PUKUが生まれた事 |
| 2000年2月3日、PUKUが生まれた 長く感じられた妊娠期間の終了だ その晩、誰も居なくなった空っぽのお腹を擦りながら、 病院のベッドで寂しくて泣いていた 私だけの"ぽんこちゃん"は、もう居ないんだなぁ。。。 |
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| 1999年6月、市販の検査薬を使うと、待ちに待った妊娠反応が出ました。 翌日、私たち夫婦は喜び勇んで病院に駆けつけました。 入院するためです。 その年の3月、一人目の子供を極初期段階で流産していたので、 それは大事をとっての、念の為の入院でした。。 これで最も流産しやすい妊娠初期を、病院で安心して過ごせます。、 なかなか子供に恵まれなかった私たちは、ほっと一安心していました。 しかし。。。 約2週間後、もうそろそろ安定するので退院だね、と 主治医から話があった矢先、まさかの大出血。 38度の熱が出て、風邪を引いたのかと思った晩の出来事でした。 真夜中、お腹をぎゅ〜っと絞られるような激しい痛みが何度も襲ってきました。 流産の兆候です。 しばらくの間、ベッドの上でお腹を押さえながら、私は痛みに耐えました。 フラフラになりながらトイレに立ち、そしてトイレで見たものは。。。 便器いっぱいに流れた真っ赤な血の海でした。 私は必死に便器の中を覗き込みました。 どうか私の小さな赤ちゃんがそこに居ませんように。。。 幸い、目に見える小さな塊はそこにはありませんでした。 まだ大丈夫かもしれない。 私は微かな希望を持ってベッドに戻り、ナースコールをしました。 そして、すぐに当直の先生に診てもらうことにしたのです。 もうダメかもしれない、でも、もしかしたら大丈夫かも。。。 私は祈るような気持ちで診察台にあがりました。 超音波の画像。。。。 居ました! そこには確かに私の小さな赤ちゃんが映っていました。 しかし、喜びと同時に私の目に飛び込んできた映像は、 胎胞の周りをぐるりと取り囲むように出血し、まるで大洪水を起こしたような 子宮の様子だったのです。 とりあえず、その晩は出血止めの薬を点滴に入れてもらいました。 こうなってはもうどうしようもありません。 流産するか乗り切ることができるのかは、誰にもわからないのです。 私はぼ〜っとした頭で、堂々巡りの考えを浮かべては打ち消し、 朝を迎えました。 |
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| 退院が延びました。 入院生活が長引くにつれ、私の腕には点滴の針の痕が増えていきます。 点滴を長く続けていると、徐々に血管が細く脆くなっていくので、 針が目詰まりしやすくなり、余計に刺し換えも頻繁になる為でした。 針の痕が40箇所を過ぎた時、私は数えるのを止めました。 相変わらず子宮の出血は続いたまま、お腹の張りも頻繁でした。 常に痛みが消えることはありません。 主治医は、こんな週まで出血が続いた人は診たことがないと言い続けました。 それぐらい出血は止まることがなく、トイレに行くたびに憂鬱になる日々。 週2回の診察は、まだ私のお腹に赤ちゃんが居るかどうかを 確認する手段となりました。 その瞬間だけはホッとできる、幸せな時間。 後から入院してくる妊婦さんが次々に退院する中、 私はいつまでも病室に居ました。 まるで根っこが生えたような、そこの住人でした。。。。 そのうち、胎動を感じるようになりました。 幸か不幸か、一日中寝ているためよく気付く事ができたので、 ぐにょ〜としたあの独特の動きを、たくさんたくさん楽しむ事ができました。 それは、確かにそこに居る命の証です。 超音波の写真もたくさん増えました。 少しずつ成長していく我が子はやっぱり愛しい。 私は病室のベッドの中で、何度も繰り返しお腹の中の赤ちゃんに 話しかけていました。 