H O M E 堺屋さんの解説 ス ト ー リー 堺屋さんの警告 堺屋さんとは? L i n k s

堺屋氏の警告・提言をピックアップしました。 


 平成14年〜15年春の記事は→ こちらです




  週刊文春 平成20年1月3日・10日合併号                             


平成30年経済崩壊までのシナリオ


 二〇〇八年の日本経済は、相当厳しいものになりそうです。
 今からちょうど十年前、私は朝日新聞で小説『平成三十年』(現在、朝日文庫)を連載していました。原油、食糧価格が高騰し、少子高齢化が進んだにもかかわらず、官僚主導で非効率部門は温存されている。政府は「改革」を叫びながら大したことは「何もしない」。そのため、経済は構造破綻に直面しているーーー二十年後の日本の姿をこのように描いた予測小説です。

 私はこの小説の中で、平成三十年の日本経済を次のように予測しました。

●国際競争力の低下によって円安が進行。一ドル二百五十円を切り、三百円をうかがう情勢となっている。

●貿易とサービスの収支は一千億ドルの赤字、国際収支の赤字は五百億ドルにのぼり、拡大を続けている。

●消費者物価は二十年前に比べ、約三倍になっている。中でもガソリンの値上がりは著しく、一リッター千円。

●消費税は一二パーセントに引き上げられ、二〇パーセントも視野に。所得税は地方税も含めて五〇パーセントに据え置かれたまま。

●国家予算は大幅に膨張し、総額三百七兆円。七十七兆円の財政赤字は国債発行による借金で補っている。

●国民一人当たりの国内総生産(GDP)はアメリカの半分、台湾や韓国には抜かれつつある。

●少子高齢化は一段と進み、地方の山間部は超過疎化している。

●大陸からの酸性雨など環境問題は益々厳しい。

 予測小説は警世の書です。私が本書で、社会経済状況を踏まえて提示したのは、「こうあってほしくないが、最もありそうな未来像」でした。つまり、これを読んだ為政者 が「このままではいけない」という切実な危機感を持って抜本的な対策を講じてほしい。予測が的中しないようにしてくれ、ということです。

 しかし、小説連載時と平成三十年の中間期となった今、改めて日本経済の状況を見てみると、残念なことに予測が一つ一つ、現実化しそうな方向になっている。現在の日本は、私が危惧した最悪のシナリオに向かって、まっしぐらに進んでいるような気がします。

 改めて、小説『平成三十年』の予測と現実を照らし合わせつつ、日本経済の現状と今後を展望していくことにしましょう。

 まずは円安です。現在円は一ドル百十円前後。一見、円安にはなっていないように思えます。しかし、これはドルの異常な下落によって生じている錯覚で、円の実効価格はかつてないほど下がっています。対ユーロ、対ポンドで見ると、円の下落が著しいことが分かります。対ポンドは、終戦直後と同じくらい円安になっています。深刻化する円安は、日本の国際競争力が低下していることの象徴なのです。

物価上昇の最大の理由は?

 貿易とサービスの収支と国際収支は今のところ、黒字が続いています。日本の景気拡大も、輸出を中心とした外需だけが支えてきたものでした。しかし、この「外需」という景気拡大の基盤は脆弱、米国のサブプライム問題に端を発した米国景気の失速危機、そして二〇一〇年上海万博以降の中国経済と、不安が一杯です。

 小説で予測した原油高と食糧価格の高騰は、〇七年に早くも現実のものとなりました。これら一次産品の価格高騰が引き金となり、長らくデフレが続いてきた日本の物価も、軒並み上昇し始めています。

 物価上昇が進んだ最大の理由は、ロシアの資源と中国の労働力による世界のデフレ要因が食い尽くされたということです。

 九〇年代に国際物価が下がったのは、冷戦終結の「配当」でした。冷戦が終わったことによって、安価なロシアの資源と中国の労働力がドッと国際市場に出てきました。その結果、資源の値段は下がり、安価な労働力の利用で工業品も安くなったのです。ところが、二〇〇五年ごろからロシアの資源は高騰、中国の労働者賃金も上がり始めました。そのうえ、中国の工業化で資源需要は膨張しています。世界的な過剰流動性によって、一次産品の投機的な価格上昇は、今後も続くと思われます。

 日本の財政面でいえば、十二月二十四日、政府は〇八年度予算の財務省原案を閣議決定しましたが、一般歳出は小幅ながら増額となっています。今後、景気が悪化して企業業績が低迷し、税収が減れば、予算の増額と赤字国債の発行は避けられそうにありません。

 消費税のアップは、解散総選挙への悪影響を考慮して回避されましたが、早晩、実施されるでしょう。『平成三十年』の予測とほぼ同じです。

 一人当たり国内総生産も、国際的にはジリ貧です。福田康夫現内閣総理の父、赳夫氏が総理になった一九七六年、日本の一人当たりGDPは世界で十七位。その後は上昇を続け、九三年には世界一位に輝きました。

 ところがこの年を頂点に、順位はどんどん下がり始めます。二〇〇〇年には一時、二位まで回復しましたが、二〇〇六年には、また元の十七位に落ち込んでしまった。日本の国力はついに三十年前と同じレベルまで低下してしまったのです。

 日本の国力低下、日本全体の活力低下は、地価にも反映しています。近年、不動産価格の高騰がいわれているが、以前の高騰期に比べると、場所がごく限られています。

 地価は、『日本列島改造論』の時には日本列島の十分の一、三万七千平方キロメートルが値上がりしました。バブルの時には、百分の一の三千七百平方キロが値上がりした。しかし今回は、千分の一、三百七十平方キロしか値上がりしていない。

 しかも値上がりしたのは都心や名古屋や大阪のごく限られた超一等地だけ。地方都市や工業用地は下がりっ放しです。そればかりか、農地や山林は劇的に値下がりし、買い手が全くありません。東京で思っているのとは大違いの不況なのです。

 官僚主導の東京一極集中が進む一方で、地方の過疎化が深刻化しているのです。

 そして、小説『平成三十年』と最も一致しているが、日本が「何もしていない」という点です。平成になってからの歴代首相はみな、「改革」、「改革」と口では唱えてはいますが、抜本的な体制改革や体質気質の変革には、未だ取り組んでいません。ただ、取るに足らない「盲腸の手術」や吹出物の膏薬貼りをしているだけです。

 恐ろしいのは、危機が私の予測よりも、前倒しでやってきていることです。超過疎化による地方の疲弊や環境問題、介護保険の問題については小説で詳しく触れましたが、これらの問題は、もう既に現実のものとなっています。中でも、予測を超えて遥かに早く進んでいるのが官僚の頽廃です。

 〇七年は、官僚の失敗が顕著に現れた年でした。とくにすさまじい失敗は、住宅着工許可の遅延です。六月、建築基準法が改正されましたが、運用マニュアルをつくっていなかったことなど官僚の怠慢と無能さによって、建築許可が停滞。その結果、九月十月の住宅着工件数は前年比四割減にまで落ち込んだのです。

 しかも、一旦許可を取ると設計変更は認めないという超改悪、日本は不便不都合な建物だらけになるでしょう。建築工事の減少が現れるのは六ヶ月くらい経ってから。〇八年には倒産失業が増えます。

 しかし官僚は誰一人責任をとっていません。国交省の幹部は、UR(都市再生機構)の民営化阻止に必死なのです。全国民に何兆円もの負担と迷惑をかけても何とも思わない。ここまで官僚の頽廃が進んだのは、官僚の政治家ごっこ、いわば院外団化です。逮捕された守屋武昌前防衛省事務次官はまさにその典型、政治家回りで出世したのです。

 また、政治家にも「政治家になって日本をこうしたい」というのではなく、「とにかく政治家になりたい」という人が大量当選している。行政に関して悲劇的に無知な政治家が、官僚のやりたい放題を助長しているのです。

 その一方で、庶民の痛みは激増しています。労働者の賃金は上がらず、預金金利は実質ゼロが続いています。預金ゼロ金利によって、年間二十兆〜三十兆円が家計から企業と公共に収奪されているのです。ほとんどの日本国民は猛烈に搾取されている状態です。

 しかし、それを誰も本気で阻止しようとしないし、改革しようともしない。私はこの現象をFTN(ファイトが足りない症候群)と名づけました。こうした、日本人の活力の低下が徹底的に進んでいるいることにこそ、危機を感じます。

 それでは、〇八年の日本経済はどうなるのか。

 小説『平成三十年』では、資源価格の高騰の後に慢性不況が始まります。そして、少子化による非成長と、円安による物価上昇が共存する、スタグフレーションに陥るのです。

 こうした状況が、来年からいよいよ現実化するのではないかと危惧します。

 景気が悪化し、企業利益が減る。給与は上がらない。しかし、物価だけは上がるという、スタグフレーションの恐怖がもうそこまで迫っているのです。

日本の「アルゼンチン」化

 業績が悪化する企業も増え、成長率はゼロ、ひょっとするとマイナスになるかもしれません。

 株価の低迷も続くでしょう。「相場が下がったのはサブプライム問題のせいだ」というのは、官僚と金融業者の言い訳にすぎません。主因は日本独自の問題にサブプライム問題が少し追い討ちをかけているというのが実相なのです。だから、日本の株は外国の株よりも激しく値下がりし、外資も逃げ出しているわけです。日本独自の問題で大きいのは官製不況、頽廃した官僚が作り出している迷惑です。

