友よ
2004年11月25日up 12月31日校正
私は、自他共に認める食い道楽です。
その理由は、人間は、生まれてから死ぬまでに平均で5万回しか食事をしないからと、いう理由です。
贅沢ではなく、1回の食事を大事にして、美味しいものを味わって食べたい。
食べている1回、1回が、5万分の一だからという気持ちです。
人間は、生まれてから死ぬまでに、わずか3万日しか生きていません。
こっちの方は、5万分の一という食事より少ない回数なのに、
なんと無為無策で自堕落に生きていることだと反省しますが、
今日も夜の巷にフラフラと出かけてしまいます。
人間が、一生の内に出会う人の数は、袖摺りあうもなんとやらで、
何らかの接点を持つ人が3万人だそうです。
そのうち、同じ学校、同じ職場、近所という近しい関係が3000人、
さらにそのうち、親しく会話を持つのが300人、友人と呼べるのが30人、親友と呼べるのが3人
と、いう数字らしいそうです。
私は、その3人の親友のうち一人を亡くしました。
しかも、私の傍に居ながら、何ら助けることもできずに。
後悔と、自責の思いを抱きながら、3万分の一の日々を過ごしています。
話は、私が、高校3年生の時ですから、30数年前のことになります。
私は、住み込みでアルバイトをしながら、高校に通っていました。
出身地の田舎が、僻地と呼ばれるような場所にあったので、高校までの通学ができなかったことと、
漁師をしていた父親が、酒乱で働かなかったので学費がなく、奨学金をもらいながら、自活していました。
私の高校には、同じように離島出身のために親元から離れて暮らしている連中が結構いました。
彼らは、仕送りを受けながら寮やアパート住まいで、私のように働いている者はいませんでしたが。
その中の一人、Y川も離島出身でした。
1年生の時に同じクラスで、すぐ友達になり、そして本当に親友と、呼べるような親しい仲になりました。
いつも冗談で人を笑わせるひょうきんなやつで、卓球の名手でした。
ある、夜のことです。
私は、住み込み先の骨董屋の倉庫で、期末試験の勉強をしていました。
私の生活の糧は、倉庫の番人と、その家の小学生二人の家庭教師でした。
ドアをノックする音がしたので、開けてみると、4人ほどの大人が居ました。
「警察の者だが、ちょっと聞きたいことがあるんだが、いいかね」
と、警察手帳を見せました。
「こんな夜遅く、警察がどうしたんですか?」
「あなたは、はくたくさんだね?」
「はいそうですが」
「この人を知っているよね」
と、後ろの暗闇に居た、Y川を前に出しました。
二人の警察官に後ろ手で押さえられているY川がいました。
「Y川! どうした?」
「いや、この近くで、引ったくり事件が続いていまして、私たちは、その捜査をしていたんですが、
このY川さんが、現場近くを自転車で通りかかったんで、職務質問をしたんです。そうしたら、
急に暴れだしたのでちょっと押さえているんです。住所や名前だけは、聞けたんですが、
その他は、興奮していて調べにならないんですよ。アパートに一人住まいだというんで、
だれか、身分を証明する人が居ないかと聞いたら、近くにあなたが住んでいると、
いうので、こうして伺ったしだいです」
「ちがう!こいつらは、初めから俺を犯人だと決めて、俺を逮捕するつもりで尾行していたんだ」
Y川が、大きな声で叫びました。
「Y川 まあ、まて。お尋ねしますが、Y川が犯人だということは、ないんですね?」
「いえ 特別そういうわけではないんです。それにちゃんとした身元引受人がいるんだったら、
明日警察のほうに来てもらって、捜査に協力してもらえばいいことですから」
「わかりました。私は、**高校で生徒会長をしている、はくたくと、いいます。
私が身元を引き受けます。明日、二人で警察に伺いますから、今日は、私が預かります。」
「生徒会長さんですか。では、そうしますので、明日よろしくお願いします」
警察の4人は、Y川を置いて、引き上げた。
二人になって、私の部屋でY川と、話をしました。
Y川は、息をぜいぜい吐きながら異様に興奮して、大きな声で一方的にどなりまくります。
