Disk Review Site HAND IN GLOVE***
Experimental / Avant-Pop Review 01
since 2006/01/15

Japanese Girl
Akiko Yano(矢野顕子)
1976/JPN
まさか矢野顕子のアルバムをこんなに好きになるとは思っていませんでした。30年以上も前に出された彼女のデビュー・アルバムですが、最近になって初めて聴きまして、これまでのイメージを一新させられた上に、大きな大きなショックも受けました。いびつなものを体感した時のショックって、臭いものに蓋をしてしまいがちな僕の様なタイプには本当に影響が大きくて、価値観ごと引っくり返されかねません。彼女は世界的なアーティストであり、また本作は名盤としても名の通った1枚ですから、今さらそのエポック・メイキングぶりを語ったところで仕方がないでしょうが、思わず興奮してしまう気持ち、きっと本作のファンの方ならご理解頂けますよね。
唯一無二。一体なにに影響されたのか想像も出来ないその歌声は、既に1stの時点で確立されています。が、例えばアルバム『ただいま。』等で聴くことができる、今日まで続くあの歌声(まさにこれこそ矢野顕子たる歌声としてこれまで僕が持ち続けていたイメージなんですが)とはちょっと違う部分もあります。その明確な差は“トーン”なんですが、それ以外にも、後の彼女からは感じられない微妙な荒さ(それはひょっとしたら、素の彼女そのものなのかも知れません)があって、そこがどうしようもなく琴線に触れて、泣けてくるのです。
21歳にして、異常なまでの表現力があって、何より表現したいことで溢れている。しかもそれは表層的に体裁を整えた“コンセプト”なんかじゃなく、本当に表現したいことだから、シーンの同胞たちとも歩調が合わずに浮いてしまっている。いびつだからショッキングですらある。でもそれって、音楽がアートであるならば、本来どんなレコードにもなくてはならない要素なんですよね。隣の棚のレコードと中身をすり替えても誰も気付かない音楽なんて、スマートかも知れないけれど、少なくともアートとは呼べないでしょう。掃いて捨てるほどいるアーティスト気取りな今時のシンガーでは一生かかっても追いつかない、表現者としての決定的な素養の差を感じざるを得ません。
リトル・フィートを従えたいわゆる「アメリカン・サイド」では、日本的なモチーフを持った『津軽ツアー』や『ふなまち唄Part2』の料理の仕方が斬新ですね。細野晴臣、矢野誠、あがた森魚、ムーンライダースの面々や林立夫らが盛り立てる「日本面」でも、やはり和テイストの使い方がクセになります。決して奇をてらってアレンジしているワケでなく、幼少時代に青森で過ごした経験などが影響しているのであろう必然性を感じさせるところがポイントでしょうか。アヴァンギャルドな作品がひしめく中、ふと現れるポップで朴訥な『大いなる椎の木』なんて、ちょっと神聖な何かまで感じてしまうことがあります。
今さらながら、とんでもないアーティストですね。矢野顕子は。 (May 2007)
Psychedelic Underground
Amon Duul
1969/GER
アモン・デュールの1stアルバム『Psychedelic Underground』は、今や伝説にもなっている69年秋に行われた3日間に渡る超サイケデリックなセッションを編集してリリースされたものです。
アモン・デュールは、西ドイツで共同生活を送りながら政治的活動や音楽的活動を行っていた団体で、より政治的な活動に重きを置いていた人たちはアモン・デュール名義でレコードをリリースし(本作はコチラに当たります)、一方でより音楽面に力を入れていた人たちによるレコードは、アモン・デュールUの名義でリリースされています。音楽面に優れたメンバーによる「U」の方が聴く価値があるのではないかと考える方もいらっしゃるでしょうが、これが案外そうでもなく、今日的な耳や価値観をもってすれば、いわゆる「T」を推す声の方がむしろ優勢であることも頷ける話であり、カオティックな1枚にも関わらず本作の熱狂的な信者は実に多いのです(これは基本的に思想や活動内容に対するシンパシーではなく、単に芸術作品として愛されているという意味です)。
