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毎日が日曜日の老人は、なにもかも物価高の正月には蟄居するに限る。つれづれなるままにAB-Roadを繙とけば台北4日間で36800円、空港とホテルの送迎を除いては全くフリーのツアーを見付けた。これは掘出物だ。桃園中正国際空港から台北市内まではタクシーで1000元は軽く越えるし、宿は防犯上危なげが無く、清潔でさえあれば文句はない。自分勝手にふらついて美味い物さえ食えれば結構と早速1月16日から出掛けることにした。このような格安ツアーの常で出発の数日前に判ったことだが、航空会社はエアーニッポンと共同運航のエバー航空、宿はK飯店であった。エバー航空は初乗りではあるが、アテンダントは全員女性でグリ―ンの制服の美人揃い、ただアルコールの品揃えが少ないようで、ビール、ウイスキーとワインのみのサービスだった。K飯店は昔若くてビンボーの頃、泊まった経験がある。この飯店は中正国際空港とは眞反対の台北南部にあり、市内中心部から離れてはいるのが難であるが、龍山寺の近くの下町情緒豊かな場所にある。もう何十年も前の話になるが、最初に台湾を訪れた頃の龍山寺横の華西街は相当に柄が悪く、その裏あたりが遊郭で、その為か精がつくという蛇の生き血を飲ませる店などが並んでいて、私の趣味にぴったりの怪しげな通り、一寸身構えて歩かねばならぬ薄暗い雰囲気だった。その代わり飲食店は汚いものの、ゲテモノだが美味い料理を廉く食わせた。数年前に訪れるとすっかり様変わりして、ネオンサインぴかぴかの高級料理店が並ぶ観光夜市に様変わりしてしまい戸惑った経験がある。昔はこの当りのホテルに泊まると、ボーイや女から電話が頻々と掛ってきて眠れたものではなかった。まだ台湾が発展途上国の頃であった頃の話だ。
参考にしたガイドブックではK飯店は改装した所為か中級ホテルにランクされていた。
このガイドブックでは昔、世界の最優秀ホテル10番以内に格付けされていた円山大飯店が、新しいヒルトンだのシェラトンなどの外資系ホテルに押されて、最高級ホテルから下落して高級ホテルに分類されていたのには驚いた。円山飯店は過去の名声に胡座をかき過ぎ、他機能的な意味では新興ホテルに太刀打ち出来ぬ所があるかも知れぬが、最早あの精緻な中国風ホテルを建築することは、その職人を見付けることさえ難しいに違いない。オーナーであった宋美麗は中国共産党に追われて台湾に移駐した中華民国総統将介石の夫人である。中国の大富豪の家に育ち、米国のこれまた金持ち子弟が多くて有名なボストンのウーズレイ女子大で教育を受けた彼女は、世界に通用する眞の贅沢というものを知っていた。共産党に破れて台湾に移住後も将一家が政権を握っていた頃にはこのホテルは莫大な利益を挙げていたにも拘わらず、税金を払わなくてもよかったという噂であった。日支事変以来英米が中華民国将を支持したのも勿論中国における彼等の権益を保護するためであったろうが、彼女の外交的手腕と人脈、陰の力が大きかったと言われている。雅子妃も心中では彼女のような外交的活躍を夢見ておられたのかも知れぬ。しかし、日本の皇室に入った以上は所詮無理な話で、恐れ多くも天っ日嗣継承子孫製造器に徹されたのち、しかるべき時期からとかしこみかしこみ申し上げたい。
ホテル到着後ただちにガイドブックにも挙げられている有名北京料理店、天厨飯店に予約を入れて出掛けてみた。かなり古色蒼然としたビルの3、4階にあり、我々は部屋も調度もドハデなところの全く無い3階のレストランに案内された。張り切って出掛けただけに拍子抜けの感じであった。ただし、これは我々の予約を現地ガイドに頼みK飯店滞在客と判ったためかも知れず、4階はVIPやお馴染み向きで豪華な部屋があったのかも知れぬ。
日本語や英語のメニューもなく、ウエイターもまた英語も日本語もほんの片言なのだ。とりあえず私のあやしげな中華料理の知識で、三糸なんとか、恐らく三種類の細切りの具か、三種類の調味料で味付けしたものかどちらかであろうと推測される前菜と、この店の売物で毎日百羽はでるというペキンダックを注文する。酒はビールと招興酒を頼んだ。
このような店では以前高雄やバンコックで食べた時と同じく、小人数だから半羽にしてくれとのオーダーは出来ぬらしい。前菜は予想通り平打ちのきしめんみたいなものと、あと二種類何か判じかねるものをと酢であえたものであった。女房が一口食べて「全然美味しく無いわね」と言う。確かに酢が利き過ぎてコクがなくお世辞にも美味いとは言いかねたが、「うるせいやい。折角医大退職後収入の減った現在、俺様の乏しい小遣いから食事代を出しているのだ文句を言うな」と口に出せば喧嘩になって飯が不味くなる。こっちは文句を腹の中にしまい込んで食べることに集中した。
