


八王子で、みどりの電車に乗り換えて、10分足らず、トンネルを抜けると相原だった。外科医の友人から案内のはがきをもらった。ちょうど半日身体が空いたので、出かけてきた。彼があんまりほめるので、初めてのところだし、興味がわいた。
なかなか洒落た駅舎だ。ログハウス風。広々として、天井も高い。
改札へ向かう私の目に、みどりの丘が広がった。そして、パノラマになった。まるで、東北の片田舎の駅に降り立ったようだった。北に広がったパノラマ・ウィンドウからは、どこまでも続くみどりのグラデーション、その麓に、十数戸の民家が、肩を寄せ合うようにして建っている。そこを真っ直ぐに、線路はみどりへ延びて、消える。
5分ほど歩くと、茅葺の旧家があった。文化財の指定を受けていると立札にある。梅や松の古木がことに見事だった。そこから、道を折れてほどなく、アーチェリー場のゲストハウスが見えてきて、道がゆるく左に曲がるとこの店が見えた。
駅から10分足らず、そんなところにかつての里山を思わせるみどりと田園の広がりがある。そして、「ほたるの里」の札があちこちにあるのだから、もうしばらくすれば、ほたるが飛ぶのだろう。現代の東京郊外で、ちょっと信じられない光景だ。
店を入ると、バッハの無伴奏チェロが流れていた。木の香りが気持ちよい。明るい部屋に、ゆったりと席が並んでいる。案内された席に着くと、さっき見た田んぼが見えて、庭は百花繚乱。今が盛りだ。えびね、すみれ、タツナミソウ、ケマンソウ、まだ、咲いているかたくりがあった。奥まったところには、ホウチャクソウやチゴユリも見える。野草ばかりだ。花の色は、素朴だが、かえって、園芸品種の花よりも、あでやかに見える。妙齢の美人が素顔でそこに並んでいる。
珍しい梅の菓子を食べた。求肥・白餡の甘みと梅の酸味がうまくバランスして、見事な味のハーモニーだった。山の水を沸かしているのだろう、お茶も甘くて、さわやかだった。
二階では、コーヒーを出しているという。そちらもいいなと思ったが、また来てもいい。土産に絵葉書を買って、外へ出る。老爺が畑仕事をしていた。腰も曲がっていないし、動きも軽やかだ。それでも、喜寿にはなっているだろうかと歳を尋ねると、なんと卒寿を超していると聞いて驚いた。桃源郷のようなところに住んでいると、歳をとらないのだろうか。ずいぶん話好きの老爺で、なかなかの教養人であり、面白かったのだが、その話はまたにしよう。
彼と話しているときに、なんとオオルリが鳴いた。この季節はよく鳴くのだそうだ。そんなところが駅から10分とは。
彼に近道を教えられたので、車の通れない細い道を駅に向かった。途中、辻のところで、さて、どこを行ったらいいだろうと思案していると、あどけない少女が声をかけてくれた。いいというのに、駅までついてきてくれた。その気持ちがうれしくて、何か贈れるものはないかと思ったのだが、何もない。それで、季寄せにはさんでいた竹細工のしおりを持たせた。まだ、学校に上がって間もないのだろう、跳ねるようにして走っていって、角で一度振り返って手を振った。
電車を待つホームで、老爺や少女のことが思い出された。そして、あの里山の風景も。帰りに通った道なら駅から5分、東京にこんなところがまだ残っていたのだ。というより、これは、新しいことなのではないか。あのほたるも、このみどりも残ったのではなくて、人が守り人に育てられている。彼らにとって大切な町だから。私は、ここを東京のイーハトーブと呼びたい気持ちになった。ほんの数時間の「旅」なのに、一泊の旅をしたほどに心は愉快だった。
そのとき、馬鈴の音が聞こえた。顔を上げると、向こうのホームの電車が発車するところだった。「ああ……。」
09年 たくる春 宇多文五郎