 このままいけば、日本経済は再起不能に陥る恐れさえあります。いわゆるアルゼンチン化です。アルゼンチンは二十世紀のはじめには世界有数の豊かな国でした。第二次世界大戦後もアメリカに次ぐ金保有高を誇っていました。それが、三十年ほどの間に経済破綻、発展途上国に転落したのです。

 今の日本と二十世紀初頭のアルゼンチンの共通点は、第一に旧産業への依存です。当時のアルゼンチンは牛肉と小麦の農業依存から脱却できなかった。今日の日本もまた、規格大量生産依存から抜け出せていません。この構造をなんとしても変えなければならない。もう一つは首都一極集中、政治家や経済上層部は首都だけに集まっていることです。

 日本が太平洋戦争を開戦したのは、明治維新から七十三年後でした。その敗戦から七十三年後が、平成三十年にあたります。そうすると今はだいたい昭和十年くらいということになりますが、状況は当時と非常によく似通っています。

 昭和十年頃はまさに官僚主導真っ盛り。昭和九年の「帝人事件」で政治が弱体化、昭和十一年には「二・二六事件」が起こり、軍務大臣現役武官制度が敷かれ、官僚と軍人が政治を壟断するようになりました。その後、近衛文麿内閣の下、大政翼賛会が発足し、議会は大連立になるのです。つい先日、大連立の話が出てきたことも当時の時代状況と奇妙に合致する。私はこうした歴史の符号を非常に懸念しています。

 いま、日本は平成三十年に向かって衰退の一途をたどり、明治以来二度目の「敗北」に向かって突き進んでいるように見えます。ここで抜本的な改革を行わねばなりません。その第一歩となるのが、公務員制度改革を断行して官僚主導体制を廃することと、道州制導入を軸とする地方制度の改革です。いずれも官僚の大抵抗を受けるでしょうが、福田総理には何としてもやり遂げてほしい。

 小説では、日本がいよいよ危機に直面したとき、政治家や国民が立ち上がるという設定になっています。しかし、その準備ができる前に日本が倒れてしまうのではないかと憂慮しています。平成三十年まで、あと十年。いま大改革に手をつけなければ、恐ろしい事態が待ち受けている。小説『平成三十年』は、起こりつつある未来なのです。



  週刊朝日 平成16年6月25日号 連載コラム「堺屋太一の 時の正夢」             


知価革命を実現した老大統領


◎頑固な保守主義、「奇跡」の当選

 ロナルド・レーガン元大統領が死去した。享年九十三、高齢化時代といえども珍しい長寿である。
 レーガン氏は、長く「保守(コンサバティブ)の星」だった。二大政党制では、双方が中間的な混合政策を掲げて無党派層を奪い合うのが常だ。アメリカの共和党では、伝統的に自由競争と自助の精神を強調する保守派が存在したが、たった一つのポストを争う大統領選挙では当選不可能と考えられていた。事実、共和党は1964年の大統領選挙で保守派の領袖ゴールドウォーター上院議員を大統領候補にしたが、民主党の現職ジョンソン大統領に大敗した。

 アメリカでは、大統領選挙と同時に下院議員全部と上院議員の三分の一、州知事の相当数や一部の地方議員選挙などが行われているので大統領選挙での優劣は他の選挙にも影響する。ゴールドウォーター候補が大敗した64年の選挙では、共和党は議会や州知事の選挙でも惨敗した。この経験から、両党とも中道的な候補を選ぶ傾向が強くなったし、大統領を目指す政治家は各層各方面に配慮と理解を示すようになった。形は派手に、内容は空虚に、それがテレビ時代の政治家といわれたものだ。

 ところが、ロナルド・レーガン氏の発想は違った。「各種政策を取り混ぜて中間の無党派層を奪い合うのではなくして、明確な政見を打ち出して、どちらになっても同じと思って棄権している保守の票を掘り起こすべきだ」と主張した。76年、当時六十五歳だったレーガン氏には「最後のチャンス」とみられた大統領選挙でも、この主張を変えず、共和党の候補者選びでは現職のフォード大統領に敗れた。ほとんどの人々は、この時点で「レーガンとその保守主義」は終わったと思ったことだろう。

 だが、「奇跡」が起こった。まず、共和党候補のフォード大統領は民主党のカーター候補に敗れた。そして勝って大統領となったカーター氏も不運だ。まじめで勤勉で優しいカーター大統領は、本気でソ連との融和を図って軍備を縮小する一方、経済引き締めによって財政と国際収支の赤字を減少させようとした。いわばオーソドックスな外交経済政策をせっせとやったのである。

 カーター大統領の努力はむなしかった。まずイランで革命が起こり、続いてイラン・イラク戦争が始まり、石油価格は急騰、物価は上昇した。軍備の縮小は、アメリカの軍事産業に大打撃を与え、不況を拡大した。その上、ソ連のアフガニスタン侵攻によって、冷戦緩和の期待は裏切られた。

 ベトナム戦争の敗退以来続いたアメリカの混迷が極限に至ったのは、カーター政権の末期だ。それが六十九歳の頑固な保守主義者、ロナルド・レーガンに復活の好機を与えた。

◎保守化=知価革命だ

 レーガン大統領は、前任のカーター大統領とは正反対だ。冗談好きで怠け者だが、勇敢で頑固だった。ソ連を「悪の帝国」と言い、軍備を拡充して圧力をかけた。そのためには、艦齢四十歳(軍艦の平均寿命の二倍も古い)の戦艦の現役復帰から「スターウォーズ」といわれた戦略防衛構想まで、あらゆることをやってのけた。カリブ海の小島、グレナダを軍事占領して社会主義政権をつぶし、レバノンに海兵隊を送って戦艦に艦砲射撃をさせた。

 レーガン大統領は交渉でも手ごわかった。85年の米ソ首脳会談では、ゴルバチョフ・ソ連書記長に「あなたが本当に平和を求めているとは思えない」と言って、会談を決裂させた。「改革(ペレストロイカ)」を掲げるゴルバチョフ書記長の権威は著しく傷ついたに違いない。

 その後も両者は首脳会談を重ねて中距離核戦力全廃条約を締結するに至るが、ソ連の混迷は深まるばかりだった。レーガン大統領は硬軟さまざまな手を使ってソ連を追い詰め、崩壊させたのである。

 それ以上に世界を驚かせたのは、レーガン大統領の経済政策(レーガノミックス)だ。カーター大統領までの中道的な経済政策は、規制と重税によって勤労意欲や投資意欲を低下させていると批判し、自由化と大減税を行った。レーガン大統領就任当時のアメリカの財政は大赤字だったにもかかわらず、レーガン大統領はGDPの3%近い大減税を実施した。その中心は所得税の累進課税を緩和する「金持ち優遇」だった。

 また、運輸、金融、貿易などで大胆な自由化を断行した。このため、アジア諸国からの工業製品の輸入が急増、国際収支の赤字が急増したばかりか、アメリカの産業は大打撃を受け、企業の倒産や閉鎖が続出、金融機関の破綻も相次いだ。

 伝統的な経済学者たちは財政と国際収支の「双子の赤字」を非難し、産業界は輸入品の洪水に悲鳴を上げたが、レーガン氏は動じなかった。

 レーガン大統領は、金ドル交換を停止したペーパーマネーの時代には、国際収支の赤字は恐れるに足らぬと見抜いていた。自由化による激しい競争こそが、国民の知恵と勇気を引き出し、新しい技術と産業を生むと信じていた。起業と自助の精神を重んじ、銃を持つ自由も大切だと考えていた。大統領自身、暗殺者の凶弾を浴びて手術したが、麻酔から覚めたときの第一声は「銃を持つ自由は守る」だったという。

 この大統領の八年間に、アメリカでは規格大量生産型の製造業や古いタイプの陸運航空が衰退、代わって新しい情報、金融、観光、個人サービスなどの新産業群が芽生えた。レーガン大統領が実行した保守主義が、実は最も進歩的な改革、知価革命を実現する道だったのである。

◎未来のために何が大切か

 私はロナルド・レーガン氏と二度会った。大統領を辞した後のレーガン氏はこんな話をしてくれた。

 「財政赤字など大した問題ではない。ある日、政治家がガソリン1ガロンに1ドルの税金をかける決断をすればたちまち解決するからだ。これに比べて、冷戦や犯罪の問題は、政治家が決断しただけでは解決しない。だから、この解決こそ優先しなければならない。世界の冷戦構造とこの国の犯罪多発をなくすことができれば、財政赤字など五年で解消できる」

 ロナルド・レーガン氏が二期八年の大統領任期を満了してから二年後、東側社会主義陣営は崩壊して冷戦構造は消滅した。また、アメリカ社会の犯罪発生数も大幅に減った。

 そしてそれから六年後、クリントン政権下でアメリカの財政は黒字に転じた。冷戦の消滅で軍事費が削減できた上、情報産業や金融、観光、個人向けのサービス産業などが大発展、知価社会が確立されたために税収が伸びたからだ。レーガン氏の予見したとおりのことが起こったのだ。

