初 瀬 街 道
All roads lead to Ise shrine
菅笠日記
本居宣長が明和9年(1772年)03月05日〜03月14日までの間、
松阪から初瀬街道を通り飛鳥・吉野を歴訪した日記。
【03月06日】 青山町
「河づらの伊賀の中山なかなかに見れば過うき岸のいはむら。かくいふは。きのふこえしあほ山よりいづる
。阿保川のほとり也。朝川わたりて。その河べをつたひゆく。
*1 岡田別府などいふ里を過て。左にちかく。
阿保の大森明神と申神おはしますは。大村神社などをあやまりて。かくまうすにはあらじや。なほ川にそひつゝゆき
ゆきて。阿保の宿の入口にて又わたる。昨日の雨に水まさりて。橋もなければ。衣かゝげてかちわたりす。
水いと寒し。いせぢより此驛迄一里也。」
*1 近鉄大阪線青山町駅から東に2kmの距離の間の地域
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【03月06日】 名張市
「阿保より一里といふに。新田といふ所あり。此里の末に。かりそめなるいほりのまへなる庭に。池など有て。絲桜いと
おもしろく咲たる所あり。糸桜くるしき旅もわすれけり立よりて見る花の木陰に。大かた此國は。花もまださかず。
たゞこのいとざくら。あるはひがん桜などやうの。はやきかぎりぞ。所々に見えたる。是よりなだらかなる松山の道
にて。けしきよし。此わたりより名張のこほり也。いにしへいせの国に。みかどのみゆきせさせ給ひし御供に。
つかうまつりける人の北の方の。やまとのみやこにとゞまりて。男君の旅路を。心ぐるしう思ひやりて。なばりの
山をけふかこゆらんとよめりしは。
*1 万葉一に わがせこはいづくゆくらんおきつものなばりの山をけふかこゆらん此山路
の事なるべし。やうやう空はれて。布引の山も。こし方はるかにかへり見らる。」
*1 我が背子は いづく行くらむ 沖つ藻の 名張の山を 今日か越ゆらむ
(持統天皇の伊勢行路に帯同した当麻真人麻呂の妻)
【中略・・・・】
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「半里ばかり行て。名張にいたる。阿保よりは三里とかや。町中に。此わたりしる
*2 藤堂
の何がしぬしの家あり。その門の前を過て。町屋のはづれに。川のながれあふ所に。板
橋を二ッわたせり。なばり川やなせ川とぞいふ。いにしへなばりの横川といひけんは。
これなめりかし。ゆきゆきて山川あり。かたへの山にも川にも。なべていとめづらかな
るいはほどもおほかり。名張より又しも雨ふり出て。此わたりを物する程は。ことに
雨衣もとほるばかり。いみしくふる。かたかといふ所にて。 きのふ今日ふりみふらずみ
雲はるゝことはかたかの春の雨かな。すこし行て。山のそはより。川なかまでつらなりいでた
る岩が根の。いといと大きなるうへを。つたひゆく所。右の方なる山より。足もとに瀧おちな
どして。えもいはずおもしろきけしき也。又いと高く見あぐる。岩ぎしのひたひに。物より
はなれて。道のうへゝ一丈ばかりさし出たる岩あり。そのしたゆく程は。かしらのうえにもおちかゝりぬ
べくて。いといとあやふし。すこし行過て。つらつらかへりみれば。いとあやしき見物になん有ける。獅子舞岩
とぞ。此わたりの人は言ける。げに獅子といふ物の。かしらさし出せらんさまに。いとよう覺えたり
。さていさゝか山をのぼりて。くだらんとする所に。石の地蔵あり。伊賀と大和のさかひなり。なばりより。
一里半ばかりぞあらん。」 |
| 名張藤堂家屋敷 |
*2 藤堂の何がしぬしの家 名張市丸ノ内にある名張藤堂家邸のこと。名張藤堂家は丹羽長秀の三男で豊臣秀長→藤堂高虎
の養子となった初代藤堂高吉(元今治2万石大名)に始まる
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【03月06日】 室生村
