( 五 ) フイリピンクラブ−2
「沼田さん、歌ってください」
飲んでばかりいる沼田にミシェルは、話しかけて、横に置いてあったカラオケの本を渡した。
「俺、音痴だから、歌は駄目」
「お願いします。ミシェルのために、お願い」
ミシェルとしては、普通に言ったつもりだったかもしれないが、沼田は、かなり真剣に受け取った。
もともと、歌はそんなに上手ではなかったが、小さいころからピアノを強制的にやらされていたので、
音楽に対するコンプレックスはない。
もっとも、中学校の時に、理科クラブの研究発表会という口実で、やめてからは、
ピアノの蓋を開けることもなかったが、音楽そのものは、好きだった。
結局、スタンダードナンバーのビートルズの“アンドアイラブハー”を選んで、
ミシェルに番号を書いたメモを渡した。
「行きましょう」
ミシェルは、いきなり沼田の手を掴むと、立ち上がって、カラオケのステージの方に歩き出した。
沼田たちが飲んでいる奥の部屋は、直接カラオケのステージが見えない位置にあるので、
ステージで、客がカラオケを歌っているのは、解っていたが、歌好きな客だけが歌っていると思っていた。
しかし、途切れなく歌がかかっていることから、この店では、カラオケは、重要な接客の方法らしい。
ステージは、フロワーから2段ほど高い位置にあり、ミシェルに連れられて上がると、店の全容が見渡せた。
しかも、店中のホステスと客がほとんど、ステージの方を向いている。
一瞬、ぎょっとしてステージの下で、立ち止まったが、ミシェルは、さっさとステージに上がり、手招きをしている。
ステージライトに照らされたミシェルの姿がまぶしく、可愛く見えた。
リクエストしていた曲が始まった。
「Beatles!And I loved her!」
ミシェルが、綺麗な英語の発音で大きな声を出し、沼田の腕を掴んで、はしゃいだ。
沼田は、さりげなく、スタンダードに歌ったが、ミシェルは、ずーっと、はしゃいで、一緒に歌っていた。
席に戻ってきてからも、
「沼田さん、歌じょうず」と、海老原や、ジェニファーに報告した。
「俺の歌より、ミシェルもジェニファーも英語が上手いよね」
沼田は、みんなに聞こえるように、言った。
「ピリピーナは、ほとんど喋れますよ。
まあ、普段は、タガログ語だけど、それにスペイン系もいるからスペイン語も」
海老原が応えた。
「そうなんだ...それに、ミシェルは、歌も上手いよ」
「ミシェルは、ダンサーだから、踊りは、もっと上手いですよ。歌なら、シンガーのリナかな」
「えっ? ダンサー?シンガー?」
「彼女達のビザは、芸能ビザだから」
「芸能ビザ?」
「そうかあ、先輩は、こっちの方は初めてだもんなあ。
ピリピーナが日本に滞在できるビザは、興行ビザとして、芸能人の資格で滞在するか、
結婚して取れる結婚ビザかの二つしかないんですよ。
彼女達は、フイリピンで、ダンサーかシンガーかの認定を受けて、タレントとして日本にきているんです。
実際、その訓練もしているので、上手いのは、当たりまえですが」
「ふーん、そうなんだ。知らなかったなあ。タレントかあ、偉いなあ。俺は、何にもしらないな..」
沼田が海老原と話していると、ミシェルが沼田の顔を覗き込んで、
「Are you single?」
と、いきなり英語で聞いてきた。
いきなりの英語でびっくりした沼田は、「シンガー?歌手?...違うよ、」
「シンガーじゃない。シングル。独身ですか?」
「ああっ、シングル、独身ね...発音がわからなかった..ごめんね。 うん、独身だよ」
「よかった」
ミシェルは、沼田の腕に自分の胸を寄せてきた。
「先輩、おめでとう!」
海老原が、手を叩きながら大きな声で叫んだ。
「沼田さん、おめでとう。ミシェルも好きみたい。だけど、パロパロは駄目よ」
ジェニファーが言った。
その言葉に呼応するようにミシェルが心配そうに眉間にしわを寄せて
「そうです。パロパロは、だめ」と、言った。
「海老原君、パロパロって何?」
「タガログ語で蝶々です。つまり、花から花に移っていく、浮気者という意味です」
「浮気者? 俺は、浮気なんか...」
(こんなに、可愛い娘といっしょになるなら、浮気なんてあるものか)
と、思いながら、腕に当たっているミシェルの膨らんだ胸の感触が気になってしょうがなかった。
ちょっと、自分が、笑いの中心になっているのが、困った沼田は、
「ミシェルがヴァージンって、嘘だろう」と、ミシェルに直接話題を向けた。
「本当です」ミシェルは、怒るでもなく、笑いながら応えた。
そして、「私たちの国では、verginは、大事にします。お母さんも、お父さんも大事です」
と、続けた。そして、自分の胸の間から、ネックレスを出すと沼田に見せた。
銀色の十字架だった。
(そうか、クリスチャンなのか)
その行動を見た、海老原が少しあわてて、
「カソリックは、バージンも大事にするけど、別に男女の仲を厳しく言いませんから...」
と、話題に入ってきた。
「なあ、リナ。子供の写真見せてごらん」
「うん。いいよ。可愛いよ」
リナは、横においていた小さな化粧ポーチから写真を出した。
沼田が手にとって見ると小学生みたいな男の子が映っていた
沼田は、写真の子供の年齢と、リナの年齢を考えると計算が合わないなと思いながら、見比べていた。
「リナの16歳の時の子供」
リナ自身が、その疑問に答えるように言った。
「16歳?」
「うん。カソリックは、子供ができたら、堕さないの、堕したら神様が怒って、地獄にいかなければいけないの」
「16歳かあ..16歳で結婚したのか」
「ふふ、結婚してないよ、できたから産んだの。ママがいるから、私、仕事で日本」
(細い手足のこのリナが、大きな子供の母親で、ミシェルは処女か..
日本人には、わからない世界がいっぱいなんだな)
と、いまさらながら沼田は、国籍の違いから来る価値観の違いを感じた。