 人類文明に大変化を起こした「知価革命」を推進したのは、アメリカ史上最高齢の老大統領である。高齢者なればこそ改革ができたのだ。



  週刊朝日 平成16年4月23日号 連載コラム「堺屋太一の 時の正夢」              


危うし日本!B 官僚独走の恐怖


◎お金は使い放題、損はし放題

 四月七日、財務省は三月末の外資準備高が8266億ドルになった、と発表した。一年前より3100億ドルの爆発的な増加である。 急増の主たる理由は、政府・日銀の行った為替介入だ。2003年度の円売りドル買いは30兆円にも達する。三年前の小渕・森内閣当時とは、ケタ違いといえるほど巨額だ。 それに伴う損失は大きく、既に8兆円を超えている。一年間の消費税の税収は約9兆5千億円、その九割近い金額が、外国為替特別会計の評価損になっている。

 為替介入の意思決定は主として政府、つまり財務省の財務官ら少数が行っている。彼らは、どういう理論的根拠か説明もせず、円の対ドル相場を円安ドル高に保つべきだ、と考えた。そしてそれを、政府の、というよりも自分たちの権威と権力でできると信じた。これまで何度も為替介入をしても結局は効果がなかった前例があるにもかかわらずだ。財務官の系統には、派手に動き回りたいという「目立ちたがり症候群」が職務遺伝しているのかもしれない。

 それでも関係閣僚の目配りが利いていた時代には、介入額は抑制され、効果的な時期と手法を考える努力はした。ところが小泉内閣は思考停止状態だから、官僚たちはやりたい放題、確たる根拠もなく無制限に為替相場を楽しみだした。

 金額に歯止めがかからなくなると、頭脳は止まる。ただただ力ずくで円を売りドルを買った。一時、円が110円まで下がると、押し下げ効果を狙ってさらに円売りをしたが、そのかいもなく相場は逆転し、すぐ105円前後になった。それが急に三月下旬には介入をやめた。8兆円もの損失を残して。 銀行であれ商社であれ、これほどの損を出せば担当者はクビどころでは済まない。だが、官僚は誰一人クビにも戒告にもならない。外国の金融業者に「ミスター・ドル」などといわれて悦に入る有り様だ。

 官僚の損し放題はこれに限らない。年金基金や雇用保険は、大赤字の保養施設や劇場を造って消費税収入と同じほどの累積損を出している。ここでも責任を取った官僚はいない。

◎外交方針の大転換か

 二月十八日、イラン国営石油公社と日本の国際石油開発とは、アザデガン油田の開発で協定を結んだ。独立行政法人となった石油公団(石油天然ガス・金属鉱物資源機構)の全面支援で20億ドル(約2100億円)をかけてイラク国境近くのアザデガン油田を開発するものだ。

 アザデガン油田は埋蔵量260億バレルともいうが、確認されているのはその何分の一かで、日本側の計画では当面の生産量は日産15万バレル、ゆくゆくは26万バレルにまで引き上げるという。このとおりにいけば、日本の消費量の6〜7%を賄える。

 ところで、この油田を何のために開発するのか、実にわかりにくい。 石油資源の安定供給という点からみれば、いまや九割に近い中東依存度を引き下げることが重要だ。ところがこれに対してアザデガン油田は中東ペルシャ湾ルートの奥にあり、石油供給源の多様化にはならない。 日本資本による「自主開発」だから安定供給に役立つ、というのは空想的だ。1973年の石油ショックの際には、日本資本のアラビア石油は何の役にもならなかった。どこの資本かによって物資の供給に差があるというのは第二次大戦前の帝国主義の幻影で、グローバル化した今日ではあり得ない。官僚は権限と予算と天下りの拡大のために、この種の議論を何度も繰り返し、何兆円も無駄にしている。

 投資で儲けるというのも難しい。欧米のメジャーは「引き合わない」と手を出さなかった案件だ。日本も英蘭系のシェル石油を誘ってみたが、リスクの高い割に利益が見込めないと断ってきた。いずれどこかの外国企業に頼らなければ、日本には大油田を開発する技術も経験も乏しい。

 日本とイランの外交関係を深めるため、という説も問題が多い。イランは周知のとおり、核開発疑惑国である。最近になって国際原子力機関の査察を受け入れる方向にあるが、まだ実行されていない。 日本は戦後、国連中心、対米協調、核拡散防止の三つを外交の基本としてきたはずだ。ところが、昨年、国連決議なしにアメリカがイラクに出兵したのを支持し支援していることで、国連中心の方針は失われた。そのことへの賛否はともかく、小泉内閣はそう決断したのである。

 ところが、今度のアザデガン油田の場合、国会議論も政治討議もないままにアメリカの反対する核疑惑国に率先して資金提供する格好になった。日本が対米協調も核拡散反対の旗も降ろしたといわれかねないことが、官僚の独断で進んでいるのだ。事の善悪賛否はともかくとして、これほど重大なことが国民的政治的議論なしに進んでよいのだろうか。

 先の尖閣諸島に侵入した中国人の逮捕は、現地警察の判断に委せたという。法務省は中国人就学生の許容数を突如半減させた。将来は外国からの人材導入が必要といわれているのに、本当にそれでよいのか。 いずれも国政の基本にかかわる重大問題だが、官僚の判断だけで進んでいるのだろうか。

◎強まる官僚介入

 今、多くの分野で官僚の介入が激しくなっている。タクシーやバスの運行にも、安全性を盾にした官僚の指導や介入が強まっている。医療機関でも、医療事故の防止や医師の名義貸し防止などから調べが増えた。金融機関に対する監査や指導が厳しくなったのはよく知られている。教育の分野でも文部科学省の「指導」の圧力は衰えない。むしろ、法科大学院の設立などでは官僚の恣意的な選別が強化され、事前予測性が低下してしまった。

 地方自治体に対しても、財源と権限を譲り渡す「三位一体改革」がいわれながら、そのほとんどは補助率の引き下げだけで廃止はわずかだ。つまり、中央官僚が事業の取捨選択権はガッチリと握っているのだ。 小泉内閣は「族議員を追放する」という形で、政治家を排除した。その結果、官僚の権限と裁量が強大化している。 同じことは昔もあった。昭和九年に官僚たちは「帝人事件」なる架空の疑惑事件をデッチ上げた。汚職まみれの議会政治家を政府主要ポストから外した。これが官僚軍人独走をいちだんと進め、戦争につながったことは明らかだ。

 そういえばその年、昭和九(1934)年も、大不況後の景気回復が盛んにいわれた年だ。官僚統制の強化は、企業の利益を一時的に引き上げ、表面的な景気上昇をもたらす効果がある。だからこそ官僚介入は何よりも恐ろしい麻薬である。



  Voice 平成16年3月号  堺屋氏寄稿記事                             


チンギス・ハーンの教訓

アメリカよ、「二十一世紀のモンゴル」たれ


 巨大な事業は、それを実行する者の意図や目的にかかわりなく、世界の構造と歴史に大きな影響を与えるものだ。いま、アメリカ合衆国が、イギリスや日本などを誘って行なっているイラク派兵も、その一つかもしれない。

 アメリカに協力して世界秩序の一端を担うとすれば、アメリカの意図よりもその現実の構造を認識すべきだろう。巨大なダンプカーが走れば、運転手が心優しい人でも地響きがする。 現在行なわれているアメリカの「イラクの自由と世界の安全を実現する」戦いは、テロの撲滅や大量破壊兵器の廃棄、あるいは国際石油供給の安定を目的としたものだとしても、究極的には、唯一最大の軍事力をもったアメリカによる新しい世界構造、つまり「知価社会における世界基準(グローバル・スタンダード)の確立」を実現することになるだろう。

十三世紀のスーパーパワー

 歴史上、世界に対抗勢力がないスーパーパワー(軍事覇権)をもった国家は、きわめて稀である。

 現在のアメリカに喩えられることの多い紀元前後のローマ帝国は、世界人口の23%を占める帝国領の内では圧倒的な力をもっており、「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」と呼ばれる世界を築いた。 しかし、対外的に見ると、ローマ帝国は東のパルチア王国や北のゲルマン諸族など強力な対抗勢力を抱えていた。 同じころ中国の漢帝国は、ローマ帝国をも上回る規模をもち、全世界人口のおよそ30%が漢帝国に属していた。だが、その漢帝国にも、北方の匈奴などが対抗勢力として存在した。

 こうした「パックス・ロマーナ」や「パックス・キーナ」の状態は、現在のアメリカというより、社会主義陣営と対峙していた冷戦時代のアメリカと似ている。 現在のアメリカは、冷戦時代とは異なりオンリーワンのヘゲモンであり、全世界の秩序と治安に責任をもとうとする軍事覇権国家である。