民族楽器(でしょうか)によるパーカッション陣が儀式的なものを思わせ、そこにギターなどの楽器や阿鼻叫喚とも言うべき叫び声、あるいは完全にキマった感じの歌とも呪文ともつかない語りなどが加わります。しかもかなり歪ませて録られているところもまた非日常感に拍車をかけています。テープ編集でコラージュ感が演出されていたり、ジャケ画やインナー・スリーヴの文言(どうやらサイケにブっ飛んだお伽話が記されているらしいです)も含めて、徹頭徹尾アシッディ極まりない代物なのです。
狂気と表裏一体の本能的な快楽が聴き手を包む、とにかく気持ちいい1枚です。ちなみに、邦題『楽園に向かうデュール』でお馴染みの3rdアルバム以外の4枚は、同じセッションから切り出している為、本作に近い感触を味わえる作品になっています。 (Aug 2008)
Matricaria
Anahita
2009/US
ソロ・プロジェクト、ファーサクサ(Fursaxa)としての活動で知られるタラ・バークと、スウェーデン出身でエスパーズのチェリストでもあるヘレナ・エスプヴォールによるアヴァン・フォーク・ユニット、アナヒータ。その1stアルバムが2009年にリリースされました。
アシッド・フォークやUSアンダーグラウンド・サイケ・シーンの重要人物である彼女たちが手を組んだだけあって、まさに美しきユーフォリアのサウンドトラックとも言うべき様相に仕上がっています。チェロ、アコーディオン、フルート、バンジョーといった楽器で紡がれる幽玄でアコースティカルなトラックに、チャントの様な声が乗る構図からは、深い霧が立ちこめる森林での儀式を夢想します。インプロヴィゼーション&ドローンが陶酔感をいざなう、人間の感性に忠実な(それ故に狂気をも湛えた)音楽なのです。 (Dec 2010)
Inventions For Electric Guitar
Ash Ra Tempel
1975/GER
マニュエル・ゲッチングのソロ・ユニット化してから初めてのリリースとなったアシュ・ラ・テンペルの6thアルバム。
アシュ・ラ・テンペルは初期作品も素晴らしいのですが、マニュエル考案による革新サウンドの歴史的幕開けと言うべき本作には、何か別格のオーラが漂っている様に思えます。彼が自ら操るエレクトリック・ギター、それのみで築き上げられたミニマルで幻想的な世界。そこには既に未来のサウンドの原型 〜つまり『New Age Of Earth』や『E2-E4』といった自らが刷新していく同系統の作品であったり、ガラージ・ハウス、そして何よりデリック・メイやカール・クレイグらを触発したことで知られる様に、デトロイト・テクノも〜 が散見されます。
収録されているのは全部で3トラック。反復するフレーズがディレイにより砕けていく様が高揚感を煽る『Echo Waves』。ギターのみで制作されたとは俄には信じ難いシンセ風サウンドが物悲しくも美しく響く『Quasarsphere』。先の『Echo Waves』に比べてテンポを落とした反復フレーズが微妙に表情を変えていき、さらに後半ではギター・ソロが被せられる、一際スペイシーな『Pluralis』。そのどれもが長尺にも関わらず、飽きることなく聴き続けてしまう(浴び続ける、といった表現の方がしっくりくるかもですね)中毒性を秘めています。
実際のところ、エフェクターでの“遊び”の延長に本作があるのではなかろうかとも想像でき、それをあまりに神格化してしまうのもどうかと思うのですが、この完成度にまで高めてしまうマニュエルの技術や感性にはやはり感服してしまいます。僕も学生時代、少ない機材でよく遊んでおりました。リズム・マシンで4つ打ちキックとハットを、アナログ・シンセで8分のテキトーなフレーズをそれぞれループさせ、ディレイやフィルタのツマミをいじりながら、ひとりヘッド・フォンで悦に入っていると気持ち良過ぎて、気付けば30分くらい余裕で過ぎていたり・・・。僕のような一素人の発想と一緒にされるのはマニュエルにもファンにも迷惑な話でしょうが、ただ、そういった気持ちよさを伴うごく原初的な“遊び”の感覚が根源にあるのではないかと言いたいワケです。無論「アカデミックな実験精神に起源するのだ」と考える方もいらっしゃるでしょうけれど。 (Jul 2008)
