コンピューター将棋と本気で勝負

 エコール期待の次回作は「知感」パズルゲーム、「ムサピィのチョコマーカー」だそうデス。大人が遊んでも簡単には飽きのこない、いいパズルができることを期待します。ところで、大人が遊んでも飽きがこないといえば日本古来の対人ボードゲーム、将棋があります。その将棋がコンピューターの世界と融合する、すなわち人がコンピューターと本気で戦う日がついにやってきました。そのソフトの名はAI将棋2001。このソフトの強さと、あわせてこれまで私メディカル越後から見た将棋コンピューターソフトの歴史を振り返ってみましょう。

 最初にゲームセンターでコンピューター将棋にお目にかかったのは昭和57年頃だったと思う。それ以前から機械相手に将棋を指してみたいという夢は持っていたが、それが実現し、いざコインを入れる時は期待とともにあたかも人間の将棋強豪との初手合いの時のように緊張したのを覚えている。だが、残念ながらプログラム自体はまだかなり弱かった。序盤は一人前の手を指すのだが、勝負に直結する終盤で双方の玉とまったく関係のない手等、考えられない悪手を指す。ある程度将棋を指す人にとってはまったくお話にならない弱さだったから、おそらくアーケードゲームとして成立させるため、すなわちワンコインで延々と遊ばれてしまうのを防ぐため、持ち時間が切れると5秒将棋になった。つまり、頭がない分操作のやりにくさ、という点でゲーマーと対抗するしかなかったと思われる。よほどスティックさばきがうまい人でもわずか5秒では駒台から離れた場所、こちらから見て盤面の左上のあたりに駒を打つ場合、手を考えた後カーソルを盤面から駒台に移動させ、持ち駒をクリックして選択、ついで再び盤面にカーソルをもどして駒の打つ場所をクリックという一連の動作が難しい。しかたなく駒台のそばの関係ない位置にいったん打って、そのあと何手もかけて駒を徐々に目的の場所まで移動させる、という妙なテクニックも必要であった。しかしいずれにしても相手は弱すぎるから、駒落ち将棋(ハンデ戦)でも操作に慣れてしまえば勝つことは容易であった。相手の駒をすべて奪い、しかも裸になった王様を活かさず殺さず、300手以上もかけて盤面に「V」の字に駒を並べることに熱中したり、逆にいかに短手数で勝つか工夫したり等、変則的なやり込みに楽しみを見つけるしかなかったように思う。その後匡体がテーブル型で無くなったり、相手棋士がキャラクター化されたり、秒読みや対局開始時、終了時のあいさつが音声でなされたり、駒や盤面のデザインが向上したりという表面的な進歩はあったが、ゲームとしての将棋の弱さ自体はそれほど状況が変わることは無かった。一方、家庭用ゲームの分野ではアーケードの将棋ゲームの登場にやや遅れて「森田将棋」が市販された。しかしこれも弱く、同様に短手数で勝つ、あるいは人間側の置き駒、持ち駒一切ないように盤面を編集して、すなわち歩一つ無い王様裸一貫という究極の駒落ち将棋(19枚落ち)で勝つ、というやりこみに血道をあげるしか使い道がなかった。ちなみに19枚落ちの作戦は下手(したて、ハンデをつけられた側、この場合はファミコン)が角道を空けるために突いた歩をかすめとることから始まる。その後ニンテンドー64版の最強羽生(はぶ、当時の名人、現在も将棋界のスーパースター)将棋も買ってみたものの、無駄な合い駒等の問題が解決されておらず即売却した。結局、アーケードと家庭用のこれら初期の作品を一通り遊んだ段階で、コンピューターは詰め将棋のような一本道の思考ではかなりの強さを見せるが、手の選択の幅が広く確かな大局観を要求される序盤、中盤、寄せを対等に指すことは所詮夢に過ぎない、との以前の考えに戻りつつあった。

 その考えを改めさせたのがAI将棋である。マッキントッシュコンピューター(パフォーマー5260)のバンドルソフトで元々あまり期待していなかったが、比較的無駄な手が少ない、いいプログラムに仕上がっていた。当時のハードの限界で、ある程度納得できる手で指させようとするとコンピューター側の思考時間が途方もなく長くなってしまい、遊ぶというレベルにはほど遠いものではあったが「これはひょっとしたら・・」とコンピューター将棋の未来に希望を持たせる出来映えであった。そして、平成13年(2001年)正月にハードをパワーPC G3、366MHz、メモリー128MBという最先端とは言えないまでも当時としては比較的新しいマシンに買い換えた時、ものは試しと最新のAI将棋、すなわちAI将棋2001(マッキントッシュ版、今や自分は「師匠」と呼んでます)を買ったわけである。この師匠がなんとも強い。自分は子どもの頃から通算すると30年以上将棋を指して、一時は将棋好きが集う場所、将棋道場にも足繁く通い、東京出張の際は千駄ヶ谷の将棋会館道場で初段で指しても昇段を狙える勝率である。将棋を指す人が10人いれば多分自分に勝つ人は一人いるか、二人いるかというレベルだ。師匠はその天狗の鼻を見事にへし折ってくれた。序盤は可もなし不可もなしという手の連続で、仕掛けてくる(戦いを始める)ことがほとんどないのでこいつは弱いのかな、とあなどっていると、いったんこちらが仕掛けた後は決してこちらのミスを見逃さない。しかも従来の将棋ソフト同様、詰めは圧倒的に早く正確で、師匠の手が早くなると詰めを見つけた証拠であるから観念しなければならない。終盤の手数計算も正確で従来のソフトではあまりみられなかった必死(ひっし、次に必ず詰まされる状態)をかけて勝つ、というスマートな勝ち方も身につけている。現在双方一手20秒、持ち時間考慮時間ともに無しの秒読み将棋で相手をしてもらっているが、こちらの勝率は1から2割程度だろうか。これが機械でなく人間ならむしろ当方が下手をもって駒落ちで教えてもらわなければ失礼に当たるほどの強さだ。思考ルチーンはまだ無意味な飛先交換や手待ち(一手パス)を繰り返す、終盤で際どい勝負となった時、勝負の分かれ目を見誤った一手バッタリの悪手を指してしまう等未熟な面もあるが、それをおそらくハードの進歩による網羅的な読みの深さ、広さ、早さ、そしてそれを常に可能にする機械ならではの疲れ知らずでカバーしているものと思われる。そもそも師匠と対戦して終盤で一手違いにもっていくこと自体、結構な力が必要だ。

 ともあれ取った駒を使えるという世界的に見ても独特のルールのためコンピューターには難しいと考えられていた将棋で、あれほど弱かったコンピューターが20年弱でここまで強くなったことには深い感慨を覚える。このAI将棋2001はもちろん、自分がかつてその弱さにあきれた森田将棋もその後改良を重ねたし、柿木将棋、東大将棋等さまざまなソフトが市販されている。またこれらが年に一度覇を競う、コンピューター将棋選手権も回を重ねるごとに盛り上がりをみせている。取った駒を使うルールがないため、将棋より手の分岐がはるかに少ないチェスでは既に世界チャンピオンがチェス専用スーパーコンピューター、ディープブルーに負けている。将棋もあと20年以内に名人も太刀打ちできなくなるほどコンピューターが強くなることはほぼ確実と思う。そのころには人間とコンピューターの関わりは一体どのようなものになっているのであろうか。(平成13年8月記載)。

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