|
女房の実家の墓所は但馬の養父郡八鹿町にある。昼尚暗く鬱蒼と檜の大木の茂った山の麓にあり、まさに奥城と呼ぶに相応しい場所に先祖代々の墓が並んでいる。但し、そこに達する道は泥濘で滑りやすく、道路沿いには猪だか熊だかを捕らえる大型鼠取り式の檻が設置されており、女房は老人が転んで大腿骨頭骨折などを起すと再起不能となることもあり、熊と睨っこしつつ後ずざりするのもあまり楽しいこととは思えず御免蒙りたいし、もう失礼ながら墓参を遠慮させて頂いた方が悧巧ではないかと言うので、ここ数年間御無沙汰している。
ところが、つれづれなるままに、某電鉄系旅行会社発送のパンフレットをひもどくに、「奥丹波 隠れた紅葉の名所スペシャル」と称するバスツアーがあつた。但し「隠れた」は小文字で書いてあり養父神社の紅葉は、地元は別として、殆ど観光名所としては知られていなかった場所らしい。
案内パンフレットによると、先ず丹波笹山で黒豆パン、黒豆大福、焼き栗、地酒試飲と無料で食べ歩きとちょっと一杯、天の橋立での昼食は松茸ご飯、甘海老食べ放題、刺身、松茸土瓶蒸し、鮑踊り焼き、ステーキ、蕎麦その他の豪華版、しかも土産として田島牛サイコロステーキ100g、新巻鮭丸ごと一本、ずわい蟹姿一杯、林檎一個、煎黒豆一袋、それに1000円分旅行券を付けて進呈し、その旅行代金は僅か8990円である。このツア−はまだ始まったばかりで、今まで無名だった養父神社の紅葉刈りだけでは、果してお客を集められるかどうか旅行社が自信を持てず、食い物や土産物で釣ろうとしたらしい。蟹は解禁後のことであり、昨年に獲れた残り物の処分品に違いないが、当地とは関係のない北海道の新巻鮭や林檎まで土産としてくれるのは不思議な話ではあったが、バスの集合場所は我々が住んでいる六甲アイランドから六甲ライナー一本で到着するJR住吉駅となっているので、なにはともあれ墓参代わりにもなるかもと勝手な理屈をつけて参加することにした。
バスに乗車し参加者の顔ぶれを見ると、週日のこの種のツアーの常識通り、退職したらしい老人が大部分で、その中でも我々夫婦は最年長らしく見えた。
丹波の笹山とは、かっては田舎町の代名詞だったが、某大學病院の分院もある小奇麗な街で、1時間程で到着した。大きな猪の頭の立体像を頭上に掲げた御当地名産ぼたん鍋の店もあった。しかし、この街も人口四万人あまり、少子高齢化の影響で農業も衰退の道を辿り、現在農業と観光を組み合わせたグリーンツーリズムと名付け、活性化を図っているという。篠山盆地は霧が深いことで有名である。都会からの距離も適当で、裕次郎の「夜霧よ、夜霧よ、有難う」という歌通り、男女のひめやかな恋のデート場所として売り出したほうが早道かも知れぬ。濃霧に包まれて歩けば知人に逢ってもバレもせず、ロマンチックではないか。ただその後の現実的欲求の後始末のためにカラフルなホテルが乱立しては市としては困るだろうが。
その昔学生の間で酒を飲むとよく歌われた「デカンショ節」の発生地だと言う。しかし、この世知辛い当世では
デカンショ、デカンショで半年暮すアヨイヨイ
あとの半年寝て暮すヨーイヨーイデッカンショ
の暢気加減では街の再生もままなるまい。食べ歩きにぞろぞろついていくことは敬遠、由緒ある旧町役場を転用した物産店に入ってみる。確かに大正ロマンの匂いプンプン感の由緒正しきペンキ塗り木造建で、喫茶店も付属している。メニューには丹波名物黒豆使用のコーヒーというものがあった。買い物には目の無い女房が早速黒豆赤飯の袋入を買い求めている。トイレを借用したが、ウオッシュウレット付きの清潔な事に吃驚した。何しろ、海外を旅行して日本のトイレの清潔さは、富士山とともに「金殴無欠揺るぎ無きわが日本の誇りなれ」#と思ってはいたが,その中でもピンに属する。
篠山から高速を飛ばし12時ピッタリに天の橋立のある宮津着、駐車場より智恩寺文殊堂の境内を抜け、見事な山門を潜って門前町茶屋町通りのレストランまでそぞろ歩きする。このお寺は名刹古刹の趣があり、なんらかの説明が聴きたかったのだが、ガイドなしの添乗員のみのツアーでは無理な注文だ。境内の露店で松茸を売っていた。普通松茸を売る店では傘の開いたのから閉じたのまで、傘の開き具合の異なる松茸を一山いくらで売っているものだが、ここではすべて傘の閉じたほぼ同じ大きさの若い松茸のみのを売っている。いくら松茸豊作の年とはいえ不思議なことだった。
なにしろ、このツアーには同じ旅行社から予想外に参加者が多く今日だけでバスが六台も出ているとのことで、会社が心配するまでもなく、この企画は成功したようだ。
