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Aunt Sally
Aunt Sally
1979/JPN
Phew(フュー)のキャリアは、バンド「アーント・サリー」からスタートしました。本作たった1枚を残して1年足らずで解散してしまったアーント・サリーは神格化され、バンド名を冠したこの1stも500枚の限定プレスであったため(後の再プレス盤を合わせても世にたった1,000枚!)激レア・アイテムとして扱われ、その価値はますます伝説めいたものへと高まったのでした。版権を巡る紆余曲折を経て、21世紀になってようやくCD化が実現したことは喜ばしいことですね。
これらの経緯を知っている以上「すごい名盤らしい」という先入観は拭えないもので、評価に冷静さを欠いてしまうきらいもありましょうが、それでもやはり名盤と断言したい1枚です。国内におけるパンク・シーンの黎明期を担った歴史的な重要作品という意味合いもさることながら、パンク・ロックやポスト・パンクのスタイルだけを拝借した様な浅はかさとはかけ離れた、ワン・アンド・オンリーなオリジナリティを既に確立している点で信頼を持てようと言うものです。
とは言え、フューに対しては多少「エキセントリックぶってるのでは・・・?」なんて勘ぐってしまうところもありますが(例えば『醒めた火事場で』あたりは演出過多による軸のブレも感じてしまうのですが・・・いかがでしょう)、その後の彼女が、自らを嘯くことなく充実した活動を続けていくことを知っているので、わざわざ穿った見方をするのも意地が悪いですよね。
時代の空気をたっぷり含んだチープな録音と拙さが、いわゆるポスト・パンクとしての味わい深さに繋がっています。また、当時からフューの言葉には“容赦”なんてフィルターはありませんから、例え詩的表現を用いていても、実に鋭角的。ビッケのカン高いギターと同様に、聴き手の胸に突き刺さります。ディスコードな不安定さにも静かな攻撃性を感じますし、やはり素通りを許してくれない特別なレコードなのだと思います。
「物を拾えば吐き気がするし/鏡を見ると耳鳴りがするし/紅茶を運ぶと不整脈/人と話すとぞっとするけど/私は今でも此処にいる」と歌われる『フランクに』や、オープニング・トラックにしてバンドの存在感を端的に表している名作『Aunt Sally』のライヴ音源(CDにのみ収録)はまさに必聴。今の時代だからこそ、さらに多くのリスナーに爪あとを残すであろう強烈な1枚です。 (Oct 2007)
New Rock
Buffalo Daughter
1998/JPN
元ハバナ・エキゾチカのシュガー吉永と大野由美子、そしてムーグ山本から成るバッファロー・ドーター。国内外で高い評価を受け続ける彼女たちの2ndアルバムです。
クールダウンしつつも静かな高揚を感じさせるプレイ・スタイルと、国内のポスト・ロックとして最高峰にあるサウンド・デザインは必聴。「グランド・ロイヤル」のマイク・Dに気に入られたという話も頷けます。
リリース当時は、『R&B (Rhythm and Basement)』や『Great Five Lakes』での声の使い方がちょっと鼻について、100%のめり込むことが出来なかったんですが(今聴いたらそれほど気にならなかったんですけど)、それでも夢中に成らざるを得ないほど、ひとつひとつの“音”が魅力的でした。白眉はドラムス。音色もアレンジもグルーヴも完璧で、これはもうドラムの為だけに買っても絶対ソンはしないと思いました。松下敦、小川千果(元メンバー)、茂木欣一といったお馴染みの面々が楽曲ごとにそれぞれ良い演奏をし、それを見事にZakやDoraが音像処理。荒らし具合も心地いいし、コンプでグルーヴ感を演出する腕前はさすがですね。同じくリズム隊であるベースの音色も完璧だと思います。
音フェチは全編に渡って満足できるハズ、そんな1枚です。 (Apr 2007)
Bobsleigh
Clingon
2000/JPN
先ごろ惜しくも活動休止を発表したクリンゴン。メジャーでの1stアルバムです。
一聴して印象に残るのは、中心人物・木村ひさしによる鍵盤のサウンド。アコピ、エレピ、シンセと曲調に合わせて変幻自在に変えていき、どれをとっても存在感のある音でプレイしています。近年のロック・バンドにおいて、中心に鍵盤を据えたスタイルはメジャーでは意外と少なく、視覚的な部分も含めてクリンゴン最大の特徴と言えるでしょう。