 こうした例は、人類の歴史のなかでただ一度だけ存在した。13世紀後半から14世紀にかけてのモンゴル帝国だ。当時、モンゴル帝国は、西はアドリア海から東は日本海まで、北は北極圏から南のインダス川とホン川(ベトナムのハノイを流れる)までを支配し、各地で長期の統治を樹立していた。 しかも、モンゴル帝国の限界はモンゴル自身が宗主(ハーン)の死去や風土病への嫌悪で停止したものだった。

 モンゴル軍は、日本とベトナム(チャンパ)への侵攻は台風に阻まれたが、さほど重大な挫折ではなかった。モンゴル軍が軍事的に阻止されたのは唯一、エジプトだけである。彼らは必要しだいで世界中に赴き、自らの都合で引き揚げた。全世界の八割がその統治を認めていたのである。 そんなモンゴル帝国(ハーン・ウルス)にとってもテロは問題であった。テロは戦争ではなく犯罪行為である。統治地域の治安を維持するには、犯罪はなくさなければならない。これは現在のアメリカも同じである。

 1250年代の中東では、バグダッドに崩れかかったアッバース朝のカリフがおり、ホラズム王朝の残党が暗躍していた。最大の問題は、イスマイル派という狂信的な武装勢力が跋扈していたことだ。

 イスマイル派は別名「暗殺者集団」、そこには「ハッシーシ」と呼ばれる連中がいた。「大麻を吸う人」という意味だが、英語の「アサッシン(暗殺者)」の語源でもある。彼らは大麻の中毒効果を利用してテロリストをつくり、自らも助かる見込みのない暗殺行為、いわば自爆テロ攻撃をやらせた。

 これに対して、チンギス・ハーンの孫であるフラグ・ハーンは、イスマイル派の教主が立て籠もるアラムート山城を包囲攻撃した。暗殺やテロによりモンゴル側にも犠牲は出たが、モンゴル軍団は見事にテロ組織の殲滅に成功した。イスマイル派にも内紛があったからだ。中東には古くからテロを政治手段とする発想があるのは、記憶しておくべきだろう。 21世紀のアメリカが、フラグ・ハーンほどうまくやれるのかどうか、知恵と決意と実行力の問題である。

人類最初のグローバル化に成功

 意外に思われるかもしれないが、13世紀のモンゴルと現在のアメリカには、多くの類似点がある。

 第一は時代背景である。モンゴル世界帝国の出現は「宋代亜近代」とも「12世紀ルネッサンス」ともいわれる中世社会の爛熟期のあと、中世的な宗教支配と自給経済の崩れかかった「時代の転換期」である。

 11世紀から12世紀にかけて、遼(金)とカラキタイとホラズムと十字軍の四つを繋ぐか細い線で文物が運ばれ、人々は「異国の存在」を知った。だが、「世界」という概念はまだない。東と西とは「おとぎ話の国」だった。 それは第一次世界大戦ごろの世界に似ている。経済貿易の交流はあるが、世界はいくつにも分割されていた。

 ところが、13世紀前半、モンゴルにチンギス・ハーンが出現、東の北京と西のサマルカンドを支配し、このあいだに、自由、安全、共通の商業秩序を確立することをめざしている。第二次大戦でアメリカが東にマッカーサー、西にアイゼンハワーを派遣して、極東とヨーロッパを支配したようなものだ。 だが、この段階では南に南宋や金王朝の既存勢力が、西にはバグダッドのカリフやイスマイル派の支配地があった。冷戦のような「対抗勢力のある状況」だったのだ。 約50年後の13世紀後半、チンギス・ハーンの孫たちがそれを変えた。バツがロシアと東欧を、フビライが全中国を、フラグがイラン、イラクを征服し、有効に統治したのである。

 この結果、人類は初めて「世界」を意識し、中東と中国とが自由、安全、共通なスタンダードをもつようになった。13世紀後半にモンゴルが果たした役割は、21世紀のアメリカが果たそうとしていることである。

ファースト・カム・ファースト・サービス

人口200万人程度のモンゴルがどうして世界の八割を支配できたか。それは、

@社会の仕組み
A政権の構成
B経済の仕掛け
C軍事思想と戦法
D文化への不干渉

の五つの要素から成り立っていた。そして、それは今日のアメリカも同じである。

 まず第一に、モンゴル社会の基本的な仕組みは「ファースト・カム・ファースト・サービス」。モンゴルに帰順した順に、民族の社会的な評価は高かった。最も評価が高いのはモンゴル人であり、次がトルコ人、その次がイラン系の人々である。その下に北方中国人、アラブ人、ユダヤ人、ロシア人、南方中国人が並んでいた。

 アメリカでも、アメリカ国土に移住した順に社会的評価が高い。人種平等、無階級社会とはいえ、民衆のあいだに根付いた評判はいまも拭いきれない。 だからアメリカン・インディアンの評価は高い。1923年にアメリカ大統領になったカルビン・クーリッジにはインディアンの血が混じっているというので、選挙の際は大酋長の姿に扮した選挙ポスターを貼った。ミッドウェー海戦で戦死したウォルドロン海軍中尉や、硫黄島の戦いで島に旗を立てた海兵隊4人のうちの一人も、インディアンの血によっていっそうの名声を博した。

 こうした社会的評価の序列によって、かつてのモンゴルは無限に「味方」を増すことができた。しかし、一方でモンゴルの政府機構の人事は、「平等」だった。

 今日のアメリカとの第二の類似点は、政治経済機構において、あらゆる人種、民族、宗教、習慣の差別を撤廃し、能力主義、実績主義の組織を形成したことだ。モンゴルの朝廷にはモンゴル人のほかにトルコ人、中国人、ユダヤ人、イラン人、アラビア人らがおり、なかにはイギリス人の将校もいた。モンゴルの政府機関は能力主義、実績主義を貫いている。

 フビライ・ハーンの宮殿の財務大臣はアフマドというアラブ人で、宰相には陳隗という中国人もいた。フラグ王家の宰相で有名な歴史家のジェラール・ウッディーン(・ラシード)はユダヤ人だったという。13世紀にわずか200万人だったモンゴル人が世界を征服できたのは、今日のアメリカと同じように、人種や宗教に関係なく才能を取り入れたからである。

ドルは2050年まで保つ?

 第三に、経済構造の類似がある。現在のアメリカの国際収支は巨額の赤字である。 アメリカはヨーロッパや日本の企業に投資を促し、生産力の移転を試みているが、依然としてこの国の製造業は国内の膨大な需要を賄うにも十分ではない。 アメリカは現在、年間4000億ドルの貿易赤字に加え、5000億ドルにもなろうとする財政赤字を抱えている。それが、日本や中国からの資金流入で賄えるのは圧倒的な軍事力と情報伝達の権威(ドルの威信)があるからだ。

 この経済構造は、モンゴル帝国に似ている。 モンゴルは占領地の職人を連行して生産力の移転にも努めたが、軍需を賄うのが精一杯で、輸出品を大量生産するには至らなかった。このため国際収支は赤字、それを全世界からの資本流入で補っていた。

 経済において、モンゴルは徹底したグローバリズムをとった。その実態は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』にも描かれているが、いささか小説的である。より実務的な書物としては、フィレンツェのバルディ商会員フランシス・ベゴロッティの書いた『ラ・プラクティカ・デラ・マルカンツラ(商業指南)』がある。ペゴロッティはバルディ商会の代表として黒海近くのタナに駐在した。彼は当時、ヨーロッパから北京まで安全に旅行でき、かつ元王朝の紙幣があらゆるところで通用する、と書いている。

 モンゴルは、チンギス・ハーンからオゴタイ・ハーンの時代までは主として陸上の国、シルクロードの国であった。 ところが、1270年代からはグローバルな海洋国家に変貌する。その理由は、南中国と現在のイラン、イラクを占領したことだ。貿易船が一方ではバスラやホルムズの港からインドへ、もう一方では中国の泉州から船出してマラッカ海峡を越えてインドへと航海、東西を繋いだのである。

 1270年代初めに旅を始めたマルコ・ポーロは、行きはヴェニスから陸上で北京に至り、帰りはモンゴルの王女と一緒に泉州から船で帰ってくる。その約25年間のあいだに、モンゴルは大変身を遂げていた。

 天山南道の陸路で交易していたときは、絹や金・銀しか運べなかったが、海上交通が大発展すると、陶磁器のような重量荷物が船で大量に運ばれるようになる。陶磁器は割れないように周りに泥を詰め藁で括って運搬したのだが、これでは重くて馬背では引き合わない。それが海上交通の発達によって、大量に運ばれた。また南洋の胡椒、香料が儲かる商品となった。 東洋からの輸出がさかんになると、その見返りとして西洋からは銀や銅が入ってきた。モンゴルの時代は銀本位制度が世界に広まり、銀表示の不換紙幣が発行される。

 紙幣(交鈔)は納税に使われたし賄賂にも有効だった。マルコ・ポーロやイブン・バトゥータが全世界を歩けたのも、世界共通の通貨・銀と紙幣があったからだ。驚くべきことにこの不換紙幣、なんと80年にわたり価値を保った。

