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四月八日好天気に恵まれて吉野山に桜を見に行った。この山では下、中、上そして奥千本がほぼ2日間隔で開花、満開を迎えるととのことだ。黒門付近から眺めると下千本と中千本が一望のもとに見渡せたが、ともに満開であった。しかし霞が掛かっていたせいもあり、神戸付近では芦屋川や夙川土手の染井吉野の華麗さ、あるいは三朝の別宅の行き帰りにしばしば眺めた新緑の山中に孤高を保って咲く一本の山桜の濃艶さを見馴れた目には、全山を覆って咲いている当地の桜は色の薄い白山桜は、満開の時期にも拘らず「これはこれはとばかり花の吉野山」との感慨を覚えるほどの絶景とは格別に思えずなんとなく雑木林の中で必死になって目立とうとしている感じであった。聴けば地味が弱り,有害な苔や害虫が繁殖しているそうだ。
桜は日本の国花とされているが、ぱっと咲いて、ぱっと散るその潔さが日本、特に武士道精神にあい通じるものがあり「花は桜木人は武士」と言われる由縁であるからであろう。 しかし、その潔さが現代科学軽視、即ち最新武器軽視の精神主義につながるとやけっぱち精神となる。
昔の軍歌「歩兵の本領」には
万朶の桜か襟の色
花は吉野に嵐吹く
大和男(おのこ)と生まれなば
散兵線の華と散れ
もう若い世代には説明が必要だが、襟の色とは旧帝國陸軍では、兵種により、歩兵は赤、工兵は黄、騎兵は緑などと襟章の色が決められており、万朶とは多くの枝の意味で、桜の色を歩兵の襟章に例えたものである。もうここまでの説明をすることですら老人には息が切れるが、日本男子と生まれたからには散兵線、即ち軍隊を密集させず、互いにある間隔を保って散開し、各自が自由に行動や射撃を行う戦闘隊形を取って闘い、潔く死ぬのが歩兵の本領であると言うことだ。桜色を赤と見なすのも相当に無理があるが、戦争とは所詮殺し合で、多くの兵隊が死ねば負け戦、花の如く潔く散って死ねと薦めるのは矛盾である。この歌の二番は
尺余の筒は武器ならで
寸余の剣何かせん
知らずやここにニ千年
鍛えに鍛ええし大和魂(やまとだま)
即ち歩兵は三八式歩兵銃、これはなんと明治三十八年に制定された旧式極まりない歩兵銃で、その銃を改善することもなく昭和の御世まで使用し、それに牛蒡剣と称する短剣を歩兵各自の標準装備としており、戦闘の最後には筒先に剣を装着して突撃、白兵戦を行って敵を殺戮して勝敗を決する戦闘形式が歩兵の本領であるにも拘らず、その基本武器さえもさして威力のあるものではない、長年鍛えに鍛えた大和魂で勝つのだというのだから、もう矛盾撞着も甚だしいものではないか。
しかし,戦争中の歌は、嘘っぱちの大本営発表と異なり、よく戦況を反映していた。例えば支那事変当時流行った「父よ貴方は強かった」と言う歌では
父よ貴方は強かった
兜も焦がす炎熱も
敵の屍と共に寝て
泥水啜り草を噛み
荒れた山河を幾千里
良くこそ撃って下さった
死体処理も出来ていない戦場で、食べ物の補給さえもなく戦った兵隊さんを誉め称えた歌である。兵站を軽視し、現地で食料を調達、煙が出るため敵に我が陣の居場所を知らせる絶好の目標となる飯盒で最後まで時間をかけて飯を炊いていたのが日本陸軍であった。アメリカ軍のレーションと称する箱入りの合理化した戦闘食と較べればその優劣は明らかである。戦場で日本軍の占領地帯にか通用しない軍票を払って食料を徴発すれば、原住民との間で揉め事が起こるのは当然だ。泥水を啜れば伝染病に罹る率が高く、栄養価のない草を噛んで闘ったのでは「腹が減っては戦ができぬ」であろう。このような劣悪な条件下で食う物も食わず闘うことが偉いという精神至上主義が日本を勝てぬ戦争にまき込んだのだ。
銀翼連ねて南の前線
揺るがぬ守りの海鷲たちが
肉弾砕く敵の主力
栄えある我等
ラバウル航空隊