この木村氏がコンポーズを手掛けた作品は、楽曲・詞ともに個性的でノスタルジック。その風貌と相まって、クリンゴンの「70'sテイスト」「昭和テイスト」といったイメージを決定付けています。
他のメンバーによるギター、ベース、ドラムも光るものがありますが、ことヴォーカルに限って言えば、いくらなんでも木村氏以外のピッチは悪すぎですね(木村氏も良くはないですが、そこは歌心ですかね)。ヘタウマ路線ではないだけに、せめてレコードでは矯正して欲しかった気もします。
本作のプロデュースを手掛けたのはプレイグスの深沼元昭。ラストを飾る『春模様』などは、とりわけ深沼さんの色が濃い感じです。 (Apr 2006)
The Clovers
The Clovers
1999/JPN
結成時にはHiromixがヴォーカルを担当していたことでも知られる、クローヴァーズ99年の作品。女の子4人が繰り広げる超キャッチーなガール・ポップが6トラック収録されています。
彼女たちが好きなモッズやガレージの要素も匂わせながら、1曲2〜3分の気持ちよいテンポで一気に聴かせてくれます。下手ウマでガーリィなヴォーカルはいかにも海外ウケしそうですし、何よりオルガンがいい感じです。『Starry Eyes』でのタムと8分刻みの競演、『Bossa Nova Baby』でのリフっぽいプレイなどなど、ついオルガンに耳が行ってしまいます。クローヴァーズのサウンドを一層可愛くしているのは、間違いなくオルガンですね。まぁ、他のパートも好きですけれど。
ちなみに10年くらい前に出た、HiromixのフォトCD+ミュージックCDのパッケージ『Oh My Lover』や、その他のHiromix撮影の写真集でもクローヴァーズを見ることができますよ。 (Jan 2006)
Low-Nin
Dog Hair Dressers
2000/JPN
惜しまれつつ解散してしまった、太田姉弟を中心としたギター・バンドの2ndアルバムです。1枚目の『Gather Shoes』から既にひとつの完成型に達していましたが、この『Low-Nin』はますます地に足がついた傑作となっています。
太田朝子自らティーンエイジ・ファンクラブ好きを公言しているだけあって、下品にならないコード・ストロークとよく整理されたアンサンブルが、ティーンエイジなどのグラスゴー勢を彷彿とさせます(そういえば、ティーンエイジの中心メンバーがかつて結成していたバンド名がボーイ・ヘアドレッサーズなんですよね。ドッグ・ヘア・ドレッサーズの雛形になったと見てまず間違いないでしょう)。ギター・ポップ・ファンも納得のインディっぽさと、メロディ・メーカーとして天性の才能を感じさせるポピュラリティが心地よく同居し、良い意味で日本向けのバランス感覚を持ったバンドでした。
それぞれの楽曲に、しっかりとした個性があるのも魅力。シングル・リリースされた『Board Game』や『ハードロックU』辺りはその最たる好例と言えるでしょう。歌詞が鼻につかないのも嬉しい点です。 (Jan 2006)
Doctor Head's World Tower
Flipper's Guitar
1991/JPN
結局僕らの世代にあって、小山田圭吾と小沢健二によるフリッパーズ・ギターだけは別格のカリスマであり、例えばそうした言葉が似つかわしくないにしても、その影響下で音楽を吸収してきたという事実だけは否定のしようがないです。
感傷は差し引いても、彼らの最後のオリジナル・アルバムとなったこの3rdアルバムは、ちょっととんでもない代物です。サンプラーを積極的に楽曲製作のツールとして取り入れ(この感覚は、4トラックHDレコーダーをやりくりして仕上げたコーネリアスの2ndアルバム『69/96』へと繋がっていきます)、これまでの国産ネオ・アコ〜ソフトロックといった偏ったイメージを払拭しています。楽曲の分かり易さで言えば前2作品の方に軍配が上がるでしょうが、クオリティの高さで熱心なリスナーを唸らせた本作こそ、真骨頂と言えないでしょうか。
ビーチ・ボーイズ『Pet Sounds』の再評価を促したり、映画『Sosso Matto』の価値を高騰させたり、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやローリング・ストーンズ、プライマル・スクリームのリスナーをニヤリとさせたり。あくまで平温で、シーンにこれだけの爪痕を残した2人には、結局誰も敵わなかったのだと思います。