ここまでよく頑張ったね、偉いね、貴方は頑張り屋さんだね、と 毎日たくさん褒めてあげました。 お腹の中の赤ちゃんの愛称は"ぽんこちゃん"でした。 ぽんこちゃんのパパである夫は、週に一度病院にやって来て、 私が注文する品々を買いに行ってくれました。 野菜ジュースだったり、生理用品だったり、妊婦用のショーツだったり。。。 普通の男性ならきっと嫌がるだろう事を、気にも留めずにしてくれた事には 今でも感謝しています。 週一回の夫とのおしゃべりは、もちろん超音波写真を見ながらの、 いつかきっと生まれるであろう子供の話題です。 予定日は3月初めでした。 |
9月末、入院生活はすでに3ヶ月を過ぎています。
それから一週間後、久しぶりに浴びた外気の開放的な気持ちよさを、 |
ネットも少しずつ復活していました。
マザーズバッグにする予定だった大き目のリュックに入れるインナーバッグ。 そして、母子手帳入れ。 ミシン掛けをし、きれいなボタンを縫い付けて母子手帳を仕上げていた日、 今日は水っぽいオリモノが多いな、と思いました。 おしっこかな? とも。 そして、お腹も少し張っていました。 でも、それは破水だったのです。 夜6時過ぎ、ピンク色の液体がショーツを汚しました。 一瞬、ドキッとしました。 その時になって、やっと破水だと気が付いたのです。 病院に行き検査をしてもらうと、やはり破水である事は確実でした。 即入院が決まり、抗生剤が点滴され、これ以上羊水が外に流れ出ないように、 再び寝たきりになってしまいました。 破水には高位破水と言うのがあります。 子宮の上部で破水すると、通常と違ってちょろちょろ少しずつ羊水が 流れ出るため気が付きにくいのです。 私のはそんな破水でした。 妊娠35週と4日め。まだ産むには早い時期でした。 主治医と相談し、36週まではなるべく持たせようと言うことになりました。 胎児の一日は体を作るスケジュールでびっしり詰まっています。 特に36週になる直前には呼吸器系が作られる大事な時です。 お腹の赤ちゃんが感染症に掛からないように抗生剤の点滴が続きました。 陣痛が来るか来ないか一つの賭けのようでしたが、 ほんのひと時"嘘っこ陣痛"があっただけで、気が付けば35週最後の日。 あまり長くそのままにしておくこともできず、 36週と2日で産むことになりました。 なぜ36週と1日でないかと言うと、その日は主治医がお休みだったからです。 我が子の誕生日は、計画的に決められたのでした。 もちろん予定の前の日に陣痛が起きれば、それはそれで良かったのですが。。。 |
| そして、その日がやって来ました。 2000年2月3日。 朝の診察を終え、陣痛促進剤が点滴されました。 薬を使う事に抵抗がある妊婦さんもいるかもしれませんが、私は平気でした。 何しろ、ここまで点滴と飲み薬で小さな命を繋いで来たのです。 妊婦用に使われる薬は安全であると信じるしかありません。 助産婦さんに何時ぐらいに出産になるかと聞くと、 午後4時ぐらいかしらね〜と言います。 そんなものかと思い、そのうち陣痛が始まってくると、 そばで心配そうに見ている夫に腹が立ってきました。 なぜって? ぼ〜っと見ていられたって陣痛の痛みは私にしかわからない、 痛いのは私だけなのです。 そこで、まだ時間があるからどこかに出掛けておいでよ、と告げました。 夫が病室から出て行ったので、これでゆっくり陣痛に集中できます。 一人の看護婦さんがずっとそばに居て、私の手を握っていてくれました。 本当に心強かった。 出産を経験した彼女は、夫より数十倍頼りになる存在でした。 陣痛の間隔は徐々に短くなってきました。 再び助産婦さんに診てもらうと、出産は2時ぐらいかも、と 予定が早くなっているではありませんか。 一応夫に携帯電話で連絡し、早く戻るよう看護婦さんから伝えてもらいました。 陣痛の痛みはこの世のものとは思えません。 内臓を抉り取られるような、引きずり出されるような、ものすごい痛み。 