都会人の田舎暮らしと新規就農 (その3)

20年くらい昔の話です。
都会のサラリーマン生活に
見切りをつけ農業しながら
田舎暮らしを望まれる
32歳の独身男性が
来られました。
話を聞けば一流会社に勤められ
学歴も申し分ありませんでした。
それでも
「田舎に暮らし農業やりたい」
と言われました。
ですが当時の私の印象は
・農業を仕事として
やりたいのか?
・農家という自営業者に
なりたいのか?
・田舎に住みたいのか?
よく分からなかった記憶が
残っています。

それから1年後に来られました。
会社を退職されて農業専門学校で
農業のイロハを習得されている
とのことでした。
「農業学校を卒業後に
農地を借りて農業を
やりたいので
適当な農地を
斡旋して欲しい」
という依頼でした。
農家が自己所有の農地を
見ず知らずの他人に貸すのは
なかなか有り得ないことでした。
当時は隣近所とか親戚など
よほどの信頼関係がなければ
貸し借りできませんでした。

初めて彼が訪問されたのは
農業普及センター職員さんの
紹介でした。
その職員さんも農地斡旋を
私に要望されました。
当時の行政機関は当地域農業の
活性化に取り組まれていたので
普及センターの職員さんは
とても熱心に彼の新規就農を
促されていました。
なんとか適当な農地が借地でき
彼は施設園芸農家になりました。
彼の農場は近くにありましたので
立ち上げの頃は何度も訪問しました。

農業を営利目的事業として
採算性を考えるなら
しばらくの期間は勉強も兼ねて
専業農家でアルバイトされながら
実務ノウハウを学ばれた方が
良いと私は考えてました。
農業専門学校に失礼な言い方に
なりますが生産から出荷までの
実務を体験してこそ
また専業農家が実際にやっている
仕事を肌で感じてこそ
一人前になると私は思ってました。
ですが
「何を作るのか?」にもよりますので
私の考えが絶対と言い切れません。
しかも彼の営農指導は農業普及センター
の職員さんが担われると言われました。
私の役割はただ単に
農地斡旋するだけでした。
「農地の賃借契約さえできれば
あなたはそれ以上の口出しを
する立場にありませんから」
みたいな雰囲気が農業普及センター
から感じました。

初夏の頃の夕方6時過ぎに
彼の農場に伺いましたが
誰も居られませんでした。
日を改めて訪問しました。
「先日はご不在でしたが
出かけられてたのですか?」
と尋ねました。
彼は
「ボクは朝8時から夕方5時まで
働くことにしているんです」
と言われました。
私は
「え?!」
と言うしかありませんでした。

数年後には主人の居ない温室施設に
雑草が繁ってました。
彼は どこへ行ってしまったのか?
見ず知らずの他人である彼に
大切な農地を私を信じて
お貸しくださった農家さんには
本当に申し訳なく思いました。
私と彼の関係は
『ただ単に農地斡旋しただけ』
ですが
それがいかに人間関係の信用に
基づくものなのか
当地に長年に渡って暮らす者以外は
絶対に分からないことだと
私は痛感しました。
それ以降
私は「彼の責任は担う」と言われた
農業普及センターの職員さんとの
関わりを一切辞めました。

当時の私は当地域で新規就農を
希望される人達と交流するように
なってました。
当時の農業普及センターの方針は
他府県から新規就農者を受け入れ
施設園芸活性化に取り組まれようと
してました。
ですが肝心のな農地に関しては
なかなか農地の貸し手が
ありませんでした。
そこで私は当地域で施設園芸の
就農を希望する22歳の青年に
私の所有する農地(田)を
お貸しすることにしました。
「私の所有する農地を
第三者に貸して
施設園芸をしていただく」
という"前例づくり"です。
ですが私の農地(田)は陽当たりが
良くなく施設園芸に不向きでした。
それでも青年は快く受けてくれました。
そうすれば地元以外の第三者に
「農地を貸し出す」という"前例"が
当地域の農家さんの目に触れます。
百聞は一見にしかず
実際の現場を見られることで
地元農家さんの不安は解消されます。
その青年が真剣に取り組む営農活動が
当地の農家さんに好印象と映ったのか
どうかは分かりませんが地元農家さんが
所有される農地をお貸りできるように
なりました。
その後になって
ようやく 農業普及センターとか行政機関は
地元以外の第三者に
『所有農地を貸し出して構わない』
という地元農家さんの農地貸し出しリストを
作成されるようになりました。
そして他府県から来られた新規就農の
希望者さんに農地を斡旋するシステムが
でき上がりました。
22歳の青年のチャレンジがあったからこそ
"前例"が構築され地元農家さんの意識が
大きく変わり結果として「リスト」ができたと
私は思っています。
かといってお役人さんが前例のない事に
リスクを背負って挑まれないのは
当たり前で仕方ありません。
当時 22歳の青年は現在では
施設園芸農家として
より広くより大きく活躍されています。
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