楽曲ごとに検証してみても注目すべきポイントばかり。『Aquamarine』や『The Quizmaster』における、元ネタの本家を凌駕する完成度の高さ。『Going Zero』のオルガン・ソロやトレモロのカッコよさと高揚感。90年代を代表するサイケ・ポップ『The World Tower』の変幻自在なサンプリング・ワークと、そこにふと現われる、信じ難いほど美しい一節の唄メロなどなど、枚挙に遑がありません。
国内の音楽史における「フリッパーズ以前/フリッパーズ以後」という明確なラインを作ってしまった秀才による最高傑作にして問題作と言える1枚です。 (Jan 2006)
color me pop
Flipper's Guitar
1993/JPN
最近アルバムがリイシューされたり、頻繁に「シブヤ系」なるムーヴメントが回顧されたりと、にわかにフリッパーズ・ブーム再燃の雰囲気もあったりしますが、「研究し尽くされてて今さら新発見の余地なんてないだろうし、そもそもフリッパーズみたいなシュッとした存在をマニアックに掘り下げることってどうなんだろう」なんて完全に自分を棚に上げた疑問なども持ちつつ、ともあれ、改めて聴きなおしてもやっぱりすごいのでした。この2人だけは。
『color me pop』は、「el」レーベルのマイク・オールウェイが選曲した、フリッパーズ・ギターのコンピレーション盤です。90年代を象徴する「トラットリア」レーベルの第一弾という形でリリースされましたが、内容については小山田圭吾さん、小沢健二さん共にノータッチであったそうです。いずれにせよ、当時のレア音源をいくつも抱え、それらを手軽に楽しめる逸品として、ファンの間では定評のある1枚となっています。僕もオリジナル・アルバム以外では唯一気に入っているアルバムでして、当時本当によく聴いていました。
アコーディオンを活かしたフレンチ・テイストの『Friends Again』。エレアコの音色とアレンジ、そしてキャッチーなメロディから歌詞に至るまであまりに完璧な屈指の人気作品『Camera! Camera! Camera! (Guitar Pop Version)』。ヴァイオリンとブラシが印象的で、また小山田さんの声、小沢さんのリリックという組み合わせがいかに特別なものであったかを実感できる『Cloudy (Is My Sunny Mood)』などなど、素晴らし過ぎる楽曲が16作品も並んでいます。中でも『Slide』は必聴中の必聴。少なくとも1990年の時点では、フリッパーズを措いては作り得なかった超美しい名作です。なお、これらの作品のPVも最高でした。こちらも必見です。 (Jan 2008)
Jet Generation
Guitar Wolf
1999/JPN
ギターウルフのメジャー移籍第二弾アルバムです。
ギターウルフと言えば、やはり欧米での人気を早くから獲得していたエピソードが有名ですよね。メンフィスのレーベルに送りつけたデモテープが、そのまま1stアルバムとしてレコードになってしまったという驚きの逸話もある程です。さもありなん、メンフィスで聴こうが高円寺で聴こうが、彼らは掛け値なしにカッコイイのです!ロック好きもスノビッシュなアート好きも、プロもアマも、何故か彼らには一目おいてしまう、そんな魅力があるのだと思います。滑稽とも紙一重の表現が多用されるのに、そこもまた堪らない。きっと突き抜けた感性が、僕らを惹き付けて止まないのでしょう。
彼らの在り方は、とにかく全身全霊“ロックンロールであること”のみに集約されているので、本作におけるサウンドも詞も、やっぱりそれ以上でも以下でもなく、ギターウルフ然としたポリシーに準じたものです。メジャー契約後も、それ以前と変わらぬスタンスを貫いてファンを安心させた彼らですから当然ですよね。つまり歪(ひず)みまくったガレージ・ロックンロールを、本作でも心行くまで浴びることが出来るというワケです。
その気合溢れるサウンドのカギを握っているのが、エンジニアを務める南石聡巳 山口洲治 上原キコウ、イリシット・ツボイの4人。この超豪華な顔ぶれが、メーターを振り切ったガリッガリのガレージ・サウンドを盤に詰め込んでいるのですから、スゴイに決まってます。『ジェット ジェネレーション』、『フジヤマ アタック』、『カミナリ ワン』、『カンフーラモーン』、『冷蔵庫ゼロ』、『環七フィーバー』など、名曲・名フレーズが目白押しです。
