手打ちのメニュー

 

新宿歌舞伎町は、その広さと飲食店の数から

世界最大の歓楽街と呼ばれる。

世界最大といっても、店の数や働く従業員の数は、

間違いないが、広さは、400m四方程度の面積だから

大人の足で10分も歩けば、突き抜けてしまうほどの距離しかない。

その面積の中に約2000の飲食業と2万人の働く女性たちが

居るといわれている。

 

一方、そうした歓楽街に約束のように付帯している、

裏の組織を組と呼ぶ。

歌舞伎町では、枝葉の組まで入れると

50近い組が凌ぎを削っているといわれている。

もちろん、それらの50の小さな支流も

源流をたどれば、広域指定暴力団と呼ばれる

大組織に行き着くので、川の系統としては、

わずか片手ほどしかない。

 

そうした、川の流れの地図は、いわゆる“何々系何々組”と,

いう名称ではっきり区分されているが、歌舞伎町だけは、

当事者たちですら末端の縄張りの地図を知らないような

複雑な勢力分布図になっている。

 

中には、大きな雑居ビルで、階ごとに組が違ったり、

下手したら同じ階の違う店で別の組に”みか締め料”を

払っていたりしているので、昔のように

「ここからここまでが何々組の縄張り」と,

いう区割りはなく、混然としている。

 

小さなトラブルは、お定まりで、日常的に発生するが、

基本的にそうした複雑なテリトリーを構成していても飯が食える、

つまり彼らの言葉で言う“しのぎ”が成り立つほどの莫大なお金が

毎日歌舞伎町に落とされているのである。

 

しかし、暴対法が施行されてから一層、

警察の取り締まりが強化され、

昔ほどの楽なしのぎを享受できなくなった。

 

小さなトラブルなどで喧嘩を起し、さらにそれを組と組との

抗争などに発展させたりすると、警察の介入を引き起こすので、

自分達の経済活動を阻害する原因になりかねない。

メンツや威信にこだわって、強面の顔をしなくても

十分に飯が食える歌舞伎町では、下手な喧嘩や抗争は、

知的な経済活動を主体としている現代の組では、必要の無いことである。

 

しかし、一方で、組が、裏の隠然たる組織である事のアイデンテティ、

つまり、“暴力と非合法なことを平然とやってのけられる集団“

というかたぎの人たちの認識を失くしては、生業が立てられなくなる。

つまり、常に一般の人に暴力という怖さを保持させておく必要がある。

だから、殴り合いや発砲という行為も彼らの必要なプレゼンテーションで、

時々は、そういうデモンストレーションも必要となるわけである。

 

非合法な存在でありながら、現実の世界では、

凌ぎというビジネスを法体制のこの国の中で展開していかなくてはならない。

そして、そのビジネスを展開するにあたって、

対立、抗争する他の組などとの調整に彼ら自身が、

長年のノウハウをまとめたのがメニュー、つまり価格表である。

 

もちろん、レストランのメニューのように前菜がいくらで、

メインディッシュがいくらという価格は、書き記されていない。

が、大体の相場価格というものが組のマネジメントクラスには、

暗黙的に認知されている。

 

末端構成員のいざこざで、喧嘩をした場合は、何万円。

クラブやバーで暴れた場合は、何万円。

組の事務所ドアに発砲したら何万円、

そして、3発の場合は、そのかける3。

指つめ1本は、何万円というメニューである。

 

当然、これは、その因果関係と、組の政治力の大きさなどで

変動するし、彼らがいうところの面子という

アナログなものが顔を出す場合もある。

しかし、基本的には、すべてがお金で解決できる。

 

そして、そのお金の循環構造が,

また、新しい犯罪の誘発要因となる。

それだけ、必要な経費がかかるならば、

当然それ以上に稼がなくてはならないからだ。

 

 

松橋は、歌舞伎町では、かなり古株のテキヤ系やくざの組長で、

昔は、名門と呼ばれた組である。

 

しかし、最近では、四代も続いた老舗も経済活動を

主体とする現代やくざの中では、没落傾向にあり、

組員もわずか10数名を数える程度の小さな組でしかなくなっていた。

 

テキヤ系だから、麻薬や殺人などのリスキーな凌ぎはしていない。

やくざの経済原則は、ハイリスク、ハイリターンである。

だから、当然こうしたハイリスキーな仕事をしていない組は、しのぎも少ない。

そこへもってきて、美味しい高額な不動産物件の売買などの

現代的な経済活動は、豊かな資本力を持ち、

組織的な機動力を持つ本流の組に独占され、うま味が廻ってこない。

 

