◆「浜ちゃん」の釣り関係プロフィール◆
◆概要◆
小学校の時は、自分で作った竹竿に、自分で掘ってきたミミズを餌に、
家の近所の鳴門のどぶ川で、真ブナ釣りをしていたが、それ以後釣りとは
まったく縁がなし。ところが、約20年ぶりに竿を握るきっかけとなったのは、
1998年に阿波釣法発祥の地といわれる、阿南丹生谷地域の山
奥に単身赴任で転勤。と同時に、職場の友人や農協の方に誘われ、
磯釣りを始める。
その翌年、経験のため初出場した大会で、いきなりシマノジャパン
CUP全国大会出場。
全国大会の表彰台に上った事も3回あり、以後、7年連続で何らかの
全国の決勝大会に出場中。
◆本業◆
本業は、海にお金をまいてくる事です。(違う、違う。)
昭和61年香川大学卒業後(バイオテクノロジー(遺伝子組替)専攻)
昭和61年技術者として上級職で徳島県入庁
現在徳島県農林水産部に所属する事務所で、県内農産物、海産物の
「産地づくり」、 「人づくり」、「地域づくり」のため、活躍中。
◆主な執筆出演・掲載誌・新聞・ラジオ等の紹介◆
「釣りサンデー」栢A済堂
「磯釣りスペシャル」鞄煌O出版社(編集は泣tィッシングブレーン)
「ちぬ倶楽部」鞄煌O出版社(編集は泣tィッシングブレーン)
「関西のつり」滑x洋社
「磯釣りマガジン」潟Pイエス企画
「レジャーフィッシング」鰍jG情報
「サークルフィシング(準レギュラー)」FMびざん
「四季釣りあるき」徳島新聞
「徳島の海で釣りを楽しもう」テレビとくしま 他
◆資格免許等◆
@一級小型船舶操縦士(船長)
AオープンウオーターダイバーADISjapan
B大型自動車
C自動二輪
Dアマチュア無線(電話級)
E柔道(有段)
F少林寺拳法(有段)
G普及指導員
◆釣り戦績(全国決勝大会関係)◆
◇シマノジャパンカップ(磯グレ)
1999年シマノジャパンカップ四国予選(2位)
1999年シマノジャパンカップ全国大会本戦出場
2000年シマノジャパンカップ四国予選(2位)
2000年シマノジャパンカップ全国大会本戦(全国3位だ、表彰台だ!!)
2001年シマノジャパンカップ全国大会本戦出場(3年連続本戦出場)
2004年シマノジャパンCUP四国牟岐大島予選(優勝)
2004年シマノジャパンCUPセミファイナル西日本大会出場
◇シマノ鱗海カップ(ちぬ)
2002年シマノ鱗海カップ下津井予選(入賞)
2002年シマノ鱗海カップ全国大会出場。(決勝戦のファイナルまで残るが優勝できず)
◇東レ
2001年東レチャレンジカップ串本大島予選で(ブロック優勝)
2001年東レチャレンジカップ尾鷲決勝大会出場
◇ダイワマスターズ(磯グレ)
2003年ダイワグレマスターズ四国伊島予選大会(3位入賞)
2003年ダイワグレマスターズセミファイナル出場
◇報知新聞(グレ)
2002年報知新聞グレ大会出場
2003年報知新聞グレ大会出場
◇福井グレカップ
2002年福井新聞福井CUPグレ若狭大島予選(優勝)
2002年福井新聞福井CUPグレ全国大会出場
◇京都グレカップ
2004年京都グレ決勝大会出場
◇御荘湾カップ(ちぬ)
2004年御荘湾CUP出場権獲得
2005年4月愛媛県御荘湾CUP全国大会(5位入賞)
◇三浦湾カップ(ちぬ)
2005年4月三浦湾磯チヌ選手権全国大会出場権獲得
2005年5月三浦湾磯チヌ選手権全国大会(全国大会準優勝)
◇ダイコーグレカップ
2007年四国予選通過
2007年ダイコーグレ全国大会(全国大会3位)
◆釣り戦績(2004年分)◆
4 月29日(祝)牟岐大島大幸丸大会(優勝)
6
月26日(土)シマノジャパンCUP四国牟岐大島予選(優勝)
9 月
5日(日)正木杯(チヌカカリ釣り)チーム九ちゃん(マルキュー)で(団体優勝)
9 月18日(日)TFT伊島大会(優勝)
10月
3日(日)イチダ釣具店伊島磯釣大会(優勝)
10月16日(土)シマノジャパンCUPセミファイナル(山口県徳山)西日本大会出場)
◆所属釣クラブ等◆
釣道楽 会長(徳島県釣連盟所属)
徳島県庁魚釣研究会
マルキューMFG東四国 会計部長
チームまったり(船釣り)
◆支援をいただいているメーカー◆
DUEL フィールドスタッフ
マルキュー フィールドスタッフ
◆実は◆
大好きなメーカーはこの他にもある。