それにしても、一番絵になる存在だったベースウルフことビリーの急逝はバンドとオーディエンスに大きな大きな影を落とす出来事でした。今となってはセイジ氏が「ビリーの分まで」とポジティヴに燃えているのが救いでしょうか。 (Aug 2008)
Chicken Zombies
Thee Michelle Gun Elephant
1997/JPN
ミッシェル・ガン・エレファントの3rdアルバム。好セールスと高評価を欲しいままにし、最盛期を印象付けた名作です。
彼らのことはたしかに好きでしたが、かじった程度でしたので、僕が苦手なロック雑誌でさんざん語り尽くされたであろう「シーンにおける役割」だとか「どんなコトを思って曲を作ったのか」といった部分は詳しい人にお任せし、ここではトータル・コンプで作り上げた凄まじい音圧を賞賛させて下さい。
たまたま耳にした『ゲット・アップ・ルーシー』がイイ感じでしたし、小西康陽さんらが手放しで絶賛していたのをきっかけに、若干遅めのTMGE初体験を果たしたのが忘れもしない97年のこと(もう10年が経つんですね!)。手に入れた『Chicken Zombies』における『ゲット・アップ〜』は、EP盤のそれを遥かに凌駕する、ちょっととんでもない代物だったのです。波打つほどにバコっと深く潰したコンプレッションのカッコ良さに触れた瞬間は、衝撃が走りました。たしかに深めのトータル・コンプを汚し目的で掛けるのが日本で流行してはいましたが、楽曲自体を生まれ変わらせるほどの“攻め”のコンプ使いが、他に類をみないガレージ・サウンドを演出してみせたのです。山口氏、恐るべしセンスです。
楽曲もキャッチーですし、何より時の勢いが記録された作品ならではのオーラがあるのがいいですね。 (Sep 2007)
桜の森の満開の下
人間椅子
1991/JPN
人間椅子がいかに不世出な素晴らしいバンドであるか。それを人様にお伝えすることの難しさに、僕だけでなく多くの人間椅子ファンが悩まされているに違いありません。「文学とハードロックを掛け合わせるという、いかにもアイディア先行な、メディア映えを第一とするイカ天出身のイロモノバンド」といったレッテルを覆すなんて、なかなか骨の折れる作業ですから。たしかに“愛すべき”馬鹿馬鹿しさも持っている彼らですが、そこだけを抽出してイロモノ扱いするのは本質を捉えているとは言えません。彼らがこよなく愛する江戸川乱歩などの日本文学や、ブラック・サバス、クリムゾン、ツェッペリン。そして青森県民としてのアイデンティティ。これらが血肉となって、自然と出来上がったのが人間椅子というスタイルなのではないでしょうか。奇をてらうのが目的ではないことは、高い音楽性と芸術性が何より物語っています。
まぁ、あまりシリアスに賞賛してばかりいても、これまた本質とかけ離れる気がしますし、肝心の中身に話題を移しましょう。本作はメジャーでの2ndアルバムでして、前作『人間失格』と並ぶ名盤と言えるでしょう。特有のおどろおどろしさを存分に味わうには、アナログ録音にこだわり、ヴォーカルも適度にラフなテイクが採用されている1stがオススメです。一方、2ndである本作はヴォーカルやギターに明瞭感が増し、滑舌の良さにも気が配られているので、人間椅子の大きな魅力である文学性の高い歌詞がよりストレートに耳に届くようになっています。ただし、こうしたプロフェッショナルなプロダクションが施されたことで、分かり易さと引き換えに、奇奇怪怪さがやや失われてしまったのは残念なところです。まぁそれでも充分に奇奇怪怪な1枚なんですけれど。