レストランでは我々のバスグループが第一陣だった。レストランとしては、次々と到着するバスの乗客を捌かねば商売にはならず、甘海老食べ放題30分と書かれていた理由もこのあたりから察しられた。つまり短時間での食事客の入れ替えが必要なのである。甘海老は鮨屋でも握って出すところがあるが、なんとなく味が薄い上歯応えがなく、僕は注文したことがない。甘海老は当地でも水揚げされるそうだが、供された大皿の底に水が溜まっていたるのを見ると、冷凍物に違いない。いくら食べ放題と言っても甘海老は沢山食べられるものではない。鮑の踊り焼きは既に我々が着席する以前に食卓の銘々用の小さな七輪の上でアルミ箔にのせられて焼かれていたが、これも冷凍物を誤魔化す手段で、硬さから考えてもとても踊り出す恐れはゆめゆめない鮑である。お客様から文句が出ないようにと、パンフレットに約70gと明記されていたが、天然物でほぼ同じ大きさの鮑をこれだけ大量に揃えることは不可能に近い。バス一台の乗客を少なくとも40名としても六台では240個を用意せねばならぬ。このツアーは11月中に最大20回ほど催行されるので、そのためには莫大な数の70g前後の鮑が必要となる。どうやら北海道で養殖されている北海鮑ではないかと勘ぐった。お土産が新巻鮭や北海道産林檎とくれば、なにやら当地と北海道とは深い共存関係ありと見たのは僻目か。最もこのツアーでのお値段では松茸とともに余計な詮索はしない方がお互いの幸せというものだ。
どうやら口に出してせかせられなくとも、なんとなく雰囲気で判るのか、ツアー客は盛り沢山の食事を片端からこなすのに夢中であった。悠然とビールを注文したのは我輩一人のみだった。
天の橋立はまだ見た事が無く楽しみにしていたのだが素通りだったには、がっかり。もっとも、おっちょこちょいの僕が股覗きなぞを試みると腰が曲がらず無理をすると脊柱骨々折の恐れもあり、素通りでよかったのかも知れぬ。
食後丹波に別れを告げて、今回お目当てである但馬の養父神社に向う。途中の風景は山陰側も山陽側も樹木相には大差無く、高速道路を使ったとはいえ半日もかからず日本を横断できるので、やはり日本は狭い国だと実感する。ただ家の瓦が今は差別語となったが、総じて裏日本の方が重々しく立派なのが多いのは積雪に備えてのことだろう。囲炉裏が置かれているのか、煙出しの小屋根を載せた家も見受けられた。
やがて養父郡に到着し、円山川沿いの車の擦れ違いさえ難しい狭い道を通る。紅葉祭りと記されたまだ真新しい紅葉色の旗が道路沿いにはためいていた。
山麓の養父神社の駐車場も3台限りの大きさである。これでは食事同様、時間を順繰りに調節しないとうまくことが運ばぬ訳で、バスの運転手と添乗員がバス同士お互いに電話連絡を取り合って時差行動をとっていた理由はこのためだろう。
倉稲魂命他四柱の神を祭る典型的多神教の養父神社小高い山の麓にあった。急な階段を上って山門に至るのが正式だが、山の麓のせせらぎに沿った緩やかな道を通って事務所前を経由し、偽宝珠を付けた欄干のある赤い橋を渡って行くラクチン道もある。この橋は周囲の紅葉を引き立たせること数倍の効果万点の美橋である。神社付近は決して広い範囲ではないが、ぎっしりと生えている楓が各々の木によって原色そのもので深紅色、真紅、黄色あるいはまだ緑のままと多種多様な変化を示しており、異性を含めて美的感覚感受性の衰えた老人にもため息がでる程であり、日本の秋とはこれじゃこれじゃと満喫出来る風景だった。写真好きが数名あちことに三脚を立てて撮影に精をだしていたが、カラー写真には絶好の被写体だろう。
境内には多くの出店が、豊かに肥った大根、関西には珍しい太い白葱などの野菜や、甘酒などを売っており、誹毛氈の敷かれた縁台で一服できるようになっている。甘酒も生姜を沢山いれて飲むと美味いものだと言うことを発見した。白衣に水色袴を穿いた神主さんだか禰宜さんだかも、今やチャンスとばかり奉納金集めに大童である。お祭りでもないのに、小さいながら、黒漆塗りの神輿まで埃を払って出御されており、神社経営も大変だと言うことを如実に知らされた。我々けちな夫婦も女房の出生##の氏神とあってお賽銭とは別にお互いに千円づつ奉納した。
さて帰途につき、バスの中では、女房は居眠りしており、僕も半覚半睡の状態ではあったが、なにやら窓外の風景に見覚えがあり、八鹿町に入った様子で、バスがT字路にさしかかった時、まだ我々が車を転がしていた頃に見覚えのある下小田との道路標識が目に入った。これは女房の墓所の字名である。急いで女房を叩き起こし墓所のある右手の山の方を眺めると、実家の墓所そのものは深い木立に遮られて見えはしなかったが、ほぼその場所の見当がつき、その方向に手を合わせ遥拝した。女房は両親から、はっきり僕に言わないので判らぬが、かなりの遺産をせしめたようで、バスの中からの遥拝だけで墓参を済ますことは、我々が老齢に達したとはいえ失礼極まる簡便主義には違いないが、まあこれでお許し頂いたことにしようと自己弁護しつつ合掌したのだった。
帰路も幸い渋滞に巻き込まれる事なく、予定よりも早く6時過ぎにはJR住吉駅に到着した。降車後、添乗員がバス下部の荷物置場に入れられていたお土産を配ってくれる。一人につき蟹は発泡スチロール、鮭は新巻と大書した大きな紙箱にいれてある。それにまだサイコロステーキなどもろもろのお土産があるので、大荷物となった。タクシーを拾って帰宅する。蟹は小型ながら身も「スカスカ」でもなく、足も欠けておらず五体満足、新巻は脂の抜けた旧巻だったが、粕汁として充分食べるに価した。まあ土産物の出生さえ気にしなければ、墓所の遥拝も出来、結構廉いツアーで一日を潰すことが出来た。
#戦時中まで流行した、戦意昂揚歌の一つ
##でしょうと読む。出生地矢、家柄の意味する。
|
|