ペントハウスの団十郎 2004年11月24日改定
その男は、本名を立花団次郎という。
しかし、本人が持っている名刺には、橘屋団十郎と書いてある。
歌舞伎町の麻雀屋の店員で、4人セットではなく、一人で入っていっても麻雀ができるところから
フリー雀荘と呼ばれる店の店員を15年も続けている男である。
麻雀屋の店員で名刺を持っていること自体が、有り得ない、ユニークなものであるが、
その名刺は、麻雀屋の名刺ではなく、店名も肩書もない個人の名刺である。
この男は、その名刺をだれ彼となく初対面の人に渡したがるおかしな癖がある。
初対面どころか、ことあるごとに「名刺、渡してましたっけ?」
と、以前にも何回も渡した人にも渡そうとする。
あげくには、見回りに来た警察官や、床マットを交換に来た係員、蕎麦屋の配達の兄ちゃんにも渡す。
名刺を渡すのを生き甲斐にしているといってもいいほどである。
最初の頃は、雇い主である、店の経営者も「団さん、こういうとこは、名刺なんて出すものじゃないよ」
と、注意していた。
しかし、気にもとめないで、せっせと名刺を配るので、最近は、あきれて注意しなくなった。
本人いわく、「歌舞伎町には変な人間が多いし、麻雀屋の店員だともっと変に思われるから、名刺を渡せば、
変な人間だと思われないじゃないですか」
と、真顔で応える。
名刺を配ることのできる人間は、素性の真っ当な人間であるということを言いたいらしい。
しかし、本当は、そんな真摯で律義なことを考えている訳ではない。
実のところは、名刺に書いている、この変わった名前の出自を話題にしたいという単純な動機にすぎない。
だから、名刺を受け取った人が、「変わった名前ですね」などと、話の糸口を振ろうものなら、
待ってましたと、顔中崩し笑いをしながら、嬉々として自分の半生を語り始める。
誰かが捕まって、その話が始まると、
「おーい、また、団のやんどころない話が始まったぞ」
と、冷やかしの声が飛ぶのだが、本人は、臆することなく、話のエンジンを快調にあげて行く。
その語られる出自は、当然のごとく、本当の出自とは、違っている。
かといって、最初のほうは、まったく全部が、創作によるフィクションでもなかったのだが、
話を面白おかしくしていくうちに、それが誇張されて、立花の姓が橘になり、橘屋になっていったのである。
以下は、団十郎の脚本、演出による涙、涙の半生である。
橘屋、本名”立花”、その本人が語る出自とは、おおよそ次のような、話である。
生まれは、牛込柳町。
母親は、人間国宝の歌舞伎役者だった祖父が、妾に生ませた子供で、神楽坂の花柳界では、
一番の売れっ子芸者だった。
生まれた時からお手伝いさんがいて、なに不自由なく暮らして過ごした。
大学は、学習院で、皇太子より2年先輩。
大学卒業後、始めたビジネスで失敗したので、今は、再起をはたすべく、社会勉強中。
どうも生まれついた、上流社会の癖が抜けなかったのが、ビジネスの失敗の原因だったと反省している。
だから、社会勉強には、一番下々の勉強になるからという理由で、底辺の麻雀屋を選んで働いている。
現在は、ようやく、再起のビジネスプランが出来上がりつつあるので、
世を忍ぶ仮の姿も卒業し、歌舞伎町からもうすぐ青山に越すつもりである。
もっとも、その気になれば、歌舞伎座の中の売店の権利をもっているので、金には、不自由しない。
売上は、母親の口座に入るので、取りに行けば、金はいくらでもある
と、なかなかの彩りのある話が開帳され、語り始めると止まらない。
時間がある時は、まさしく波瀾万丈の人生のエピソ〜ドが、とめどなく出て来る。
当然、聞いている人は、場所が麻雀屋だけに、胡散くさく聞くのだが、さらりと、かつ、澱みなく語られると、
人間は、不思議なもので、ひょっとして、本人がいうように、いいとこの出かなと思うようになる。
少し、首を傾け、顎を、はすに突き出して静かに笑う顔は、そういわれれば上品な出に見えないこともない。
しかし、話しているうちに口角に泡がたまってきて、その泡が飛び散るしゃべり方は、本来の素性が、顔を覗かせる。
