そもそも小金を払って純粋にゲームを楽しむという遊具は電子機器の登場以前からあった。昔昔、新潟市に二つしかなかったデパートはどちらも最上階にそのような遊具をあつめたコーナーを設け子供を集め、ひいては親も呼んでついでに買い物をさせようと言うことをやっておった。わしも親に連れられデパートに行き各種ゲームやアトラクションを楽しんだ後、食堂でお子さまランチを食べるというのが日曜日の定番じゃった。覗き眼鏡式スライド映写機や乗物、スマートボール等各種遊具の中、わしが一番楽しみにしていたのはドライブゲームじゃったろう。コインを入れるとガラスケースの中では幅1メートルくらい、長さは多分数メートルのゴムかなんかでできているベルトがローラーでゆっくり自動的に巻き取られていく。ベルトの表面には道の絵が書いてあり、縁石等の障害物も乗せてある。外から操作するハンドルでそのベルトと車輪で接している模型の自動車を道に沿わせて左右に移動させドライブ気分を味わうという、はなはだローテクな機械じゃが結構楽しかったのう。それから10年以上を経過して、わしは学生になっていた。その頃、すなわち70年代の終わりにゲーセンの歴史を語る上で欠かせぬあのインベーダーゲームが登場した。最初は喫茶店、次第に上記の遊具コーナー、スーパーマーケットの一隅等、まさにインベーダーの名に恥じずあらゆる場所に進出して、爆発的なブームとなったことは若者諸君も聞いておることじゃろう。新潟の町にゲームセンターと呼ばれる場所ができたのもこのころじゃ。わしがインベーダーゲームをはじめたのは後期版のカラフルな画面で、急所をはずして撃つとインベーダーは分裂してしまう、というタイプからじゃった。喫茶店によく置いてあった単純な白黒画面の対面型匡体でも最初は100円取っていたらしいがわしが始めた頃は安くなり、この豪華画面のものでも一回30円だった。これを万代レインボータワー脇の今は亡きゲーセンでやりまくったもんじゃ。WW2(第二次大戦の防空戦をテーマにしたインベーダー型シューティング。敵は戦略爆撃機、ヘリコプター、最後は核弾頭。)で遊んだのもこの頃じゃ。そのころはフロントラインとかいう戦車にちょこまか乗ったり降りたりするシューティングも流行っておった。少しずつゲーム内容は多彩になってはいたが、まだ画面で人の筋肉の収縮や乳の揺れを描写することなど及びもつかなかった時代じゃ。そしてゲームセンターの繁盛に伴い、喫茶店のゲーム機はいつしか片づけられデパートのローテク遊具も徐々にさびれていった。
ある年の冬のこと、わしは某スキーホテルにて泊まり込みのバイトをすることになった。このホテルのフロントの脇にはギャラクシアン(インベーダー型シューティングの発展型。)、ラリーX(自動車同士の迷路おっかけっこ。脇っちょに小さく表示される今で言えばカーナビ画面を見ながら敵から逃げアイテムを収集する。)、パックマン(おなじみの名作鬼ごっこ。キャラクター自体もかなり有名になった。)とゲーム機が三台あってな、暇なときは一緒に仕事している仲間二人とやりまくった。あれだけ夢中になれたのはどれも今から見ても名作といっていいゲームだったからではないか。面白かったわい。ただこの経営者がケチな奴での、従業員だからといってただで遊ばせてはくれなかった。結果としてもらったバイト代はかなりの額がこのゲーム機三台に吸い込まれてしまった。金を稼ぎに行ったのに空き時間でそのもらった金を使ってしまうとは、思い返せばばかばかしい話じゃが若気の至りというやつじゃ。
あくる春、わしはめでたく就職して懐にも余裕ができてきた。独身故に暇も結構あり一番ゲームに金をつぎ込んだのはこの時期じゃったろう。アーケードゲームの種類も年々爆発的に増加し多彩になっていった。わしがはまったもので思い出せるのだけ言うと将棋、ゼビウス、メダルゲームの競馬(のちにホントの競馬も少々)、ギャラガの風船花火バージョン(知らぬ人には説明しにくいがそう呼ぶしかないのが確かにあったんじゃ。ギャラガ87、いや88だっけ?)、各種クイズ、テトリス、大型匡体ものでは映画「ちょうちん」で内藤剛志扮するやくざもんが遊んでたドライブゲームのアウトラン、もうちょっと絵がきれいになったドライブゲーム(雨が降るとワイパーを使う、分岐の選び方によっては線路も走ってしまうやつ)、その他もろもろのゲームで遊んだもんじゃ。だが年のせいかバイクで10分程度とはいえ繁華街までわざわざ出かけるのが億劫になったのと、コンピューターゲームと並んでわしのもうひとつの生涯の趣味である日本古来の対人ゲー、将棋に熱中した時期と重なったことや家庭用ゲーム機も性能が向上したこと、子育てゲーならぬホントの子育てが忙しくなってきたこともあって徐々にゲーセンからは足が遠のいた。今じゃ新潟にデスOXが入っているかどうか、調べて歩く元気もないわい。鳴り物入りでできた万代のセガの大型店もいまいち元気が出なかったようじゃし、わしのなじみの店もいくつか潰れた。ゲーム自体は昔に比べると絵も音もずっときれいになり技術も向上したのに、純粋なビデオゲームにはお客が以前ほど集まらなくなったのはどういうわけかのう。時代は変わるもんじゃ。
結局デスOXの普及には何の役にも立たない昔話をしてしまったようじゃが、年寄りは寝るのも早い。この辺で勘弁してもらおう。それじゃ最後にわしが十数年のゲーセン生活で出くわした珍しい事件をひとつ書いてしまいにしようかの。
煙り事件
新潟市の繁華街古町通りにあったこれも今は亡き某ゲーセン地下1階での出来事、たしか上記のギャラガ風船花火バージョンをしていた時だったと思う。なんかこげくさいな、と思いつつゲームに熱中していたのだがそのうちあたりが白っぽくなってきた。ふと目を転じて遠くを見通すとあきらかにゲーセン全体が煙っている!いつものタバコの煙とは明らかに違う色と濃度だ。それでもまさか逃げられなくなることもあるまい、とたかをくくってクレジットを使いきるまでゲームを遊んだ後、一階に上がってみたら出口近くにある二階に続く階段から水がばしゃばしゃ流れ落ちてくる。おまけに消防が来ていて外には出口を取り囲むように大勢の野次馬もいる!野次馬に注目されつつゲームセンターを出たのはその時が最初で最後だ。後で新聞を読んだら当時同じビルの上階にあった飲食店がぼやを出したとのこと。空調の関係か地階にも煙が回ったらしい。ホントの火事になったらゲーセンでスティックを握ったまま一酸化炭素中毒死したかもしれないと言う怖い話。皆さんも火事には気をつけましょう(っていうかゲーセンと同じビルの店は火事出さないでね!)
追記(平成18年11月記載) この項を書いて数年後、新宿歌舞伎町の違法カジノの火災で死亡者が多数出たのは周知の通りである。亡くなった皆様のご冥福をお祈りするとともにこのような悲惨な火災が二度と起こらぬよう強く願ってやまない。