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今をさること40年ほど前、私は米国に留学していた経験があります。まだ日本では新幹線も高速道路も造られておらず、為替相場が1ドル360円、パスポートが革表紙の頃です。ガキ時代によく親父に連れられて神戸港に欧米に行かれる人達をお見送りに出掛けました。銅鑼がジャジャジャーンと鳴ると、それは見送り客の下船を促す合図で、以後、「蛍の光]の音楽が繰り返し演奏され、埠頭から船から色とりどりのテープを投げ合って別れを惜しん光景が忘れられません。その印象は強烈で、ボクもオトナになったら、必ず船に乗って海外に出掛けようと決心したものでした。その「幼な心に憧れの」留学の往復には,飛行機を使わず,時間が掛かるのを承知の上で船を利用しました。当時日本には豪華客船などは存在せず、粗末な貨客船しかなく、しかも横浜港の沖仲仕ストのため、出航が2日ほど遅れて、テープの交換どころか,見送人も寥々たる有様でした。それでも航海中充分に潮と、ペンキの匂を主とした船独特の匂いを満喫したものです。そのうえ飛魚が何十メートルと飛び,鯨が潮を吹き、蛸の浮き船が大繁殖して一昼夜にわたり海面上を漂う姿など珍しい光景を見ることができました。以後、何度か船に乗る機会はあったのですが、所謂豪華客船に乗る機会は残念ながらありませんでした。
ところがAB・ROADかなにかで、「世界に誇る豪華客船でゆったりとアジアを巡るスーパースター・レオ号」なる記事を見つけ、値段も日数も手頃なので早速応募、乗船したのです。
船にはパブリック・スペースが充分にあるので、窓付き、バルコニーなしのオーシャン・ビュー・ステイトルームを申し込んだのですが、どうやらバルコニー付き以上か否かが,飛行機で言えばビスネス・クラスとエコノミー・クラスとの境目になるらしく、乗船のタラップまで異なることから始まって、かなり待遇が違うことが後でわかりました。
レオ号の出航地は香港で,お馴染みスター・フェリーの桟橋間近のオーシャン・ターミナル、海運大廈旅客候船大堂から17.00に出航の予定で、13.00から乗船受付開始です。我々が到着した時には既にターミナルよりはみ出る白い巨体が繋留されていました。なにしろ、総トン数7.6800トン、全長68メートル、乗客定員2000名,乗組員が1,100人という規模ですから、乗船,下船はかなり混雑するだろうと踏み、早目に出掛けました。荷物のチェックインテーブルでは空いていたビスネス・クラス以上の受付に親切な船員がいてエコ・クラスの私達の面倒をみてくれ、スムースに荷物を預けて乗り込むことができました。
デッキに上がると,けたたましいラテン音楽と,熊など動物の縫ぐるみを着たクルー達のお出迎えで、縫ぐるみと一緒に写真まで強制的に撮るのは船客に大衆的物見遊山気分を満喫させる目的からでしょう。
我々の船室は船底に近いデッキ5だったのですが、窓も広く二人で4,5日生活するには何の不自由も感じないだけの広さがあり、トイレは飛行機と同様の真空吸込式でした。備え付けのテレビからは,緊急時のライフ・ジャケットの着け方、避難方法などを繰り返して写していました。おそらく、大抵の船で、必ず乗船時に行う緊急時の備えてのミーテングを省略するための知恵だと想像されます。
ホテルなり何なり目的地に到着後ボーイが大きなラゲッジを運び込むまでに持参のウィスキーでぐっと一杯引っ掛けて一息入れるのが僕の好み、貧乏たらしいことですが重量を減らすため、ペット・ボトルに詰め替えたウイスキーをいつもバックパックに持参しています。最近では空港の免税店よりも、安売りスーパーの方が酒の値段が廉く、ホテルのミニ・バーの酒などは高くて飲めたものではありません。今度も、景気付けに一杯ぐいと流し込巨大な船の探検に出掛けました。
デッキ4の中央にはグランド・ピアッサアと呼ばれる大ホールがあります。ここがどうやらこの船の心臓に当たるらしく、レセプションやら総ての御用受賜り所があり、船長主催のカクテル・パーテイを始め、いろいろな催しが開かれる場所です。絢爛豪華なホールですが、赤が多用されているところが,なにか中国風の感じです。そういえば、クルー達の制服も赤でした。赤を吉祥の色とする経営者の国籍趣味が反映したに違いありません。