本当は、T県の農家の次男坊の食いっぱぐれである。
ただ、根は、憎めない、本当にいいやつで、年中金に困っていることを除けば、人畜無害な男である。
金に困ると、例の顔中を笑いで満たした笑顔で腰を落としながら、揉み手で誰にでも小さな金をむしんする。
却ってこないのを解っていながら、案外多くの人が小銭を貸している。
何しろ、出自が、その辺の下賎な人間とは違うので、絶対に他人に知れては、まずいのだが、
住まいは、大久保の国際通りのアパ〜トの屋上である。
国際通りとは、知らない人が聞くと、賑やかな大通りを連想しがちだが、
数年前にコロンビアやル〜マニア、タイなどの街娼たちが、
通りの両側に春をひさいでいたことから名前が付いた、ラブホテルが連なっている細い通りである。
団次郎は、そのひとつ路地裏のアパ〜トに住んでいた。
ある年、8カ月も家賃を滞納して、大家から強制的な立ち退きをせまられた。
しかし、そこからが彼の真骨頂である。
仏の顔も何度とやらで、烈火のごとく怒っている大家をなだめて、持ち上げ、許してもらっただけでなく、
大家が屋上に物置小屋としてつくっていた、犬小屋よりはいくらかましな、バラック建ての小屋に
住むことを確保したのである。
家賃は、3000円と破格な安さだった。
滞納していた前の家賃は、分割で払うという約束だが、当然いまだに履行されていない。
しかも、せっせとどこからかゴミ捨て場に捨てられている家具や、材木などを持ち込んでは、増改築し、
今では、りっぱな住みかになっている。
どこに住んでいるかと尋ねられた時は、「大久保のマンションのペントハウスだ」
と、胸を張って自慢するからたいしたものである。
本人は、名刺に書いている橘屋団十郎という人物になりきっているのである。
麻雀屋で働いているのは、麻雀が好きだからである。
しかし、とにかく弱い。
麻雀は、一般的に運三、腕七と言われるようにギャンブルの中では、一番運の要素が少なく、
技量で勝敗が大きく別れる。
ところが、それは、サラリ〜マンが遊ぶ程度の素人麻雀のレベルの話であって、
歌舞伎町にある、”フリ〜麻雀屋”という店に一人で遊びに来る
麻雀好きな連中は、皆それなりに”あるレベルの腕”をもっている。
そうすると、腕は拮抗するので、逆に運の要素の比重が高くなるのである。
麻雀の技量というと、頭の良し悪しや、理論的なものをもっているかどうかと考えられがちであるが、
むしろ、不確定要素の運をコントロ〜ルできるかどうかの技術である。
これが、博打の才能つまり、博才というものである。
そして、この博才は、世間で言うところの“頭の良さ”とは、釣り合いが取れていない。
むしろ、学業成績がよろしくなかったと思われるやつほど、博才がある。
麻雀のように人間と人間が対峙して勝敗がつくギャンブルでは、
お互いが持つ、人間としての動物的エネルギ〜の大小が、勝敗の大きな要因となる。
例えて言えば、川に一本の丸太の橋が架かっていて、その両側から二匹の犬が歩いて来て真ん中で睨み合うと、
必ずどちらかが負けて後ずさりをするという構図と同じことである。
動物としての迫力が大きい方が相手をねじ伏せる、つまり、相手をキャンと鳴かせた方が、
鳴いた方より博打に強く、博才があるということになる。
団十郎は、そういった意味で、丸太の上で100人の麻雀手と出会ったら
100回後ろを向いて逃げ出すような動物エネルギ〜のない男だから、
当然のごとく勝つはずがない。
つまり、たえず負けて、店から“アウト”と呼ばれる負け分の貸し付けをもらって窮々で生活している。
フリーの麻雀屋は、一応時間給の給与体系であるが、お客さんが足らない時にメンバ〜となって打ち、
その時の勝ち負けの収入と支払いは、個人の責任持ちである。
腕の立つ店員ならば、時間給以外にもいくらでも稼げると、いう理屈になっているのだが、
まず、稼ぐどころか、時間給の収入さえ食い込んで生活がままならないやつがほとんどである。
もともと、社会生活の中で何等かの不始末をしでかして、普通の職に付けない”いわく因縁のあるやつ”が、