Viva! La Woman
Cibo Matto
1995/JPN
ニューヨークで生活する日本人の女の子2人組が、インディの枠を飛び越えて大活躍し、逆輸入で国内でもデビュー!そんなシンデレラ・ストーリーを平熱感覚でさらっと実現させたのが、このチボ・マットです。サントラが大人気になったイタリア映画「セッソ・マット(SEX狂い)」をもじった「食べ物狂い」という意味だそうです。そんなネーミングのセンスも含めて、アート・ワークなども実にカワイイ。とは言え、音はヒップホップなどオルタナティヴな要素をベースにしていますし、意外なほどハードコアな雰囲気もあったりするんですが。
本田ゆかの織り成すトラックは、サンプルの並べ方ひとつとってみても、理論的というよりは感覚的。羽鳥美保のヴォーカルにしてもそうですが、良い意味で“女の子感覚”の強みが上手く録音されています。何といってもエンジニアがミッシェル・フルームとチャド・ブレイクという最強チームですから、彼女たちの魅力をパッケージするのに成功しているといった感じです。
ストリートっぽいのにポップ&キュート、そんな雰囲気が受けて、CMJチャートでは1位も獲得しています。以降、チーム入りするショーン・レノン始め、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン、ベック、ビースティ・ボーイズなど錚々たる面々と交流を深めるまでに至るのです。
楽曲も粒ぞろいですが、中でも『Birthday Cake』は抜群の出来です。シングル盤でのイメージを覆す、耳をも劈く破壊的コンプ・サウンドがカッコ良すぎです。 (Jan 2006) 
Point
Cornelius
2001/JPN
世界的な評価を受けた前作『Fantasma』から実に4年もの月日を経てリリースされた、コーネリアスこと小山田圭吾の4thアルバム。
本作では、選りすぐられた少数精鋭の音数でイマジネーションを揺さぶる音像を作りだすことに成功しています。生々しく録音されたアコギやドラムスの音は整理整頓して配置され、声や環境音・・・すなわち水の音、鳥の声、虫の音色、犬の遠吠えなどを音楽や空間の形成に巧みに組み込んでいます。さらに、無限ループで持続音を作ったり、リアルな楽器音を非現実的に積み上げるなど、HD編集の感覚はますます冴え渡っています。
オーガニックな素材使いは、意地悪に見れば「間違いのないロー・リスクな手法」とも言え、いよいよ最前線での攻防には陰りも・・・?などと穿って捉えることも出来るでしょう。ですが彼のポップ・センスをもってすれば、結局こんなに素晴らしいレコードにまとめてしまうのですから、もうそれ以上のことなんて必要ないと思いました。毎回、理屈をこねてコーネリアスの作品に対峙しながら、結局はどのアルバムも好きなんですから世話がありません。とりわけ、この『Point』が大好きです。
去年、カリカの家城さんと話していて、『小山田圭吾さんに会いたいですよね〜』なんて盛り上がってしまいました(彼なら今頃もう会ってるでしょうが・・・)。何だかんだ言って、僕らの憧れの対象で居続けてくれるコーネリアスは本当にスゴイ人なのです。 (Feb 2006)
Die Kleinen Und Die Bosen
Deutsch-Amerikanische
Freundschaft
1980/GER
D.A.Fことドイチュ・アメリカニシェ・フロイントシャフトの2ndアルバム。
