東トルキスタン

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通史

1850年代、清において太平天国革命、捻軍蜂起、雲南回族、イ族、貴州ミャオ族、トン族その他各地で天地会、白蓮教等による蜂起が続発。

1860年代、太平天国、捻軍の影響を受け、陜西、甘粛においてイスラム教徒による蜂起続発。清軍と漢族地主武装集団が各地で「洗回」と称してイスラム教徒大虐殺を行なう。

1864年、ラッシェディン・ホージャ、甘粛のイスラム教徒楊春等がクチャで蜂起してこれを占領。
→ウルムチ、ヤルカンド、ホータンでもイスラム教徒が蜂起して清よりこれを奪回。

1865年、ウイグル・東干(回族)蜂起軍の支援要請を受けたヤクーブ・ベク率いるコーカンド・ハン国軍がカシュガルを攻略。
→ウイグル・東干等イスラム教徒蜂起軍がハミ、バリクルを除く東トルキスタン全域を回復。

1876年6月、陜甘総督(陜西甘粛両省の最高監督官)「新疆軍務督弁」左宗棠を総司令、「ウルムチ都統」(東トルキスタン東部軍管区司令官)金順を副総司令とする清軍が東トルキスタンに侵攻し、同9月ウルムチ以下天山北路を制圧。

1877年春、提督張曜率いる清軍がピチャン、ルクチュンを攻略し、ターパンを奪取して天山北路から侵攻してきた劉錦棠率いる湘軍と合流して同5月トルファンを奪取。この報に接したアミール・ヤクーブ・ベクはコルラで自殺。

1877年11月、清軍がカシュガルを占拠して天山南路を制圧。
→ベク・クーリ・ベク(ヤクーブ・ベクの子)、白彦虎(陜西回族蜂起軍残存勢力指導者)等ロシアへ逃亡。

1878年1月、清軍がホータンを奪取して西域南道を制圧。
→清がイリを除く東トルキスタン全域を占領。

1884年11月、清が東トルキスタンに「新疆省」を設置し、湘軍統領劉錦棠を「新疆巡撫」に任命。
→清が東トルキスタンを直接統治下に置く。

1911年、辛亥革命により清朝崩壊。

1932年、「新疆省主席」金樹仁の圧政に抗してハミ、バリクルにおいてイスラム教徒が蜂起し、間もなく東トルキスタン全域に広がる。

1933年11月12日、東トルキスタン・イスラム共和国成立。

1934年、トルコ系イスラム教徒と将軍馬仲英率いる東干との内紛に乗じた「新疆辺防督弁」盛世才指揮する中華民国軍の侵略により東トルキスタン・イスラム共和国崩壊。

1944年11月7日、東トルキスタン解放組織がグルジャ市で蜂起。

1944年11月12日、グルジャ市で東トルキスタン共和国成立。
→天山北側のイリ地区、タルバガタイ地区、アルタイ地区などを漢人支配から解放。

1949年10月、中国軍が「国民党残党を掃討する」ことを口実として東トルキスタンに侵入し、これを占領。
→東トルキスタン共和国崩壊。

1952年、中国が東トルキスタンにおいて「土地改革」と称してウイグル農民から土地、財産を没収。

1955年、中国が東トルキスタンに「新疆ウイグル自治区」設置。

1956年2月、東トルキスタン人民党約3,500が中国の支配に抗してウルムチで蜂起するも、中国軍により鎮圧。

1962年、ホータンにおいて東トルキスタン連合が蜂起するも、中国軍により鎮圧。

1989年6月15日、ウイグル人デモ隊が「ウイグル自治区」共産党委員会を襲撃。

1990年4月5日、アクト県バレン郷においてゼイディン・ユスフを指導者とするトルコ系イスラム教徒1万が蜂起し、アクト県を中国から解放して東トルキスタン共和国の樹立を宣言するも、「ウイグル自治区」政府がこれを「反革命武装暴乱」として2日間の市街戦の後鎮圧。(バレン郷事件)

