追悼 山崎豊子さん
 九月二十九日。近代社会と格闘する正義の人物を描いてきた偉大なる作家山崎豊子さんが亡くなった。私が心から尊敬する作家だと思ったのは『大地の子』を読んだ時だったわけですが、日中問題に関心を寄せてきた日本人にとっては、『大地の子』は文革という激動の社会を背景にしていた分大変な問題作でした。
 中国に残され、捨てられた残留孤児の養父と引き裂かれた祖国との狭間で苦闘する姿を描いたこの作品は、紅衛兵の全国展開と大躍進をテーマにした毛沢東路線の権力闘争中だった分、その建国指導者の統治の失敗と幻滅は、文化革命の暗い側面を描くことになるので、なかなか難しいものがあるというものでした。かがやける新中国建国の物語は、人民希望のエピソードでちりばめられるはずでしたが、巨大大陸内の権力死闘の帝国闘争史でもあったのだと理解せねば描けないすさまじい中央路線の磁場でのことでした。だから描くものの現実の立場については言いがたい側面を持ち合わせていました。二重三重の悲劇にまみれた主人公を描くには、大変な困難が別の意味で横たわっていたわけです。
 めったなことを描こうものなら、あらぬところから弾劾されて…と萎縮しがちな政治的背景の中で、山崎さんは、現地取材を敢行して、主人公とその周辺を書き上げていきました。山崎さんの強みは、取材力です。新聞記者上がりという経歴と、昆布屋の生活史に依拠するリアリズムの人でしたから、現実感を保つために、滑りがちな虚構に逃げこまないように心がける人でした。困難の度合いを見逃さないという点が、歯の浮いたようなウソは避け続け、それがドラマ好きをかえって釘付けにしたのだと思います。「太地の子」は俳優の熱演もあってNHKでのドラマ化は成功していましたが、取材力の勝利だと私は見ています。
 私は、とても困難な歴史の悲劇、日中戦争下の社会悪を告発する作業をしていましたので、山崎さんが臆せず戦争にまつわるテーマを作品化する凄腕には敬意をはらうわけですが、『不毛地帯』にしても、その背景の大きさに負けて萎縮する戦後の絶妙な罪と罰をスケールの大きいエンターテーメントに仕上げていく技術は並みのものではありませんでした。
 演劇畑にいた私は、事実の歴史が矮小化されずに社会の中心にドラマとして再生されることを夢見てきたのですが、虚構を逃げ場所にしてしまう実例ばかりがドラマ化を汚して結局は矮小化させてしまいます。繰り返し現実逃避に終わる様を見続けてきたので、せめて自分だけでも、中心となる社会テーマから逃げずにいつかはこれぞ消費者のドラマの世界だといって、既存の商業主義界を粉砕しながら流れ込もうとしてきたのですが、そんな資本家ばかりの世の中甘くなくて、皆が資本の下僕となってしま姿があるだけです。累々たる屍を乗り越えて生き残るのは旧反戦派の転向青年ばかりだというのが実態の戦後史でした。だから、山崎さんの仕事には、鬼の気合を感じないわけにいかなかったのです。
 山崎さんと私との間には、幻の路線を拭って「花岡事件」を正史にして独自慰霊をやるようになった私が、その案内を出したとき、予想外の寸志をいただいたという縁がありました。やっと加筆して刊行した、小著『花岡事件・鹿島交渉の軌跡』を贈呈すると、過ぎる言葉が添えられた礼状をいただきました。ありがたい認識がその一行に込められていました。
 わが行く手をさえぎる妨害は尽きることなく押し寄せてきていましたので、本質をついた賛辞は励みになるものでした。『中国人強制連行というテーマに喰いつかれ、こうした立派な著書そして歴史の真実を世に問われたご意志の強さ、正義感に圧倒されます。』ぺん字でかしこと書かれたそのはがきは、黒皮のファイルファックスに挟んで大事に持ち歩いている次第です。
 社会派人間主義の山崎豊子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。   
  
石飛 仁
東京東アジア文化交流会
詳細のお問い合わせは下記石飛 仁メールmitoya_jin@yahoo.co.jp
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