ほとんどなので、学歴、年齢、氏、素性、を問わない麻雀屋は、
そういう意味で需要と供給のバランスが取れているのである。
そんな世界だから、博才のないやつ、つまり、人の取り分さえ搾取して、
自分のものにするくらいの気概がない人間は、と生きて行けない街である。
団十郎は、自分の出自をまったくのデタラメで作り上げて、どうにか他人との位置関係をようやく保てる程度の
根性しかない男だから、麻雀では、まったく勝てなく、当然いつも金に困っている。
歌舞伎町からおさらばして、青山に事務所をかまえるどころか、
いよいよもって金に困ってどうしようもなくなった団十郎は、一念発起して、大きな仕掛けを考えた。
競馬の予想組合である。
フリ〜の雀荘に集まる連中は、ギャンブル好きだから、ほとんど例外なく競馬も好きである。
その連中から会費をもらって競馬の予想をやろうという構想であった。
儲かったら、いずれは、競馬新聞に広告を載せて一般会員を募り、
大きく儲けようという取らぬ狸の夢が大きく広がって行った。
こうした、まことに怪しげなビジネスと、誰もが解りそうなまゆつばの仕掛けでも、
予想組合ビジネスの競合は多く、余程の変わった方法と当たる確立が高くないと、
会員は、集まらないし、始められない。
その秘策も団十郎は、考えていた。
パソコンである。
雀荘の客でパソコンの会社を経営している男に目を着けていた。
この男に取り入って、パソコンを教えてもらい、パソコンで予想をやれば勝てるというアイデアを思いついた。
雀荘の新人のおとなしいやつを口説き落として、その男の名義でロ〜ンを組んで、なけなしの頭金を払い、
パソコン一式を手に入れた。
それから団次郎は、生まれて初めての真剣さで、パソコンを習得するための勉強に打ち込んだ。
ようやく、パソコンを使えるようになったので、満を持して、競馬予想の会員募集を開始した。
しかし、まったく集まらない。
当たり前の話である。
あれだけマージャンが弱い男、つまり、博才のないやつの競馬予想などだれも信じる訳がない。
たとえ、現代の科学の最先端であるパソコンを使って予想しているといっても、やっているのは、団十郎という人間である
と、いうかんじんな理屈を考えもせずにスタートする、お粗末さがいかにもらしいところだ。
そもそも最初からビジネスが成り立たつはずのないアイデアだったのである。
さあ、またもや目算が外れた団十郎、いつものように借金を踏み倒し逃げるしか後はないなと思われた。
しかし、奇跡の大逆転劇を成し遂げる。
いつの間にか金回りがよくなり、そして、いつの間にか先生と呼ばれるようになっていた。
ハイテク化が進む世間とは裏腹に、歌舞伎町だけは、アナクロとアナログが生き残る最後の聖地だと思われていたが、
ここでもコンピュータが、徐々に必要とされつつあった。
特に金を扱うクラブの経営者や、“その筋”の表の方の仕事では、
いやおうなしにパソコンによる管理が必要な時代を迎えていた。
そうなると、いざと言う時のトラブル回避や修理などのメンテナンスを含めてパソコンが解る人間が必要となる。
いつの間にか口コミでパソコンの大家ということになった団十郎に、
あちこちからお呼びがかかるようになり、金回りが良くなっていった。
特に、大きな資金を動かし、警察や税務署の目を逃れなければならない
職業の人たちにとっては、なくてはならない人材だったのである。
これまで、歌舞伎町の裏社会の中でも、どちらかというと、最下流といわれていた麻雀屋の店員が、
なんと、組の幹部までが、礼をして、挨拶するようなパソコンの先生という地位になったのである。
かなり、複雑で面倒なパソコンの問題が発生して、自分では手に負えなくなると、知り合いのパソコン屋、
に礼の満面の笑顔で、揉み手をして、相談に来る。
かなり、収入があるはずなのに、その時の謝礼は、安いお菓子をお土産に持って来るだけである。
そして、ペントハウスに、高級なオ〜ディオ装置や、最高速のパソコンなどが増えていった。
が、まだ引っ越しをしていない。
何しろ、ペントハウスの団十郎なのだから。