( 六 ) フイリピンクラブ−3
(よく、喋り、よく飲んで、本当に笑う娘達だ。
日本語も英語も、もちろん自分達のタガログ語も喋れるなんて、日本人の方が、国際性がないなあ)
沼田は、たまには、話に加わるが、基本的には、海老原と二人のホステス、
それに時々交代する場内指名と、いうホステス達の会話を楽しみながら時間が過ぎていく。
リナが、「腹へった」と、叫んだ。
「さっき、ケーキを食っただろう」
海老原があきれたような口ぶりで、そう返した。
「まだ、三時まで時間あるよ。チキン食べていい?」
「あの辛いやつか。別にいいけど」
「海老原君、食べたいものがあるんだったら、僕が出すから、みんなの分も注文して」
「先輩、すみません。彼女達、七時に入ったら、三時過ぎまで、食べれないことが多いんで、
食べれるとき、出前を取って食べるんです。
いいですか?だけど先輩には、辛いかな。ピリピーナは、辛いのが大好きなんで」
「ああ、少々辛いのは、平気だよ」
「少々じゃないんですが..ま、いいか、リナ、じゃあチキンと、食べたいもの何でも頼めば。ミシェルは?」
「私、チキンとフライドポテト」
「ミシェルは育ち盛りだから、いくらでも食うなあ。その内、こんなフイリピンばあさんになるぞ」
海老原は、両手を広げながら、ミシェルをからかった。
出前のチキンが運ばれてきた。バスケット一杯に揚げた唐辛子が添えてある。
勧められるままに、チキンと唐辛子をかじった沼田は、辛さにヒーヒー言った。
それを見て、ピリピーナ達が喜んだ。
(水商売なのに、こうして客と、友達みたいに遊ぶのか?
それにしても、朝の三時まで食べられないことも多いなんて、タフじゃなきゃやってられないなあ)
彼女達の一挙手一投足が、本当に、こうした世界を知らなかった沼田にとっては、驚くべきことばかりで、
しかもそれが、この同じ日本の中の身近なところで、毎日、日常的に行われている世界だということが不思議だった。
空席になっていた、向こう正面の席に、新しい客が案内されてきた。
その客の姿を見た瞬間、騒いでいたこっちの4人のホステス達に緊張が走り、会話のトーンが下がった。
客を案内してきた、別の黒服が、沼田達の席に近づいてきて、「ラブリーさん」
と、ラブリーに声を掛けた。
2回ほど席を離れていたラブリーが、こちらの席についてまだ、数分しか経っていなかった。
「私のジュースがまだ、来てない」と、言いながらタガログ語でなにやらジェニファーと話をしている。
あきらかに今来た客の席に着くのを嫌がっている雰囲気である。
新しい客には、知らない別のホステスがついていたが、客が催促したのか、
ラブリーにジュースが運ばれてきてわずかばかりすると、また黒服が呼びに来た。
ラブリーは、行きたくなさそうに、ゆっくり腰を上げると、正面の席に移動した。
沼田達の席には、ケリーという若い女性がミシェルに呼ばれてきた。
年齢も一番ミシェルに近そうで、仲が良いのが解る。
「寮が一緒の部屋です」と、ミシェルがケリーを紹介した。
(ミシェルは、寮に住んでいるのか、このクラブの寮なんだな。
しかし、ケリーという娘は、色が黒くて、小太りで、リナと比べると同じフイリピンだとは思えないなあ)
そんなことを思っていると、海老原がそのケリーのことをからかい始めた。
「ケリー、残っている、全部のチキンとポテト、それから、唐辛子も全部食べていいぞ。
豚みたいに太って、店クビになるからな」
「豚じゃない。スマートでしょう」
と、言いながら腰を振り振りして、手には、しかっりチキンを持ってむしゃぶりついていた。
その姿を見た、全員が笑い転げた。
その時、ガシャンと大きな音がして、正面の席のラブリーが座っていた席から横に飛びのいた。
奥の部屋に居た、全員がラブリーを見た。