レストランは無料と有料の種類があり、無料は3ヵ所、有料は5ヵ所あります。船客達は懐と,腹具合を勘案して好きなレストランを選べる仕掛です。私達夫婦は有料は遠慮して?一度も入りませんでしたが、無料のレストランもサービスが良く、まずまず結構なお味でした。とくに中華料理のレストランはビユッフェ形式でなく、朝食から数種類のご馳走がでて、ゆっくりと食事を愉しむことが出来ました。
その他、カジノやマージャン、トランプ専用室の他劇場などがあり、毎日いろんな催し物が目白押しで乗客たちを飽かせない工夫がされています。
乗客達は中国人が圧倒的に多かったのですが、その大部分が中国本土の人々であるのには驚きでした。かって20年程前には中国本土で大都市周辺のお百姓さん達の間に「万元戸」と呼ばれる成金が出現したと話題になったものですが、この船に乗っている人々は一応共産圏である筈の本土でどのような地位、どのような仕事に就かれた方達の家族なのでしょうか。最早万元戸ぐらいが羨ましがられる段階ではないことだけは確かです。彼らは毎日早朝からデッキで大極拳に励んでいました。
船長や高級士官達はスエーデン系が多いらしいのですが、一般のクルー達の国籍は全くばらばらで中国の本土、スリランカ、ネパール、インド、マーレシア、フィリッピン、それに日本人までいるのです。経済状態、即ちその国での生活費や、米ドルとの為替レートが異なる国々から採用して給与体系はどのようになっているのだろうとひとことながら心配になりました。国籍に関係なく職種別に米ドルで支払われるとすれば、本国での生活費、給料が他のアジア諸国に較べ桁違い高い日本人クルーは割に合わない仕事をしていることになります。彼らは10ケ月乗船勤務し、2ケ月下船するそうです。下船期間の給料は支払われず、乗船中は一人二役以上を兼ねることもあり,かなり勤務は過酷なようでした。
寄港地は海南島の三亜と、ベトナムのハロン湾でした。
三亜は東洋のハワイを目指して一時期政府のお声がかりで開発さらたようですが、暑くて湿度が高く、泳ぐべき海岸も見るべき場所も少ないので、計画はおじゃんとなり、建築途上のビルが立ち腐れの状態で並んでいました。
ハロン湾はニョキニョキと奇岩怪石の島が湾一杯に点在しており、さすが海の桂林と言われるだけのことはあると感心しました。母船からボートで上陸するまでの間に、とれとれの蝦、魚を小船に乗せて売りに来ました。しつこくつきまとってきたのですが、船で料理することも出来ず、誰も買う人がおらず、収穫ゼロで帰っていったのは気の毒でした。もう少し、頭を使って事前のマーケット・リサーチが必要でしょう。
これらの上陸に日本語ガイドとして付き添ってくれたのは、青島生まれのクーニャンで、日本語はたどたどしかったですが、容姿抜群、気の良い娘で、あとで「美脚、眼福」と書いた紙をチップ代わりに渡しておきました。この船は完全ノーチップ制なのでたすかります。
航海最後の夜,船長招宴のデナー・パーテイがありました。その直前、日本人乗客を集めて船長と一緒の写真を撮る集い設けられていました。写真好き日本人を満足させる為のサービスか、日本人乗客を増やす営業政策の一端なのかは不明です。船長主催のパーテイそのものは、カクテルをホールで飲んで、その後予約したレストランの席でデイナーを食べる形式でしたが、とくに社交的に盛り上がるわけでもなく、食事がとくに美味いわけでもなく、「特記することなし」と言う感じでした。
この旅の航海では2000人定員の内、乗客は1000人だったそうですが、船のあまり大きいすぎるのは寄港地での上下船にも時間がかかり、考え物だという印象が残りました。それからやはり船に乗るときは無理しても上級クラスの部屋を取るべきであることを十分に悟ったことでした。
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