点滴の管を引っこ抜きたいと、何度思った事か! 私は母親を含め、出産を経験した女性全ての顔を思い浮かべていました。 みんな偉い! 尊敬したのは初めてかも、そんな女性もその中には居ました。 そしてまた、こうも思いました。 所詮、出産は女だけが頑張るものなんだなぁ、男なんて役に立たないわ。。。と。 それからすぐ、もっともっと陣痛が強くなり息みが入ってきたので 再び診てもらったら。。。。 あら、子宮口が全開している、もう生まれるわ。。。。 あなた、二人目はトイレで産むタイプね〜、だと? し、失礼な!! すぐに分娩室へと向かいました。 歩く事ができなかったので車椅子で移動し、分娩台に上ります。 助産婦さんに消毒を済ませてもらうと、あ〜これでやっと出産できる、 私は心底喜びました。 不安な毎日から、やっと開放される時が来たのです。 入院生活が長かったので、分娩室には顔見知りの看護婦さんばかり。 すっかり分娩台でリラックスしていた私は、呼吸法と息み方を教わりながら、 経産婦みたいな余裕ね、と言われて出産を迎えました。 12時35分。 初めて聞く泣き声、初めて見る我が子。。。 小さいけれど元気な男の子が目の前に現れました。 なぜだか喜びと同時に、私だけの赤ちゃんではなくなった寂しさが 込み上げてきました。 私だけの"ぽんこちゃん"は、この瞬間、一人の人間になりました。 みんなの赤ちゃんになりました。。。 |
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| 通常とは違う妊娠期間を過ごした私は、お腹の赤ちゃんに何か障害が あるかもしれないと常に考え、万が一そうであってもちゃんと育てようと 覚悟をしていました。 しかし、予定より1ヶ月早く生まれた赤ちゃんは、 2638gと小さいけれどとても元気でした。 私の子宮の状態が悪いだけだったのです。 出血を繰り返す母の子宮に必死にしがみついていた子、 絶対にこの世の中に生まれてきたいとの思いが強かったのでしょう。 あの悪い環境でよく育ってくれたと、その頑張りに拍手!! 我が子の生命力の強さに感謝しました。 私たち夫婦は、頑張って生まれてきた我が子が幸福な人生を歩めるよう、 周りのみんなに幸福を与えられるよう、名前に"福"をつけました。 この大変な妊娠期間は、子供に対する愛着も生みました。 あまり子供好きではない、しかも我ままで短気な私にとって、 我が子を大事に育てるのに必要な準備期間だったかもしれません。 子育てをしているといろんな悩みにぶつかったり、 思い通りにいかずにイライラすることがあるのですが、 私には戻る原点がある、 きっとそれがこの経験だったのだと思うようにしています。 元気に生まれたのだから、多少の事には目をつぶりなさい、 そう言う事なのかもしれません。 そして、長い入院生活はご褒美もくれました。 生命保険の入院特約と婦人疾病特約に入っていたので、 なんと入院費より多い金額が下りたのです。 差額で買ったもの。。。 そうです、それはDWE。 我が家の英語育児はそこから始まったのでした。 |
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| 最後まで読んで下さった全ての皆さまへ |
本当にありがとうございます。
英語育児サイトに載せる事に少し迷いましたが、
これは私とPUKUの原点であり、
いつか何らかの形として残しておきたいと思っていたので、
この場を使う事を選びました。
こんな妊娠経験は、ざらにはないだろうなぁと自負しておりますが、
自慢できることではないんですよねぇ。。。
すっかり妊娠恐怖症にはなってしまいました。(笑)
もし、同じような経験をされているお知り合いがいらっしゃいましたら、
どうぞ、励ましのネタにでもしてくださいね。
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