ラブリーは、両手で自分の胸を抱えて、客をにらみつけている。
奥の部屋の入り口に居た、黒服が飛んできて、客のテーブルと服に飛び散った水を拭きはじめた。
「うるせー、おっぱい触ったくらいで、何言ってんだよ」
客が大きな声で騒ぎ始めた。少しろれつが、回っていない。
かなり酒が入っている様子だ。
「嫌です。すけべ」
ラブリーもきつい調子でやり返した。
海老原の友達の黒服が飛んできた。
「お客様、大変失礼いたしました。女の娘は、チェンジしますから」
「おー、おっぱいも、おまんこも、やらせるやつを連れて来い」
「お客様、申し訳ないんですが、当店は、そういうところではないんで、よろしくお願いします」
「なにが、そういうところじゃないだー。こいつらは、みんなおまんこで、飯食ってるんだろうがー。
偉そうに言うんじゃないよ」
「お客様、今日のところは、もうお帰りになってください。料金は、結構ですから」
「なにー、帰れだとー。おまんこ連れて来い。フイリピンは、みんなおまんこだろうがー」
その時、沼田達のテーブルに居た、ジェニファーが立ち上がって、客の前に歩いて行った。
それにつられるように、ミシェルもリナもケリーも付いて行った。
「冗談じゃないよ。このすけべオヤジ。どうして、フイリピンがみんなおまんこなんだよ。
あんたなんか、だれも相手にしないよ。帰れ」
啖呵を切っているジェニファーの後ろで、リナとミシェルが引っ張って止めているが、
ジェニファーは、凄い形相で客を立ったままにらみつけている。
「なにおー。このやろう」
客は、テーブルを足で蹴飛ばした。テーブルに載っていた、グラスや酒が、音を立てて飛び散った。
「ジェニファーも席に戻れ。お客さん今日は、申し訳ないですが、こちらにお願いします」
海老原の友達の黒服が、言葉とは違って、強烈に腕をねじ上げながら入り口の方に連れて行った。
客は、奥の部屋の入り口の向こうに行って、姿が見えなくなってからも卑猥な言葉を連発していた。
店中が騒ぎを聞きつけて、覗きに来たが、すぐ何事もなかったかのように、カラオケが始まった。
初めて経験する、酒の席のトラブルに事態の成り行きを見ていた、沼田は、驚くだけで何もできなかった。
しかし、経験者であるはずの、海老原は、席を動こうとはせずに、ゆっくりと眺めながら、酒を飲んでいた。
ジェニファー達も戻ってきた。
まだ、興奮して自分達だけで、タガログ語で喋っている。
「しょっちゅうあることですよ。気にしていたら、この商売はできませんから」
と、海老原は、自虐的な低いトーンでぼそっと喋った。
(この商売といっても、海老原君は、今は、浜松電気の社員なんだけどな..)
沼田は、少し気になったが、そのことには触れず、
「しかし、あんなに、馬鹿にした言い方をされたら、誰だって怒るよ。彼女達は、大丈夫なの?」
と、海老原に聞いた。
「ああ、彼女達も毎度のことなんで、大丈夫ですよ。
それに、彼女達は、本当に馬鹿かと思うぐらいネアカなんで、気にしなくていいです」
「えびさんも、馬鹿言うの」
急に自分達の話を中断して、ジェニファーが海老原の方を向いて喋った。
しかし、その顔は、言葉と違って、笑っていた。
本当にもう、立ち直って、元のジェニファーに戻っている。
「ははは、ジェニファーのことだから、どうせ止めても喧嘩すると思っていたよ。
久しぶりに見たな、ジェニファーの啖呵。面白いね。
先輩、ジェニファーは、ここの女の子の一番の姉貴分で、みんなの日本語の先生ですよ。
もう稼ぐだけ稼いで、国には、サリサリストアーまで持っているのに、
こうしてみんなの世話をやくんですからね」
「そう、日本語の先生。うん?サリサリストアーって?」
「フイリピンの小さなコンビニみたいなお店です。
日本円で200万円もあれば、開店できるんですが、ジェニファーはその経営者なんです」
