アルマトイ市街とスラブ系とアジア系の子供たち

 有難いことに、本当に涙が出るほど有難いことに、セミパラチンクス発アルマトイ行きのオンボロジェット機は定時に飛び立ってくれました。誰もが覚えてもいない旧ソ連要人の名をとった「ヤコブレス40」型は耐用機令20年をとっくに過ぎているに違いありません。万が一欠航にでもなると、週一便しかない韓国のアシアナ航空に乗り継げなくなります。往路アルマトイ発の飛行機が6時間遅れ、真夜中にセミパラチンクスに着いただけに心配したものでした。
 飛べども飛べども眼下は見渡す限りステップです。ステップは草原と訳されていても、このあたりは貧弱な草の生えている沙漠に近い存在です。カザフスタンは世界で九番目に大きな国で、我々が今回訪れた核爆発の実験区域でさえも四国と同じ広さがあるほどでありながら、殆どがステップなのです。司馬遼太郎はカザフという言葉はコサックから来たと何かに書いていました。しかし、人種的にはコサックと異なりアジア系です。ただ、コサックの語源である、群れから離れた者、或いは反逆者と言う意味でならばある意味で正解かもしれません。土地の人によればカザフは白い骨の意で祖先を指すとのことでした。彼らは祖先以来ずっとこの広大な原野を遊牧しつつ暮らしており、今でも住民の30パーセントは牧畜により暮らしをたてているそうです。
 やがて琵琶湖の何倍もあるバルハシ湖が見えてきました。湖は所々にあるのですが、多くは塩湖でこの水を使って灌漑し、農業を行う訳にもいかないのです。ステップの所々にも白く塩が地表を覆っている場所が見られます。
 今回の派遣団は広島大学原爆放射能医学研究所の星正治教授を団長とし、いろんな分野の放射能研究者、すなわち染色体や遺伝子異常専門や、煉瓦を削り取ったり土壌中の残存放射能を調べる方など、それに血液,甲状腺などが専門の臨床系医師より成り立っています。煉瓦を採取しての中に含まれている石英をある方法で計ると何十年経ってもどれくらいの放射線の量を被曝したかわかるのだそうです。また当地での永年救援活動を続けておられる広島青年会議所の方々もご一緒でした。
 我々がこの国にソウル経由で入国したのは八日前のことで、こうやって帰国を前にすると遥かなる彼方に来つるものかなとある感慨が湧いてまいります。
 この地方はチンギスハーンやチムールが馬を駆け、また駱駝の背に荷物を積んだ隊商の通ったシルク・ロードの天山北路にも当たり、今回もアルマトイ市から天山山脈の支脈、雪を頂いたアラ・タウ山脈を仰ぎ見ることができました。その山脈の向こうは先程日本人技術者が誘拐されたキルギスです。
 まず、入国して最初にショックを受けたのは入国時アルマトイ空港での出入国者がごったになって起こる混雑です。一国の旧首都であり、最近火事で全焼し、新たに建設されたにも拘わらず、なんら新味のない空港で、旧共産圏の常とはいえイミグレーション、税関のうるさいこと、申告の外貨と財布の中身を照らし合わせ,間違いがあればアヤをつけられその差額を没収されたりするのです。このアヤつけの目的は賄賂なのです。税関吏の制服も、名札も付けていないへんな連中がウロウロしていて50ドルだせばV.I.P.扱いにして行列せずに通関させてやるとか、もう岡っ引きがやくざにつるんでい構図と見られないこともありません。旧ソ連の慣習を熟知しておられる山田通訳がおられなければ散々な目にあったことでしょう。
 セミパラチンクスで宿泊したのは紅葉に彩られたイルテッシュ河に面した丘に建つストロイーチェリスト・ホテルです。この河はユーラシア大陸のど真ん中を横断する長大なオビ川に合流、最後には北海に注ぎます。食事も定食ながらロールキャベツなどまあまあの品が座って10分以内に供され、シャワーからは勿体無くも尊くも朝夕お湯さえ出るのです。その上、私の生活必需品のビール、しかも冷えたやつの中壜が75チエンギ、約60円という安さで、旧ソ連圏では信じられぬ涙、涙の好待遇、珍しく愛想の良い美人ロシア娘のウエイトレスにケチな私も下卑た下心もなく、清く正しく、美しくチップを3ドルも弾んだほどでした。
