すべては猫に教えてもらった その3 2005年5月4日
高校に進学する時が来た。
私が住んでいた、田舎は、過疎地と呼ばれる地域で、
小学校、中学校は、あったが、高校は、なかった。
高校に行くには、隣のK市までバスで通学しなければならなかった。
しかし、このバスが、日に2時間に1本の割合で8本程度しかなく、1時間半の道のりだった。
そのうえ高校までは、バスを降りてもさらに鉄道に乗り換えて30分だったからほとんど通学は、無理だった。
高校進学する者は、ほとんどK市の親戚などに下宿するか、近郊の町村が共同で作った、
“寮”という寄宿舎に寄宿するかという状態だった。
私は、寄宿舎に入ることを選択した。
そして、高校に入学する4月がやってきた。
と、いうことは、小学二年生の時から可愛がっていた、タマを世話することができない。
私には、弟がいたが、弟は、義務で、餌をやることくらいしたが、
積極的に自分が面倒をみて、育てるという可愛がり方ではなかった。
母親も、父親もそんなに猫を嫌いなほうではなかったみたいだが、
なにしろ生活のために働くことに精一杯で、猫の面倒をみるどころではなかった。
しかし、田舎では、そうしたペットとの係わり合いが普通であり、
現在の都会のような人間とペットとの領域が完全に密接に絡んだ付き合い方ではなく、
犬もほとんど放し飼いの状態であったし、猫が干してある魚を盗んでとっても、
日常のできごとのひとつでしかなかった。
だから、私がそばに居なくても、タマは普通に生活できたし、
特別野生化することもなく、家猫として暮らしていけた。
そうしたことが、別れる日が来ることもそう深刻な悩みにはならなかった。
K市にある寄宿舎に出立する日が来た。
15歳の年齢では、あったが、家族との別れは、夏休みまでのしばしのことでもあるので、
悲しいなどという感傷にはならなかった。
しかし、タマとの別れは、悲しかった。
私の気持ちを察したのか、タマもいつもなら玄関口で見送るだけだったが、
その日は、ずっと付いてくる。
足元にじゃれ付きながら、ニャーと鳴き声を出して付いてくる。
とうとう、家のある坂道の上から普段は、絶対に降りてこない一番下のバス道路まで降りてきた。
長い別れになることを予知しているかのようだった。
(タマ、夏休みには帰ってくるし、心配ないから、早く家に帰りなさい)
そう、心で言い聞かせて、「ばいばい」と、だけ声を掛けた。
タマは、くるっと踵を返し、坂の途中の岩の上から、私を見送ってくれた。
猫は、人間の心を察する能力に優れているだけでなく、
未来を予知する不思議な能力を持っているのではと思われる経験をたびたびしてきた。
生活の中で、そう考えるしか説明の付かない出来事が、一緒に生活していると頻繁にあったからである。
別にとりたてるほどでもない、日常のささいなことなのだが、
私が猫贔屓とか、特別に思い入れがあるから、ということではなく、本当にそうとしか思えないことが起きる。
この時も、タマは、長くなる別れだということを理解していたとしか考えられない
バスに乗り込んで、坂の下を通るときに、その岩のところにまだ、タマは、居た。
高校生になって、初めての夏休みに、帰省した。
バスでわずか2時間程度の距離だから帰省というほど大げさなものではなかったが、
とにかく3ヶ月ぶりぐらいの我が家だった。
帰宅して、タマに会えるのを楽しみにしていたが、家に入ると猫の匂いがしない。
食餌を与えるとところの猫茶碗もない。
(死んだかな....)そう思ったが、母親に切り出すのをためらった。
なんとなく、母親が目を合わさないで、久しぶりに帰宅した私との直接の会話を避けているふしがあったからだ。
夜半、寝床について、電気を消してから寝付く前に私から切り出した。
「タマは、死んだ?」
「......」
「死んどらんと?」
「お前が、高校に行ってからも仔ば産んでね...お前がおらんと、面倒みるとも大変じゃけんが、捨ててきたと....」
「捨てた?」
「うん、5月ころ父ちゃんが、船で捨ててきた。お前も知っとるばってん、タマは、頭のよかけん、
普通に捨ててきたら、戻ってくると思うて、袋に入れて、船に乗せて、○○まで捨ててきたと、
可哀想かばってん、しょうがなかとたい」
「うーん、そうね....しょうがなかたい」
私も大人になっていた。
日々の生活に追われて、仕事に明け暮れている母親にとって、
猫を世話しているヒマがないことを責めるわけにはいかなかった。
タマを捨てたという場所は、十数キロ離れた私の村がある半島の根元の別の村で、
途中に半島特有の小さな山並みがいくつもあり、人間の足でも一日以上の行程がある。
まったく、土地勘のない猫が戻ってくることは、考えられなかった。
ましてや、両親も、タマのちょっとした不思議な能力に気が付いていたのか、
わざわざ、袋に入れて周りの景色を覚えさせることをせずに、
さらに念を入れて、陸路ではなく、船で遠回りをして、遠くの村に捨ててきたのである。
途中の匂いすら、記憶に残さないようにしたわけである。
(今生の生き別れか...)
