あなみにく、海の変わり様 その2
2004年12月28日初稿
あれだけ、醜悪で、自然環境を破壊し、海の生物を殺していくコンクリート製の岸壁が、
なぜ日本中に作られていくのだろうか。
それは、護岸工事という名称がその意味を端的に表している。
護岸、つまり、岸壁を守る役目のために作られている。
何を、何から....
漁村などで暮らす人々を高潮や津波から守る役目だと云う。
統計的には、高潮や津波により人名が失われる大きな災害は、
70年から100年に一度の確率と云われている。
その70年から100年に一度の被害を防ぐために、自然の生態系を変えても
岸壁をコンクリートにする必要があるのか。
失うものが多い愚かな行為であることは、良く考えれば、解ることである。
人命尊重という大義名分の御旗のもとに誰もが納得させられている。
しかし、それは、あくまでも名目であって、本当の理由は、他にある。
本当の理由は、地方交付税を消化するための、公共事業である。
日本の経済は、東京などの大都市の経済活動が中心で、
ほぼ完全な大都市集中型経済といっても過言ではない。
地方都市の経済活動は、GDPのシェアで、大都市と比較すると極端に少なくなる。
ましてや漁村などの人口が少ない町村では、第1次産業以外の経済活動基盤
と、なるような産業や企業がほとんど無い。
そこで暮らす、人々の生活レベルの都市との格差を少なくするために、地方交付税が交付されるが、
受け皿の企業、産業が無いので、公共事業が大きな役割を担うわけである。
ところが、学校や体育館、役所、老人施設、公園などを建設整備しても毎年のことで、
ほぼ施設ができてしまうと、作るものが無くなっていくのである。
しかし、一度予算を縮小すると次年度から、予算を削られるし、交付される税金は、使いきらなければならない。
護岸工事は、大きな予算消化になる大型の公共工事だし、地元の建設会社は、その発注を受けて、売り上げがあがる。
そこで雇用される建設人員は、仕事を確保でき、給与を得ることができる。
こうして、地方の経済を維持するために必要な政策として、護岸工事は、粛々と進められる。
地方においては、少ない経済活動をもたらし、そこに暮らす人々に、仕事と給与をもたらし、
高潮や津波から人名を守るという名目があれば、誰が反対できよう。
私のように地元で暮らさない人間ならいざしらず、
地元で、あからさまに反対できるはずもないし、地元に居れば、歓迎せざるを得ない。
地球レベルの環境問題など、地方経済を知らないエコロジストのたわけた理想論なのである。
地方に於いては、グローバルな視野を持つ政治家など必要が無く、
目の前の米の飯を確保してくれる地方交付税を獲得できる政治家が偉いのである。
かくして、日本全国で護岸工事がだれの反対も無く進められ、浜や磯や潟が消えていく。
しかし、因果応報で、その結果、自然生態系は、破壊され、魚が取れなくなる。
当たり前だ、魚卵の着床、孵化する場所が無いのだから。
そして、有毒物質を解毒する肝臓を失くしてしまうのだから。
当然の帰結として、漁村は、漁獲高が減少し、経済が停滞する。
だから、公共事業への依存度が高まり、護岸工事は、人々が住まないような、
岬や無人の海岸にも施行されるという悪循環のスパイラルに陥って行く。
誰かが警鐘を鳴らし、誰かが、啓蒙しなければ、この愚かな自殺行為は、これからも進められる。
あなみにく、賢しらに聞こえるエコロジー理論と思われるかもしれないが、
私の原点である、豊穣の海は、人類の原点でもある。
日本全国の護岸工事をやめ、これまでの護岸工事を撤収し、
元の磯や、浜や、潟を取り戻す運動を展開しなければならない。
それが、次の世代に豊かな遺産を残す、叡智である。