京王線の急ブレーキ
2004年12月2日
その日は、渋谷の勤務先で仕事をしていたが、
急な発熱でどうしても続けることができなくなり、調布の自宅に帰宅することにした。
井の頭線で明大前に降り、調布行きの特急に乗り込む寸前だった。
熱で朦朧としていたので、特別意識をしていなかったし、
ここ数年は、私の変なセンサーが働く現象が出ていなかったので、うかつにも気にせずに
一番前の車両に乗り込む所に待っていたのである。
電車がホームに滑り込んで来た。
そのとたん、例の「あっつ!来た」が頭の中で確信に変わった。
しかし、ここ数年は、何も無しで過ごしていたので、
自分で本当かどうかを確かめたい気持ちと、何しろ高熱で、
何がおきてもよいくらいの倦怠感に支配されていたので、そのまま一番前の車両に乗り込んだ。
列車が、千歳烏山に差し掛かったとき、けたたましいブレーキ音が轟いた。
そして、その瞬間、運転先から2両目の方まで床下を
ドンドン、ガラガラ、ドンドンドンと大きなバケツの底を棒で叩くような衝撃音が鳴り響いて後方に走り去った。
予感どおり、飛び込み自殺だった。
「ああー。やぱっりだったな。具合悪いのに、一番前になんか乗らなければよかったなあ。
調布に着く前までにこっちの身体がもつかなあ」
などと、考えながら処理がかたつくのを待つことにした。
電車は、10分ほど停車したままだった。
乗客も何が起こったかを知っており、特別騒ぐこともせずに黙ったまま時間が過ぎるのを待っていた。
そして、ほどなく、「ただ今、踏み切り事故がありました」
と、いう社内アナウンスがあった。
「さっきのあの音は、あの・・音なの?」隣の客どうしが、小声で話をしている。
当然、あの音であるのは、誰でも解っていたのだが、
人間があんなに床下を激しく鳴り響く程の衝撃で打ち付けるものなのかという程の大きな音だった。
私は、高熱で苦しみながら、ただ早く出発することを願ってつり革に掴まっていた。
千歳烏山の駅から数人の駅係員が走って駆けつけてくるのが見えた。
手には。タンカやら、バケツなどを持っている。
もうここまでくると昔からの覚悟が戻って来ているので、そのまま作業を見守ることにした。
「おおーい、ここだ、ここだ。」
「全員ここに集合してくれ」
と、いう係員の声がして私の目の前の最前列の一番後ろの車両の下に10名ほどの係員が集合した。
すると、私の隣に20歳前後と思われる若い女性が同じように車外を見ている。
「こんな若い女性が、凄惨な事故現場を黙視できるはずがないのになあ」
と、思いながら彼女を見てみると、彼女の頭には、ウオークマンのヘッドホンがかかっている。
「そうか、彼女は、何が起こったかを何も知らないんだな。
おそらく、あの音も、社内アナウンスも聞いてないに違いない」
一瞬、事情を教えてあげようかなと、思ったが、口も利けないほど熱にやられていたので、ためらった。
「おおーい。全員で一度に引っぱって出すぞ」という係員たちの声が聞こえた。
被害者の遺体が車輪の間から引きずり出されることになるのだが、
彼女は、耐えられるのかなと今度は、自分の事より、その彼女のほうが心配になって見ていた。
被害者は、若い女性だった。
ただし、ほとんど形をとどめていなかった。
白いワンピースらしき服の切れ端と長い黒髪が見て取れた。
引き出された瞬間、車の中の方の彼女は、何が起こったのかを理解した。
やはり、彼女には、その現場を直視するだけの度量はなかった。
あっという間に顔面蒼白になり、映画の一場面のようにふらふらと倒れこんだ。
さすがにこれは、大変だと駆け寄ったが意識がない。
ほとんど気絶状態であった。
その彼女が倒れこむのを見た乗客の声が車内に響いた。
車内のほとんどの人は、車外で何が進行しているかを知っていたので、黙っていたが、今度は、車内のことである。
運転席の係員を呼びに行って連れて来る人がいて、係員が駆けつけてきた。
その瞬間、彼女は、むくっと起き上がったのである。
そして、心配そうに事情を聞く係員に「大丈夫です。なんともありません」
と、答えると一人ですたすたと空いている座席まで歩いていって、腰掛けた。
そして、さっきまでとは違った一切の関わりあいを拒絶するような冷たい顔で、
じっと一点を見据えたまま座っている。
事故処理が40分ほどで終わって電車は、動き出したが、その彼女は、ずーっとそのままだった。
私は、調布で息絶え絶えに降りて自宅に戻った。