私のかって勤めていた教室の新年宴会で、隣に坐ったレシデントの00綾君と酒を酌み交わしているうちになんとなく話が纏まり、台湾の第10回アジア内分泌外科学会に一緒に行くことになった。それまで彼女とは2、3回逢ったきりだが同門雑誌「ふたご」での彼女の文才には「お主、出来るな」と常々敬服しており国際学会への出席は彼女の難病より回復した社会復帰の一環としても好適であろうと考えた上でのことである。
 同行が決まり女房に医師の学会出張とはいえ若い娘と二人連れの旅はあらぬ疑いをかけられねばよいがと話したところ、「誰が疑うものですか。自分の歳も考えて自惚れもいい加減にして下さい」と甚だ自尊心を傷つける発言でぴしゃりとやられての出発だった。
 学会会場は円山大飯店である。世界に誇る格式のホテルだが、学会割引で、一泊82ドルで泊れるという「経済房」を予約しておいた。部屋に案内されると窓無し部屋だ。現役時代、台湾での第3回同学会の時には第2回同学会会長を務めた上、日本内分泌外科学会の理事長でもあったので、夫婦にビスネスクラスの航空券、このホテルでの宿泊もバルコニー、大理石のバスルーム付きの部屋を学会が無料で提供してくれ、天国の旅であった時とは、退職後の今は雲泥の差だ。それにつけても無位無官の私に、学会登録費その他を無料にしてくれた今回会長の李教授のご厚意は謝するに余りありである。彼とはこの学会が創立以前から度々国際学会で出合った友達で、何となく氣が合い、逢うたびに一緒に飯を食った旧い付き合いであった。
 その上、同じ「経済房」を予約していた綾君は、こちらが息詰る部屋で荷物を解いている間に「こんな部屋嫌や」とばかり窓付きのお高い部屋にさっさと移ってしまい、親掛かりとはいえ小娘と退職老人との経済力の違いに顔で笑って心で泣いたことであった。
 学会が終わり次第、骨休めにどこか温泉に行こうと二人で心積もりしていたので、地元のU先生に相談すると烏来(ウーライ)がよいと言う。北投温泉は台平に一番近い温泉だが、過去には女で有名、スケベ日本人の評判の的となった場所であり、今は風紀が良くなったとは言え、そのような女狂い古戦場に一見純情風綾君を連れていくのは憚りがあり、その次に近い烏来温泉に出掛けることにしたのだった。
 生憎、ウイークエンドに当たり、U先生と相談しながらホテルのコンセルジェに宿を当たってみたが、どこも満員の盛況で、ようやく最後に箱根という日本風の名前の宿が取れた。日本中あちこちにあるOO銀座と同様、このような名前の場所は、大抵本家本元には及びもつかぬことが多いのが当たり前、その上部屋代も一泊一部屋日本円で二万円以上と当ホテルの「経済房」の倍以上高い。しかし他に選択の余地なく、やむを得ずそこに決めたが、U先生は「部屋高いから一部屋にすればどうか」と、とんでもないことをことなげに言う。
 彼は
1. 私が年寄りなので、今や人畜無害ナチュラルフードかキンチョール。
2. 私が謹厳そのものの人間、聖人であるがゆえにダイジョーブ。
3. もう二人はすでに出来ていると踏んでヘーキ。
4. 綾君は体力的に強そうだが私は衰弱した老人、私が罷り間違って意馬心猿となっても彼女が一発急所にケリを入れさえすればアンゼン。
5. 二部屋取るのは経済的に無駄であり、なにはともあれ一室で宿泊した方がヤスーイ。
の五枝択一問題のなかより一枝を選んだ発言に違いないと、元教授は昔取った杵柄、国家試験問題模試作成の要領から、彼の発言の解釈を恐れ多くも尊くも後輩に教示してやったのであった。
 台北から雨中をタクシーで飛ばし約1時間半弱、タイヤル族という山地原住民の居住地である山峡の温泉に昼過ぎに到着した。箱根はその名からも想像出来たように、日本人の奥さんを持つ台湾人の経営だった。チエックイン・タイムは妙なことに午後6時からだという。仕方なく暇つぶしを兼ねて食堂で山菜や猪の炒めもの、それにとこぶしやクコ入りの薬膳スープなどを肴にビールで一杯、いや二杯とやっているうちに、特例でと言いながら3時過ぎには特別室と称する部屋に入る事ができた。 
 どうやら旧い建物を改造したらしく、部屋は広く、黒大理石の内風呂付きだが、洗面台や洋服ダンスが見あたらなかったりと、どこか間が抜けている素人大工造りだった。
 早速、露天風呂付きの大浴場に行く。綾君は、女湯を覗かないでくださいねと失礼千万なことをいう。台湾では入浴時に時折要求されるので水泳パンツも持参したがここでは用なしだった。