ジャーマン・ニュー・ウェイヴの雄として、あるいは後進のエレクトロニック・ボディ〜インダストリアル系のミュージシャンたちに多大な影響を与えた存在として、当時から日本でもよく知られていた彼らが、4人編成時代に「ミュート」からリリースしたのが本作です。前半がコニー・プランク・プロデュースのもとスタジオ録音された音源で、後半がライヴ音源となっています。アナログではA・B面で分かれていたわけですね。両面とも、シンセを軸に据えたスリリングでエクスペリメンタルな作風ですが、スタジオ音源はうっすらと狂気を秘めた退廃的な手触り、ライヴ音源はエキセントリックでパンキッシュと言った感じでしょうか。この時代特有の、新たな地平を渇望する表現者たちのアンダー・グラウンドで薄暗い、でもどこまでも自由な実験精神に溢れた音質がカッコイイです。他の時代の録音物だと、同じように無機質なシーケンス・プレイを用いたとしても、D.A.Fのような低い温度感が出ないんですよね。あるいは後にヒット・メーカーとなった2人組D.A.Fでも同様の質感は得られませんから、ますます本作が際立って素晴らしい出来栄えだったと思えるのです。
個人的には、92年頃(高校生でした)に初めて聴いたのですが、冒頭の3曲ですっかり虜となったのをよく覚えています。当時はユニット名をドイチュ・アメリカニシェ〜と読むなんてわかりもしないで聴いておりましたけれど(輸入盤でしたし)。今は情報量がとても多いので本当に便利ですよねぇ。ただ、少ない情報で想像力を働かせながらレコードに没頭するなんてのも、今思えばそれはそれでちょっと楽しかったなんて思ったりもするのですが。 (Jan 2008)
Doopee Time
Doopees
1995/JPN
ヤン富田さんによる実験的ポップ・ユニット、ドゥーピーズの1stアルバムです。唯一のアルバム、と書きたいところでしたが、まさかの続編リリースのアナウンスもあり、十数年ぶりにドゥーピーズのキュート・ポップがシーンを席巻することになりそうです。
もうさんざん語り尽くされてきた1枚なワケですが、これだけ皆の興味をひく理由として「適度に謎を散りばめた戦略性」、「ポスト・プロダクションに重きを置く近年の風潮にフィットした実験性」、「それでいて激キュートで超ポップ!」辺りが挙げられるでしょうか。特に「謎を散りばめた戦略性」は見事に機能し、ずっと後になって架空の少女キャロライン・ノヴァクのヴィジュアルと声の主がそれぞれ公になるまで、色んなウワサが浮かんでは消えたりしましたよね。ただ、戦略性とは書きましたが、実際はヤンさんの純粋な遊び心に過ぎないのかも知れません。アイディアの源泉は「アンドロイド・シスターズ」だそうですし。いずれにせよ、戦略という言い回しに他意はないです。
テープのコラージュや早回しがコンセプトそのものを支える発想はやっぱり面白いですよね。誰しもが愛してしまうキャロラインも、実験性が生み出した作り物だってところが何だか考えさせられてしまうポイントです。あぁ、何だか手塚治虫先生の「火の鳥」を連想してしまいました。 (Feb 2007)
Friendship Nation
Foot Village
2008/US
メンバー4人全員がドラムスとヴォーカルを担当。ライヴではドラムス4セットを車座に並べて座り、全員がドカドカと叩き、またヴォーカル(と言うかスクリームですが)担当時は拡声器を持ち、のたうち回ってガナるという、奇天烈な編成とパフォーマンスを誇るロスアンゼルスのバンド、フット・ヴィレッジ。「Tome Records」からCDリリースされた、おそらく日本盤は流通させ難そうなオール・ヌード・ジャケ(店頭ではステッカーで隠してあります)が目をひくアルバム、それが『Friendship Nation』です。
基本的に楽器はドラムス4台だけですので、音程のある要素はヴォーカルのみということになりますが、冒頭でも触れました通りスクリーム中心で、間違っても美しいハーモニーを聴かせる様なくだりはありません。それでも複数のドラムスが織り成す天然のフラム効果やデチューンが気持ちよくて、音楽的な高揚感を得ることが出来ます。「所詮は見世物めいたパフォーマンスだろう」とか、「企画先行のブラフだろう」なんて高を括っていると火傷することになるでしょう。特に紅一点のメンバーによる金切り声はなかなか気合が入ってますよ。