 アメリカが金ドル交換を停止してドルを不換紙幣化したのは1971年だ。もしいまのアメリカ人がかつてのモンゴル人ほど賢明であれば、ドルはモンゴルの紙幣と同じく80年間、2050年まで価値を保つことができるだろう。

反乱が起きると10万騎で報復

 第四の、もっとも重要な類似点は軍事体制である。 モンゴル軍というと、野蛮な騎馬戦を思い浮かべる人が多いだろうが、じつは違う。彼らの軍事思想は大量報復型、戦術は「ハイテク物量作戦」だった。

 遊牧民族は騎馬と弓矢に長じているので、戦闘では強い。騎馬は機動力があるうえ、視点が高くて遠望が利く。13世紀の熟達した騎兵は、21世紀の航空機動部隊のような威力があった。しかし遊牧民の兵士の数は少ない。だから、占領地に駐屯軍を分散すると、人員が足りなくなる。

 フン族のアッチラ大王はコーカサスからフランスのトゥールーズまで攻め入ったが、侵攻した後の土地は他の民族がなだれ込み、安定した占領行政を行なうことはできなかった。11世紀に北中国に入った契丹族(遼)でさえも、華北の統治を放棄している。モンゴルはなぜ、200万人の人口で、全世界人口の八割を支配できたのか。

 モンゴルは、占領した地域にダルカチ(総督、知事)と呼ばれる占領軍司令官と、60人程度の兵隊だけを配置した。この数では武力で統治はできない。 その代わり、反乱が起きてダルカチが殺されると、モンゴル高原から10万騎の大軍が押し寄せ、軍人か否かを問わず、生きとし生けるものをことごとく殺した。つまり大量報復である。これは「先制攻撃を受ければ核兵器で無差別に報復をする」というアメリカの軍事思想と同じである。

 征服戦争においても、即座にモンゴルに降参した国は被害を受けないが、抵抗すれば占領後三日間、略奪を受けた。反乱都市の場合は、そのあとで大殺戮も行なった。全市民を着の身着のままで市街に出して略奪、そのあと民家に火を付け、洪水を起こして街を水没させ、兵士であるか否かを問わず一人残らず殺戮した。その話が伝わると、反乱を起こす者はいなくなり、少数でも統治が可能になった。

 アメリカの核戦略に大きな影響を与えた未来学者ハーマン・カーンの著書『熱核戦争論』は、この思想を書いている。「モンゴルの太鼓の響き」という表現は、この大量報復を意味している。

 では、報復戦争で勝つにはどんな戦術をとったか。ハイテク物量作戦である。それには補給と情報が大事である。 日本人は長距離遠征の経験が乏しく、騎馬文化に慣れていないため、「モンゴルは多数の馬を連れていたから、野草を食べていけばよいので、補給の苦労はなかった」と考えがちである。だが、実際は第一軍団が行軍すると、その道筋の草はすべてなくなってしまう。そのあとの第二軍団は違う道を選ばねばならない。水や緑地の限られた草原では、三つか四つのモンゴル軍が東西に3000キロも行軍するとなれば、各軍団は南北1000キロぐらいも離れてしまう。それが敵陣の前で再び一緒にならないと、各個撃破されてしまう。そのためモンゴルの軍は事前に示し合わせて、ある日突然、敵の目の前に出るという戦術を徹底していた。 作戦期日を厳密にするため伝令には韻文に変換した伝言を覚えさせた。

 モンゴル人は示し合わせた時間にたがうことをひどく恥じた。ジャムカとトグリル・ハーンとチンギス・ハーンの三軍団がメルキト討伐のための軍事統治を行なった際、トグリルの軍が「三日遅れた」といってジャムカが怒る。それに年齢も地位も上のトグリル・ハーンは素直に詫びる場面が『元朝秘史』にも出てくる。

 1991年の湾岸戦争に従軍した陸軍少将が、私に「われわれの情報システムはチンギス・ハーンに及ばない」といったことがある。モンゴル軍が全軍オン・タイム(時間どおり)に動けたのは、一度決めた方針を変えなかったからだ、という。現在は情報や軍の意思決定がすぐに変わるので、攻撃ミスや同士討ちも起こりやすい。

文化に介入してはならない

 モンゴルの長期世界支配を支えたもう一つの要素は文化不介入、そして「小さな政府」だ。21世紀のアメリカが、これをどこまで守れるか。それがこれからの鍵である。 モンゴル帝国は、征服地の文化には干渉をせず、治安の維持と通商路の確保に全力を挙げた。アメリカもこの点でモンゴルに学ぶべきであり、「イラクを民主主義化する」といった理想主義は無用である。

 当時のモンゴル人は、土着のシャーマニズムを信仰していたが、それを他の民族に普及させた気配はない。また、特定の宗教を弾圧したこともない。モンゴルの宮中にはイスラム教、仏教、道教、キリスト教、ユダヤ教などあらゆる宗教の信仰者がいた。

 フビライ・ハーンやフラグ・ハーンの占領政策が成功した理由は、住民の信仰と文化には干渉しなかったことだ。 もう一つ、「小さな政府」で税負担が少なかった点も見逃せない。モンゴル税制の原則は、「100頭から2頭」である。つまり税率2%だったわけだ。賄賂の習慣はあったが、税金よりはずっと安い。 経済は完全な自由競争主義で、福祉や教育は地域に任せた。文化不介入なら当然だろう。国家(中央政府)が熱心だったのは軍事と駅伝通信、つまり情報である。

 今日のアメリカも「小さな政府」を志向しているのは世界帝国としては正しい。1960年代のケネディ・ジョンソン時代には、アメリカも公民権運動や福祉政策で「大きな政府」になった。その結果が70年代からの擾乱と抵抗である。アメリカで「リベラルはこりごり」という世論があるのは覇権国にふさわしい選択だろう。

 だが、文化不介入と「小さな政府」を貫くのは簡単なことではない。チンギス・ハーン以前にも、広い地域を征服した者はいたが、いずれも自己の文化を広げようとした。アレキサンダーはギリシャ文明を拡めようとして自滅した。ローマ帝国も自らの文化を広げることに専心し、至るところに劇場や神殿を建てた。漢もイスラムもそうである。

 ところがモンゴルは文化を普及させずに、通貨と情報を普及させた。これこそモンゴルの支配が長く続いた理由である。

 13世紀に始まったモンゴルの占領は、中国の南部で100年間、中国の北部とイラン、イラクでは150年続いた。ロシアに至っては500年間という長期支配を築いた。 アメリカの覇権が何年続くか分からないが、文化不介入と「小さな政府」は重要なポイントである。

 最後に、イラクの占領、あるいは日本の自衛隊派遣に関わる本質的な問題として、「20世紀型軍事システムは21世紀に有効でありうるか」という問題を考えてみよう。

 20世紀型軍事システムというのは、陸、海、空の三軍制度であり、これこそ近代軍隊の姿とされてきた。だが、軍隊にも企業や官僚組織と同様に、「組織の盛衰」がある。アメリカの圧倒的な軍事力のもとでの平和を考えれば、日本の自衛隊の陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊というシステムは時代遅れではないのだろうか。

 私は、知価時代の軍隊としては、次のような三軍編成に改めるべきだ、と考えている。

 一番目に、防衛強襲軍である。陸海空共通の知識と技能とハイテク兵器で武装した精鋭集団で、侵略する敵軍を強襲する祖国防衛軍である。

 二番目は、建設殖産軍である。工兵として建設や施設を担当するだけでなく、世界各地の殖産興業の授産技術をもつ。海外で土木建設や工場の運営指導を行なう能力と装備をもたねばならない。

 三番目は、災害復興や治安維持、群衆整理の任務に当たる治安救助軍である。

 これら三軍の制度のもとに30万人の自衛隊を三等分する。 10万の超精鋭からなる防衛強襲軍、10万の建設殖産軍と、10万の治安救助軍に分ける。一人の兵士は一つだけの専門能力ではなく、射撃と飛行機操縦とIT通信といった三芸に秀でるための訓練を行なう。

 人事はローテーションを徹底させる。たとえば最初の十年は建設殖産軍に入り、三十代で防衛強襲軍に移る。四十歳を過ぎたら、治安救助軍の任務に就く。すると六十歳まで個々の能力を生かした活動を行なうことが可能になる。

 20世紀型軍隊の特徴は、近代装備の軍同士が長期戦争を戦うという前提で陸、海、空の区分で部隊をつくった点にある。しかし、これは今日では費用だけを浪費して実効が上がらない。いまF15を操縦する隊員がイラクに行っても役に立たない。むしろ必要なのは、土木建設や通信業務に長じた人材である。昨年、米軍が行なったイラク戦争の例でいえば、バグダッド陥落までは防衛強襲軍の仕事だが、占領統治が始まったら防衛強襲軍は引き揚げ、建設殖産軍に任務をバトンタッチするというシステムがよい。