しかし、片思いで終わってしまうのか。
それとも、縁があるのかは、わからない。
(釣り関係は以上。)
濱堀秀規 プロフィール
19●●年徳島県鳴門市撫養町にて濱堀鎌造・絹江の長男としてこの世
に生を受ける。父は、地元中小企業の工場に務めるサラリーマン。母は、パートで
職を転々。最後には地元競艇場に開催日のみ勤務する従事員パートに落ち着き、
定年まで勤務。
鳴門市立第一小学校に入学。自宅は、賃貸の市営住宅。小学校へはバスで通学。
小学校から帰っても家に誰もいないカギっ子。毎日出される小学校の宿題プリントは、
友達と遊びに行く前に、必ず済ませる事が日課。遊びは、近所の撫養川での真ぶな
釣り、川の補修工事の土管の中の探索。住宅や道路などの埋め立て地や工事現場
の探索などであった。ある時は「親の言うことを聞かない」と、真っ暗な夜に、野良犬
の遠吠えが聞こえる中、神社参道の松の大木に太いロープで縛りつけられ、何時間
も泣いたこともある。
この頃は、漫画『パーマン』に憧れ、バナナが大好物なチンパンジーのパーマン2号
を、友人に欲しがった。
母親のパートが忙しくなった頃から、カギっ子ばかりが預けられる児童館に入館させ
られる。放課後の児童館には、学年を越えた上級生や下級生が沢山いる。その中で、
館長さんからは、「絵本を読んであげたり、一緒に遊んであげたりする面倒見の良い
子」と評価を受けており、母親には自慢の息子であったようである。小学校低学年で
は、体が大きく足も早く、活発であったためクラスの人気者。学級委員長や副委員長
に何度も選ばれる。学芸会では、面倒見の良さを発揮し、クラスのみんなを率いて、
阿波踊りの出し物を行ったり、夏休みの研究発表会では、クラスを代表して発表者に
選出されるなど、クラスの中心的な存在であった。
この頃は、『アルプスの少女ハイジ』が大好きで、ハイジの、明るく機転が利き、他人
の喜びや悲しみに共感する心優しさに、ウルウルと何度も涙腺がゆるんだ。
小学校高学年では、スポーツに目覚め、少年サッカースクールに所属。数多くの友
人や選手の中から、クラブの代表に選出される。ポジションは攻撃的なフォワード。
サッカースクールとは別に、学校別に編成された市の大会でも、代表に選出される。
市の大会では、多くの得点も決め優勝に貢献。サッカースクール所属の県の大会で
は、個人的には、多くの得点も決めるが、チームはそれ以上に失点し敗退。しかし、
卒業する6年生時は、その年の最優秀選手に選ばれた。その他にも、相撲やバスケ
ットボールやソフトボールの学校代表として選出され、大会に出場。自分が井戸の中
の蛙であると思い知らされる。と同時に、個人の能力向上も大切だが、チーム競技
は、チームとして攻撃し、チームとして守備をする、組織力の重要性を肌で感じる。
この頃は、青春学園ドラマに夢中。『飛び出せ!青春』の主題歌、青い三角定規が歌
う『太陽がくれた季節』♪君も今日からは僕らの仲間とびだそう青空の下へ♪や、同
じく青春学園ドラマ『われら青春』の主題歌『帰らざる日のために』♪涙は心の汗だ♪
にジーンときて、早く高校生になりたかった。
鳴門市で一番のマンモス校である鳴門第一中学校では、いじめに合い自殺まで考
える。親は心配し、「男は強くなければならない。優しくなければ生きていく資格がな
い」と、私を、地元の神社境内で開催されている少林寺拳法道場に、無理矢理押し
込む。道場では、寒風吹きすさぶ中、ぞうきんがけから始まり、受け身・突き・蹴り
の型や技の基本を叩き込まれ、有段者の証である黒帯を獲得する。その頃から、
いじめで手を出されることも、こちらから応酬することもなくなり、自然といじめはな
くなる。
当時の夢は、親の希望的な誘導もあり、得意であった理科の教科を受け持つ学
校の先生になることであった。
この頃は、「機動戦士ガンダム」が好きであった。孤立無援で戦闘をし続け、疲弊
していたホワイトベースのオアシスとも言うべき、補給部隊のマチルダ中尉の凛々し
さが好きであった。女性も戦争参加「戦争という破壊の中で、唯一物を作って行く事
が出来る」という台詞には、破壊より生産だと、感じるものがあった。アムロが、戦死
した上官への、軍からの見返りが、2階級特進。命と引き替えるに値するものなのか
と、悩む場面にも考えさせられた。