冒頭の2曲、『爆弾行進曲』と『遺言状放送』は勢いと着眼点に見るべきものはありますが、バンドのポテンシャルがいかんなく発揮されていくのは3曲目『心の火事』から。これをきっかけに楽曲の質が上がります。重心がグっと下がったドゥーミーでヘヴィなリフが次々飛び出し、エンドルフィンが刺激されっ放しです。実際こういうハードなサウンドって、シャレさえ利いてれば皆大好きなわけで、そこを見事に突いてくる存在が人間椅子だったりもするのです。壮大で、歌詞のクオリティもバカ高な『夜叉ヶ池』や『盗人讃歌』。Bメロからサビの流れがクセになるくらい気持ちいい『東京ボンデージ』。倒錯した愛情表現を美しいアルペジオに乗せて弾き語る『甲状腺上のマリア』。下げたチューニングが醸し出すヘヴィネスを存分に生かした最終章『太陽黒点』と、まったく文句のつけようがない名作が綺羅星のごとく並びます。とりわけ後半2作品、『甲状腺上のマリア』『太陽黒点』のアブなさは是非体験して頂きたいところです。前者は和嶋氏(ギタリスト)の飄々とした歌いまわしが白昼夢のようであり、後者は、文学性により長けた和嶋氏の詞世界を、鈴木氏(ベーシスト)が不気味なこぶしを利かせて歌いあげる様があまりに見事です。
思うのですが、和嶋氏と鈴木氏(この2人が、すなわち人間椅子そのものと言ってよいでしょう)の出会いは、ジョンとポールが、あるいはモリッシーとマーが同じバンドにいたことと同様に奇跡的なのではないでしょうか。無論、そんな大物ばかりを引き合いに出せば笑われそうなのは承知の上です。それでも敢えて同列に語るのは、この組み合わせでなければ絶対に人間椅子にはなり得ないという特性が感じられるからです。これは、例え才人ふたりを適当に組み合わせたところで必ずしも起こるわけではない、1+1を2以上に高めていく極めて稀な組み合わせの妙が、なんと人間椅子でも起きていたのだと僕は考えています。しかもアレンジ能力も抜群に高いですし、知的ですし、尊敬に値する2人です。いや、ホントに。
今こそ人間椅子を再評価すべきだと心から思います。そのセンスの良さに度肝を抜かれること間違いないですよ。 (Nov 2007)
Blue
RC Succession
1981/JPN
RCサクセションがデビューから35周年を迎えたことを記念して(バンドは90年に活動を停止)、2005年にリマスターされ、この『Blue』始め名盤たちが装いも新たに再登場と相成りました。音質・音圧が強化された、日本が誇るロックン・ロールを楽しめる嬉しいニュースです。
21世紀を迎えてこうして改めて聴くと、ロックとしてのエネルギーとナイーヴな歌詞に胸を打たれます。高校生のころ以来もう随分聴いていなかったんですが、大人にならないと共振出来ない味わいがあるコトに最近気付きました。当時は若い人を突き動かす為の音楽だと理解していただけに、何とも新鮮な発見でもありました。本作切っての有名作『多摩蘭坂』、それに『まぼろし』、『よそ者』、『あの娘のレター』といったしみじみと切ない染み入るような作品が、何の躊躇もなく率直に自分の中に入って来る感覚は、以前には感じられなかったそれです。冷静に考えてみると、とんでもない苦労人バンドだっただけに、奔放なRCのイメージとは似つかわしくないくらい大人の機微が音に刻まれていたのですね。それが、多少なりとも人生経験が増えた人間に、より強く作用したのではないでしょうか。『多摩蘭坂』のストリングスの入り方なんて、ちょっとずるいくらい琴線に触れてきます。アップテンポでキャッチーなロックン・ロール『Johnny Blue』も何とも泣けました。
若かりし日の清志郎&チャボ、本当にカッコイイです。 (Jan 2006)
Let's Knife
Shonen Knife
1992/JPN
メジャー進出を果たした少年ナイフが、およそ10年に渡るインディ時代の名作たちを再録した5thアルバムです。
言わばベスト盤的な側面も持つだけに、実においしい内容になっています。15曲に及ぶ全てのトラックが、例外なく超ポップ。クリアで整理された録音/ミックスには賛否両論あるかも知れませんが、それでも少年ナイフに多くのファンが望んでしまうインディメンデントな味わいは損なわれていないと断言できます。この3人(当時はベースの美智枝さんがまだ在籍していました)が演奏すれば、やはり少年ナイフの音になるということなのでしょう。
英米、とりわけアメリカのオルタナティヴ・シーンでの評価がバカ高いことでも知られる彼女たちですから、パーティ感覚のポップさだけでなく、その根底にあるパンクへの愛情が出音に感じられるところがまた良いんですよね。ソニックスやニルヴァーナのカートら、名だたる面々がこよなく少年ナイフを愛することもそこに起因している気がして、もはや必然にしか感じません。