 大浴場は立派なもので広い浴槽が室内に三つもあり、サウナ、薬草入りのスチィームルーム、それに水風呂と大した設備だ。その上峡谷に面し屋外に張り出したバルコニーにも岩石で囲まれた露天風呂があった。隣の女性用露天風呂とは、日本でしばしば見られる覗き見せよとばかりのチャチな竹塀などではなく、頑丈な厚壁で仕切られており、女性が深層心理で内心期待したかもしれぬpeeping Tom活躍の余地なしの構造だった。
 どの浴槽も底の中央部から無色透明の弱アルカリ性らしい湯が景気よく水面に盛り上がって文字通り湧出し、どんどんと浴槽より溢れ出だしている。日本では循環装置や、湯を薄めて使う温泉が多いなか、段違いの湯量の多さだ。他の浴客もおらず一人でゆっくりと露天風呂に浸かって学会での疲れを癒す。浴後のビールの咽喉越しは至福の味だ。台湾ビールは結構美味い。
 一寸散歩に出る。なんとかの湯など日本語表示そのものの旅館もあった。夕食には川蝦、山のトリ(野生の鶏の意?)、当地にしか生えぬ金針という花の蕾の炒め物などでまたもやビール、ビール、それでは足りずの紹興酒を二人で一本空けてしまった。台北での家鴨の舌の甘酢漬け、士林夜市での山羊鍋などと共に、私にとって初物をいろいろ食うことが出来たのは今回の旅の大収穫で、綾君の「なんでも見てやろう。なんでも食ってやろう」精神に負うところが多い。ただ綾君に北京ダッグを奢ってやる約束をしたのだが、学会の宴会やら夜市散策などで、機会を逸してしまい、約束違反とばかり最後まで恨まれた。
 翌日は幸い雨も上がり、タクシーで烏来瀑布、日本名白糸の滝までタクシーで登る。高さ82メートル、台湾では最長規模の滝である。雨季にはもっと迫力があるそうだ。しかし、そうなれば最早白糸の滝と言う楚々たる上品なイメージから外れるに違いない。
 この滝の向いにある階段劇場で昔はタイヤル族の女性による伝統芸能、歌と踊りのショーが行なわれていたが、観客が減少し現在中止だ。世界中で滅び行く少数民族の伝統芸能ショーを見掛けるが、衣装を派手にすればするほどなんとなくうらびれた感じが付き纏い、物悲しくなって私の見たくないものの一つであるので痛痒は感じない。
 ここからロープウエイで雲仙楽園と称する滝上の場所に達すると、上流の20メートル、60メートルの二つの小滝を眺め下ろすことが出来た。ロープウエイのなかで知り合った台湾人は懐かしそうに我々に日本語で話しかけ、とても友好的だった。聞けば私と一つ違いの昭和5年生まれで、公学校で日本語教育を受けたそうだ。公学校とは家庭では主として広東語を喋る現地人の子供を教育するための小学校で、決して人種差別を意図して創立されたものではなかったことを申し添えておく。お互いに戦争中の苦労話などをして握手を交わして別れる。気持ちの良い出合いだった。
 この当たりの急峻な山々はびっしりと詰った密林で覆われ、タイヤル族でなければとても踏破出来る地形ではない。再びロープウエイで下山し、ついで烏来温泉まではトロッコ乗車を試みた。昔木材運搬用に使っていたトロッコを観光用に改造したものである。トロッコ用狭軌鉄道の保全は万全とは言えず、急カーブでも速度をおとすことなく、相当の速度でつっぱしるのでこれはヤバイと身に危険を感じたほどだった。綾君がキャーと言ってしがみ付くかと期待したが、泰然自若としている。女は度胸、男はなんとかの世の中になったことを実感した。
 午後3時50分発のCX567便に乗るため、予約時間の11時半に既に到着しているタクシーに乗り、台北郊外経由で中正国際機場に向う。当地の黄色に塗られたタクシーはすべてメーター制であり値段も廉く、しかも運転手さんの態度も至極紳士的で、札を出そうとすると既に釣銭を用意しているという律儀さである。値段が交渉制で、外人と見れば吹っかけ、しかも釣銭さえ渡そうともせぬ東南アジアの他の国々の運転手に爪の垢でも煎じて飲ませたいものだ。
 私は円山飯店内洋服店のバーゲンで背広上下とワイシャツ4枚を仕立上がりで総計五萬円で手に入れ、廉い買い物だったと喜んだり、大散財をしてしまったと後悔したりしているにも拘わらず、綾君は搭乗券を受け取るや否や私に荷物を預け、Tax refund のカウンターに嬉々として走り去った。何時の間にやら金に糸目をつけず沢山高価な買い物をしたらしい。
 没有!
 空港内のレストランで、あまり美味くもない飲茶を最後の台湾ビールで流し込む。機中での食事は鳥インフルエンザと狂牛病を恐れてか、ポークとフィシュの選択だった。かくして美女と老獣の旅は恙無く終わったのである。めでたしめでたし。

注 没有は、仕方がないの中国語です。