CD版では後半にリミックス・トラックが幾つか収録されています。知的なアプローチがやや鼻につくものもありますが、全体的には気持ちよく元ネタを再構築してあって、コチラもオススメです。アルバムとして一本調子になってしまうことを防ぐ効果にも繋がっていますしね。 (Nov 2008)
Milk-eyed Mender
Joanna Newsom
2004/US
ジョアンナ・ニューサムが「ドラッグ・シティ」からリリースしたデビュー・アルバムです。ジョアンナは近年ぐんぐん評価を上げて話題になっている23歳のアーティストで、何と言ってもグランド・ハープを弾き語りするというスタイルが有名です。
このアルバムではハープだけでなく鍵盤楽器もよく使われています。元々バンドで鍵盤を担当していた経緯もあり自然な流れとも言えますが、こと彼女のソロ作に限って言えば、全ての楽器がファンタジックな世界を彩るための素材になっていて、ハープだからどうとか、ピアノだからどうとかは、それほど大きな問題ではありませんでした。もちろん、ハープの響きに魅入られたりするシーンは多いのですが、チャイルドライクで魔法にかかった様な空間にひとたび浸ってしまうとディテールを注視することなんて忘れてしまうのです。
旧知の仲というデヴェンドラ・バンハートらのブレイクもあって、おそらく次回作あたりでより多くのファンを獲得しそうな予感もあります。それほどジョアンナの歌声と音楽は魅力的で、夢見心地の時間を与えてくれるのです。
もし1曲だけベストを選ぶなら、ハープシコードでの弾き語りが素敵過ぎる『Peach, Plum, Pear』でしょうか。 (Mar 2006)
The Dreaming
Kate Bush
1982/UK
“孤高の歌姫”みたいな表現が無闇に氾濫している気がしますが、ケイト・ブッシュ、とりわけこの作品での彼女ほどそんな表現が相応しい人はいないでしょう。82年の4thアルバムです。
MTRを何台も連動(あるいはバウンスを繰り返して)、72トラック相当で録音されたことも有名です。そうした偏執的なスタジオ・ワークが彼女の精神を圧迫したのも無理からぬことで、精神科にかかるに至ったという逸話も残されています。この話も合点がいくほど、楽曲にせよヴォーカルにせよ、ある種“病的”な極限状態が垣間見れます。もはや表現力云々を超越した精神世界、それを芸術にまで高めて記録した10曲。それが『The Dreaminng』なのです。
幾重にも重ねられた声。そしてジャンル分け不可能なエクスペリメンタルなバッキング。文句のつけ様のない大傑作です。仮にもアーティストと呼ばれるワケですから、ミュージシャンは一度くらいこんなアートたる怪作に挑戦すべきでしょう。ケイトは魂を削って削って、この作品を結実させたのです。だからこそ、その事実を知らない人間の心まで奪ってしまうのでしょう。気持ちの奥底に痛みをも伴いますが、それは質の高い表現に接した時によく見る副産物なのです。
もしケイトの他の作品を知っていて、まだ本作を聴いていない方がいたら、ぜひ聴くことをオススメします。必ずやケイトの新たな、そして素晴らしい一面を知ることになると思います。 (Jan 2006)
 
Serieux
Klimperei
2002/FRA
クリンペライ初期のレア音源がCDでリイシューされました。
クリンペライはリヨン在住の夫婦であるフランソワとクリストフのユニットとしてスタートしました。現在はクリストフのソロ・ユニットとなりましたが、本作はおそらく80年代末から90年代初期くらいの音源ではないかと思われますので、二人で製作したものでしょう。ごく一部にだけ知られる存在であった初期カセットテープ音源をテーマ別に分けて再編集。そうしてリリースされた3部作のうちの1枚で、テーマはズバリ「シリアス」。可愛いだけじゃない、ちょっと真面目な雰囲気の作品も含んだアルバムなのです。
1分未満からせいぜい2分そこそこの温かい演奏が次々と飛び出し、それはまるで絵本のサウンド・トラック。あるいはおとぎ話のテーマ曲集。でも、大人になった僕らこそが触れるべき自由さ、優しさの良きお手本ともなっているのです。