とにかく全曲最高!中には『Devil House』の様な少々くすぐったい作品もありますが、『Riding onthe Rocket』や『Twist Barbie』といった代表曲から、アンニュイでノスタルジックな傑作『Black Bass』や『Insect Collector』まで、ずっと飽きずに楽しめる楽曲ばかりのボリューミーな1枚です。 (Jan 2006)
Dead Music Flamingo
Spanova
1997/JPN
Ken&Shinの兄弟ユニット、スパノヴァの1stフル・アルバムです。僕がスパノヴァの最高傑作と呼んでいるアルバムは2枚あって、1枚が本作で、もう1枚は3作目の『Diary of the Headphonist』です。両作品とも、近年のサンプリング中心のエレクトロニカな作風とは赴きの違う、ポップ〜ジャズ・ファンクのフォーマットを踏襲した作品です。個人的には、スパノヴァはより開かれた世界を見ていた、この時代の方が好きです。
ヒップホップやブラジリアン・ニュージックからの影響も色濃く残るこの1stは、楽曲、詞、録音とあらゆる要素に聴きどころがある名盤。元々作曲家志望だったという2人ですが、その割にはメロディにせよコード感にせよ職人肌というよりもアーティストとしての「ひらめき」に強く依存しています。ただし、それが故のパーソナルで鋭角なフックがそこかしこに見られ、結果として都会的な魅力に繋がってところが面白いですね。そこには拙さや歪(いびつ)さもあるのですが、録音の良さがそれをカヴァーしており、プロフェッショナルなスタッフ(ここではやはり北村秀治氏の手腕が大きいでしょう)との相性がよかったと言えるかも知れません。例えば、ベース以外の“音程がある楽器”が慢性的に不足してしまうというアレンジのスキル的な欠点も、ダイナミックに録れたドラムやコーラスで補うといった具合です。
それにしても、彼らが優れた詩人であることは疑う余地がありません。『朝のテーブルに足りないもの』、『終わらせてしまえ!!!』など、巧くてさり気なくて、しかもカッコイイ。無骨な歌声と相まって、もはや比較対照が思い当たらないほど感動的です。
映像的な作風を得意とする彼らにとって、恐らくサンプラーは魔法の箱となったことでしょう。たしかに『Diary of the Headphonist』での「イエロー」など、サンプラー中心の作品にも良いものはあります。しかし、1stでのポップス性や生音との相性の良さにハマってしまった身からすれば、もう一度『終わらせてしまえ!!!』や『Everyday』といった作品を、スパノヴァに作ってもらいたいのです。 (Jan 2006)
Screw Driver
The Street Sliders
1989/JPN
浮かれず、マイペースに積み重ねてきた日々が如何に確かなものであったか。ザ・ストリート・スライダーズ9作目にあたるこの『Screw Driver』を聴けばよくわかります。
リリースは89年。その時代背景を考えれば、タイトなアレンジと録音が光るこの隠れた名盤が生まれたことが、どこか奇跡的にすら思えてきます。ギミックなどあろう筈もなく、ギターがギターらしく、ベースがベースらしく鳴っているこのロックンロールの在るべき姿がちっとも当たり前でなかった時代にも、初志貫徹でルーズに決めていたスライダーズはやっぱりカッコイイです。
ご存知の様にスライダーズには2人のカリスマが存在しました。HARRYと蘭丸です。僕は2人のギターがとても好きで、その掛け合いの様や、あっさり歪ませただけの音色に聴き入ってしまうのです。フェンダー派の僕としては、特にHARRYの“ジャキーン”と鳴るテレキャスターが大好物ですね。少なくともギターの音色で選ぶならば、この『Screw Driver』はオールタイム・ベストのひとつであると今も変わることなく思っています。
先行シングル『Baby,Don't Worry』と『ありったけのコイン』、そして1曲目を飾る『風の街に生まれ』は必聴。さらにブルーズ魂溢れる『かえりみちのBlue』や『おかかえ運転手にはなりたくない』あたりは、最近ますます染み入る様に感じられて、当時より好きになった楽曲です。
それにしても、つくづくいいバンドでした。最後まで商業的な大成功は果たせませんでしたが、その媚びない姿勢と音楽性が、これからも評価され続けていくに違いありません。 (Jan 2007)
Highvision
Supercar
2002/JPN
スーパーカー4作目のアルバムで、益子樹、砂原良徳らがプロデュースで名を連ねています。
