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「蜀犬陽に吠く」稀に陽が照ると犬が驚いてキャンと鳴くという曇り勝ちながら詩情溢れる水墨画の世界、成都から一時間半あまりで情緒もへったくれもない乾燥したはだか山に囲まれた非情の世界、クンガ空港に着きました。この空港はラサとツエタンの中間に位置し、ヤルツアンボ川の河川敷を利用してかろうじて作られた狭いものですですが、陸路が制限されているチベットでは、交通の最重要拠点であり自治州唯一の空港なのです。
迎えの車に乗り、途中二、三の煉瓦と土で作られた平屋根の家、周囲に色褪せたタルチョが翻っている小部落を通過して、約2時間で典型的な宿場スタイル、メインストリートを挟んだ細長いふんどし町のツエタンに到着です。往時、チベット王国吐番の重要都市であったとは到底思えぬ小規模な街で、製作年月推定不能のオンボロ自動車に混じり、前輪に大きなギザギザのあるタイヤを一本付けた耕運機が数多く走っています。地方から出てくる人達の自動車代わりの乗り物らしく、スピードは遅くとも、道路が泥濘と化したり、決壊することの多いチベットでは便利な乗り物なのでしょう。
翌日ユムプラガン、タントク寺を訪れました。ユムプラカンはチベットの最も早期に建築された宮殿の遺跡で、小高い山の上に建てられています。このあたりの標高は3700メートル、富士山頂の高さとほぼ同じです。旅に出る前、高山病に罹ることをとても心配していたのですが、かなり急峻な宮殿への坂道を登っても頭痛、嘔気は勿論動悸さえも打ちません。一番老齢の僕と22歳の女性が最も元気で、若い自衛隊O.B.は大汗をかいて呼吸が苦しそうでした。
途中から小さな子供が現れて、手を引こうとか、いろいろまつわりついて世話を焼こうとします。金目当ての親切であることは明らかで、将来のこともあり、可哀想ですがプーヨーと言って相手ににしませんでした。崩れかけた宮殿の屋上からは,蛇行する川の両岸は肥沃の土地らしく、チベットの風景とは思えぬ緑の色鮮やかな麦畑が細長く伸びているのが見られます。
ホテルに帰着して暫くすると、不調を訴え自室こもっていたツアー仲間、Aさんが意識不明となっているとのツアコンの急報で直ちに駆けつけました。
唇はややチアーノゼ気味、脈拍は90で完全な意識焼失で、呼んでも反応がありません。昨日から食欲不振の傾向だったそうですが高山病の前駆症状とは知らず本人もツアコンも旅の疲れぐらいに思っていたようです。手早く脳神経学的検査を行い、脳出血などではなく、高山病による意識消失と診断、早速ホテルに備え付けのゴム袋に詰められて酸素を吸わせました。やや意識は戻ったようですが、自律的な動きは全く見られません。
何しろ甲状腺疾患専門という狭い分野でのみ医師としての一生の大半を過ごした僕はもう只ただ恐ろしくなり、早速市内の人民医院に付き添って受診させましたが、これがまた甚だ頼りにならないのです。ロクに診察もせず、高山病との診断のもとに与えられた薬は、日本では疲労回復、精力増進などの名目で、二日酔い気味のサラリーマンなどが朝、プラットフォームでチューチューとストローを用いて吸っている茶色のアンプル詰健康薬と同じタイプ、漢字の説明書によると高山病有効能,
霊山採取高貴薬、製造人民解放軍とあるのですが、このような薬が急を要する高山病に有効な訳がありません。しかも診察代として日本金に換算して一万円も請求するのです。これはもう外人値段の暴利でとしか言いようがありません。いくらなんでも僕も医者のはしくれですから、酸素を補給することと、出きるだけ速やかに低地に連れていくしかないことぐらいは判っています。そこで、真っ先に空港に寄って本日発の便があれば何処行きであれ、無理にでも頼んで下界に降ろすか、駄目なら明日の成都行きの予約し、今日はこのままラサまで搬送、付属診療所があり、酸素吸入装置の附いた部屋もあるHoliday
