| 追悼 朱茂林さん |
| 朱茂林さんは、去る十一月二十六日朝、自宅にて享年80歳の生涯を閉じられました。大往生でした。朱茂林と親交してきた中国人強制連行調査記録の会代表者として心よりご冥福をお祈りいたします。 朱さんは、上野の冨士やホテルにて、残留組の結合を果たし闇市に入って生き延びてきた歴史の証人でした。帰国命令を聞き入れず帰還する労働隊を離れました。東京に出て復讐する意識があったのです、だが、国破れた凄惨な大衆の実態に触れて、一向に姿を現さない敵が見えない状態のまま、戦勝国の中国占領軍との合流を求めて残留を続けます。 確かに強制連行の中にまぎれていた八路軍軍人と日本敗戦を喜ぶ日本共産党との接点はありました。しかし、革命戦線は構築されず革命的最深部にいた朱さんには敵粉砕の指令は届きませんでした。天皇と敗戦国民との結合する姿に切り込む革命性が育たぬまま事態は属国化へと変容していきました。このことは敗戦革命を担った中国人強制連行大衆の示威行為の存在にも関わらずそれを見殺しにして流産させていく幻想の日本革命の正体がありました。敗戦直後の闇市で反帝革命軍の結合が成り立たなかったのです。花岡の残留国民党兵士は、占領軍として乗り込んできた蒋介石国民党の即席駐留兵の役割を担わされるのですが、これを、日中の両共産党は、奪取して革命軍にすることができなかったのです。 革命を幻想にするしかない日中共産党の歴史的限界は、階級史観の枠に縛られているだけで、自らの猛反省を怠り革命化できなかったのです。つまり、日本労働者自身が、加害者の延長上にいるかのような動きしかできず、反省を求められることを嫌って矛先をそらすだけで、革命の条件に対応できないのです。社共反戦派の結集を成長条件にする実力がなかったのです。此の戦後平和運動に巣食う体質と姿勢は、花岡反乱を成し遂げた耿諄を誤用して復興する帝国主義の走狗化して現れます。孤高の鹿島交渉のっとりによってその反省の機会を自らが閉ざす役割を演じて堕落します。鹿島の反省の機会を潰すことでこれ(日帝の走狗化)を果たそうとするのです。欺瞞の革命的平和政治運動は、責任の空洞化を良いことに戦後も続き、歴史の証人を賠償金を取ってやるとたらしこんで政治的にこれを利用して金をぽっぽし、救済法を議会に上程すらせずに、そのテイタラク振りは犯罪的なものとなりました。事実を畏れて、騙している側にいつまでもいるだけで、その自らの犯罪性に微塵もきずかない彼等の存在は近代悪そのものです。その恐ろしい日帝の子供たちは、未だにわれ等が周辺にうようよといるということです。 近代の悪に対する理解の欠如が対中歴史認識までも理解できないことへ繋げています、そのヨコシマなる政治を離れ近代亜流の欺瞞の戦後史を今こそ絶ち、世界平和構築のために尚も働かなければなりません。 わが「花岡事件」中国人強制連行の追跡が、結局、弥生史観の欠陥についてこれを暴くことになるのは必然でした。縄文の里花岡で、なぜあのような事件が起きたかをあらためて私は解析していきたいとおもいます。縄文の東北とわが出雲は一帯であり、縄文出雲を滅ぼした弥生なる「戦争文明」を暴くことは私の使命である―ということを重ねて自覚し、朱茂林さんから学んだことを、これからも大いに活用させていただきます。 日中友好=愛の結晶を見事に現出された朱茂林さんとそのご家族に敬意を表し、学びえた「朱茂林の存在」に心より感謝します。好漢朱茂林のご冥福をこころよりお祈りいたします。 |
| 石飛 仁 |
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| 次回の東京東アジア文化交流会のシンポは、 3/20飯田橋6:00第57回東京東アジア文化交流会シンポは、3・11から三年目のシンポとして近代の戦争と平和の欺瞞を見つめます。題して『小室博士の「新戦争論」と「花岡事件」』、小室博士の評伝作成中の村上篤直氏を招き、ルンペン学者発掘者の一人だった石飛 仁との対論形式で、日本近代の病巣をえぐります。ご期待ください。 |
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