トイ・ポップのオリジネーターの一人でもあるクリンペライですから、その純度の高さは折紙付き。何かを模倣して作りました、という様な代物ではありません。まぁ難しいことは考えずとも、このアート・ワークを見ただけでジャケ買い即決です。可愛いオマケもお見せしたいので、『sya-mail gallery』コーナーで近くアップしますね。 (Apr 2006)
Mr.Bungle
Mr.Bungle
1991/US
ブラッド・ドラキュラ(フェイス・ノー・モアのマイク・パットンの変名)がヴォーカルを務める、前衛バンドの1stです。
フェイス・ノー・モアでもブチ切れた変態パフォーマンスを披露するマイクですが、ミスター・バングルでの歯止めのきかないブッ飛び具合はまさにアヴァンギャルドを地で行く者ならでは。プロデューサーも前衛ジャズの奇才ジョン・ゾーンですから、この混沌ぶりも納得です。スラッシュ・メタルからジャズへ、さらにファンク、スカ、オペラ風と様々な音楽要素がコラージュされています。それでもメロディは超ポップ!フリー・ジャズより遥に聴き易い作品だと言えます。
トータルで楽しむ作品なので1曲だけを抽出するのは無粋かも知れませんが、やはり『Carousel』の素晴らしさに触れないワケにはいきません。まさに遊園地が如き夢とコラージュと恐怖のカオス状態。しかもキャッチー、というところが彼らの凄いところですね。屈指の名トラックです。
ちなみにマイク・パットンは、現在に至るまで個人的に最も好きなヴォーカリストです。七色に変化するヴォーカル・スタイルと声質、ついでに面構えまで含めて、こんなに素晴らしい人を僕は他に知りません。そんなマイクのヴォーカルを楽しむ上で欠かせない1枚なのです。 (Jan 2006)
こどもと魔法
Nobukazu Takemura
(竹村延和)
1997/JPN
竹村延和さん2作目のソロ・アルバムであり、氏のキャリアにおける大きな転機を感じさせた、最重要作品のひとつです。
結論から申しまして、僕たちの賛辞の言葉などでは到底言い表せないほどの歴史的傑作だと思います。竹村さんのソロ第一弾『Child's View(本サイトでも別ページにて最もアツく語らせて頂いています。僕にとってあまりに大きな1枚なのです)』に対抗し得る作品があるとしたら、同じく竹村作品の『こどもと魔法』以外考えられないでしょう。
以前から無垢な感性に関心の高かった竹村さんが、ソロ活動開始に伴い「子供の目線」に更に自覚的になったことは明らかで、そこを突き詰めていく行程の中でかつての自らを象徴したジャズやヒップホップはどこかに置いていく結論に達したのかも知れません。『Child's View』と冠しつつも、その実、熟成と洗練を極めたジャズ・オリエンテッドな実体を有した前作に比べても、本作ではより「子供目線」に忠実であろうとする取り組みが成されていると思われます。すなわち、奔放で感覚重視な楽曲構成や、トイ・ミュージックを想起させる音色が積極的にセレクトされているといった具合です。結果的に、後に氏がよりエレクトロニカ的な作風へとシフト・チェンジしていく上での重要な転機ともなりました。
それにしても、この大きな転換が僕たちを一瞬戸惑わせたことは忘れることが出来ません。個人的な話で恐縮ですが、思えばあの日、待ちに待った竹村さんの新譜を緊張しながらプレイヤーにかけ、思いがけない音(つまり『Child's View』とは違う音)が流れ出した時、11年前の僕は喪失感すら感じたことをここに告白したいと思います。竹村さんの真意と、このサウンドがいかに純真で素敵であるかに気付くまでに数ヶ月を要し、そこからは本作にすっかり魅了され、ついには宝物のひとつとなったわけですが・・・。まぁ、僕の感性の鈍さを棚に上げるつもりでもないのですが、実際、全てのファンがたちまち本作に馴染めたわけではなかったようで、身近なところでも、あの日の戸惑いは共通の笑い話になっていたりもします。