昔ながらの飲食業のみか締め料や祭礼の取り仕切り、

屋台の売上などの収入で生業をたてていた。

夜毎に多くの働く女性達とそのフェロモンに集まってくる多くの

男達の夢と欲望とお金が落ちてにぎわう歌舞伎町に

シマを構えて長年やっていれば、それなりに組としての蓄えもあった。

が、5年前に組員に1億近い金を持ち逃げされてから、

やること、なすこと裏目に出ることが多くなっていた。

 

そして極めつけは、5年前、警察のガサ入れを受けた時に

組のソファーの裏側に縫いこんでいた拳銃と実弾を摘発され

刑務所に収監されたことであった。

 

若い頃は、男気の松橋と呼ばれ、格上の組との喧嘩などでも

一歩も引かず徹底的に戦った武勇伝の持ち主であったが、

寄る年波と長年のアルコール過剰摂取による肉体の衰えは、

往年の風格を感じさせないほどの哀れなものとなっていた。

 

5年ぶりに刑務所を出所した松橋は、組の仕立てた、

出所祝いの席で酒を飲みすぎていた。

横に座っていた、女房の美咲も,

まだまだ女としての色香は、十分すぎるほど輝いていたが、

組を任せていた若頭の高城との間にある妙な空気を感じて、しっくりこなかった。

 

松橋の脳裏に、バッティングセンターの裏手で

小さなスタンド割烹をやっているかおりの姿が浮かんだ。

歳は、松橋より少し下の,もう還暦を迎えたばあさんだが、

先代の組長の姪できっぷの良さと、美咲にはないやすらぎを覚える女であった。

 

「飲みなおしてくる」

そういうと、松橋は、若頭が付けてくれた

一番若い者をつれて、かおりの店へ向かった。

 

さくら通りの角まで来たときに、客引きが寄ってきた。

「社長、中国クラブは、いかがですか,

美人がいっぱいいますよ。****もできますよ」

 

松橋の頭の中で、なにかが弾けた。

 

「歌舞伎町のこのシマで俺の顔を知らんのか」

その瞬間、松橋は、その客引きに膝蹴りを入れた。

男が腹を抑えてうずくまると、今度は、顔面を思い切り蹴り上げた。

倒れると、腹の上をかかとで踏みつけた。

 

若い者が止める暇も無いほどのわずか数十秒の出来事だった。

老いたとはいえ、体格の良い、しかも若い頃は、

喧嘩に明け暮れていた松橋の蹂躙である。

客引きは、ピクッ、ピクッと身体を痙攣させながら

言葉も発せずうごめいていた。

 

周りに群がって事態を見物していた群衆が,

警察に電話しようとした時に、騒ぎを聞きつけた

数人の黒服の男たちが飛んできた。

 

男たちは、倒れている客引きを抱え上げると、

松橋と若い者を両脇から羽交い絞めにして歩き出そうとした。

事態の展開を推察した松橋は、羽交い絞めの手を振りほどき、

**会の松橋だ」と一言だけ言葉を発した。

黒服の男たちは、同業者だった。

 

そして、客引きの男は、その組の末端構成員だったのである。

松橋は、黒服たちを促すと、自分から歩き出した。

黒服たちは、明治通りに面した大きなマンションの

組事務所に松橋たちを連れて行った。

客引きの男は、口から体液を出したまま、ぐったりとなっており、

まったく息をしていない。

組事務所に到着したときには、すでに死んでいた。

 

その組は、素人でさえ名前を知っている関西系の最大組の直系で、

歌舞伎町では、韓国系マフイアと共同戦線を張り、

今や日の出の勢いで歌舞伎町をシェアしていた。

 

やがて、その組の若頭が到着し、松橋と会った。

松橋も顔は知っている。

 

**会さん。本部にあたって、落とし前はつけていただきます」

「あいつは、下っ端といってもあいつの姉さんが、

韓国の***会の幹部のつれなんで安くは、済みませんよ」

と言い放った。

 

すでに向こうは、警察に届け出て、刑事事件として処理せずに、

同業者同士のメニューによって決着をつけようと決めている。

自分の組の構成員の死さえ、しのぎの糧なのである。

 

特別、なんの行為も無く、松橋は、自分の組事務所まで

黒服の男たちに囲まれながら送り届けられた。

事件は、新聞に載ることも無く、騒ぎを聞きつけた警察の

事情聴取にも何も無かったとシラを切って済まされた。

 

向こうの組から提示されたメニュー料金は、

4000万円という末端構成員の死としては、

あきれるものであった。

 

松橋の組としては、それぐらいの金はあったし、

若頭と姐さんは、払うことを決めた。

 

しかし、事件は、思わぬ形で幕が引き降ろされた。

 

翌日の朝、松橋は、先代の組長の墓の前で,

自分の頭を拳銃で撃って死んだのである。

 

古いやくざは、自分の手で古い形の落とし前をつけたのである。

 

それは、事件の落とし前ではなく、時代に対する落とし前だった。