毅然とした孤独な個性
「常識を大切に」と
「常識を打ち破れ」という
相反する2つの言葉があります。
非常識な振る舞いを戒め
常識的な生き方を推奨されるのは
当然です。
ですが
一方で常識に囚われない
個性的な発想によって
新しい商品とかビジネスが
創られます。
「常識」は守るべきか?
それとも
打ち破るべきか?

人間は一人一人それぞれが
豊かな個性を持っています。
なのに
金太郎飴のように画一的に
「常識」に押し込めれば
秀逸な個性を潰しかねません。
そうなれば
その人の人生は台無しです。
だからといって
常識を無視していいのか?
大切なことは「常識」を
どのように使えばいいか?
と考えます。
常識とは「ウワベ」のようなモノで
たとえば
常識的に見える人でも
鎧兜を身にまとっていて
決して生身のまま生きてるわけで
ありません。
「ウワベ」を「地顔」と
見間違えるくらい
上手く使い分けているだけ
と思います。
ですが
そんな器用な使い分けができず
「自分」を無理矢理に
「常識」に合わせようとして
返って苦しむ人が
多くおられます。

その場合
「他人と自分は違う」
という"絶対的事実"が
他人と自分の間に存在することを
認識されたらいいと思います。
「他人」は「自分の中」で
生きてません。
それでも
異なる人間同士が
上手にコミュニケーションを
執っているのは
「常識」というモノがあるから
と考えます。
そのようにして一人一人は
それぞれの「ウワベ」を装いながら
他人と仲良くお付き合いをします。
もしも「ウワベ」がなければ
個性と個性がぶつかってしまって
混乱を生じてしまうでしょう。

そもそも個性とは
誰からも理解されないような
変態的なモノではと思ったりします。
本当の意味の「個性」とは
言葉にして他人に説明できません。
それゆえ他の誰かに
理解されることはない
と考えます。
他人から理解してもらえず
孤独なモノとして存在してるように
感じます。
その「孤独」を隠すベールの
ようなものが「常識」なのでは
と思ったりします。
ですから
「常識を大切にする」ことと
「個性を認める」ことは
矛盾しません。

そのように
「個性」は孤独な存在です。
ですが自分の心の中では
毅然と存在しています。
世界中の誰とも違う「モノ」として
誇りを抱かれて持っておられる
と思います。
そんな絶対的な存在感が
本当の意味の「個性」では
と考えます。
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