日本たばこの野球部は関東地区に12チームありました。当時東京の江戸川に88面の球場があり、年に一度,関東地区の大会があります。江戸川球場4面を借りて大会をやりました。私に野球を教えてくれた人が、八鎌さん、静岡商業高校、甲子園で活躍された方でした。捕手面の鈴木仁さんは小柄ながら名捕手でした。八鎌さんの右斜め上の方は法政大学で捕手。どちらの方にも私の球を受けてもらいました。 スピードとコントロールに自信があったので、捕手の要求どおりのところへ投げられました。
アントニオ省三はサングラスをしています。
一日三連投して関東地区12チームの頂点に。
第一試合 本社 4対3
第二試合 板橋 6対4
第三試合決勝 八王子 8対3
38年。当時は、「練習中は水を飲むな」でした。どんなに暑い日でも、熱中症って聞いたことはなかった練習中に水を飲むと、たしかに腰、膝がガクガクして体に力が入りませんでした。今と体の作りが違っていたんでしょうかね。
日本たばこ野球部 一日三連投で優勝
優勝した日は最高に暑い日で、33度くらいはあったと思います。朝の8キロランニングを1日も欠かさず走りました、大晦日も元旦も。その成果が3連投のパワーとスタミナをもたらしてくれたと思います。
第一試合は本社で優勝候補に4:3。第二試合は板橋チーム、ここには6:4。決勝は八王子チーム。八王子チームはシードで2試合目8:3で完勝。
最優秀投手に選ばれました。
その後、東京の「オールスター」に選ばれました。チームから二人登録できるわけです。
東京オールスターズには、40人ほどの選手がいました。試合では8回に登板がまわってきましたが、結果一イニングで二点取られ交替。格好悪かった。
まもなく盲腸の手術をし三ヶ月間ランニングを休んだ。自分ではコントロールとスピードには自信があったが、よく打たれた。捕手には、
「球が軽くなったよ」と言われた。体重が五キロも増えていた。その頃から捕手をやるようになった。
「ピッチャーはベンチにいるときに。は常に大き目のボールを握り、手に馴染ませておくこと」と教えてもらいました。私はソフトボールの3号を用意をしておきました。たしかに球は速くなりシュートの切れがよくなります。イメージも大事な練習法です 仲間が支えてくれたから完投し優勝できたものでした。
八戸にきてから、長根球場で逆転満塁さよならホームランも、いい思い出です。
最終回4:1、ツーアウト満塁。カウントはツーツー。打球はライトスタンドへ。誰がこんなことが起きると予想できただろうか。その日は風にも乗ったこともあったが、まさか〜自分でも信じられないことが起きてしまったんです。その頃の体がピークだったんですね。
あれから…うん十年経った。今では誰も相手にしてくれないおじいさんになった。 でも野球は楽しいねぇ。
昭和38年4月購入 ミズノ製 1,200円 何度か皮紐を取り換え、現在でも使用。形はどうでもいい。白球が吸い込まれる感触がいい。