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アジアを襲った経済不況は相当に手厳しく、韓国、台湾、香港、シンガポ−ルという4匹の巨竜の(竜)珠は泡と消え、鯉段階のインドネシア、マレーシアは竜門に至らずして滑落してしまいました。
この不況は私がかって会長をしたこともあるアジア内分泌外科学会にも及び、次回、次々回の学会開催予定国であった韓国、台湾が相次いで経済的事情により到底開催不能ということで辞退、次回の学会は急遽オ−ストラリアに変更という前代未聞の事態となってしまったのです。しかし、今回の主催国マレーシアではプロフェサ−・メアという女性会長が不況前に既に周到な準備をされたらしく、学会はクアラルンプールのヒルトンホテルのボ−ルル−ムで盛大に開催されました。開会式では厚生大臣が挨拶されたり、舞台の緞帳にはマレーシア航空のシンボル、凧のマ−クが縫い付けられていたりと、彼女が最大の政治力を駆使して財政界から資金を調達した跡がみられます。
学会場にはヴェ−ルを被った女性を含めて地元の方も多く、皆熱心にメモを取りながら講演を聴いていました。昼食は無料で贅沢なビュッフェ形式で供され、バンケットも民族舞踊などのショウ付きであり、学会には莫大な費用が掛かったものと思われます。
この国の政治は非常に判りやすい印象です。国民の大部分はマレ−系ですが、中国系、印度系も住む多民族国家であり、また多宗教国家でもあります。この雑多な民族を統一してまとめていくには、誰にでも理解できる政策を実行すると同時に、時にはマハテ−ル首相のように独裁専行の政治家の存在もまた必要なのかもしれません。
経済不況に備え市内で建設中のモノレ−ル工事その他政府による建設事業は一切一時中止と決定されました。しかし、次世代を担う海外に派遣中の国費留学生については、学位取得など当初の目的が達成間近の者には送金を続けるが、新年度の留学生の派遣は取りやめるという極めて厳しいが現実的な方針を実行しています。
現在、クアラルンプールの市内は建築ラッシュで、数年前とは様変わりし、ニューデザインののっぽ建築がすでに多数軒を並べており、421メートルの東洋で一番高いKLタワ−は営業を開始、高さ世界一となる予定のベトロナス・ツイン・タワ−も完成寸前で、やや経済的に「背伸び」し過ぎた感があるのでこの辺で足下を固めるのも将来のために良いのかも知れません。
米国では入学などの際、少数民族を10%ほど優先的に入れるというアファ−マティブアクションが、白人に対する逆差別として中止されたことはご存じだと思います。この国では逆に入学、就職に際し、同じマレーシア国民でありながらマレ−系を優先し、少数民族である中国系、印度系には不利となるブミプトラ政策がとられています。ブミとは土地、プトラとは皇太子を意味しているのです。この政策は露骨な人種差別であり、またマレ−系が現在の段階では中国系、印度系よりも実力に差があることを自認することになります。実際にマレーシア系は日本人に較べどちらかというと人が良く呑気な国民性で刻苦精励型ではないことは確かです。時間に対してもかなりル−ズで、ある商社の日本人が約束の時間に現れないので、相手の自宅に電話を入れると今からシャワ−を浴び、それから行くという返事が悪びれずに返ってきたそうです。人に会う前にシャワ−を浴びるのは彼らの礼儀であり、時間に遅れるのはさほど非礼に当たらぬというのが彼らの考え方なのです。日本の工場が人件費の安さに惹かれて当地に進出した際、中国系、印度系はすぐ順応できたものの、マレ−系は農漁村の生活しか経験がなく、工場で一種のカルチャ−ショックを受け集団ヒステリ−を起こして苦労したという話も聞きました。