97年に彼らが登場した時点で、僕は20代半ばに差し掛かろうかという年齢で、それなりに音楽も好きでしたから、正直世間で言うほど「スゴイ奴らが出てきた」感は感じませんでした(中学生くらいだったら違ったのかも知れませんね)。もちろん、インディ・ギター・バンド風にジャガーを掻き鳴らしてメジャー・シーンを引っ張った功績は素晴らしいと思いますし、解散するまで大きな存在感を持ち続けた不世出のバンドだったとも思います。ただ、穿ったリスナーがどうしても感じてしまう「存在感」と「出音の稚拙さ」とのギャップ、ここが埋まることはついにありませんでした。ロックの文脈で語るならば、その収まりの悪さもまた彼らの魅力であったとも言えますが・・・。
それでもやはり、詩作のスキルに限っては称賛は出来ません。本作のリリックを聴いていたら、コーネリアスの1stで痛感した「小沢不在」という現実の残酷さを思い出しました。天才作家を失った小山田圭吾でしたが、彼もまた天才クリエイター。すぐさまリリックを単なる記号として扱う方針に切り替え、コーネリアス唯一の弱点を補ってみせたわけです。スーパーカーで作詞を手掛ける石渡氏も、同じく言葉を記号的に連ねることでアート色を出そうとしたと見受けられますが、クオリティの差は歴然。雰囲気のみに終始した、表層的なものに留まってしまったのが残念です(でも支持派が多いらしいですね。好きな方ごめんなさい)。
と、ここまで色々意地悪を言っておきながら、僕はスーパーカーのことが好きでした。中でも『Strobolights』という、あるいは電気グルーヴの『Niji』に匹敵しようかというアンセムが収まった本作をベストに挙げたいと思います。フルカワミキの声とシンプルなシンセが織り成すユーフォリアは、EP版よりも、
本作収録のヴァージョンで体感するのが一番です。 (Jan 2006)
Heaven
Swinging Popsicle
1998/JPN
女性ヴォーカル、藤島美音子擁する3ピースのギター・ポップ・バンド、スウィンギング・ポプシクルが98年に「ソニー」よりリリースしたミニ・アルバムです。
ざっくりとしたウォーミーな質感や、キャッチーだけど下世話にならない楽曲が心地よい好盤で、近年では忌み嫌われる“90年代的スノビッシュな雰囲気”もあると言えばあるのでしょうが、それは当時の彼らが的を外さなかった証でもあり、そこを揶揄するよりも、このポップ・センスを純粋に楽しむ方が健全だと思います。
全6トラックを収録していますが、丁寧なアレンジとプロダクションによってそのどれもが別のキャラクターを持っているのが面白いですね。中でも(多分)一番人気の『Sleepy (Stay Awake!)』は疾走感溢れるギター・ポップで、エレピも交えたバンド・サウンド(かなり生っぽいですが、ドラムスは打ち込みなんでしょうか)が気持ちいい名作。スウィンギング・ポプシクルには3rdシングルの『Parade』という傑作がありますが、勝るとも劣らないキラー・トラックです。
何より僕は藤島さんのヴォーカルのファンでして、鼻にかかった声質も、英詞部分の発声の仕方とかもすごく好きなんです。
余談になりますが、一時期バンドのマネージメントを吉本興業が担当していました(現在はどうなのかわかりませんが・・・)。個人的な話で恐縮ですが、仕事の7割以上が吉本さん絡みなので、昔から東京吉本本社に伺う機会が多いのです。ですから、いつバッタリ出くわしてもおかしくなかったんですが、ご縁はなかったみたいで残念です。 (Aug 2009)
かっこいいことは
なんてかっこ悪いんだろう
Yoshio Hayakawa(早川義夫)
1969/JPN
ジャックス解散後、中心人物であった早川義夫さんが69年にリリースしたソロ第一弾、それがこの『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』です。簡単に「第一弾」なんて書きましたが、早川氏の次のレコードが聴けるまでには、なんと90年代中盤まで待たなければなりませんでした。さぞ、リアルタイムのファンの方は待ちわびたことでしょう。