1992年2月5日、ウルムチの漢人居住地域でバス爆破。トルコ系イスラム教徒5人処刑。

同3月16日、カシュガルで中国軍と東トルキスタン改革者組織とが交戦。

同9月17日、ハミで鉄道爆破。

1993年6月17日、カシュガルで爆破事件。トルコ系イスラム教徒8人処刑。

同12月22日、トルファンで爆破事件。

1996年4月17日、中国が「反犯罪」キャンペーンを展開して「民族分離主義者」約20,000人を逮捕し、115人を裁判及び取調なしに射殺、100ヶ所のモスクと宗教学校を閉鎖、50万冊以上の民族主義的出版物を住民から押収し焼却。

同5月17日、東トルキスタン独立勢力がアクス北方の中国軍拠点を襲撃して武器弾薬を入手し、漢人兵士多数を殺害という戦果を挙げる。

同6月、アクス地区で漢人工程師7人殺害。

1997年2月5〜6日、イリ地区でウイグル人と漢人の大規模な衝突が発生し、漢人官憲がウイグル人20人を射殺。(イリ蜂起)
→イリ暴動後、中国がイリ地区で無許可モスク133、無許可イスラム学院105を閉鎖し、独立派指導者20人をはじめとしてウイグル人400人を処刑。

同2月25日、ウルムチで漢人の乗ったバスが爆破され、漢人9人死亡、68人負傷。

同3月3日、イリ東方120km地点でバス爆破。東トルキスタン独立派がイリ蜂起弾圧に対する報復と声明。

同8月、アクス地区オンスー県ボズドング郷で東トルキスタン独立勢力が武装警察、公安警察を襲撃し、警官6人を殺害。

1998年2月、中国国家案全部が調査のため東トルキスタンに一時帰国していた東大大学院生トフティー・テュニヤズ(ウイグル人)を「国家分裂を煽動した」として逮捕。
→2000年3月、「自治区」高級人民法院において懲役11年の刑を課す。

1998年5〜7月、ホータンで交番等を標的とした連続5件の爆破事件発生。

1999年2月、ウルムチで独立を訴えてデモ行進していたウイグル人を警察が襲撃し、ウイグル人150人逮捕。

2001年8月、東トルキスタン・ウイグル聖戦組織がクチャ県公安局庁舎を襲撃し、公安局長を殺害。

2001年11月22日、中国外交部報道官章啓月が「米側が指摘する『中国ウイグル族』が東トルキスタン運動のテロ組織であることを指摘しておく必要がある」「東トルキスタン運動のテロ組織は国際テロ組織と緊密な連絡をとり、少なくとも数百人がアフガンで訓練を受けている。さまざまな事実から同組織が国際テロ組織の一部であることがすでに証明されている。中国は国際社会とともに努力し、東トルキスタン運動を含むあらゆるテロリズムと戦っていくつもりだ」と述べ、アメリカの「テロとの戦い」に便乗して東トルキスタン独立勢力の弾圧を正当化。

2002年8月、アメリカが東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)を「国際テロ組織」に指定。中国外交部報道官孔泉が「中米両国には、反テロでの幅広い共通利益がある。われわれは米側とともに努力し、話し合いを強化し、相互協力を深めたい」と強調。「『東トルキスタン・イスラム運動』が国際テロ勢力の一部で、国際社会にとっての公害であり、各国がともに取り締まらねばならないことがはっきりした」と述べてこれを歓迎。

2002年9月21日、国連安全保障理事会が「東トルキスタン・イスラム運動は中国分裂を狙うテロ勢力で、国際テロ組織と密接に連携、中国国内や近隣国で多くの死傷者を出すテロ事件を起こしている」として、正式に「テロ組織リスト」に追加。

2003年10月2日、東トルキスタンイスラム運動(ETIM)の最高指導者ハサン・マフスムがパキスタンのアフガニスタンとの国境付近でパキスタン軍によって射殺。

2003年12月15日、中国公安部が「国際的反テロ協力を進めるため」と称して(東トルキスタン独立運動の弾圧を強化するため)東トルキスタン・イスラム運動、東トルキスタン解放組織、世界ウイグル青年代表大会、東トルキスタン情報センターを「テロ組織」に指定。 これにより、これら組織の中国国内での活動が禁止され、組織への資金援助、支持、保護も「違法」となる。

