風船と越前くらげ

                                2004年12月21日 初稿

 

佐賀県の一番西の半島に位置する小さな漁村で生まれた私は、

生まれてからずっと東京に出て来るまで海の側で暮らし、海が生活の中心にあった。

朝、目覚めると家からは、朝日にきらめく海が見え、

夏になると家で服を脱いで走っていけば、そこが泳ぐ海だった。

貧乏だった家の食生活は、三食とも魚中心の献立で、

最盛期は、鰯漁で潤っていた村の漁船団が港に帰って来ると、村人に無償配布される

“しおけ”(たぶん塩気という意味から来ているものと思われる)と、呼ばれる鰯などが食卓に上った。

物心付いたころには、村でも一番小さな船で細々と漁師をしていた父の船に乗り、

漁の手伝いをすることもあった。

 

半島は、玄界灘に突き出ていたが、村は、その根元のほうの島々を擁する“日比水道”

と、呼ばれる潮の通り道に面していて、漁港の典型として小さな入り江にあった。

1950年代、60年代初めまでの海は、公害や人間の生活排水などの影響も無く、

ほとんど原始時代以来の海そのものの形を残していたと思われる。

村の漁船を繋ぎ止めておく防波堤から下を見れば、大小さまざまな魚の群れが見えたし、

子供達は、目の前の海に飛び込んで取る“にし”や“さざえ”などをおやつにしていた。

釣りに行けば、目の前の肉眼で見える距離に餌を放り込んだだけで、

海の色が魚の色に変わるぐらい群れが餌を追いかけて魚群となった。

まさしく、魚が湧くという形容がぴったり当てはまるほどの豊穣の海があった。

 

ところが、70年代、80年代と日本が高度成長期を迎えると、

海の様相は劇的に変貌し、魚が取れなく始める。

主な原因は、乱獲によるものだと思われるが、人間の生活排水をはじめとする、

海の汚れが魚の産卵を阻害していると、考えられる。

かって、魚が湧いていた海が、“磯焼け”と呼ばれる現象で、

それまで様々な海草と海の生物で色とりどりだった色が真っ白に変化してしまった。

海底を這っていた、貝や魚の群れが存在しない、死に絶えた無音の世界が、はるか沖まで広がっている。

すべての生物を生んだ生命の羊水である海の死に行く様を

放置している人間の愚かさに私たちは、気が付いていない。

いつまで、食物連鎖の最頂点に君臨し、万物の霊長であるなどという思い上がりを続けるのであろうか。

 

テレビで、イベントのオープニングセレモニーなどの場面で風船を飛ばすシーンを見ると、悲しくなる。

風船が、空に上っていく様子は、ロマンチックで、美しいものに見える。

しかし、その人間のわずかな楽しみだけのために死に絶えていく生物がいることを知らない。

 

それは、海亀である。

海亀は、くらげを主食としている。

空に上がった風船は、風に乗り遠くに運ばれ萎んで海に落ちる。

海亀は、波間に漂う透明、半透明の物質をくらげと思い食餌する性質を

持っているので、その萎んだ風船を食べる。

そして、海亀の胃の中には、家庭から捨てられたビニール袋と風船がいっぱいになり、

消化されず、排泄されず、やがて、死に至る。

 

海亀という一つの種族の減少は、やがて天敵の無くなったくらげの大繁殖となり、漁師の生活を脅かす。

近年、大発生して問題になっている越前くらげの異常繁殖は、

こうした人間のエゴが回りまわって自分達に還って来ていると、いうことに気づくべきだろう。

 

本当に、海亀が絶滅してしまわないうちに。