 我々の甲状腺検診班は広大原医研の血液採取班と共に、セミパラチンクスを含め4ヶ所で検診を行いました。第一日は実験地境界線より100キロほど離れたセミパラチンクス市内、,第ニ日は50キロ離れたドロン村、ついで三日、四日と70キロのソチャリスチック村、15キロのサルジヤール村の馴です。ソチャリスチックは社会主義の意で、旧ソ連邦時代のコルポーズだったのですが,核実験の為,安い値段で飼っていた羊や牛を買い上げられた挙句、コルポーズは解体され,仕事のない若い人は村から逃げ出し、現在は核実験の作業に従事した人を含む年金生活者のみが残っている空家の多い荒れ果てた村であり、サルジャール村は実際には円形の核実験地区域内に存在しているにも拘わらず、その村の周辺のみ境界線を凹まして無理に区域外とされた所です。つまじあわせもここまで行きつけば立派なもので、悪くとれば人体実験のため犠牲にされた村ともとれないことはありません。この当たりの住人は殆どすべて我々とそっくりな顔をしているアジア系だけなのです。二つの村人たちの多くはきのこ型の原子雲をそれとは知らず見物し中にはそれを見たため目が潰れたという人もおりました。ソ連が当地で核実験を行ったのは1949年から89年までで、459回に及び、さすが62年以後は地下実験に変更したのです。カザフスタンががソ連から独立して、核実験場を公開し、実験場周辺の被曝データも公表されたのですが、これらのデータは当時ソ連軍の管理下で得られたものであり、独立後に得られたものと較べ被曝線量値が著しく低く,大都市のデータが不明だったりしてあてにはならないのだそうです。これら被曝地域の正確なデータが判らないことには、人体に対する影響も不明確でしかありません。星教授のグループはこれらの地域の正確な被曝線量の調査を煉瓦や土壌採取を通じて行っておられるのです。
 今回の村々での甲状腺検診は染色体異常の検査を目的とする血液班と一緒にボランテアを募って行ったため、サンプルが偏っている恐れもありますが触診のみならず超音波診断も全霊に施行したにもかかわらず甲状腺癌の初発患者は発見出来ませんでした。これは高年齢の人が多く被曝時すでに胎児や小児の域を脱していたことや、すでに被曝による発癌のピークが過ぎていたことも影響しているかも知れません。広島やチェルノブイリと異なり長期間に数百回の実験を行っているのですから,当地の人体に対するデータ解析は新しい視点から行わなければならないでしょう。
 検診の間を縫ってアトミック・レイクを訪れました。アトミック・レイクは地表近くで水爆実験を行った跡に水が溜まって出来た湖です。セミパラチンクスとサルジャール村を結ぶ幹線道路から離れ、ステップの中を4輪駆動のジープをとばすこと約1時間、無人のゲートを通って車を降り、やがて錆びた鉄橋を渡って小さな涸れ谷を越え、やや小高い丘を登りきるとアトミック・レイクが眼の下に広がり、数羽の水鳥が飛び立ちました。爆発により周囲の地層は露出しレイクの直径は400メートルほどで成り立ちから見て当然のことながら火山湖の趣なのです。水は澄み,物音一つ聞こえません。足もとには、高熱で溶解したガラス片か石のようなものがあちこちに転がっています。昨日訪れた我々の仲間達によると,この辺りの放射能は平均17,8マイクロシーベルト/アワーで、場所により針が振り切れる20マイクロシーベルトを超える所もあったそうです。しかし、彼らの中にはレイクで水泳を試みた猛者もおられ、金にもならぬ仕事に一生情熱を傾けてやっておられる基礎学者というものはやはり少々マゾちゃん的趣味のケがあるのではないかと勘ぐったことでした(T先生ごめんなさい)。
