恥の文化
日本文化は『恥の文化』と指摘したのは
ルース・ベネディクト著 『菊と刀』でした。
西洋文化は、
神との契約に基づく「罪の意識」によって
人間の行動を制約しているのに対し、
日本文化は、
「恥の意識」が人間の行動を制御している
と解釈されています。

ですが、
最近の日本人にも 当てはまるのか?
疑問になってきました。
『 恥を意識する 』 ということは
他人の目に映った 『自分を意識する 』
ことだと思うのです。
閉鎖的な組織の中で 他の人から
自分は どのように評価されているのか?
『他人の目』 に映った 『自分』 は
どのように 見られているのか?
『自分』 に対する 『 他人の視線 』 を気にしながら
日本人は生きているといわれます。
ですが、最近は
他人から どのように見られても、
どんな風に 受け取られても、全くに気にしない。
身勝手というより 無頓着な行動が
多く見られるようになりました。

『 恥をかく 』 の反意語として
『 名を上げる 』 という言葉があります。
この場合の 『名』 は、いわゆる姓名でなく
他人から見られている 『自分』を意味する
と思います。
ですが、『恥』をかいてでも 『有名』 になる
みたいな社会風潮を感じます。
『自分』 の 行為が 他人の目に映り
『自分』 は 他人から意識されることで
『自分』 の『名』が評価されるはずですが、
恥をかいてでも 『有名』 になれれば構わない
みたいな嫌な雰囲気が 蔓延してるように思います。

一昔前の テレビお笑いバラエティーでは、
有名タレントが 無名芸人をバカにしたり
おちょくったりして テレビ視聴者に
『嘲笑』 を煽ってました。
テレビ映像だけの破廉恥な行為だったはずが
現実社会でも 通常のように起きている気がします。
どんなに テレビ局が、
『 良い子は絶対に マネをしないでね!』
とテロップ注釈されましても、
有名になるためなら、
周りから どのように見られても
バカにされても、 恥をかいてでも
それでも
『 ナンでもする 』
テレビ画面を、全国の視聴者は
見せつけられました。

そんなテレビ画面は 見ていて 嫌でした。
下品 愚劣 他人の迷惑も気にせず、
どんな方法手段を使ってでも
とにかく目立って有名になれば 構わない。
そんなテレビを見た時は 本当に不快でした。
「とにかく 有名になって 大金持ちになる」
という処世術を テレビから見せつけられ
テレビを見なくなりました。
『 恥をかく 』 ことさえ 『 自分の名を上げる 』
手段に利用している。
人間のイヤラシイ " したたかさ" が見えてしまって
気分が良くなかったです。
本来なら 『 恥をかく 』 とは 『 名を下げる 』 ことです。
破廉恥 下劣な振る舞いを テレビから
全国の視聴者に放送するのは
芸を演じる側 = タレント に
よほどの才覚と度量がなければ
やってはいけないと思います。
だから、タレントと言うのですが・・・

ですが、「 目立ちたい 」 と言うだけで
破廉恥 下品 愚劣な振る舞いをやって
結果として 『 有名 』 になっていきます。
あまりにも 愚劣過ぎて 問題になっても
『 お笑いタレントが やったことだから』 という言い訳で
社会的に許してもらえる。
そんな 計算された 「甘え」まで
厚かましく利用している気がしました。
「お笑いタレントだから」 と許されるなら
テレビ画面で バカになることが 『職業』
と言われるのなら、それで構わないです。

その代わり、
『 有名 』 になった 『 芸名 』で
テレビに出演され 視聴者に向って
「人生の なんたるか?」
さも分かったような顔で 説教されるのは
勘弁してもらいたい。
下品な手段で有名になった 『 芸名 』 は
全く 別次元で テレビ視聴者は
シッカリ 覚えています。
ですから、
その 『 芸名 』 で テレビ出演されるなら
破廉恥 下品 愚劣な人間として
テレビに出てもらいたいと思います。

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