ティンブーのツエチュ

 白地に赤丸の至極単純な日本の国旗とは対照的に複雑な龍の国旗を尾翼に描いたロイヤル・ブ−タン航空の自社保有機はたった2機、王様が海外に出られるときは王室専用機となり、定期便は欠航し一般客は待ちぼうけという個人零細企業的航空会社なのです。幸いにして企業主たる王様の海外出張にはぶつからず、カトマンズ発の我々を乗せた72人乗りのABe-146-100機は特徴のあるブ−タン形式の白壁の民家が点在する狭い谷間を縫ってバロ−空港に這うようにして着陸しました。
 田舎の農業空港ほどの規模で色とりどりのダルシン(経文を書いた旗)がはためいています。
 さすがThe hidden paradiseと呼ばれる国に相応しく、空港の役人達は皆伝統的国民衣装、日本のどてらそっくりで膝までの長さのゴ(男子)を着用、足元はハイソックスに革靴というブ洋折衷のいでたちです。ゴは冬季を除いては下にズボンは穿かずパンツのみです。
この国の人たちは日本を含むフンドシ文化でもなく、スコットランドのキルト着用時は下着を付けぬフリチン文化でもありません。儀式の際や、役所に出向く時にはゴの上にカムニという薄手の長いショ−ルを着けて、必ず「正装」するというエチケットはきっちりと守られています。一般人のカムニは白で、貴族は赤、王様と坊さんの1は黄だそうです。この国に成文憲法はなく、王様がゴやキラ(女子民族衣装)を着用するのが好ましいと仰せられれば、国民が従順にそれに従うのです。若きハンサムなケンブリッジ大出の王様は昭和天皇の葬儀にもゴを着用、カムニを着けて参列されました。
 この国はヒマラヤ山脈の裾に位置しており、九州の1.5倍ほどの面積で、高い北はチベットと境し、ヒマラヤの8,000メートル近い山々が聳え、低い南はインドとの国境で海抜200メートル程度という急な斜面地形に60余万人が転げ落ちぬように住んでいます。数本の河がヒマラヤに源を発して南に向かって流れており、その河と河の間には同じくヒマラヤからの支脈が尾根状に張り出しているため、東西に走る縦貫自動車道があるものの、それらの山脈を一つひとつ、曲がりくねった道を通って越えねばならず、ドライブには相当な時間がかかります。
 主食は米飯ですが、基本的なおかずは数少ない野菜、時には唐芥子(とうがらし)そのものが野菜として使われ、それに時によりヤクや豚の肉、チ−ズ、バタ−を加え、至極単純に塩、唐芥子で味付けして煮れば出来上がりです。唐芥子のチ−ズ煮込みは代表的な料理です。食事前、手洗いの代わりに米飯を一握り手のひらでこね、手垢で汚れた飯は足下にウロついているワン公に投げ与えるのです。どてらの懐は相当に深く、いろんな物を入れるポケット代わりで、他家で御馳走になる場合に備え自分用のお椀も入れている人もいます。当地の料理の辛さといったら、もう想像を絶するもので、麺類には七味唐芥子や山葵を山ほど入れる私も一口食べると口中燃えるがごとく、頭から沸騰した汗が吹き出して味さえ分からぬ辛さです。
 これに反し、服装には物凄く金をかけ京都に負けぬ着道楽、天然産山繭で作ったキラなど10万円を越えるのが普通で、彼らの現金収入から考えるとこれは天文学的数字の衣装を着けていることになります。
 この国では外国人の観光客の入国が許可されるようになったのもつい最近のことで、外国のテレビを見ることは現在でも禁じられており半ば鎖国状態の国と言えます。入国した観光客は、一人一日200ドルを強制的に支払わされます。これにはホテル宿泊費、食費、通訳兼ガイド料、運転手付きの車の全てが含まれているのでリ−ズナブルな値段とも言えますが、他の東南アジアの旅行費用と比べると割高に感じられることは確かです。