この歌はまだ充分に訓練を積んだ予科練習生出身の戦闘機乗りが当時世界最強と言われたゼロ式戦闘機を駆ってラバウル基地より南方戦線を縦横に飛び回り、敵の戦闘機をどんどんと落とすことの出来た当時の意気軒昂たる時代に歌われた「ラバウル航空隊」である。しかし、ベテランの戦闘機乗りも次第に戦死し未熟訓練不足な隊員で補充せざるを得ず、米軍の戦闘機の性能が向上したことと相俟って、ラバウルの制空権は敵に奪われ、ついに転進に追い込まれる。新しく操縦士を補充するにも、当時牛馬を使用していた農民を主とする日本兵と自動車運転が常識のアメリカ兵とでは訓練時間の差も大きかったに違いない。その頃流行った「ラバウル小唄」は
さらばラバウルよまた来るまでは
しばし別れの涙がにじむ
恋し懐かしあの島みれば
椰子の葉陰に南の十字星
と哀調を帯びた歌が歌われるようになり、国民は我が軍に戦況が不利になったことを悟ったのであった。転進とは旧軍隊特有の言葉で、負けて退くことの言い替えである。不思議なことに日本の軍歌はアメリカが反戦歌ではないかと疑ったような哀調を帯びた歌が昔から多かったのはジャズと浪曲の違いもあろうが、敗戦を予想してのことだったかも知れぬ。勇壮な歌として今だに健在なのはパチンコ屋で聴く「軍艦マーチ」のみである。
帝國海軍は桜と錨がシンボルであった。
貴様と俺とは同期の桜
同じ三重空の空に咲く
咲いた花なら散るのは覚悟
見事散ります国のため
この「同期の桜」は戦前からあった歌詞を戦時中にアレンジしたものらしいが、戦争末期に特別攻撃隊が出撃する頃によく歌われた。二十歳を過ぎたばかりの若者が「天皇陛下の御為に」という名目の下、祖国を、そして家族を護る為に成功即ち死と言う厳しい現実を目前にして桜の一枝を胸に飾ることを唯一の男の美学として「二度と帰らぬ死出の旅」に出撃していった彼等の心情は察するに余りある。
私は皇室の存在は日本の歴史的財産として、また国民の鼎としてその存在を否定する気持ちは毛頭ないが、それだけに昭和天皇が当時どこまで戦況を把握されていたかはいざ知らず、帝國陸海軍を統率する大元帥陛下であられ、また終戦の詔勅の中で「帝國臣民ニシテ 戰陣ニ死シ 職域ニ殉シ 非命ニ斃レタル者 及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内為ニ裂ク」と仰せられている以上、戦後退位なりなんらかの方法で責任を取られるべきであったと思っている。
マックアーサー元帥をGHQに訪問された時の、略服軍装で腰に手をおき、胸をはって轟然と構えている元帥と並んでモーニング着用、悄然呆然とした猫背天皇の御姿は見るに耐えず、もし、この写真を天皇陛下万歳と叫んで散っていった兵士、戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」との言葉に縛られて自害した兵士が見たならばどのように感じたことか。彼等の天皇は白馬「白雪」鞍上に軍服姿凛々しく,全軍をみそなわされた「現人神*」のお姿を胸に描いて死地に向った筈である。三島由紀夫の「などてすめろぎ**は人となりたまいひし」の言葉が痛切に胸に響く。その点、今上天皇,皇后が熱心に公務に精励され、特にサイパン島や沖縄などの激戦地、あるいは廣島の被爆地を訪問せられるのは真に有難いことであるが、一つには先帝陛下の国民に対する贖罪を購う意味を含めての御行為であろうと拝察している。
青空の下、吉野の山に咲く万朶の桜は、いまやその勢いは衰えたとはいえ、その花の一つ一つが戦場で倒れられた方々の魂とも思われた。彼等はもう一度故国の爛漫と咲き誇る桜を見て死にたかったに違いない。今こうして繁栄の日本で我々が安楽に暮らせるのも、非命に倒れ護国の鬼となられた兵士のお陰と思いをいたすとき、彼等の鎮魂を心から祈る気持ちとなり、なにか花見に興じることすら申し訳ない気持ちとなって下山したことだった。
*あらひとがみと読む。天皇のこと。
**すめらぎ 天皇のこと。
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