農作業 と 対人コミュニケーション

農作業は 稲作でも 野菜作りでも
昔なら 肉体労働でしたが、
今は たいてい 機械がしています。

人間がすることは、機械操作したり
監視するだけのようになりました。

そこまでしても、穀物生産などは
採算が取れないのも現実です。

「何故、採算が取れないのか?」

原因を突き詰めれば、やはり操作する
『人間』 に辿りつくと思ったりします。





過酷だった重労働ほど機械化され
操作する仕事が 農作業と捉えれば、
人間の問題と言いたかったのです。

農作業の 『相手』は 人間以外ですから、
たとえば、相手の "植物" が 

「この農薬を、このような方法で、
 この程度使用して欲しい」

と語り掛けてきません。あるいは、
稲の苗が

「この農薬を、このように散布して欲しい」

といった申請は してきません。
すべての農作業は 『人間』が判断し
決定しなければなりません。

そのために、"植物" の顔色を読み取り
最適と思われる作業するしかありません。

使用した農薬が不適切だったとしても、
農作業の方法が間違っていたとしても、
"植物" は口に出して文句を言いません。

また、"植物"は 担当者の悪口を言いふらしたり
陰口を叩くようなこともしません。





全責任は農作業する人間にありますから、
人間が 真面目にキチンと作業をしなければ
成果に結びつきません。

担当者が 周りの他の人間に 
対人コミュニケーションで気配りしても、
"植物" には 何の役にも立ちません。

ですが、 『対人コミュニケーション』 が
とっても 上手な人間が 日本農業を担って
来られました。

その結果、
言葉で文句を言えなかった植物は
放置されてしまいました。

目の前にいる 人間の上司にだけ
『対人コミュニケーション』を駆使して
ゴマをするような農作業ばかりされ、肝心の
無口で敏感な植物は、無視されました。


植物は 「本当は こうして欲しかった」
と言えません。

それを良いことに ズル賢い人間は、
適当にゴマかしたり、見え透いたウソを言いながら
農業してきました。





イザとなれば、『補助金』を使えばナントカなる 
という軽い気持ちでした。

その結果、日本農業は衰退してしまった
のではないでしょうか?


自主独立された専業農家さんは
農協とか行政の営農指導など仰がれずに、
立派に農業経営されています。

それを 反面教師の観点からみれば、
組織の複雑な しがらみ にとらわれず
むしろ、対立軸にある位置に立たれて
経営されているのではと思ったりします。





「対人コミュニケーションは とても重要で大切」
と言われる人間にすれば、
言葉で語りかけられない 『植物』に接すれば、

 「一体 どうすれば 命令に従うのか?」 

全く 分からなかったのが 偽らざる本音では
なかったのかと考えたりします。

言葉を理解できない植物を相手にするなら、
決められたことを キチンとすれば、
最大の成果になります。

人間社会でも 決められたことを キチンと実行すれば、
「それ以上、まだ何が必要なのか?」
と思うのです。


対人コミュニケーションの『能力』は大切と
主張される人達は、

  多くの一般庶民の声なき声とか、
  小さな人達の心の叫びに、
  何故、耳を傾けられないのでしょう?

対人コミュニケーションは大切と主張されるなら、
その「対人コミュニケーション能力」を駆使されて

  部下が心に抱く意見に、
  弱者の願いに、
  一般庶民の小さな声に、

何故、耳を傾けられないのでしょう?





私は言葉を全く理解できない植物を
相手に仕事をしてきました。

手を抜いてゴマかしても、植物から
「ホントは こうして欲しかった」
と文句を言われませんでした。

無口で、素直で、従順な植物は、
言いたかったことも言わず、
黙って枯れていました。



目次に戻る