本作は極めて私的な想いを情念めいた唄で綴った、ある種“異様”な作品としてよく知られています。ロックともフォークともポエトリー・リーディングとも一致しない、シンプルで独創的な表現。その主役となっているのは、日本的(和風)な言い回しがことさらに強調された「言葉」の数々であり、そこには、聴き手にショックを与えるくらい、ヒトの心の暗部が見え隠れします。例えば、死の匂いを仄めかしたりと、絶望的な暗闇が表現されていたりもします(とりわけ後半の楽曲で顕著)。では、早川氏の心の吐露なのかと言えば、案外そうでもない。何故なら、基本的に作詞者が本人ではないのですから(よく比較されるジョン・レノンの名作『ジョンの魂』とは、この部分で決定的に選を異にすると思えます)。ここが実にややこしく、結局本心にはいつも辿り着けずに全12曲が鳴り終えてしまう気がして、一層難題を突きつけられている気持ちにさせられるのです。それでも、つい何度もこの作品に挑んでしまうのは、早川氏に表現者としての強いカリスマを感じるからでしょうか。あるいは生死の哲学におけるヒントなんかが転がっているんじゃないか、なんていう淡い期待を抱いてしまうからでしょうか。とにかく、僕には少々重すぎると常々思いながらも、彼のつぶやきや唸りを耳で追ってしまうのです。自分のような能天気な人間であっても、こんな難題に腕を組んで向き合う瞬間もあったりするのだな、などと思いながら。結局いい答えなんて、ちっとも出ないのですけれど。
名盤であるかは意見が分かれるでしょうが、問題作として、多くの表現者のターニング・ポイントに成り得ることだけは間違いのないところです。その意味でも、やはり早川義夫さんはすごいアーティストなのだと思います。 (May 2008)
ミーのカー
ゆらゆら帝国
1999/JPN
絶大の支持を受ける、国内ロック・シーンの要・ゆらゆら帝国。元来、60〜70年代に果たして来たロックの役割を、いま真正面からやり切ってしまうバカカッコよさ。時代に左右されることもなければ、周囲に媚びることもない。そんな姿勢を長い間徹底してきたバンドだから、皆が信頼しているのだと思います。
そんなゆらゆら帝国のメジャー第二弾アルバムは、サウンド、歌詞、スリーヴ・デザイン(イラストも坂本慎太郎氏によるものだそうです)と、一貫してロック然としたサイケデリアに満ち溢れた名盤です。冒頭の『うそが本当に』から、とりわけサイケ度の高い『ミーのカー』まで、とにかく名曲揃い(余談ですが、この『ミーのカー』の長尺さをヘンにありがたがる風潮は好きではありません)。『ズックにロック』や『人間やめときな’99』といったキラー・トラックが一層人気を高めます。
この2年後にリリースされた『ゆらゆら帝国V』の方が洗練度は高いと思いますが、そこにはない“淀み”が本作の魅力。坂本氏が嗜好する(と思われる)クラウト・ロックやガレージ、ヴェルヴェッツのサウンドを現代に再現するだけならば必ずしも必要でなかったこの淀みは、おそらく、強烈な印象を残す日本語の歌詞を持ち味にするという側面が生み出した副産物なのでしょう。
ただ、こうして僕たちファンや批評家が評論すればするほど本質とかけ離れていく実感があり、それは彼らの音楽が屁理屈を超えているからかも知れませんし、彼らがどこか醒め切っているからかも知れません。 (Jan 2006)
2nd Album
頭脳警察
1972/JPN
頭脳警察といえば、その過激な言動で発売禁止を何度も食らった伝説的なバンドとしてあまりに有名ですが、このセカンドも例に漏れず、リリースの後あっという間に発禁。後のリイシューにおいても長らく部分的な修正を余儀なくされていたそうですが、21世紀を迎え、現行品はついに赤裸々な全貌を伝える「完全版」としてリリースされるに至りました。
当時の頭脳警察(ちなみに現在、再結成して活動しているそうです)の存在感をリアルタイムに知る由もありませんが(何せ、僕が生まれる前の話です)、革命シリーズ『銃をとれ!』を始めとする強い言葉たちが、物議を醸し出し続けたであろうことは、僕らの様な1音楽ファンにも想像がつきます。
正直、その世界観や取巻く環境については僕にはわからない事がたくさんあり、ひょっとしたら真意を捉え損ねているかも知れませんが、『それでも私は』や『お前と別れたい』におけるPANTA氏の歌声、ヒリヒリとしたアコギのリフからは誠実なものが伝わってきて、どこにもない強靭な「ロック」を感じずにはいられません。 (Jul 2006)


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