「ええーつ、コンビニの経営者なんだ。どうして、ここで働いているの」
「それは、なあージェニファー...パパがパロパロだからなあ...」
「えびさん。殺す」
沼田には、話の筋がよく解らなかった。
「それにジェニファーは、結婚ビザだから、
わりと気楽に日本とフイリピンを行ったりきたりできるから便利なんです」
(結婚ビザ...そのへんの仕組みを聞いてみようかな)
と、思っていると、横に居たミシェルがひじで沼田をつついてきた。
「お姉さんがビール飲みたいって。私も飲みたい」
興奮して喉が渇いたのか、ビールをねだってきた。
「ああ、いいよ、頼んだら。そうか、女の娘にも、タレントビザと結婚ビザの娘が居るんだ」
「先輩、じゃあ、ケリーはどっちだと思いますか」
「えっ、ケリー? ケリーね。若いから、もちろんタレントビザでしょう。ねえケリー」
このころになると、もうかなり、沼田も店の雰囲気に慣れていたのか、
初顔のケリーにも気安く声を掛けられるようになっていた。
「ははは、食ってばかりいる、ケリーには、タレントなんかないですよ。結婚ビザ」
「ええーつ、びっくりだな。結婚しているの?」
「パパは、居ませんけどね。なあケリー」
「どうしてえびさんは、ケリーばかりからかう。ケリー、後でお寿司、ご馳走してもらう」
ジェニファーが、運ばれてきたビールを飲みながら、海老原をけん制した。
「イエーイ!お寿司、お寿司」ケリーは、また腰を振り振り両手を上に上げて踊った。
みんなで、笑っているその姿には、さっき酔客から屈辱的で卑猥な言葉を浴びせられた悔しさは、どこにもなかった。
「そうだ、店が終わったら、彼女達もおなかすいているだろうから、特にケリーとミシェル。
何か食べに行きましょう。遅くなるけど明日は、大丈夫でしょう」
「イエーイ」
今度は、女の娘全員が叫んだ。
沼田と海老原、それにミシェルとケリーとリナとジェニファーの6人は、
お店が終わる3時までマカティで飲んで、それから、お寿司を食べに行った。
女の娘全員が、綺麗に箸を使って、しかも外国人には、嫌いな人間も居るという生魚を喜んで食べている。
「箸は、日本で生活しているから慣れるだろうけど、生の魚は、よく慣れたね」
沼田は、隣に座ったミシェルに聞いた。
「最初は、駄目。だけど、慣れたら美味しい。刺身大好き」
「そう、刺身と寿司が大好きなんだ」
「時々、フイリピン料理がいい。辛いの好き」
(19歳で、こうして、外国に来て、その国の食べ物に慣れるというのも、大変だろうけど、皆がんばるんだな...)
「先輩、彼女達は、日本食が大好きで、日本食だったら、ほとんど何でも喜んで食べますよ。
納豆は、駄目みたいですけど」
「納豆!駄目!」
リナもミシェルもケリーも一斉に両手を胸の前でクロスさせ、×印を作った。
寿司を食べ終わるころ、今日は、遅いからもうこれまでだなと、沼田は思った。
その気を察したように、ミシェルが、全員でディスコに行こうと、言い出した。
「ええーっ、ディスコ? 俺は、踊るのは苦手だからなー」
沼田が言うと、ミシェルが、
「見てるだけOK。ねーお願い、一緒」
と、なおも懇願してきた。
「海老原君は、どう?」
「先輩さえ、よければ、いいですよ。ただし、行ってもつまんないですけど」
「海老原君は、行ったことあるんだ。だったら、行こう」
ミシェル達は、喜んで、さっさとコートを羽織ると、店の外に出て行った。
「先輩、すみません。さっき、マカティで払ったら、持ち合わせが無くなって...」
「ああ、いいよ。最悪の場合は、カードがあるから」
沼田は、持ち合わせの現金で、支払いを済ませると、前を歩いていく、ミシェル達に追いついて、合流した。
ディスコは、さらに歌舞伎町の奥にある、雑居ビルの4階にあった。