「俺は、あいつらを許せん。俺を犯人扱いして...馬鹿にして....おれが、引ったくりなんかするかよ...」
と、同じことを繰り返します。
私は、夜であることと、大きな声で、どなるので、雇い主に気が引けて気が気では、ありません。
この倉庫には、高価な骨董品がたくさん保存されているので、人を入れてはいけないと忠告されていたからです。
「とにかく、今日のところは、帰って寝ろ。休んで、明日の放課後に
俺と一緒に警察に行って話をすれば、誤解もなくなるさ」
私は、彼のアパートまで送っていって、自分の部屋に戻り、その日は、眠りました。
翌日、高校に登校すると、Y川は、来ていません。
どうしたのかなと思っていると、担任の先生が、真剣な形相で私を呼びに来ました。
「はくたく、昨日の夜、Y川が病院に入院した」
「えーつ!病院どうしたんですか?」
それから、担任が話した出来事は、Y川の異常な行動でした。
真夜中に、アパート中に響く大声で、「水を持ってきてくれ!水を飲ませてくれ!」
と、叫び、アパートの人が水を与えると、2升ほどの水を飲んで苦しがったそうです。
これはおかしいと、救急車を呼んで、病院に運ばれたY川は、
病院の看護婦が注射を打とうとすると、看護婦を殴り、
衣服を脱ぎ捨て、病院の窓ガラスを破って夜の街を走り廻ったそうです。
何台ものパトカーが取り押さえようと、追いかけていたら、最後は、大きな丸いガスタンクの上によじ登り
大きな声で意味不明な言葉を叫んでいたそうです。
そして、ガスタンクを降りてきたところを取り押さえられ、精神科のある病院に送致されたという出来事でした。
私と、担任は、急いで、その病院に行きました。
しかし、主治医は、絶対安静が必要な状況だから、面会は、できないとのことでした。
後から聞いたら、激しい自傷行為を伴う、拘禁服が必要な重症の統合失調症で、
知っている人に会ったらひどくなる状況だったのです。
昨日の夜、私がもっと引き止めて、気が落ち着くまで相談に乗ってあげていたら、
ひょっとして発病しなかったかもしれないと、何度も悔やみましたが、後のまつりでした。
数ヶ月が過ぎました。
担任は、面会できるようになりましたが、私は、駄目という主治医の話です。
担任を介して聞いた話ですが、Y川は、一日中部屋の中で独り言を喋っているそうです。
主治医が、Y川に「誰と話をしているんだね?」と、聞くと、「はくたくと話している」と応えるそうです。
「はくたく君は、ここに居ないじゃないかね」と、先生が言うと、
「俺とはくたくは、親友だからテレパシーで会話ができるんだ」
と、言って、一日中喋っているそうです。
Y川は、その後、入退院を繰り返しながら、10年近くも治療を受けていました。
私は、高校を卒業して東京に出てきました。
その後の彼のことが、気になりながらも大学を卒業し、就職し、結婚し、子供ができて、
いつの間にか、遠い事件になっていました。
私が、27歳の時のある夜のことです。
私は、自宅で寝ていました。
横には、妻と二人の息子が寝ていました。
部屋の中が、異様に明るいのに気づいて、目が覚めると、Y川が立っていました。
しかし、そこに立っているY川は、27歳のY川では、ありません。
高校生のときの学生服を着たY川です。
「はくたく 久しぶりだな」
「おお 久しぶりだな」
応えながら、私は、何が起きているか全てを悟っていたので、
懐かしさと悲しさとがこみ上げてきて、涙を流していました。
「もうお前は、気が付いているが、お別れを言いに来たよ」
「うん 解っている」
「しょうがない。運命だったんだよ。はくたく、お前のせいじゃないから、気にするな」
「ああ...」
そして、「元気でやれ、向こうで会えるときが来たらまた、卓球しような」
と、いって、消えました。
この会話は、実際には、声に出しての会話ではありません。心の中の会話でした。
そのまま、眠らずに朝一番で、田舎に居るもう一人の親友に電話をしました。
何年ぶりかで電話に出た友人は、昨日Y川が故郷の島に戻って首吊り自殺をしたことを告げました。
私が、彼の故郷の島の墓参りに行けたのは、それからさらに10年後でした。
友よ、やすらかに