2004年1月20日、カシュガルで武装警察襲撃。武装警官7人死亡。

2004年1月29日、ピチャン県ルクチン郷において油田爆破。

2004年1月30日、漢人武装集団が生産建設兵団101団(漢人)のバスを襲撃。

2004年9月14日、東トルキスタン亡命政府がアメリカで設立される。

同11月6日、広州において漢人警官が屋台でシシケバブを焼いていたウイグル人を襲撃。これを聞きつけたウイグル人約70人が応援に駆けつけ、警官隊と乱闘。

2005年1月20日、東トルキスタンの国道で漢人によりバスが爆破され、ウイグル人2人、カザフ人2人、漢人7人の計11人死亡、7人負傷。

同7月5日、ロシア、中国の主導する上海協力機構が「テロ対策強化」を盛り込んだ共同宣言に調印。
→チェチェンや東トルキスタンの独立運動、西トルキスタン諸国の反政府運動の弾圧が目的。

同7月10日、中国の圧力を受けたトルコ政府がテュルク民族祭に参加すべくトルコを訪問した東トルキスタン共和国大統領エフメット・イゲムベルディ、総理エンヴェル・ユスフの入国を拒否。

同8月25日、「新疆ウイグル自治区」共産党書記王楽泉が東トルキスタンは地理的に「国際テロ組織」が集まっている地域で暴力的な「テロ活動」がますます激しくなっているし、地元住民への宣伝活動や周辺国との協力を強化して独立運動を弾圧することを表明。

同9月30日、世界ウイグル会議(WUC)が声明を発表し、中国が新疆ウイグル自治区でウイグル人を弾圧、搾取していると非難し、同自治区は中国にとり時限爆弾になろうとしていると警告。

同10月1日、中国の東トルキスタン占領50年目に当たるこの日、東トルキスタン解放組織(ETLO)の構成員と称する人物が中国政府による偽政府「新疆ウイグル自治区成立50周年」事業を非難し、「あらゆる手段で中国政府に対する武装戦争を開始する」と宣言。

同10月26日、中国国連大使王光亜が安全保障理事会テロ関連3委員会において「東トルキスタン「テロ勢力」は中国の新疆地方で常に活動を続け、数多くの悪事をはたらいている。」とし、各国に「「テロ活動」を断固として制止するとともに、法により制裁」することを要請。

中国の東トルキスタンに関する「正しい」歴史認識

「新疆ウイグル自治区は古代から中国の不可分の一部であり、かつては「西域」と呼ばれた。前漢が西域都護府を設置した紀元前60年、新疆は正式に中国領土の一部となった。1884年には、清朝政府が省を設置した。新疆は1949年に平和解放され、1955年10月1日に新疆ウイグル自治区となった。」(『人民網日文版』より)
→西域都護府設置=正式に中国領土の一部?この地域は匈奴の勢力下にあったところであり、それを漢が侵略したということである。そして後漢になってこの地域における勢力が後退したことは現地の人々が漢の支配に反発していたことを意味する。 以後漢族がこの地域を支配したのは唐と現在の中共に過ぎない。そのうちの唐も中期以降この地域から叩き出されている。つまり、西域都護府なるものは漢の東トルキスタン侵略拠点に過ぎず、中共の支配を正当化する何らの根拠にもなりえない。
ところで、元と清は夫々モンゴル人、満州人の国家であり、漢土はその支配下の1領土に過ぎない。だから元や清が東トルキスタンを統治したから中共にも統治する権利があると主張するなら、モンゴル国や満州族にも漢土を統治する権利があるし、漢土全体をモンゴルや満州人固有の領土とすることもできる。
中国の歴史から見れば、その固有の領土は万里長城の内側に限定され、その外側は含まれないというのが正しい歴史認識である。中国はこの正しい歴史認識に基づいて東トルキスタン侵略を真摯に反省して東トルキスタンから無条件で即刻退去するとともに、東トルキスタンに対し謝罪と賠償を行わなければならない。(シナ周辺地域史研究会)

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