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| 室生寺 | 彌勒磨崖仏 |
「そのさきに。三本松といふ宿までは。二里也とぞ。大野寺といふてらのほとりに。
又
*3 あやしき岩あり。道より二三町左に見えたり。こは名高くて。旅ゆく人もおほく立よる所也といへば。ゆき
て見るに。げにことさらに作りて。たてたらんやうなるいはほのおもてに。みろくぼさちの御かたとて。ゑりつけた
る。ほのかに見ゆ。其佛の長。五丈あまり有といふを。岩の上つ方は。猶あまりて高くたてる。うしろは山にて。
谷川のきしなるを。こなたよりぞ見る。そもそもこゝは。むかしおりゐのみかどの御ゆきも有し事。物にしるした
るを見しこと。ほのほの覺ゆるを。いづれの帝にかおはしましけむ。今ふとおもひ出ず。さて其川にそひて。すこしのぼ
りて。山あひの細き道を。たどり行てなん。本の大道には出ける。其間に。室生に詣る道なども有て。」
*3 あやしき岩あり。・・ 宇陀川を挟んで大野寺前にある弥勒磨崖仏のこと。岩に弥勒菩薩像(高さ12m)
が彫ってある。
近鉄大阪線室生口大野駅から徒歩約5分程度
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【03月06日】(
あぶらや宿泊)〜
【03月07日】 榛原町
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| 旅籠あぶらや |
「いしぶみのしるべなくは。必まよひぬべき所也。けふはかならず長谷迄物すべかりけるを。雨ふり道あしくなど
して。足もいたくつかれにたれば。さもえゆかで。はいばらといふ所にとまりぬ。此里の名。萩原と書るを見れ
ば。何とかやなつかしくて。秋ならましかば。かりねのたもとにも。
うつしてもゆかまし物を咲花のをりたがへたる萩はらの里。とぞ思ひつゞけられける。こよひ雨いたくふり。
風はげしきに。故郷のそらはさしおかれて。まづ花の梢やいかになるらんと。吉野の山のみ。よひとよやすから
ず思ひやられて。いとゞめもあはぬに。此やどのあるじにやあらん。よなかにおき出て。さもいみしき雨風かな。か
くて明日はかならずはれなんとぞいふなる。きゝふせりて。いかでさもあらなんと。ねんじをり。」
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【03月07日】 桜井市「
*4 出雲村黒崎村などいふ所をすぐ。此あたりは
*4 朝倉宮列木宮【長谷朝倉宮は雄略天皇の都長谷列木宮は武烈天皇の都】>
などの跡と聞こしかば。いとゆかし。此くろざきに。
*4 家ごとにまんぢうといふ物をつくりてうるなれば。かのふりにし宮
どもの事。たづねがてら。あるじの年おいたるがみゆる家見つけて。くひに立よる。さてくひつゝとふに。ふるき都のあ
とゝばかりは。うけ給はれど。これなんそれとたしかにつたへたるしるしの所も侍らずとぞいふ。高圓山はいづこぞととふ
に。そはこのうしろになん侍るとて。をしふるを見れば。此里よりは南にあたりて。よろしき程なる山の。いたゞきばかり
すこし見えたる。今は
*4 とかま山となんいふとぞ。まことの高圓山は。春日にこそあなるを。こゝにしも其名をおふせつるは。
もとよりとかまといふが。似たるによりてか。又は高圓山とつけたるを。里人のもてひがめて。かくはいふか。いづれな
らん。
*5 脇本慈恩寺などいふ里をゆく。こゝよりはかのとかま山。ちかくてよく見ゆ。此里の末を。追分とかいひて。三輪
の方へも。桜井のかたへもゆく道のちまた也。」
*4 雄略天皇の都は現在の桜井市水道局・武烈天皇の都は十二柱神社(長谷寺から東に約2km)
に碑があります
*5 現在の近鉄大阪線朝倉駅周辺地域
*4 外鎌山:近鉄朝倉駅の南にある標高292.5mの山。山麓に大伴皇女・鏡女王の墓と舒明天皇陵がある
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