新雪のマウント・クック

 昔からツアー紹介誌をじっくりと眺めていると、例えば中国のように、昔は観光客に兌換券を使用せよとかいろいろと煩わしい制限をつけ、買い物にいっても怠惰な公務員の売り子に、客を客とも思わぬ商売をさせながら、ヨーロッパ旅行に匹敵するようなお高い値段のツアーを設定していたものが、サービスが行き届かないため、どんどんと値崩れをおこしていった国もあれば、円の変動で少々値動きをするだけで殆ど不変の国もります。オーストラリア、ニュージランドも昔は相当に格安航空券でも高かった記憶があるのですが、最近はかなり値下がりしてきた感じです。そこで、オーストラリアはかって学会で訪問したことがあり、ニュージランドに出掛けることにしました。ただし、秘境好きな私としては、あまり期待もせず,赤道を挟んで日本の反対側に位置するこの国は、気候が日本と反対で現在真冬にあたり、といっても最早スキーなど試みる勇気もなく、ツアー料金の廉さに惹かれて出掛けたというのが真相なのです。
 70歳を過ぎるとあまり長生きする気もありませんが、エコノミークラスシンドロームで,肺塞栓の罹ると、かなり苦しいのは商売柄見たことがあり、珍しくも機中、酒を控え、水分を補給し脚を動かしながら、11時間に及ぶ長旅に耐えたものです。ニュージランド航空のサービスは可もなし、不可もなしというところです。オークランドで国内線に乗り換え,クライストチャーチに到着しました。この辺りまでは、日本の冬に較べても暖かく、ダウンジャケットを着ているのが、恥ずかしいほどでしたが、マウント・クック国立公園への登りにかかると雪が降り始め高度を上げるにつれて道路にも積りだし、寒さも厳しくなってきました。日の暮れるのが早く、5時にはもう真っ暗です。やはり安物買いの銭失いのツアーかと悔やんでみたが始まりません。途中プカキ湖に寄るのも中止し、ひたすら夜道を飛ばします。フロントガラスが曇るのを運転手が嫌がり、暖房を入れぬので車内は相当に冷え込み始めました。しかし、山路といえどもあまり急なカーブもなく、予定時間よりはかなり送れたものの、慎重な運転のお蔭で無事公園内の最高クラス、ハミテージ・ホテルに到着することができました。太郎の屋根にも、次郎の屋根にも、はたまたホテルにも雪降りつみ、明日はどうなることかと心配したものですが、ぐっすり眠って,目が覚めると,雲一つない快晴で、早速、ベランダに飛び出して新雪を被ったマウント・クックを始めとするサザン・アルプスの山々に挨拶することができました。この辺り天候が変わりやすく、マウント・クックの全貌が見渡せるのはすごく運がよいとのことでした。周囲は3000メートル級の山々ですが、どこか優しいく、それほどの威圧感はありません。最早登れもしないのに昔の癖で登攀ルートを目で追っいる自分が可哀相で、同時に可笑しく感じたことでした。雀百まで踊り忘れずというのでしょうか。早朝出発し、テカボ湖に立ち寄りました。ミルキー・ブルーの色をしているのは、昔,湖の辺りは海の底で,当時のプラクトンの死骸と氷河水ガ混じっての故だというツアコンの説明でした。しかし、このツアコンは鱒と鮭は同じ魚ですが海に降りなければ鱒で降りれば鮭となるなど説明するので、信用度はもう一つ、単に石灰が溶解しだけの氷河水かも知れません。湖畔には小さな「善き羊会教会」とワン公の銅像がポツンと建っていました。ワン公は牧場の境界を守る牧羊犬で、バウンダリー犬とよばれ、人手不足の開拓初期に文字とおり犬馬の功を尽くしたらしいのです。見物人の殆どは,日本人と韓国人でした。一時海外渡航も制限されていた韓国の経済も回復したらしいのです。隣国として大変慶賀するべきことですが、金書記との交渉がいきずまったり、なにか国内事情に問題があると、最近の教科書問題のように日本にアヤをつけたりして、日本を敵視し、国民の不満を逸らす政策はもう止めてもらいたいものです。日本の植民地時代の期間より、独立してからの期間の方がもう長いのに、いつまでも植民地時代にこだわるのは大韓民国国民の衿持に拘わるのではありませんか。
 道路沿いのリゾートホテル付属の和食レストランで昼食をとります。なんでこんなところで日本料理かと、不平満々だったのですが、供されたサーモン丼の美味かったこと。暖かい酢飯の上に厚焼き卵を載せて御飯の熱を遮断してあり、その上に乗っけてあるサーモンの刺身はとれとれの純生で、一度冷凍したものとは月と鼈、適当にジューシーで本鮪の中トロ以上に脂がのり魚特有の甘味が口中に広がります。これを本物の山葵で食べたらどんなに美味かろうという絶品でした。
 クライスト・チャーチは静かなよい雰囲気の街です。お土産やに連れ込まれるのを避けて市の中心部を歩いてみました。治安もよいようです。日本の女子学生がパンテイも見え見えのスカートを穿いているのと反対に踝までのロング・スカートを穿いていて、さすが英国風、見上げたもんだよ屋根屋の褌と感心したものですが、あとで聴いてみるとこれも今はやりのスタイルだそうです。北半球と南半球で反対のスタイルが流行るのは面白い現象です。学生達には東洋系の顔をした者が意外と多いのが目につきました。修学旅行なのか日本の高校生らしい一行があちこちで持ちきれぬほどの買い物袋を下げて、キャーキャーと騒がしいのです。日本もどえりゃ−国に成長したものです。この街ばかりか、どこの土産物屋や料理店にも日本人従業員が働いています。日本人観光客が以外に多くしかも土産を山ほど買うので、よき鴨ござんなれとの迎撃体制のゆえでしょう。日本人が土産を沢山持って帰るのは、まだ交通の不便な時代に若い衆がお伊勢参りに出掛ける時、村の代参という感覚があり、村人が代参を務めてくれるお礼の意味を含めて餞別を渡し無事な旅路を祈った伝統の名残だそうなのです。
