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世上には三国志の登場人物のうち特に軍事指揮官を「武将」と総称することが多いが、中国史関連書籍や典籍で「武将」という用語を見かけない。中国史において「武官」「武職」「武弁」「軍官」「軍職」「軍将」「軍校」「将校」「兵校」といったものが軍事指揮官を指す用語として使用されている。
日本史における「武将」とは何か?
日本史では上は信長、秀吉、家康から下は番頭、物頭、更にはただの騎乗武士までがその範疇に入ることがあるが、彼らに共通するのは(1)騎乗権を有すること、(2)実質上はどうであれ、土地を「知行」として所有することであろうか。
そうであるとすると、「武将」とは「封建領主」ということになる。「封建領主」に相当するものは周の頃※1ならいざ知らず、中国には存在しない。※2
「武将」以外にも某有名作家の「水滸伝」で知州、知県(または県令)※3のことを領主と称しているのもおかしい。知州も知県も皇帝により任命されて派遣される官吏であって領主とはその性格を全く異にする。知州、知県は寧ろ現代日本の県知事、市長に近いものである。
日本史を基準として中国史を見てしまうのはよくわかるが...
※1.周代の制度を記録したとされる「周礼」によると、封建領主として上から王、公、侯、伯、子、男、附城があった。
※2.名目的には漢〜清の間存在し、実質的にも漢、晋、元、明、清に存在したが、漢、晋、明、清では夫々呉楚七国の乱、八王の乱、靖難の役、三藩の乱後、諸王の権限は著しく制限され、殆ど名目的存在となった。※4
※3.「水滸伝」の舞台である宋代における正式名称は夫々「権知某州軍州事」「権知某々県鎮県公事」
※4.このあたりは中国と日本の大きく異なるところであるように思われる。日本では近世においてさえ関が原、大坂の陣後も広大な領域をその勢力下に置く諸侯が徳川一門はもちろんのこと、そうでない者も多数存在したが、中国史においてこのようなことはなかった。