 かつてのローマ軍団は原則として工兵であり、建設が軍団の主要任務であった。「すべての道はローマへ通ず」といわれる多くの道路や水道をつくったのは、軍隊である。

 日本が世界の軍事改革の先頭に立っても悪くない。戦争経験がないから、またこれからもしないために、過去のしがらみを絶ちやすいからだ。

 そのためにはまず、縦割り式の教育システムを改めるべきである。明治時代の日本には西郷従道のように陸軍中将から海軍大将に昇進する人物もいた。ところが日露戦争以降は縦割り官僚制度になった。とたんにコストが掛かり、戦争も下手になった。

 今日の自衛隊も縦割り官僚制度になり、さまざまな非効率が現われている。「21世紀のモンゴル―アメリカ」と同盟を維持するとなれば、イラク派兵のような事態は、これからも繰り返されるだろう。それに対応できる自衛隊のあり方を考えるべきときである。

 自衛隊がイラクの人々の期待どおり、大勢を雇用して、建設と殖産に努めてもいいのではないだろうか。



  文藝春秋 平成16年2月号  堺屋氏寄稿記事                          


少子高齢化で「楽しい社会」実現


 これからの十年間に、少子高齢化は劇的に進む。総人口も2005ないし06年をピークとして減りはじめるが、それ以上に、高齢者が増え、若者と子供が減ることの意味は大きい。 問題は「団塊の世代」の存在にある。1947年から50年に生まれた一千万人余、史上最大のベビーブーマーが団塊の世代である。十年後には人口の約10%を占める団塊の世代が、全員60歳以上の高齢者になる。

 彼ら団塊の世代は、適齢期を迎えるとごく自然に結婚し出産したため、70年代前半には年間200万人余が生まれる第二次ベビーブームが起きた。「団塊ジュニア」と名付けた世代である。 ところが、その団塊ジュニアが30代になったが一向に出産数が増えない。日本の女性の合計特殊出生率(以下、出生率)は1.32にまで落ち込み、期待された第三次ベビーブームは発生していないのである。

 こうなると少子化は免れない。「団塊ジュニア」のあとの世代からは、親の数が減るから、出生数は一段と減り、2002年には約115万人にまで落ち込んだ。 戦前の人口ピラミッドは低年齢層ほど多い「富士山型」だった。戦後は団塊世代が大きくふくらんだ「壺型」だったが、十年後には高齢層が大きくふくらむ「松茸型」になる。「団塊ジュニア」たちは、下のめり込んだ崖っぷちに腰掛けた「断崖の世代」なのだ。

罪深い官僚の悲観論

 では、なぜ少子化がかくも進んだのだろうか。よくいわれるのは、女性の高学歴化と就業によって未婚・晩婚化したためだ、という説である。 しかしそれだけでは日本の出生率が1.32まで低下した理由は説明できない。先進諸国の近年の出生率と比較すると、イギリスは1.63、フランスは1.90、アメリカは2.13。これら諸国よりも日本の方が、特に女性の社会的進出が進んでいるわけではない。

 また、教育費など子育ての負担が大きいので子供を産めない、という若者も少なくない。1990年頃から始まった主張である。これが広くあるとすれば、教育や幼児保育の高度化が少子化の理由ということになる。しかしここ十年ほどで教育費が特に急増したわけでも、家計所得が激減したわけでもない。

 「日本の住宅事情が悪いから」というのも通説の一つだが、一戸あたりの住宅平均面積は、東京のほうがパリやロンドンより広い。また住宅事情のよいドイツなどの出生率の低さも不可解だ。 特に東京都は、平均所得が全国一高いのに、出生率は1.02と最低である。これは、東京の「江戸化」現象ともいえるだろう。歴史人口学の速水融教授によると、徳川時代、江戸には地方から大量の人口が流入したものの多くは一代限りで死に絶えた。江戸は、人口のブラックホールだったのだ。

 少子化には経済事情や住宅事情より、もっと根源的な理由がある。未来に希望と誇りが持てないことだ。 たとえば、戦争に負けると出生率は下がる。普仏戦争に負けたフランスは、第一次大戦で勝利するまで出生率は低かった。ドイツも第一次大戦で負けると急激に出生率が下がった。現在、出生率が断然低いのは、ドイツ、イタリア、スペイン、そして日本である。ソ連崩壊後のロシアでも出生率が下がっているという。 自国の将来に希望と誇りを失うと、子供を産むことにリスクを感じるのである。決して、貧困など物理的な理由ではないのは、貧しかった時代の日本や、発展途上国の多産を見ても明らかだ。

 ではなぜ今、日本人は希望を失い、子供を産まないのだろうか。言い換えれば、少子化を誘導している要因は何だろうか。 それは官僚主導である、というと意外に思われるだろうか。 ひとつには、官僚が将来に対して極めて悲観的な見通しをアナウンスしているため。もうひとつは、社会変化を嫌い現状に固執する反面、教育や家計、人生設計にまで介入する現在官僚の性向のためである。

 一つ目の長期悲観論を見てみよう。
 官僚は長年、「このままでは日本の財政は破綻する」と喧伝してきた。たしかに財政赤字は問題であり、デフレからの脱出と景気回復は急を要する。だが、解決の方策も将来のビジョンもなく「悲惨な未来」を喧伝するため、国民の間には「これから子供を産むと大変なのだ」という気持ちを起こさせている。 それでいて、抜本的な改革には手をつけず、目先の帳尻あわせを繰り返すので、国家の信頼は揺るぎ、ますます不安を高めている。

 いい例が、今回の年金改革だ。昨年末の与党合意では、年金給付額を現役世代の収入の50%に保つために、国民の年金保険料を年収の18.35%にまで増やす、という。これが実現されれば、将来の国民負担率(国民所得に占める租税および社会保障負担の率)は60%を遥かに越える。これを聞いて国民の多くは、「自分の老後が安心になる」とは思わず、「子供たちは将来、重い負担に苦しむ」と考えてしまった。将来の年金は信用されていないが、負担増は信じられ易い。日本人は心配症なのだ。

 一方、少子化にもかかわらず、教育費は減らない。文部科学省は、予算や教員数を維持するために少子化にあわせて学級人数を減らすように勧めている。このため国民の間には、「少子高齢化で老後は不安になり、子育ての負担は大きくなる」という印象だけが広まってしまった。

 もっと重要なのは、官僚たちが70年代から進めてきた「人生の社会化」だ。教育・医療・年金・介護を家族の手から社会のものへと転化したことは、「あなたの子供は、あなたの人生の役に立ちません」という悲観的メッセージを繰り返すことになった。これでは「子供はリスクだけでリターンがない」と嫌がらせるようなものだ。デフレスパイラルならぬ少子化スパイラルを起こしているのだ。

 官僚は部分の専門家だから、「今の社会が永遠に続く」という前提でしか発想しない。そのため社会的激変期には空想的悲観論になってしまう。

 戦後の日本は、近代工業社会の確立に邁進してきた。そのために、規格大量生産に適した人材を教育し、年功序列の終身雇用を強要し、官公庁が衰退産業を保護してきた。 今や、規格大量生産社会は終焉を迎え、次の「知価社会」に向かっている。それは、多様な情報をもとに、個人の価値観が重視さるべき社会である。 現在の日本は、近代工業社会に適応しすぎているため、次の社会への移行に対応できず苦しんでいる。このような社会変革の胎動に官僚はまったく気付こうとしないのである。

 社会変革を無視した官僚のせいで、いま破綻がもっとも露になっているのが、教育分野だろう。 少子化によって、子育てのプレッシャーが高まっている。子供が一人だけだと「失敗できない」と考えるため、私立校や塾に通わせるので教育費が嵩む。肉体的にも、子供を壊れやすいと思い込み、膝をすりむいても病院に連れて行く。子供がそれほど死にやすいものなら、人類はとうに絶滅しているはずだ。

 「子育て=重荷」という考えは90年代前半から強まってきた。当時、新聞社のシンポジウムで、「私も夫もコンピュータ技術者で所得は高い方だが、子供をもつと教育費がかかる。夫婦ともに平均寿命まで生きる場合、とても豊かな生活はできない。子供は人生の重荷だから産めません」という二十代の女性の発言に驚いた記憶がある。こうした考え方は、まだ珍しかったのだ。

 幼児虐待が顕在化してきたのも90年代に入り、規格大量生産社会の終焉に、親たちが無意識に反応し始めた表れだ。これまでの子育てでは今後の「知価社会」に通用しない。受験勉強をさせても、本当に役立つのか分からない。「子育ては高リスクだがリターンがない損な投資だ」という風潮が強まりだしている。

 子供たちもまた、従来型教育への不信を抱きはじめた。これまでの教育は、規格大量生産に役立つ人材、すなわち「忍耐強く、協調性があり、共有の知識と技能を持ち、個性と独創性のない」人材の育成に努めている。 だが、子供たちは、こうした「画一化教育」が将来の社会では役立たないことを直感的に判っている。「学級崩壊」や「不登校」は、「小さな消費者」たちの教育サービス不買運動なのである。

 ところが、文部科学省は、「心の教育」と称して、道徳教育の読本を与えたり、奉仕活動を義務付けたりと、あくまで協調性重視の規格大量生産型教育を押し売りしようとしている。 あまつさえ「ゆとり教育」では、算数が得意でも円周率は3と教え、天文に興味があっても星座は二つしか教えない。「知価社会」に向けて子供の好きなもの、得意なものを伸ばすのではなく、逆に学習を制限している。教育官僚には、規格大量生産社会のための画一化教育しか思いつかない。「ゆとり教育」は、画一化教育のまま内容を空疎にし、教師にゆとりを与えただけのものである。