私は、電気が消えていたことを幸いに、最愛の友人を失った悲しみに涙を流した。
小さいときから、けっこうマセガキだった私は、初恋も早かったし、
中学、高校と、想いをよせる好きな女性も居た。
青春のなかでの普通の恋愛感情だったし、ごく、スタンダードに、男と女という関係の図式も夢見ていた。
そういう点では、子供だったが、タマに対する感情は、そうした、
健全な思春期の男と女の恋愛感情を超えた、ある種の恋愛感情を持っていた。
それからすれば、最愛の友人という表現ではなく、愛人だったという表現になる。
猫が愛人などという言い方をすれば、現代では、すぐ異常性癖的な取られ方をされるが、
その惧れを怖がらずに表明するとすれば、愛人以外の言葉に置き換えられない。
崇高な信頼と、お互いの心を深く通わせる間柄を他にどう表現するのがよいだろうか。
その後の数十年間、いまだにそうした女性にめぐり合っていないが...
夏休みで帰省して2日目の夜だった。
眠れずに窓から漏れる月明かりを見ながら、タマのことを思い出しながら、涙を流していた。
(タマが帰ってきた!)
タマの声が聞こえたような気がして、飛び起きた。
「タマが帰ってきた」
私は、そういいながら、電気を点けた。
「なんばいいよっとね、帰ってくるはずがなかろう」
と、母親も起き出した。
私は、急いで、玄関を開けて、外に飛び出した。
そして、暗闇の中でニャーと鳴いたタマを見つけた。
「タマ!」と、叫んで近づくと、それはまぎれもなくタマだった。
見る影もないくらい、やせ細って毛もぼろぼろで、鳴き声も弱々しかったが、タマだった。
私は、抱きかかえると家の中に連れて入った。
あきらかに、ほとんど水も食餌も口にしていない身体の様子から、
陸路を2ヶ月もの行程で彷徨いながら、本能にだけ突き動かされながら、家を目指して来たに違いない。
すぐに水とご飯を与えた。
水を一生懸命飲むと、少しだけごはんに口をつけて、すぐ、食べるのを止めた。
そして、何時も自分の寝床にしていた押入れの布団の上に飛び乗って丸くなった。
心配そうに見ている私に一声ニャーと声を上げると、安心して自分の毛づくろいを始めた。
本では、読んだりして知っていたが、まさか、自分が飼っていた猫が、
十数キロの道のりを2ヶ月もかけて帰ってくるということがあろうか。
しかも、一度も通ったことのない行程をどうして帰ることができたのか...
動物の帰巣本能といえば、簡単だが、ほとんど奇跡に近い事実である。
そして、私が帰省している時に帰ってきたのも、何かの因縁である。
前世は、何かの因縁で結ばれていたのかもしれないとさえ思う。
母親も、驚愕の事実に打ちのめされたのか、
「2度と捨てないよ、ごめんねタマ」と、詫びていた。
「畜生の念すら、こうして奇跡を起こすんだね」と、母親と猫の情の深さに驚いた。
もうひとつ、母親は、後々までも、私が、飛び起きて「タマが帰ってきた」と、言ったことを感心していた。
心が通っていれば、距離や時間すら超越できるということをタマから教えてもらった。
そのタマも私が、大学行くために東京に出てから死んだ。
悲しいかな、私の心は、都会の刺激の方が魅力的だったのか、
日常に埋没して、タマの死を感じることができなかった。