ペキンダッグには二種類あり、こんがりと焼いた皮のみ出す店と、皮に身を付けて出す店がある。北京の最高級有名店全衆徳では身附きだった。全衆徳では、お客が行儀良く並べて吊るしてある家鴨を自身で選び、自分のテーブル番号が皮に薄く浮き上っている家鴨が飴色に焼き上がるのを、家鴨の水掻きの酢の物などを食らいつつ待つという優雅な趣向だった。
この店では皮と身が切離されて両方がどんと大皿に盛り付けられて運ばれてきた。葱は日本のように縦に細切りせず、丸のままである。我々は肉の部分は手につけぬことでは珍しくも夫婦の意見が一致した。皮と葱を包む丸いクレープは焼立てでほかほかである。程よく焼けた皮と葱に甘味噌を付け、クレープに包んで口に含むと、まずは柔らかいクレープが歯に優しく当り、そこでぐっと力を入れて噛み切ると葱の香気と味が鼻腔までを刺激し、一瞬遅れて甘味噌にまみれたぱりぱりダッグ皮の硬さと旨味が舌の味覚神経を刺激するという、まさに三位一体では無かった、三味一体の美味さが、口中に広がるのであった。女房はクレープが厚すぎて沢山食べられないの、後で供されたダックの残りを利用したスープがやや塩加減がきついのとまたブツと言っていたが、この際、繰言は無視して、なにしろ二人分で一羽をたいらげるのであるから一人当て相当の分量があり、ダックが口中からガーガーと鳴き出して飛出す寸前まで賞味するのに夢中であった。
どちらが正統かは差し置いて、やはりペキンダックは皮のみの方が美味いようだ。この店の皮はかなり濃厚な味付けで、硬めの焼具合と言い、この店の名物に恥じぬ味であった。
私は中国料理については、北京飯店だの、平安門での公式パーテイだので、中国本土で御馳走になる機会もあったが、香港、台湾の料理の方が美味い印象を持っている。しかし急速に金持化した中国の経済を考えると香港、台湾で働いていた厨師達が本土に舞い戻ったことも考えられ、味も各段に進歩した可能性もある。勘定は1546元、約5400円であった。
飯店に帰着後、ベッドのなかで持参した遠藤周作の「私のイエス」を読む。女房のぶつくさに中腹を立てるようでは、「右の頬を叩かれば左の頬を」というイエスの愛の教に遥かに及ばぬと自分を反省しつつ、眠りに落ちた。
さすが昨夜のダックが応えたのか、朝から食欲がない。老いとは悲しいものだ。昼前に1年前アジア内分泌外科学会が当地で開催された際、現地の医師に連れて行かれた鼎泰豊でブランチを食べることにした。この店は日本にも支店があるそうで飲茶の有名店だ。入口が狭く知らぬと見逃すような構えの店だが、まだ開店早々だと言うのにお客が列をなして入っていくのでそれと判る。我々は外人専用と思える3階に案内された。漢文でのメニューと、それに対比した日本語メニューがあり、注文は容易だ。まず前菜と言うべきか、二、三の料理をウエイターが運んできて、この中から選べという。小菜と焼腐を選択し、ビールを注文して、おもむろにメニューに目を通す。ここでは最初に生姜の極細切りが小皿で出され、ウエイターが酢と醤油を注いでくれた。これはどの料理にも合うこの店特有の調味料で、量が減るとすぐお代りを出してくれる。高野豆腐に味をつけてじっくりと炒め煮にしたような焼腐と、もやし、筍、臓物の細切りをあえた小菜は、簡単な料理ながら深い味があり、一寸箸をつけただけで女房は昨日と打って変わり大満悦、大御機嫌であった。あと貪欲に当店名物の小包籠、即ち蟹粉小籠と、餅肉大包、蝦仁饂飩、蛋炒飯を注文してみた。この店の蟹粉小籠は日本にまでその評判が鳴響いているだけあって、お汁たっぷりな蟹の団子が薄い皮で包まれ、食べるとやけどしそうなお汁が口中一杯に広がるすぐれもであった。恐らく蟹団子のにこごりを団子と一緒に包み込んで蒸したに違いない。本場の中華料理店の炒飯は、当店でもそうだったが日本で食べるものよりも、薄味が多い。日本での中華料理の最高峰の一つであるニューオークラの桃花林でも薄味だった。本場では屋台は別として日本の如く炒飯一品で一食に当てるとは考えておらず、白飯代わりの感覚で供する所為だろう。お勘定は770元、約2700円であった。これだけの味、品数で廉いものだ。
これまた老人の悲しさ、夕方になっても腹が減らず、ホテルに隣接するセブンイレブンで、握飯を買って帰り昼食とは天地の落差のある夕飯とした。握飯の鮪はマヨネーズ入りで、マヨラーは台湾にまで普及したらしい。
さて三日目は午前中にまず東洋一高い101ビルに立ち寄ってウインドウショッピングと洒落たが、世界の有名ブランド店がすべて軒を並べているものの、一軒の店面積が広いので余計目立つのか、がらがらだった。飲食店は紅花、代官山ダイニング、山葵など日本の出店が多い。煙突の煙と馬鹿は高い所に昇りたがるというが、昇ろうと思った展望台は現在雲に包まれて展望ゼロと受付窓口嬢が親切にも教えてくれたので馬鹿にならず、一人350元だかを払わずに済んだ。謝々。ここのハーゲンダッツのマンゴーアイスクリームは日本でも手に入るのかどうかは知らぬが、マンゴー大好きの女房は幸せそうな顔でたいらげていた。