さて、『こどもと魔法』の作風を具体的に説明するとしたら、どんな言葉が似つかわしいでしょうか。エレクトロニカ、トイ・ミュージック、ミニマル、アンビエント・・・。あるいはスティーヴ・ライヒかリチャード・D・ジェイムスが絵本仕立ての音楽を作った様な、はたまた夜中のおもちゃ箱で繰り広げられる誰も知らない演奏会の様な・・・。幾つかそれらしいものも思い付くのですが、そのどれをも内包しながら、どれにも属さない自由さがあり、とても難しいですね。まるで、子供の感性が大人の思い通りにはならない様に難しいです。そして、そこが単なる「チャイルディッシュなエレクトロニカ」と一線を画す、『こどもと魔法』だけが持ちえたマジカルな世界の本質なのだと思えるのです。
とは言え、当たり前のことですが竹村さんは大人ですし、むしろ子供とは対極とも言えるほどに知性によって物事を推し量るところがある様に見受けられます。つまり、無邪気な作曲という行為すらも知的に分析されたひとつの方法論として進められているわけです。では、『こどもと魔法』に大人のあざとさがあるかと言えば、決してそうとは思えません。例えご本人が、意外なほど饒舌に本作のあらましをライナーにて語っていたとしても、出音のピュアネスを疑う余地がありません。それは、本作を愛する多くのファンが共有できる信頼と言って過言でないでしょう。 
以後、様々な「子供目線」を具現化したエレクトロニカ作品を発表していく竹村さんですが、木管楽器の多用など、ここでしか味わえない色味があるので、他では替えがきかない1枚となっています。97年の時点で先陣を切ってこの世界観を築きあげた竹村さんのセンスとイノセントな奔放さに、すっかり大人になってしまった僕たちは羨望の眼差しを向けるに終始したのです。 (Sep 2008)

( →その他のNobukazu Takemuraレビューページ)
Our Likeness
Phew
1992/JPN
フュー1992年の作品で、何と「ミュート」レーベルから海外でもリリースされました。たしかにドイツなど海外のミュージック・シーンや「ミュート」とは相性抜群なイメージを持つフューですし、今となっては別段驚くことでもないのですが。
カンのヤキ・リーベツァイト、DAFのクリスロー・ハアス、アインシュツルツェンデ・ノイバウテンのアレキサンダー・ハッケといったエクスペリメンタル/ニューウェーヴ/インダストリアル系リスナーなら卒倒ものの面々がバックを固めています。そこにフューの唄が乗っかるわけですからアヴァンギャルド指数は極めて高いのですが、耳当たりは驚くほどポップ。このレコードを手に取る様な人であれば難解さはちっとも感じないはずです。現在廃盤とは言え、比較的簡単に見つかる1枚ですから、ピンと来た人はぜひ入手してみて下さい。
タイトル・トラック始め印象深い楽曲の数々に、高校時代、心躍ったことをよく覚えています。特に好きだったのがフューによる歌詞で、その詞世界には強く感銘を受けました。「死んだけものの肉にしゃぶりつくわたしたち、わたしたちはいつもいちばんのものを、たったひとつのよいものへ、いまもつくりかえている(『アワ・エレメント』)」。そして「海のように風のように、ただあってみていた」と歌われる『海のように』で、狂気じみているほど静かで優しく呟かれる「だいじょうぶだから・・・。みているから・・・。よかったね・・・。」に、どうしようもなく泣けるのです。 (Feb 2006) 
Island Diamonds
Pocahaunted
2008/US
アメリカの女性デュオ、ポカホーンテッドが「Not Not Fun」レーベルより2008年にリリースした1枚。
この気持ちよさをどう表現したらいいのかわからないのですが、無国籍(と言うより、むしろ宇宙的と言った方が的確かも知れません)かつ呪術的なサイケ・チューンが長時間に渡って繰り広げられ、シラフの人間をもどこかへ連れ去る魔力を有しているのです。しかもリズムなどの低音にはダブ・オリエンテッドなロウを湛えており、また、意味不明なヴォーカルやギター、ドローンなどは混沌を極めて快楽を伴うノイズとなり、洪水の様に押し寄せてきます。USアンダーグラウンド・サイケ・シーンには堂に入った連中が多いですが、彼女たちのブッ飛び具合もなかなかのものですね。ではマニアックな作品かと言われれば、一概にそうとは言い切れないキャッチーな断片も感じ取れたりするのが不思議です(もちろん、こんな代物を万人受けなどと位置づけるつもりはありませんが・・・。充分にニッチですから)。