 国民の95%が農民で、貧富の差も少なく豊かな暮らしです。しかし、工業はインドの援助で建設された発電所以外には何も無く、印刷すらインドに依頼しているそうです。商業も全てが雑貨屋程度の微々たるもので、ブ−タン人自身はあまり商売という職業を好まず、亡命チベット人やインド人が実権を握っています。外貨獲得の手段としては、電力をインドに輸出しているのが大きいようです。最近松茸刈りに精を出し日本に輸出、お百姓が大儲けをしているとの噂です。
 今回のブ−タン旅行の主な目的はティンプ−のお祭り、ツエチュを見学することでした。この国にチベット佛教を伝えたグル・リンポチュと呼ばれる偉い坊さんを讃える法要がツエチュで、ブ−タン暦の10日に行われます。昨年のティンプ−のツエチュは10月2日から3日にかけてタシチョ・ゾンを開放して行われました。ゾンとは、本来要塞の意味ですが、現在では寺と役所を兼ねた建築物をさします。タシチョ・ゾンはブ−タン佛教の総本山でもあり国王のオフィスと国会議事堂を兼ね、荘重かつ優雅な大建築です。多くのブ−タン人が皆カムニやラチュ−(女性正装用の帯状布)を着け、精一杯盛装して家族連れで弁当入りの袋や魔法瓶を手にして続々とゾン目指して集まって来ます。
 建物でぐるりと囲まれた中庭で種々の悪霊を封じる僧侶による動物や、髑髏(どくろ)の付いた悪霊の仮面を付けた踊りを始めとして、太鼓を叩いての踊り、一般人男女によるダンス風だの種々のパフォ−マンスが次々と切れ目なく続きます。皆かなり練習を積んでおり、男女の群舞などでも手足が揃って動きますが、お互いに目と目を見つめ合ったりして、これはナンパ踊りかなという雰囲気もないではありません。若い娘も見物よりも自分の晴れ着姿を人に見せたい方が先に立つ感じでした。ブ−タンではあまり貞操観念という面倒な考えは定着しておらず、気が合えば娘の家に入り込んで労働を提供して気に入られれば居付いてしまう母系家族の習慣を持ち、結婚、離婚もそれ程節目だった人生の大事とは考えず、改まった式も挙げぬそうです。
 マンガチックな面を被った公認道化師が数人見物人の間をウロウロと巡っては愛想を振舞い布施を集めていました。
 中庭正面の一際大きな建築物は寺院らしく、黄色い大垂れ幕の下には赤褐色の僧衣を着けた坊さんが階段上に目白押しに並び、その他の場所では一般人が何重にも取り囲んで見物しています。最前列あたりでは朝早くから場所取りをしたのか、筵(むしろ)やビニ−ルを敷いて一家揃って座っての見物です。見物人を整理するベレ−帽と特殊なカムニでそれと分かるゴ姿の近衛兵も極めてフレンドリ−で高圧的な態度ではありません。これだけの人が集まっているのに、人々は温和で喧嘩沙汰や小競り合いも一つなく、1軒の屋台も、一人の酔っ払いも見られないのが日本との違い、乞食や子供に物や金をせびられないのがネパ−ルとの違いです。
 当地では東南アジアでは珍しく、河原に穴を掘ったり、木枠を埋めて水を溜め、真っ赤に焼けた石を投げ入れた露天風呂に入る習慣があります。私も露天ではありませんがホテルにある焼け石風呂で入浴を試みました。ど真ん中に網目の仕切りがある木製のぬるま湯を湛えた浴槽に入ると、目の前の壁穴に設けられたブリキの筒から、手拳大の真っ赤な石がゴトンゴトンと次々と投射され、石の焼けた匂いと共にジュ−ジュ−と水蒸気が立ち上り、湯の温度はどんどん上昇します。
 しかし、もし焼け石が方向を誤り網目を突き破ってチン没しているものの先にでも触れたら一大事と生きた気がしませんでした。先に入った女性達は胸にタオルを巻いて万一に備え念仏を唱えていたそうです。ブ−タン建築は釘1本使わず木枠を組み建て、それに漆喰を塗った白壁が特徴で、壁には見事な龍やペニスが極彩色で描かれていることが多いのです。龍はこの国のシンボルで、ペニスは豊穣のシンボルであると同時に焼け石風呂に入るとき、火傷をしないおまじないかも知れぬと恐怖の報酬として悟ったことでした。



         
   高価な衣装の娘達               カムニ・ラチューをつけての正装