それから前回お土産に買って帰り女房がこれを買うだけの目的でも台北に行きたいというほど御執心だった梨記餅店に廻って太陽餅だの蛋黄酥だのと名前のついた中国式のお菓子をどっさりと買う。なかには金玉満堂など、現在からからと空鳴りする私に当て付けがましい名前の菓子もあった。
海鮮料理を楽しもうと、またガイドブックと相談し、昼食に一個分の蟹肉を使ったスープを甲羅に盛付けた青蟹斗が売物という榮華堂湘菜館にタクシーを飛ばす。台北のタクシーは黄色い車体で、すべてメーター制で廉く使い易く、市内ではまず200元内外で何処にでも行けるので便利だ。お釣もちゃんと返してくれる。ところが着いてみるとなんと最近閉店したという。次を探すのも面倒ではあるし、折角台湾に来たのだからと、同じビル内にある梅子という台湾料理の店に入る。台湾料理は家庭料理の延長の感じで、垢抜けしているとは言い難いが、捨て難い惣菜料理的滋味があり日本人の口に合う。店内はガイドに連れられた日本のツアー客もいたが地元のサラリーマンでほぼ満席であった。キャベツの春巻き、本場物を食ってみたいという女房の希望で酢豚、それに烏賊団子を注文する。キャベツは柔らかく、酢豚は骨付であった。烏賊団子は新鮮な材料を使ったらしく中身は色白で弾力性がありふっくらと揚てある。店の一角に、台南坦仔麺と書かれた赤提灯がぶら下がっており、そこでは厨師が次々と作る小碗に盛られた熱々の麺をお客自身が自分の席に運んでいた。坦仔麺は出来たてが美味いらしい。最後に店名にちなんで梅茶がでた。勘定書を貰うのを忘れたので、記憶にないが、1000元以内のリーズナブルの値段であったことは確かだ。
ホテルで少憩の後、龍山寺辺りまで、腹ごなしに一人で散歩する。門前辺りでなんとなく親しみを感じた老人に軽く頭を下げると、流暢な日本語で日本人かと尋ねてきた。発音も正しく、ボキャブラリーも、なんでも「うっそー」で片付ける現代の日本の若者より余程豊富だ。訊けば私より、4才年下で台湾生まれの本省人である。 色々と話が弾んだが、こと中国に話がおよぶと「この国に逃げてきた将政権は汚職まみれで悪いことばかりした。亡命政府の圧政に抵抗して起った台湾の大暴動、2.28事件でも本土の文化大革命でも反政府の人物、特に知識人を殺し、政府批判の口を封じる政策は、将政権でも共産党政権でも常套手段だ。私は中国人が大嫌いだと言う。彼は自分自身が中国人だとは考えておらず、台湾人と認識しているらしい。顔写真を取らして貰って再見と言いつつを差し出すと両手で握ってくれた。こちらも急いで左手も出して握り返して別れる。とても気持ちのよい出合いだった。しかし、李氏朝鮮時代、両班階級を除き、一般市民や農民は教育を受ける機会がなかった半島と、清国から化外の地とまでいわれ、山岳民族は勿論、本土から移住した漢族もやはり教育施設と呼ばれるほどのものがなかった台湾で、同化政策という国家的目的があったとはいえ日本が大金をかけて義務教育制度を築きあげたことは確かである。しかし、両国の日本に対する意識がどうしてここまで違うのかは不思議な話だ。台湾人は大概日本人に好意的だ。今日逢った方のような公学校で日本語教育を受けた年代の人も、日本の統治時代には風俗習慣の違いから色々と不愉快なこともあったろうし、官僚をはじめとして威張りくさった日本人もいたに違いないが、懐かしがってくれる人がとても多いのは事実である。日本の統治時代に霧社事件と言う、タイヤル族の大反乱があった。これは出草(首狩)の習慣があった山岳民族の文化に不慣れな日本人巡査が折角の結婚式だかの招待を断って彼等の面目を潰したことから起ったことで、将政権が大々的に宣伝をしたような抗日義挙事件などという意味合いのものではなかったようだ。
明日は早朝5時起きで帰国するので、近くの屋台で台湾情緒を満喫しつつ夕食を取りたかったが、これは女房の趣味ではなく、遠くの有名店まで出掛けるのも億劫で、飯店のレストランで済ますことにした。どの料理も99元で、期待はしていなかったが、出不精したことを後悔するに十分な味であった。
若気の至りとはするべきでない余分なことをして失敗することを指すが、老気の至りとは、するべきことを骨惜みしてせずに失敗することだと覚ったことだった。
空港では両替所で、遣い残した200元を1000円札一枚に換えるために400円を追加して渡すという、するべきことを骨惜しみせずした後、心も軽く搭乗ゲートに向ったのであった。美麗島に幸あれ。
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