風と往く道 鬼恋うる道 〜東大寺戒壇堂の巻〜
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東大寺・戒壇堂には塑像で有名な四天王像がある。 大仏殿の華やぎから少し離れた場所にあり、観光客も少なく、静かに仏像と相対したい人間にとっては絶好のロケーションだ。
この小さなお堂に初めて一歩を踏み入れた日をへづ屋は多分忘れる事は出来ないだろう。
外から差し込む淡い自然光と蝋燭の光だけが堂内を照らし出し、その中に世の東西南北を守護する武神が四体浮かび上がる。 土で創り上げられた塑像ならではの風合いと風格が、狭い堂内を心地好い緊張感で包んでくれているのが判るのだ。 僧に戒めを授けるに相応しい品格を感じる。 その静かなるエネルギーの磁場を守っているのは、紛れもなくこの四体の大地より産まれ出でたる守護神だ。 そしてこの武神たちと対になっている邪鬼たちだ。
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そんな中、持国天の邪鬼だけは少々気の毒だ。
何と言っても顔面を足蹴にされているのだから。 だが少しでも動けば持物の剣で刺し貫かれると解っているのか、
『あ痛てて!調子に乗るなよ、この野郎!!』
との無言の不平不満が聞こえて来るようで実に可笑しい。
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増長天の邪鬼はそれ以上に愉快だ。 腹上に乗られ、頭頂を足で押さえつけられているのに苦痛の様相を一切見せない。 足を組みリラックスした様子で、足を乗せられた腹もまるで邪鬼自らが
『腹キンッ!』
と己の腹筋の力強さを誇示しているかのように見えてしまうのだから(笑) |
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そして私が一番好きなのは多聞天の邪鬼だ。
一見憎憎しげに、踏み付けている多聞天を睨み上げているかのように見える。 だがへづ屋には、とてもそのようには思えないのだ。 見上げている先は多聞天の顔を通り越し・・・右手の上に見えて仕方がない。
そう、宝塔である。 四天王が守護する仏法そのものを意味するとされるが、自己が踏み躙られる事によって強調される仏の教えの有難さが眩い光を放ち邪鬼に憧憬の念を抱かせているのか。
しかし。 邪鬼の、彼の眼を見詰めているとそれさえも超越して見えるのだ。
結局、彼の両眼は何ものをも映していないのではないかと思える程謎めいて見える。 まるで今、あるがままの痛みを黙って受け入れている苦行僧のような思慮深ささえうかがわせ・・・
「邪鬼の眼」が、透徹した泉を覗くかのような心地にさせ、その奥深さに吸い込まれそうになる。 この邪鬼はある意味、四体の四天王より魅力的な存在だ。
少なくともへづ屋にとっては。
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