徳島県立鳴門高校普通科に、担任先生の言われるまま、すんなり入学し、普通科
の8クラス中1クラスだけにあたる成績優秀クラスに3年間所属。高校には別に1クラ
スだけ理数科があったが、なぜ得意な理数科を受験しなかったのかを後悔し、物足り
ない思いに駆られる。部活は、体格の良いことを柔道部の先生に見込まれ、勧誘を
受けたことで、柔道部に所属し、有段者になったが、室内で行う競技は、広い開放的
な野原で行う競技と違うことや、「柔よく剛を制す」と、言われるが、技より力がものを
いうのにも、感覚のズレを感じたのも事実であった。同級生に、プロ野球の現役時代
3度の日本一になり、2012年から読売ジャイアンツ所属の、秦真司一軍バッテリーコ
ーチとは、1年の時のクラスメートである。高校3年生の時、野球部の活躍により甲子
園のアルプススタンドから声援を送ったが、良い思い出よりも、なぜ私が、そのフィー
ルドにいないのかと、野球部に所属しなかったことを後悔した想いが残っている。この
二つのことにより、人はチャレンジして失敗したことより、チャレンジしなかったことを、
後悔するんだと学習した。
私が受験を控えた時、父の会社は業績不振のため、父は人員整理にあった。いわ
ゆる首になった。親戚のおじさんが、私の卒業と同時に、鳴門郵便局に就職する話を
持ってきたくれたが、私は後悔しないように、大学を受験することにし、その話を断って
しまった。受験は、共通一次試験での失敗もあり、第一次志望の大学には合格できな
かった。私立大学に進む道もあったが、浪人することを選択した。2年目の受験では、
父が無職と言うこともあり、お金のかからない国公立大学を目指した。公立の経済大
学からも合格通知をもらったが、自宅から近いという理由が決め手となり、香川大学
農学部農芸化学科に入学した。
大学では、授業料を免除してもらうために、年2回半期毎に申請書を作成し、提出し
続け、申請の度に、半額免除や全額免除にしてもらうことができた。自宅からの仕送
りは現物の米俵しかないので、日本育英会から奨学金を借りることにし、生活費の足
しにした。当時の食事は、朝なし、昼なし、夜は唯一の現物仕送りである米2合を炊
いた。おかずは醤油をかけただけの食事でお腹を満たし、数年を過ごした。しかし、
下宿代が安い農学部の光風寮に住んでいたので、昼にキャンパスで、タイミング良く
寮の先輩を見つけることが出来きて、うまくおごってもらうことが出来たときは、学食の
カレーライスにありつけることもあった。この時の体型は、今からは想像もつかないくら
い、人生で一番痩せていた時かもしれない。
農学部の寮は上下関係が厳しく、俗に「1年奴隷、2年平民、3年貴族に、4年王様」
と揶揄される生活を過ごした。1年生で入寮した者の内、毎年半分以上は昼逃げする。
(夜は明々と、不夜城のごとく皆が活動しているので、誰も夜逃げはできないので、昼
間に逃げるのである)。生活費がほとんどない私は、先輩にどんな非人間的な扱いを
受けても寮を出ることはしなかった。寮を出ること=大学をやめることになるからであ
る。私と同時に入寮し、ずっと4年間寮生活をして、ストレートで無事卒業出来たのは、
私を含め、結局たった2人だけであった。昼逃げしない者も、寮生のそのほとんどが、
留年するという実態があった。私の場合、留年すれば、授業料免除を打ち切られるの
で、単位だけはとらなければと言う思いがあった。試験前には、講義を受講した同級
生や、前年までに先輩が受講して残してくれている、コピーをかき集めた。中国語の
教授の研究室に押しかけて、「化学の実験が忙しくて授業に出ることができません。
レポートでお願いします。試験は受けます」と直当たりでお願いに行ったり。(本当の
実態は、アルバイトが忙しくて、授業をさぼっていたのだが)また、遺伝子操作研究の
教授らとの飲み会の時に、友人が、教授に聞こえるように「単位がないと卒業できん
のだろ、早う教授に頼どき!」と助け船を出してくれたおかげで、「教授どうぞ」と、お
酒を注ぎに行ったこともあった。こんな風に、周りの先輩や友人によく助けられたお
かげで、どうにか単位をそろえることができた。
夏休みに朝から晩まで、1週間集中講座を受ければ単位をくれると言うので、「農
業普及概論」を受講することにした。これが後の人生を決める帰路になった。恩師と