少子化はマイナスではない

 そもそも、少子化は恐れねばならないことだろうか。実は、人口が減ることは必ずしもマイナスではない。 たとえば、イタリアでは15世紀に、人口が極端に減った。人口歴史学者のレイナールらによれば、1340年にイタリア半島の人口は930万人だったが、1500年には550万人と、約四割減少した。 そして、この間にこそ、ルネッサンス文化が花開いたのだ。

 人口が減少すると、生産性の低い土地は耕す者がいなくなって捨てられた。人口は生産性の高い職業や土地に向う。 当然、一人あたりの所得が高まり、庶民にもフィレンツェの絹製品やベネツィアのガラス器を購入する余裕が生まれた。こうした手工業が発達すると国外にも輸出され、イタリア経済は発展する。教会への寄付も増えて新しい聖堂が次々に建設され、そこに壁画を描き、彫刻をつくった。これがやがて、ミケランジェロやラファエロを生み出したのである。

 ところが同じ頃のドイツでは人口の減少によって経済が衰退した。当時のドイツは、イタリアよりはるかに封建領主(地主)の権力が強く、農民の自由な移動を禁じて生産性の低い土地に縛り付けた。このため、一人あたりの所得が上がらず、むしろ都市の商工業が衰退してしまった。繁栄を極めた南ドイツの諸都市が衰亡したのはこのためである。

 今日の日本で封建領主にあたるのは各省官僚だ。生産性の低い産業に多くの人材を囲い込み、経済効率を悪化させている。イタリア型で、生産性の高い産業に労働力を集中させれば、少子化でも経済発展の可能性は充分にある。

 明治以来、日本は「人口過剰・土地不足」と信じられていた。このため、山間を開拓し、海浜や湿地を埋め立て、離島に橋を架けてきた。土地を広げることは、人口過剰の島国にとって絶対的な正義だったのである。 しかし、今や日本は「人口不足・土地過剰」だから、発想の原点が崩れてしまった。官僚たちの長期悲観論はここからはじまっているのである。

 少子高齢化が進むと、労働力が不足し、年金制度が破綻する、という。これもまた「誤った前提を変えない」官製の悲観論の一つである。 労働力の問題は、「70歳まで働くことを選べる社会」にすれば解消できる。これを単なる「70歳定年制」などと思うのは工業社会の悪癖だ。「定年」という制度自体が近代工業社会の特産物だ。これからは、週三日勤務や在宅勤務など、雇用形態も勤務方法も考え直し、最適なオフィスの形態を研究する必要がある。急増する高齢者労働力を活用するシステムをつくれば、一挙に経済は活発化し、税収も増える。

 もう一つ、移民を一定限度まで受け入れることも必要だろう。毎年、人口に対して0.2%程度の移民を受け入れても、日本の社会と文化は対応できる。毎年24万人が流入し、その半分が滞留するとしても十年で120万人、先着者が同化するのに充分なゆとりがある。

 今は外国人労働者を原則禁止にする、労働鎖国の状態にあるが、きちんと表玄関をあけてコントロールしたほうが、裏口から忍び込まれるより安全である。 私が育った戦前の大阪市では、人口300万人のうち約二割、60万人が朝鮮半島などからの移民だったが、先に移民した世代は日本に同化していた。

 歴史的に見れば、移民の許容は、先進国の機能の一つだ。いつの時代でも先進国は、移民を受け入れることによって技術と市場を世界各地に移転してきた。移民が帰国すればマーケットも広がり、会計帳簿のつけ方や納税方法、金融交易の倫理など先進的な手法が伝播された。日本もこうした文明史上の役割を担うべきだ。それによって日本自身も世界文化の多様性を学ぶことができる。

 少子高齢化と必ずセットで語られるのは年金問題だ。
 「七十歳まで働くことを選べる社会」が形成されれば、年金支給開始年齢をを六十七歳に引き上げることができる。六十七歳から七十歳までは「年金兼業」とすればよい。六十七歳までに収入も貯蓄もない人々は、年金ではなく生活保護、つまり税金によってケアすべきであろう。

 現在の年金制度でまず解決すべきなのは、国民年金の保険料未納問題である。四割近い保険料未納者があるのは、この制度が既に破綻している証である。その不足分を、毎月きっちり徴収できるサラリーマンの厚生年金から引き当てるのは筋違いである。

 実は、国民年金保険料の未納者は、2000年から2003年までの間に10%以上も増えた。徴収を市町村から社会保険庁に代えたからだ。市町村は全国に3200あり、地方税も集めているが、社会保険事務所は265ヶ所しかない。月1万3千円の年金保険料だけを徴収するのでは、未納者を追いかけても費用倒れは明らかだ。

 国税、都道府県税、市町村税など、公に納めるお金の集金は、すべての市町村に一元化すれば、約5万人の官僚が不要になり、未納率も低くなるはずである。

 今日の日本は社会的には現役世代から保険料を集め、高齢者に年金を分配する。その一方で、家計においては高齢者が現役世代や孫たちにせっせと小遣いをやり、遺産を相続させている。高齢者から現役世代に流れる金額は小さくない。

 年金と贈与の循環の過程には必ず官僚の手数料と干渉が発生する。世代間のお金の循環は最小限にすべきだ。高齢者が自分のために金を使い、年金は生活水準を保てる程度にとどめれば、現役世代の負担は軽くなる。厚生労働官僚の「年金は破綻する」の叫びも収まるだろう。 官僚が生活と人生に介入する程度は少ない方がよい。

少子高齢化問題の解決策

 少子高齢化問題の根本的解決策は何か。それは、少子高齢化現象を問題化しない方法、つまり「好老社会」と「好縁社会」の実現である。人間が長寿になるのは幸せなことだ。それで楽しみと誇りが持てれば至福の社会だろう。

 現在の高齢者の多くは、子や孫に伝えるべきソフトウェアや人脈を持たない。昔のように家業を継ぐのであれば、子供に伝えるノウハウがあった。冠婚葬祭など地域社会の知恵もあった。しかし現代のサラリーマンでは、親の世代の知識や人脈が子の世代に役立つことはない。「うちのオヤジ」と慕うのは、世襲議員が二世タレントだけである。

 このため、規格大量生産社会では、各世代が職場に埋没し、ひたすら職場の縁に人脈を求めてきた。このため職場を失った高齢者は、人脈を使えるノウハウもなくなってしまう。

 これからの知価社会では、職縁は薄れる。それに代って、同好の士のネットワークを重んじる「好縁社会」が生まれるだろう。会社での評判ではなく、価値観や趣味を共有するコミュニティを大事にする社会だ。そこで、独自の知恵と人脈をもった「楽しい爺さん婆さん」として生きれば、高齢者が敬愛される「好老社会」ができる。

 それには、自分の「好きなもの」を真剣に追求し、仲間を見つけることだ。
 これから高齢者の大勢を占める団塊世代は、現在およそ五十五歳。あと十年は「好きなもの」を追及する時間がある。十年といえば、中学に入学してから大学を卒業するまでの期間だ。中学入学と同時に志を立てて何事かを学び始めれば、大学を出るころにはひとかどの専門家になっている。五十五歳で好きに目覚めれば、六十五歳にはかなりの専門家になれるはずだ。そうなれば、おのずから同好の士が集まり、敬意を受けることにもなるだろう。

 幸せに生きる高齢者の姿を見て「人生は楽しいものだ。好きなことで生きられる」と信じられれば、未来に夢が持てる。子供を産み育てることに、脅え惑うこともなくなるだろう。

 子供を持つかどうかは、あくまで個人の選択の問題だが、子供を持つことが「楽しみ」になる世の中をつくるか、子育てが重荷と感じる社会にするかは、社会的な主観の問題である。子供とは、自分の「好きなものを」伝えることのできる、最も身近な存在でもある。

 これからの十年間に、少子高齢化は劇的に進む。しかしそれを悲観する必要はない。日本は高齢化先進国として人類文明に先駆ける位置にいるのである。



  週刊東洋経済 03年12/27号  新春特別インタビュー                    


――2004年はどのような年になると見ていますか。

 長らくデフレ経済が続いてきましたが、世界的にインフレのにおいが少し漂ってきました。20世紀を振り返ると、十年ごとにインフレ、ディスインフレ、デフレが繰り返されてきました。この循環からいくと2000年代はディスインフレになることが予測されます。実際、各国の政策が通貨価値優先のデフレ政策から、景気新興のインフレ政策へと急激に転換してきています。こうした流れから04年は日本の政策も大きく転換せざるをえないでしょう。しかし残念なことに、極めて倫理観のない、節度ない政策に転じる可能性も高い、と感じています。

――節度ない政策とは。

 たとえば、すでに来年度の予算を見ると、税収依存度が50%という信じがたいことが起こっています。さらに為替対策の円売りが17兆円にまで達し、ゼロ金利もいつ終わるかわからぬありさまです。日本経済・社会全体のタガが外れそうな具合です。