 翌朝7時発の飛行機で眠い目を擦りながら北島のロトルアに飛びました。別府の姉妹都市だけあって街中硫黄の匂いに満ちています。風景も別府とほぼ同じで,間歇温泉の蒸気が空高く吹きあがるのが見所ぐらいです。マオリ村を訪れるが、鼻と鼻を擦り合わせるのがこの種族の挨拶で、パプア・ニューギニアの某種族のように、敵意のないことを示すためタマタマ袋と袋を擦り合わせるよりも文化的ですが、風邪を引いて鼻水をたらしている時はどうするのかといらぬ心配をしました。マリオは肥った人が多く、タマタマ袋のの擦り合わせは腹がつかえてちょっと無理でしょう。
 レインボー・スプリングス&ファームで、大きな鱒、牧用犬による羊の誘導や、羊の毛刈りを見たりしました。国鳥キユーイも見ました。夜行性であり、驚き易い性質のため、国鳥の威厳は何処えやら狭い人工洞窟内の薄暗い籠に閉じ込められて身の悲劇を嘆いていました。 ゴンドラに乗って頂上のレストランで昼食を取ります。夜ホテルでハンデ・デイナーと称するマオリ料理を食べながらマオリ族のショウを見ました。オーストラリアのアポリジニ・ショウの時にも感じたことですが,滅びつつある民族が,民族衣装、それも派手派手しくしたものをつけてハイライトの下で踊るショウを見るのはなんとなく悲哀を感じて僕は好きではありません。日本の伝統芸能と何処が違うかと言われれば答えに窮するのですが、滅びるものの美しさがないのです。失礼ながら三島由紀夫の市ヶ谷での最後のショーみたいで嫌なのです。日本人は「散る櫻,残る桜も散る櫻」と万感の想いを込めた櫻の一枝を背に二度と帰らぬ死出の旅路に黙って出発、散華した若き特攻隊の姿に滅びるものの美学を感じるのです。ダンサーの中には白人に近い容貌の人もいて,純粋のマリオ族はもはや品切れ払底に近いのではないでしょうか。
 ワイトモ洞窟の観光は迫力ガありました。それ程大きくなく、鍾乳洞としての値打ちはそこそこなのですが、洞内を流れる川を船に乗って移動しながら天井を仰ぎ見ると無数の土蛍の幼虫が光を放っています。光は月のない夜空の星の感じで点滅が明らかではありません。本物の蛍の光がなんとなくやわらかくロマンチックなのに較べ、冷酷な白い光でした。これは蛍の光が異性を呼ぶための愛の光であるのに,土蛍のそれは餌を呼び寄せて獲って食うためのむごい仕掛だから無理もないかも知れません。成虫は生殖のためにのみ生きているので、口さえ退化してないそうです。もし、相手が見つからず空しく死んでいく土蛍は、口がないので歯噛みすることも出来ず、腹を空かしたまま「ああやりたい」と心の中で叫びながら悶死するのはさぞ悲しかろうといらぬ同情をしたものです。
 昼食にはバーベキュー・ステーキをむさぼり食べました。肉はやや硬めですが、とてもジューシーで噛むほどに味が出て結構なお味でした。
 バスで最後のデスティネーションであるオークランドにバスで移動すます。南北両島とも、鉄道というものは敷設されておらず、すべて地上移動は車に頼ることとなります。道路は舗装も立派で、結構発達していますが、山地もあるのにトンネルガ見当たるぬのは不思議です。カーブの少ない道路の兩側は行けども行けども殆どすべてが牧場で、羊が平和に草を食んでいます。最近は肉も取れ,皮も取れ、角も取れる鹿の養殖が流行っているそうです。これらの広漠たる牧場地は白人が入植する以前はすべてが山林で、現在原始林は僅か20%程しか残っていないというのです。果てもつかぬ大樹海の木を切り,根を4頭立ての馬を使って引っこ抜いて牧場を開いた白人達の努力は素晴らしいものとも言えますが、同時に欲にかられた恐ろしいまでの執念だとも思えてきます。とどつまり、現在原子力発電所もなく一見穏やかで平和に見えるこの地は過去においては西欧の鉄文化の原住民文化に対する無慈悲な勝利と物凄い環境破壊の犠牲の上に築かれたものなのです。
 オークランドはクライスト・チャーチに較べて大都会ですが、それだけ人気も悪い印象で、目つきに良くない若者達があちこちにたむろしています。多くのアジャ系移民が流れ込み、プアーな白人との間には職業の奪い合いなどの軋轢があるらしいのです。我々アジア系が夜出歩くのは一寸危険な感じで、ツアー・グループの夕食をキヤンセルし、クレイ・フィッシュかマトンを食べに出掛けるのを中止したのは残念でした。この歳では相手の向う脛を蹴って逃げ出す芸当も出来ません。
 今回の旅行は期待したよりも面白かったでした。ニュージランド人は総じて人情が厚く好意的で、治安も一部を除いては気にするほどのことはなく、1年中の温度差が日本より少なく、道路も完備されている上に日本と同じく左側通行であり、もう一度レンタ・カーを借りてモテルかB & Bに泊りながらのんびりと来てみたい感じを抱かせた愉しい旅でした。


      
羊さんと私                  ロトルア温泉