エレベータを降りて、入り口のところまで行くと、とてつもなく大きな音が響いて来た。
沼田が入場料を払っている少しの時間も待てないように、ミシェル達は、中央の大きなホールに飛んでいった。
沼田と海老原は、ゆっくりと歩いて、その中央のホールの手前の金属のバーのところで、
ミシェル達の踊りを鑑賞することにした。
沼田は、店の客を見渡しているうちに不思議なことに気がついた。
あちこちに、日本人男性らしき人間が、チラホラ居るが、女性には日本人が居ない。
あきらかに、ミシェル達と同じ東南アジア系の女性達ばかりだ。
それに、酒や食事を運んでいるボーイ達も、日本人が居ない。これまた、東南アジア系の顔立ちをしている。
そして、付き合いで2、3回行ったことのある日本のディスコとは、
比べ物にならない大音量で、音楽が鳴り響いている。
「先輩、向こうの部屋で話しましょう」
海老原が、沼田の背広を引っ張って、耳元に口を寄せて、大きな声で怒鳴った。
二人が、移動しようとすると、一緒にミシェル達の踊りを見ていた、ジェニファーも付いてきた。
奥のテーブルのある部屋に座っても大音響はすさまじく聞こえてくる。
「先輩、今のうちに言っておきます」
「何だよ、あまりいい話じゃないみたいに」
「さっきのケリーの結婚ビザの話ですが、ケリーは、偽装結婚で日本に来ています。
だから、戸籍上は、結婚していることになっていますが、本当は、結婚していないんです」
「どういうこと」
「結婚を仲介するブローカーが居て、日本の金に困ったやつと偽装結婚させて、ビザをもらうんですが、
100万円ぐらい払えば、できるんです。そうやっても、日本だと稼ぎになるんで」
「ふーん。リナとミシェルは、タレントビザと、言ってたから、問題ないんだ」
「いや、そう簡単じゃ...」
「問題あるの?」
「タレントビザといっても、フイリピン本国で、タレント認定受けるための費用、渡航費用、などがかかります。
それにこちらの寮に入るための費用なども全部プロダクションが一時的に立替えするんですが、
それは、彼女達の借金になります。彼女達は、お店で働いたお金で、そうした費用を払いながら、
ほとんど国の家族に仕送りしているんで、実は、生活は苦しいんです」
「.....」
「その苦しい中で、こうして発散するのが、彼女達の楽しみなんですが、
それをあの馬鹿ホストたちがみんな吸い上げようと狙っているわけです」
「....」
「プロダクションも結婚ブローカーも、ディスコのホスト達も、みんな彼女達の稼ぎを持っていく寄生虫ですよ。
それに、プロダクションとブローカーは、ほとんどこれの系列ですし」
海老原は、麻雀屋の事件の後にしたのと同じヤクザの仕草をした。
「そうか、いろいろと大変なんだな。そんな中で、よくがんばっているなー、ジェニファー。
さっきは、あんなすけべオヤジまでいるし」
沼田は、隣で話を聞いていたジェニファーに顔を向けた。
「うーん、大丈夫よ。私たちには、....が居る。日本人には、居ない」
そういいながら、私たちには、.....が居ると、言った時に、ジェニファーは、人差し指を天に向けた。
(うん?上が居る?..... そうか、神様か。私たちには、神様がいるということか)
「沼田さん、踊りましょう」
ミシェルが、はあはあと大きな息を切らしながら、部屋に入ってきた。
そして、沼田の手を握ると引っ張って行った。
沼田は、それでも、金属のバーのところで
「いいよ、俺は、ここで見ているから」
と、言って、ミシェルの背中を押して、中央のホールに追いやった。
ミシェルは、また、ケリー達と、踊り始めた。
ダンサーの資格で来ているだけあって、周りの誰より踊りが上手かった。
鳴り響く大音響の中で、はじけておどるミシェルのミラーボールに輝くシルエットは、
映画の中のシーンのように沼田の目に焼きついた。