Innとの共同経営のラサ飯店に宿泊させるか、まともな病院に入院させる方針をたてました。ここのホテルの酸素用ゴム袋は持ち出し禁止ですので、同行の人達から持っているビニール袋すべてを徴集し,酸素を精一杯詰めて運転手に「高山病罹患。要緊急。特急走ラサ。急げ幌馬車go!」。運転手も緊急事態を理解し、警笛を鳴らしながら、悪路をすっとばしてくれました。Aさんの意識状態は相変わらずで反覚半睡というところで、間欠的に酸素を吸わせます。なにしろいくらへぼでも藪でも医師と名乗る者が付き添っている限り、最悪の事態が起ることだけは避けねばなりません。途中ツエタンとラサの中間に位置するクンガ空港に立ち寄りましたが、最終便も出たあとでターミナルには人影もありませんでした。
また車を飛ばして、ツエタン出発より5時間余、ようやく日の暮れぬうちにラサ市内に到着、ラサ飯店玄関前に車を横付し、急いで酸素吸入袋をボーイに持ってこさせて十分に吸入させます。騒ぎを聞きつけて白人女性の黒服、マネージャーらしい女性が現れましたが、当ホテルでは手に負えぬ、人民解放軍の病院にいってくれとのつれない返事です。人民解放軍病院に電話で連絡しておいてくれと頼んでも,軍病院の電話は軍隊専用線で民間とは繋がらぬとのことでした。なにが人民解放軍だ。おきゃがれと腹の中で毒突きながら車を再び走らせます。
西蔵軍区総病院と高山病研究所と二つの看板が掛かっている営門で形のごとく面倒な申告、手続きを行いようやく救急治療部に運び込みました。軍帽を阿弥陀にかぶり、軍服に白衣を着た漢民族の一寸こましな看護婦が現れました。緊急の場合でも、美人をちゃんと細かく観察する余裕があると言うことは僕が立派な医師であることの証明です。彼女は呼吸、脈拍、血圧の測定を行い、鼻腔にビニール・チューブを突っ込んで酸素吸入を行います。どうやら吸入用マスクなどいう洒落たもの?はないらしいのです。入院が必要で、検査室で採血、レントゲン室で胸部撮影を行ってから、病室を連れて行けとのお達しです。誰も手を貸してくれそうにもないので、我々で運べと言うことだろうと察したのですが、ストレチャーも見当たらず、その当たりに置いてあった担架を勝手に使って運んだものです。酸素吸入装置は無情にも外来で取り外されてしまいました。同じ施設内でも自分達の部署に属する物は、一切他の部署に貸出さないのが、他人を信用しない中国人のやりかたであることは経験済みなので、苦情も言えません。
Aさんは体重が80キロほどあり、担架を担いだツアコンやツアー仲間も軽い高山病に罹っているので長い廊下の途中で音をあげてしまい、持ったる担架をバッタと落とす寸前状態でフーフーハッハと大呼吸をしながら運びます。ロクな設備のないガラーンとした検査室での採血は静脈みで、このような場合に必要な動脈血酸素分圧測定装置がないことを悟りました。壁には「軍人優先」との壁紙が貼ってあります。看板に偽りありで、何が人民解放軍だ!何が高山病研究所だ!人民あっての軍隊、設備あっての研究所じゃあねえのかまた腹の中で毒突きます。
レントゲン室には臥位で撮れる撮影装置がないらしく、ぐんにゃりと蛸か海鼠状態のAさんを双方から肩を組んで支えてやり、やうやくの思いで写真を撮り、無事病室に連れ込んだときには一同疲労困憊その極に達し臨時衛生兵となった仲間達は皆肩で息をしていました。昨夜から水分を摂取していないAさんは高山病に悪影響のある脱水状態に陥っていることは間違いなく、現地ガイドを通じてその旨をのんびりとやってきた若い軍医に通訳してもらったのですが、肺水腫を恐れてか、点滴は禁忌であると言って聴く耳を持ちません。