なる新田先生は「農業改良普及員という国家資格があります。民間もいいですが、
普及員は、やりがいのある、地域に役に立つ仕事です。県も受けてみてください」と
勧めてくれた。講義の内容も興味深く、人を動かすための組み立て方。心理学的な
話。国県市町村の国家プロジェクトの大きな仕事の一部を担える話など、理論だけ
でなく、実学に夢があった事が興味を誘った。
卒論は、かっこよくいえば、遺伝子操作の基礎研究をしていた。遺伝子を代える
だけなら、簡単かもしれないが、それにより人に役立つ様にするには、化学だけの
問題でない所が、深い所である。研究の成果が出るのは遠い話のように思え、この
研究は、いつ、人の役に立つのだろうと考えさせられた。
大学生の時は、様々なアルバイトを体験した。真夏のカンカン照りの中、自分の
汗までもが、玉ネギ臭くなりながら、もうろうとした中での玉ネギの種取り。商店街で
の福引きの当選賞品の決定や配布。宗教団体のバスの添乗員。質流れした大物
や小物など、様々な物を質屋同士が競売する、裏方の補助。アルバイトの中でも、
私には家庭教師がいちばん向いていると感じていた。対象は、小学生・中学生・高
校生を問わず教えた。小学生には宿題を教えるだけでなく、キャッチボールをしたり、
中学生には試験対策だけでなく、ボーリングに連れて行ったりした。教え子の成績
が良かったときには、黙って、バイト料をはずんでくれることもあり、ありがたかった。
高校生には、人により教えるレベルを変えれば、理解力が増すことも学習した。
就職では、新田先生の講義が忘れられず、生まれ育った徳島県の上級農業職で
受験し、合格した。最初の給料は手取りで9万いくらであった。民間会社に就職した
友人と話をすると「お前、よくそんなんで、やっていけるなあ」と、あきれられたもので
ある。友人の初任給は、私の倍近い金額であった。今も昔も、若い公務員の給料は
安いものである。
県内中央部、県西部、県南部をくまなく転勤し、山間地へき地勤務や、単身赴任勤
務も経験した。若いときは、青年クラブの担当を任されることが多く、関わった農業青
年クラブの3つが、農林水産大臣賞を受賞することができた。主担当をしていた時の
「上板いずみ4Hクラブ」後継者の総括をしていた時の「藍住あととり会」副担当として
アドバイザーをしていたときの「アグリステーション相生」である。泥臭い話であるが、
地域やクラブ組織に溶け込むには、後継者と一緒になって、活動をし、一緒に汗をか
き、一緒にフリチンで川を泳ぐようなつきあいが、人を動かすと学習した。25年以上
も仕事をしていると、補助金も、制度資金の貸し付けも、政策遂行のための行政施策
も、現場での普及員指導員として、農業生産向上のための野菜生産技術指導も、効
率的安定的な農業経営のためのコンサルタント業務も、地域生活改善のための支援
などの仕事も、結局は、どれだけ人が自発的に動いてくれて、自分から幸せになって
くれるかだと、思うようになった。
人を感動させる事は何だろうか?人に教えることで、人の役に立つ事は何があるだ
ろうか?人生は短いが、人として地球に生まれたことに感謝している日々である。
保健婦の妻、由美と知り合ったのは、入庁式の当日。私のま後ろに立って、知事の
訓示を受けていた妻を、新人研修の期間中に猛アタック。1男1女の愛妻家。
◆パーソナルデータ◆
血液型 :心も体もでっかい 0型
星 座 :忍耐強く、意思が強く、肉体的・物質的な美しさを求める おうし座
干 支 :気高く、勉強好き、研究好きで、人情もろい 寅
家族構成:妻、長男(大阪府内の大学のため別居)、長女(京都府内の大学のため
別居)、4人家族
趣 味 :釣り・読書・コラム書き・イラスト書き
◆連載中メディア等◆
全農とくしま情報「浜ちゃんのうまいもの絵日記」イラストとコラム (毎月)
徳島新聞夕刊「四季釣り歩き」(ほぼ隔月)
テレビ鳴門「浜ちゃんと愉快な釣り仲間」(毎週月曜夜6時30分から放映中)
ホームページ「浜ちゃんと愉快な仲間たち」
その他不定期にメディア多数出演
◆モットー◆
@人を感動させる何かがあるはずだ!
A教えること、情報を共有することで人の役に立つ!
B地球という楽園に生まれたことに感謝!人生は、あまりにも短い。
いかに人生という休日を楽しむか!