ちなみに彼女たちは意外と多作家なのですが、そのほとんどがヴァイナルやテープとのことですので、CD派の方は本作を早めに購入するのが良いかと思います。CDオンリーのボーナス・トラックも収録されていますよ。 (Jan 2009)
Landings
Richard Skelton
2009/UK
数々の名義を使い分け、自主レーベルなどでリリースを重ねてきたリチャード・スケルトンによる本人名義での2ndアルバムです。
個人的な購入動機は、ジャケ買い&レーベル買い(この素晴らしいジャケ写は本人によるもので、前作『Marking Time』も同じく秀逸です。また、レーベルは「Type」ですから、このマッチングに惹かれる方も多いことでしょう)。シンプルながら、えも言われぬ神々しさと空恐ろしさが同居するスリーヴに導かれるまま音盤をプレイヤーに乗せてみれば、そこから流れ出したのは実にパーソナルな“音のスケッチ”でした。どうやら本作は、リチャードが4年間に渡って北イングランドの湿地帯や丘陵にて、大自然と向き合いながらレコーディングを重ねてきたものだとか。じっくりと雄大にうごめく大気や霧の気配を肌にとらえながら、その模様を彼なりの感性で音に変換していく作業を経て、この作品は成り立っているのです。うねるストリングス、単音で爪弾かれるアコギ、心地よいノイズ、幻想的なドローン・・・。それらは風の声の様にも聴こえますし、刻々と変化する気圧を表している様にも聴こえます。しばらく身を委ねてみれば、眼下に広大な風景が開けてくるのを感じます。
別項でも書きましたが、先日1991年のアイスランド映画『春にして君を想う』を観ました。本作を聴いていると、なんだかその映画の情景を思い出すのです。 (Jul 2010)
20 Jazz Funk Greats
Throbbing Gristle
1979/UK
前衛アート集団『Coum Transmission』出身のジェネシス・P・オリッジを中心に、1975年に結成されたスロッビング・グリッスル。とりわけ傑作と名高い3rdアルバムである本作『20 Jazz Funk Greats』をはじめ、インダストリアルでアートな作風とパフォーマンスが常に物議を醸しながらも、高い評価を受け続けてきました。
アルバムの中身はと言えば、シンセによるミニマルなハンマー・ビートに呪術的な呟きや時折鋭いギターが乗っかり、それらがエフェクトでぐちゃぐちゃになった様な、まるで生気を感じさせない狂気のインダストリアル・サウンド。では難解なのかと言えば、少なくともミニマルな作品や実験的な作品に多く触れるようになった今日のリスナーにとっては、そうは感じないハズです。逆に言えば、これだけアヴァンギャルドな音楽を僕たちの様な一般的な音楽ファンであっても難解に感じなくなったこと自体、表現手段への理解の寛大さを勝ち得た点において素晴らしいと思いますし、それは彼らのような優れたオリジネイターの独創的な活動による恩恵ではないでしょうか。
ジャケ写で死体を扱ったり、ライヴで自傷行為を行ったりというのは、あまりに直接的過ぎて好きにはなれませんが、空恐ろしさすら感じる『Convincing People』の様な底知れないアブナっかしさを音楽そのもので表現したトラックを聴くと、TGが表層的な芸術家気取りなんかじゃなかったことを心から実感出来ます。既に今日のミニマル・テクノを予見したトラックも多いですね。クリス・カーターの存在は大きかったと思います。ジェネシスらが夢想した悪夢の様なイメージを、ますます現実からかけ離して具現化してみせていたのは、誰あろうこのクリスでしたから。
また、今さら言うまでもありませんが『Jazz Funk』というタイトルは、ピクシーズの『Bossanova』と同様、悪意を持った冗談と捉えて良いでしょう。 (May 2007)


HAND IN GLOVE *** / HOME