 ある夜、我々は当地の医師達主催のパーテイに招待されました。カラフルな電飾を派手派手にめぐらせたレストラントの外観は場末の安キャバレーの雰囲気です。しかし、中に入ると中々重厚、凝った造作で、我々が個室に案内されると白のブラウスに黒の超ミニスカートの美女達がなにかの間違いではないかと思うほどにこやかにサービスをしてくれるのです。ロクなサービスもせず、客のおつまみであるするめばかり食いあさって体臭まで烏賊臭い錦○町あたりの女とはすべてが月とすっぽんです。
 ロシアンスタイルのデイナーパーテイの常として招待者、被招待者の要人達の挨拶が延々と続き、その度にウオッカの乾杯です。ウオッカは頭に来るよりも先に足にきてさてさて立ちあがろうとするとへたりこむので余程気をつけて飲まねばなりません。イクラ、キャビア、ハム、焼き豚.を始めとして馬の肉やら何やら机に載らないぐらいのご馳走です。この当たりはイスラム教徒が大部分ですが、戒律は厳しくなく豚も食べれば酒も飲むのです。宴たけなわの頃、羊の塩茹で皮付の頭がそのまま大皿に載せられて静々と登場しました。これは当地では賓客に対する最高のもてなしで、一番長老の者が取り分けるのがルールだそうです。おじん頭である私にその役が回りました。こちらに鼻を向けている羊は幸い目を閉じています。ゴメンネと謝りつつ、耳を若い人に、頬肉を年寄りに、それから目玉を偉いさんに切りとって渡しましたが、外科手術よりよほど緊張し汗びっしょりの大仕事でした。
 私は旧共産圏に出掛けると、ロシア製の車、特にその殆どを占める一番安い小型車であるラーダと日本を含めた西欧側の輸入車との比率をラーダ係数と称し、自由化の割合、即その国の経済状態を推し量っています。セミパラチンクスでは乗用車に関する限りほぼ95パーセント以上がラーダでした。ところがアルマトイ市内では数えた地区にもよりますが約50パーセント近くが西欧よりの輸入車です。このことにより、旧首都アルマトイはかなり経済状態は良いが、地方まだまだ貧乏で、その格差が非常に大きいいことが判ります。アルマトイは旧ソ連がロシア人を移住させる目的で造った計画都市で街路は碁盤の目のように整然としています。そのため地方に較べると圧倒的に白系ロシア人が多いのが特徴で、彼らは服装その他から現在も社会的、金銭的に恵まれた階級に属しているようです。しかし、セミパラチンクスでは政治的意図から市長をはじめ市のお偉方や大学の学長などはロシア人からカザフ人になかば強制的に取って代わらせているようで、ロシア語であるアルマアタをカザフ語のアルマトイに変更したりと民族主義的嵐が相当に吹き荒れているようです。またこの国ではアジア系でもコレーアン的容貌の方を時に見掛けるのですが、これは第二次世界大戦中にソ連に住んでいた彼らはドイツ人と共に当時は日本人として治安上の見地から当地に強制移住させられた人達と、その子孫だそうです。ドイツ人は戦後早々に故国に帰ったそうですが、コーレアンは朝鮮戦争が勃発し祖国が分断された故国には帰り難い事情があったのでしょう。
 ただ、不毛の土地が広いだけで石炭ぐらいしか地下資源も開発されていないこの国の前途は、核汚染の問題を差し置いても、容易ではありますまい。なお、アルマトイには、戦後満州で捕虜としてはるばる当地まで強制連行され、過酷な労働に従事し、むなしく死亡された日本兵士の墓地があるとのことです。ダモイどころか満蒙の地からまたまた遠く、異国の果てまで連行された彼らは心中どれ程辛い思いをしたことでしょう。時間の都合でどうしても御参り出来なかったことを心から申し訳なく思いつつ帰国の途についたことでした。
 付記;この文を綴るに当たり広島原医研星正治教授ならびに高田淳助教授の文献を参考にさせて頂き、ご指導を仰ぎました。また文中錦○町云々は、それはお前が遊んだ昔々の話で、いくら不景気とは言え、現在するめ臭い女などはおらず、チーズの匂いぐらいはすると知人よりご叱正を賜りました。錦○町に対し不適当かつ、差別的表現をいたしたことをお詫び申し上げます。


    
アトミックレイク                盲目となった被爆者