すぐ包みを解いてケーキを出すと自分とミシェルの前に1個ずつ置いて、
残りを奥のコーナー向かいに居たほかの席のホステス達に持っていった。
今日は、奥のコーナーには、この向かいの客だけらしく、一人の客に4人のホステスがついている。
帰ってきたリナは、「ジェニファーとラブリーの場内いい?」と海老原に聞いた。
「今日は、出足が少ないみたいだね。いいよ」
リナは、黒服を呼んで、ジェニファーとラブリーというホステスを呼んだ。
ジェニファーもラブリーもいくらか年上で、みたところ店内のホステスの中では、一番年長のようだ。
呼ばれて来た二人は、にこにこと笑い、
「えびさん、生きてたあ〜」と、言いながら握手して正面のスツール椅子に座った。
「場内って何?」沼田は、横に居たミシェルの前を横切って、海老原に聞いた。
「指名に二通りあって、店に入るときに専属で呼ぶのが、本指名。そして、後から席に呼ぶのが場内指名です」
「ふーん、そうか」
「えびさん、名前教えて」
ジェニファーと、自己紹介したほうのホステスが、沼田の顔を見て聞いてきた。
「沼田さん。会社の先輩で、お世話になっている人。ミシェルの足が好きらしいから、ミシェルから取ったらだめだぞ」
「えーっ私、ばばあだから駄目よー」
「足が好きって、なんだよ」
沼田と、ジェニファーが同時に声を上げた。
「先輩、誰が見てもすぐ解りますよ。ミシェルの足ばっかり見てるんだから。足フェチかなー」
横に居た、ミシェルが、沼田の側から、距離を空けるように、ちょっと尻をずらして、驚いた顔をして、沼田を見た。
「***********」
そして、解らない言葉で、早口にジェニファーに何事か喋った。
「ミシェル、大丈夫だよ。先輩は、すけべじゃなくて、いい人だから。
ミシェルのことを好きだから、こうして、また店に飲みに行こうと言ったんだから」
「今、俺のことを、スケベと言ったのか?」
沼田は、驚いて海老原に突っ込んだが、応えたのは、ミシェルが話しかけた正面に居たジェニファーだった。
「そうじゃないです。変な人じゃないよねと、言ったの。沼田さん、ミシェルは、可愛い妹だから優しくしてください。」
「えっ?妹?」沼田は、また驚いて二人の顔を見比べた。
「先輩、嘘、嘘、妹というのは、ジェニファーがみんなの姉貴分だからですよ。
ピリピーナは、みんなファミリーだと思っているから」
(みんな、ファミリーね..それにフイリピーナじゃなく、ピリピーナと発音するのか..)
「沼田さん、本当にミシェルのこと好きだったら、ミシェルのことよろしくお願いします。
ミシェルは、ステディ居ないし、ヴァージンだから」
ジェニファーが頭を下げながらそう言ったが、ステディと、ヴァージンという英語のところが、
はっきりとしたネイティブ英語の発音だった。
そして、ヴァージンと言った時、沼田とミシェルを除いた四人が一斉に笑い出し、ミシェルがジェニファーを叩き始めた。
ことの成り行きを不思議そうに眺めている沼田に、海老原が言った。
「先輩、本当ですよ、彼女達は、嘘言いませんから。ミシェル、彼女になりますよ」
「いやあ、いくらなんでも..それに歳が離れているだろう」
「ピリピーナは、歳は関係ないですよ。十九と、三十五じゃ十六ちがいだから、普通ですよ」
「ええっ十九歳」
(二十二か、三歳ぐらいだと思っていたのに..)
何もかもが、知らない驚きの連続だった。
驚くたびに、今日も水割りをゴクゴク飲んでいる沼田が居た。