日航機123便 2004年11月24日改定
1985年7月末の暑い午後、
私は、大阪出張のため羽田空港のロビーを歩いていた。
「はくたくさん!」
後ろから呼び止める声がして、振り返ると、見知っている愛甲さんが居た。
「おや、愛甲さん。こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「仕事が終わったので、大阪に戻るところです。はくたくさんは?」
「ああ、そうか、愛甲さんは、大阪の会社ですもんね。
いつも東京で会っているから、東京と勘違いしていた。私は、大阪に出張です。」
「これから大阪?すると日航の123便?」
「ええ、そうです」
「じゃあ、一緒の便だ、よかったら話しながら行きましょう」
小柄で、いつもニコニコと精力的に仕事をしている愛甲さんと一緒に
JAL123便に乗り込んだ。
愛甲さんは、大阪のパソコン会社の経営者で、同業者である。
私が、アメリカの会社と契約して日本で発売しているソフトウエアの新製品と競合する
別のアメリカの会社と契約して販売をしているライバルでもある。
ライバルではあるが、行動力とPCビジネスにおける先見性や
そのセンスなどで、私が尊敬する先輩経営者でもある。
二人は、隣の席をブッキングして飛行機に乗り込んだ。
二人は、パソコン業界のことや、ソフトウエアのことなどを機内で楽しく語らった。
途中で、愛甲さんは、
「そうだ、はくたくさんに見せたいものがある」と言って、
棚のラッチを開けると銀色のアタッシュケースを取り出した。
「空港で会ったときから、かっこいいなあと思っていたんですが、そのアタッシュケース」
「これ、ゼロハリバートン社のケースですよ」
「はあ、ゼロハリバートンって言うですんですか...」
「このケースは、もし飛行機事故なんかでも壊れないという
特別に頑丈なもので、今度のソフトのソースフロッピも入っています」
「万が一のときでも、ソースを保存できるということですか。さすがですね」
「見せたいものは、これです。」
「ああ、これは、マウスですね。アップルのLisaに搭載されているやつですね」
「これは、今度発売される98用のマウスで、物凄く安い価格で発売されるんですよ」
「だけど、私たちが販売しているソフトは、マウス使えないですよね」
「はくたくさん、これからのソフトは、全部、
このマウスを使って操作する時代が来ますよ。データベースソフトさえ...」
「ええーっつ? データベースソフトがですか?」
「このマウスを今度、はくたくさんに送っておきますね。どうぞ使ってください」
「ありがとうございます」
大阪に到着する時刻になった。
「はくたくさん。私たちみたいに、日本中、世界中を飛び回っている忙しい人間は、
健康に気をつけなければいけませんね。
それに何時も飛行機に乗っているので、
万が一の時のためにゼロハリバートンは、必要ですよ」
「愛甲さん 飛行機で事故ったら全部終わりでしょう。
なんにしても、お互いに気をつけてがんばりましょう」
私は、タクシーで、愛甲さんは、バスで帰るということで、
空港のロビーで、別れることになった。
「それじゃあ」と声をかけて後ろを向いた愛甲さんの背中を見た瞬間、
突然周りの景色が全部フラッシュして飛んで、
愛甲さんと手に持っている銀色のケースだけが私に飛び込んできた。
ああっつ? 愛甲さんが....
私は、私のセンサーが不調で、出張による疲れで誤動作したことを期待した。
8月になった。
愛甲さんから、例のマウスが送られてきた。
まだ、愛甲さんの身に何も起きていなかったことで安心した。
8月12日の夜、私は、深夜のタクシーの中で、
日航機の事故のニュースを聞いていた。
・・群馬県の山中に墜落したと思われる日航機123便の乗客名簿をお読みします。・・・
「ええっつ! 123便 大阪行き?」
「お客さん。どうしたんですか?」
「いや、この123便についこの前乗ったばかりだから」
アナウンサーが乗客の名前を次々と読み上げている。
愛甲** 突然聞こえた名前にわが耳を疑った。
「今、愛甲**といったよね」
「さあ、ちょっと聞いて無かったもので」
そうか、愛甲さんは、同じ123便で、
この前と同じように大阪に帰る途中だったのか...
JAL123便は、御巣鷹山に墜落し、520名の乗客が亡くなった。
愛甲さんは、500名までの遺体捜索でも確認されなかった。
最後の最後のほうで、左手首だけが確認された。
しかし、彼の言葉どおり、ゼロハリバートンのアタッシュケースは、
元の形をとどめたまま発見された。
私は、今でも少し、後悔している。
自分のセンサーを信じていたら、愛甲さんは、助かったかも
自分のセンサーが日時や状況まではっきりと感覚できたら、
ひょっとしたら日航機は...
いや、誰も信じないだろうし、できることはなかったはずだ。
愛甲さんに感じたセンサーが、自分が乗った同じ123便には、
何も感じなかったのは、何故か...
もし、123便そのものに感じることができれば、
日本航空に知らせることができたのではないか?
やっぱり、何もできなかっただろう。
あれから、十数年、毎年、8月12日が来るたびに自問自答する。