先刻撮影した胸部レントゲン写真は、とても判読に耐えるシロモノではなく、慣れない僕にとっては胸郭の中に心臓があることが判る程度で、心眼を開かねば読めません。このような場合、僕が同業であることを知らせ、差し出口をするのは相手のプラウドを傷つけ、発展途上国では危険な賭けであることが多いのですが、万止むを得ず僕が医師であることを告げ、今までの経過と水の出納がかなりマイナスであることを英語で書いて彼に渡しました。この軍医は英語が読めたのか、読めないのか、不得要領な顔つきで頷くのみです。仕方なく肺水腫?と紙に書いてみせると、脳水腫と書いて寄越しました。まあ僕らの理解している脳水腫とは意味が違うのですが、意識がないのですからそんなに間違った診断ではありますまい。やがて、上級の軍医が現れ鼻腔からの酸素吸入(やっぱりマスクがないのか、麻酔科が例によって貸し出してくれないのか)と、生理的食塩水の点滴を開始、何処からか、一昔前の品物と人目で判るどでかい心電図を持ちこんでくれたときには、役に立とうと立つまいと文明的利器が備わっており、それを動かす医者がいることが判っただけでも僕にとって救いでした。 酸素吸入と点滴が効いたのか、Aさん自身に高度順応が出来始めたのか、Aさんの意識がしだいに回復に向かってきました。日本なら当然挿入される尿道カテーテルも入れて貰えず、下腹部パンパン、また、両方から支えてトイレで排尿させました。そのケのない僕にとっては他人のものをトイレで捧げ持つのは初体験であまり嬉しくない仕事です。一応やるべき処置は終わり、状態が落ち着いたのを見届けて,ホテルに辿り着いたのは夜中の1時を過ぎ、飯を食う気も好きな酒を飲む気も起こらずそのままベッドに倒れこんでしまいました。
翌日Aさんは意識が戻り、ツアコンがAさんにできるだけ速やかに下界に降ろすように航空券を手配し、家族に電話連絡して成都なり、上海まで迎いに着てもらうよう準備したと聴いてようやく肩の荷を降ろし、僕は皆と一緒にラサ見物にに出かけました。最終的にはAさんは次第に高度に順応し、軍医の指示により我々と一緒に成都に下りることになったことは不幸中の幸いでした。
その晩他のツアー客が高山病を恐れて控えているビールをしっかりと飲んでも僕は頭痛も息切れもせず益々快調、あの医者はなにかドーピングでもやっているのではないかとあらぬ噂をたてられたそうです。「てやんでぃ!年寄りでも若えときにゃー山で鍛えたこの躯」と年寄りの冷水的行為を平気でやりながらも、内心はなはだ得意でした。しかし、高山病は体調によるもので、いくら今回が平気でも次の機会には曰く言い難しなのだそうです。こんなことで鼻高々となる僕は、「ほんまにあほちゃうやろか」。
下界に下りたAさんはすっかり元気になられたものの、チベットでの記憶は完全に喪失しており、僕が彼のものをうやうやしく「捧げ筒」したなどとは全く夢にも思われていないようです。僕も医師ですから当然なすべきことをしただけのことなのですから期待はしていませんでしたが、なんの挨拶もありません。 上海では迎えに来られた奥様と名物上海雑技団の演技を、いそいそと見物に出掛けられるほどに回復されました。反対に僕の方は下界に下りるとなんとなく疲れが出て外出する気も起らず、昔、毛主席が江青の目を盗んで若い服務員とイチャイチャしたという勿体無くも尊い歴史を持つ絢爛豪華な西郊飯店に泊まりながら、一人では身の置き所がないどころか身の置き所が有り余る大きなダブルベッドの中で、紅楼夢もみることなくひたすらに清く、正しく、美しく、只ただ熟睡したことでした。「おまえ、ほんまはあかんたれとちゃうやろか」。
強がっている時には東京弁、落ち目の時の表現には関西弁が適当です。
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