――なぜ日本社会の倫理に歯止めがかからなくなったのでしょう。

 現内閣に知識がないからです。もともと知識と責任感のない官僚に、政治家がやるべきことを丸投げしています。自由主義経済の流れが分断され、官僚主導が強まり、リスクの国有化の方向に向かっています。

――小泉首相は何を目指しているのでしょうか。

 わかりません。小泉さんは意欲や闘争心はありますが、知識と倫理観が欠如しています。

――参院選もありますが、このまま小泉政権は続くと思われますか。

 わかりません。これまでの例を見ますと、ここ最近の政権は総裁選で再選された後1年以内に交代しています。こうした前例から考えると、参院選の結果、イラク情勢などによっては政界が激変する可能性も否定できません。それと景気。04年の前半は比較的景気がよいでしょうが、景気の循環から見て、後半は悪くなるかもしれません。

――では、あるべき日本の姿とはどのようなものでしょうか。

 あるべき姿を考えるとき、私たちは三つの世界的な大変化を理解しないといけません。
 一つ目は、今や人類の文明は知価社会に入ったということです。これまでの日本は規格大量生産に適した社会を作ってきました。この社会の前提は三つあります。@労働力と生産手段が分離していること、A規格大量生産に有利であること、そしてB人間はすべてホモエコノミクス(経済人)であるということです。

 知価社会ではこの三つの前提すべてが異なります。たとえば知価社会で大いに成長するはずのプログラマーやデザイナー、会計士、法律家などを見ると生産手段と労働力が一体化しています。そして規格大量生産ではなく、多種少量生産が価値を生むようになってきます。最後に人間は物財を求めるのでなく、満足を求めるようになってきたこともはっきりしました。この三つの条件を前提とした社会のシステムを作ることが求められています。

――堺屋さんはアメリカやヨーロッパではこの知価革命がうまくいき、日本はまだまだだと。

 「知価革命」は本当に革命なのですが、日本はすべて現状は正しい≠ニいう認識から議論を始めています。たとえば年金の問題。「知価社会のあるべき年金」の議論ではなく、現状との比較で損か得かを議論しています。何が正しいのか?という哲学、改革後にどのような形になるのか?というビジョン、そして最後にその改革をどう評価するのか?という尺度、この三つが必要なのですが、どれもありません。

――二つ目の大きな変化とは。

 国際経済の変化です。歴史的に見ると、戦前の国際貿易は、「垂直分業」でした。一つの工業国がいくつかの発展途上国とつながっているという体制でした。

 1962年に私が「水平分業論」を発表しましたが、これは工業国と工業国が工業製品を互いに貿易するという理論です。規格大量生産の中で消費者の選択肢を広げるためには、フランス人もフォルクスワーゲンが購入でき、ドイツ人もルノーを購入できる水平分業が必要です。これで40年間、世界経済は発展してきました。

 しかし、01年に突然逆のことが起こり出しました。それが「工程分業」です。グローバル企業は、生産工程を分けて製品を世界中で作ります。技術開発はAの国、デザイン創造はBの国、部品製造はCの国、組み立てはDの国、販売戦略はEの国……といったことがごく当たり前に行われています。ここでは労働集約的な技術開発、デザイン創造、販売戦略などは賃金の高い国で行われ、部品製造や組み立てなどは賃金の低い国で行われているのです。01年というのは、EUが東ヨーロッパ全10ヶ国を統合した年です。水平分業の時代は、経済水準が似ているところが統合しましたが、工程分業の時代には、10倍以上所得に差があっても統合できる。自由貿易圏に労働賃金の低いところをとりこんで、製造工程を移そうとしています。

――日本企業も上海などに進出していますが。

 それでも日本全体から見ると、盲腸を切るようなものです。体制と発想を変え、何が目的なのかをはっきりさせなければいけません。日本にももっと労働賃金の高い仕事が集まるようにしなければならないのです。そのための税制、教育、制度を抜本的に変える必要があります。

――日本はまだ規格大量生産型に適した中間管理職を養成する教育から脱皮できていません。

 そう。それどころかますます強化しています。子どもたちは自分たちが受けている教育は将来役に立たないだろうと本能的に感じているはずです。だから、学級崩壊や不登校が生じてきているのではと思いますね。

――三つ目のポイントは。

 少子高齢化です。これからは人口はむしろ減り、高齢者が増えます。この高齢者向けマーケットを確立しないといけません。

 日本のマーケットは、すべて「職縁社会」に基づいたものです。ここから外れた人はまったくマーケットの対象になっていません。今や高齢者は人口の20%を占め、さらに豊かな貯蓄、経験、時間も持っています。それなのに、生産・販売計画の視野に入れてないんですね。

――こうした規格大量生産型社会から脱皮するための処方箋は。

 これまでの価値観を変えることです。80年代のアメリカはそれこそ七転八倒しながら、知価社会へと転換しました。人間評価の尺度も180度変えたのです。たとえば規格大量生産時代の秀才たち(ベスト&ブライテスト)は、ベトナム戦争で失敗したため信頼を失いました。逆にGEのジャック・ウェルチのような世界最大の電機メーカーを金融会社≠ノした人が尊敬される時代に変わったのです。

 日本の場合は戦後74年目の平成30年ごろようやく変化すると思っています。明治維新から74年目に太平洋戦争が勃発しました。要するに明治官僚が破綻するまで74年かかったのです。そして今度は戦後システムが破綻するまで74年かかると。そして何よりも、団塊世代全員が67歳以上の後期高齢者になります。高齢化指数最高値になるのがちょうどそのころ。現在のシステムが行き詰まるとしたら平成30年ごろでしょう。

 明治維新は制度も体制も発想も担当者もすべて変えました。江戸時代の両替屋が銀行になったわけでも、武士が軍隊になったわけでもない。それくらいの覚悟がいるんです。だからそのための準備を始めてほしい。改革を叫びながら先送りするといったごまかしはやめて、04年は何事も本気で行う年にしないといけないと思います。



  エコノミスト 03年12/23号  インタビュー                             

広がる長期悲観論
「工程分業型」社会に乗り遅れるな

今回の社長アンケートの結果を作家の堺屋太一氏に分析してもらい、変容する世界構造下での企業の課題を聞いた。

 アンケートの結果を見ると、小泉内閣発足直後の前回調査(2001年6月19日号)と比べて悲観論が増えていることに驚いた。

 もちろん短期では、悲観論も楽観論もあっていい。だが「来年は警戒する必要があるが、10年後には光が見える」との社会的なコンセンサスがあってこそ、活力のある健全な経済発展が望めるものだ。とりわけ多くの社長が長期悲観論を展開している点が気がかりだ。

 この不健全な空気は、構造改革を打ち出し国民の期待を集めた小泉内閣が、結局、旧態依然とした官僚論理に乗せられていると感じ出したためだろう。小泉内閣には、何が正義なのかという「哲学」、将来どうなりたいのかという「ビジョン」、年金や租税の水準はどの程度が適当なのかという「尺度」の三つが欠落している。個別の政策は、ほぼ役人に丸投げされてきたといっていい。

 確かに従来型のこのやり方は、規格大量生産の時代には重要な機能を果たした。しかし今や、「知価社会」へと移行した。国民は、知価社会の到来に気づいている。変革できない閉塞感が、長期悲観論へとつながっている。

 世界経済は01年から、全く様相が変わった。経済水準の違う国が自由貿易圏を作り始めたのだ。EUに東欧が加わり、NAFTAにも南米を加えてAFTAにしようとする気運が高まっている。知価社会の到来とともに、「工程分業型」の産業構造へと変化してきたからだ。

 工程分業では、技術開発やデザイン、販売戦略、広報・広告などの知価をフル活用する労働集約的な工程を賃金の高い先進国で行い、部品の製造、組み立て工程などの資本集約的な工程は賃金の安い発展途上国で行う、という具合に、各工程をそれぞれの国が担う産業分担が生まれている。これで、先進国の高賃金水準を維持しながら雇用も保てると考えられ出した。賃金の高い日本は、労働集約産業の投資先として魅力的な国にならねばならない。

 だが多くの日本企業の経営者には、この視点が乏しいようだ。

 まず、一日も早く規格大量生産時代の発想から逃れることが必要だ。従来の成功体験に拘泥していると、縮小均衡に陥る。例えば金融では、「金融思想」そのものを変える必要がある。これからは、銀行もリスクテークを避けて通れない。リスク判断のできる人材や、リスク分散の仕組みを作り出す人材が重要になる。

 アジアや中国の労働者は、徐々に購買力をつけ、今や、生産主体だけでなく、消費主体になろうとしている。知価革命とグローバル化で、工業国人口の増加が供給余力となった時代は、2010年までには終わるだろう。それとともに、デフレの時代も終わりに近づいている。これから10年間は、むしろディスインフレの時代に入ると見ている。

 この大きな世界の動きに乗り遅れないため、日本企業の経営者は、知価社会の本質を知り、工程分業型の産業構造への転換を早急に進めてほしい。

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