私があるとき日本の会社で研修が終わり帰国途上のマレーシア人と機上で話す機会がありましたが、今回の研修でより高度な技術も身につけたので、帰国した暁にはより良い条件で他の会社から引き抜きにくるだろうから、口がかかり次第、明日にでもそちらに移るつもりだと聞かされて開いた口が塞がらなかったこともあり、会社に対する忠誠心や義理などの考えは希薄なようです。反対に会社などで悪事を働いた場合は、今回だけは見逃すという義理人情的態度を取らず即刻警察に突き出す冷酷さが必要で、さもなければ他の従業員に馬鹿にされけじめがつかず、日本の常識はこの国では非常識、非常識は常識ということも多々存在するようでした。彼らの方も自給自足で喰うには困らねば椰子の葉影でのんびりと昼のさなか暑くなればのんびりと昼寝生活を続けていた昔の生活が、冷房完備の工場内で時間を拘束され厳しい管理生活を送る現在よりも幸福だったのかも知れません。しかし、文明というものは、一度発達すれば後戻りが利かぬことは、ポルポト政権が原始共産主義に戻ろうとしてインテリを殺しても殺しても追い付かず、荒廃してしまったカンボジアを見ても明らかです。
クアラルンプールに滞在中、あまり観光客が訪れぬ場所として、現在は使用されていない旧監獄を見学しました。ここでは、ご丁寧に鞭打ちや絞首刑の刑場まで見せてくれました。鞭打ちの刑は両手、両足を斜めの横木に縛り付け、尻を力一杯皮の鞭で打つのです。無残にも皮膚がベロベロと赤剥けとなり、刑が終了後最早立つことも出来ぬ罪人を刑吏が抱きかかえて行く様が、実況か芝居かは知りませんがはっきりとビデオテ−プに写されていました。死刑執行場は死刑囚監獄の一端にあり、さすが死刑の実況ビデオは見せなかったものの、おどろおどろしい雷鳴の音や、看守の靴音を暗闇で聞かせたのち、灯りが付いて、首縄や足元の踏み板が外れる仕掛のある実際に使用した絞首台を見せるのです。入り口に心臓の病気のある人は入場するなとの警告書がありましたが、日本では考えられない残酷ショウです。イスラム教では目には目をという刑罰があるということは良く知られています。あれは異教徒の我々にはそれ自体が残酷な刑法だと考えるのですが、実は行き過ぎたより残酷な復讐行為を防ぐために目を傷つけた者は目だけの復讐で我慢しなさいという意味だそうで、やはり砂漠で生まれた宗教は日本のような温潤な気候の国の宗教観とは異なり、相当に厳しいものがあるようです。
学会終了後、日本の焼き鳥そっくりのサーティなどのマレ−料理にも飽きたので、タイ料理店でスチ−ムボ−ドの夕食を学会仲間とエンジョイしました。これは肉、魚貝類や野菜を卓上でス−プで煮、辛いソ−スを付けて食べる料理で、本場のタイではどこでどう間違ったのかタイ風スキヤキ、略してタイスキと呼ばれている私の大好物料理なのです。東南アジアではビ−ルが冷やしてないことが多く、残念ながらこの店もそうでした。現地の人は氷をぶち込んで飲むのが定法なのですが、この氷が問題で、高級ホテル以外は煮沸などしていない水道水を使っているので、日本人がこれをまねると翌日からひっきりなしのトイレ通いは間違いありません。食後昼間偵察しておいた中華街をぶらつきました。元々、クアラルンプールとは錫採掘の影響で「泥で濁った河口」の意味であり、その採掘のために移住した中国人の末裔が住む街だけあって、あらゆる種類の夜店が軒を連ね猥雑かつ活気に満ち、東南アジアのマ−ケット特有の雰囲気を十分に残していました。我々のホテルのある欧米よりも前衛的なビルが立ち並ぶブッキブンタン辺りとは全く異なった雰囲気で楽しい散歩でした。
世界を股に掛けて飛び歩く日本の商社マンにとってもクアラルンプールは親日的で、日本食を含めて世界中の食べ物があり、物価も安く、治安も良く、住みやすい所の一つだそうです。しかし、ある時タクシ−に乗ると、運悪く日本兵に親戚が殺されたという歳とった中国系のドライバ−にあたり、散々日本軍の暴虐行為について罵られました。反論もならず、辛い経験でした。戦後50年を過ぎた今も戦争の傷跡は残り、我々は負の遺産を未だに背負っている事実を痛いほど感じたことでした。
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