風と往く道 鬼恋うる道 〜東大寺三月堂の巻〜
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大仏殿を挟むようにした戒壇堂の向かい側、若草山が間近に迫る法華堂・通称三月堂にも邪鬼像の傑作がある。 と言えば日本語的に可笑しい気もするが。
此処はへづ屋などがわざわざ言及するまでもなく、所謂「天平彫刻の宝庫」とも呼ばれるお堂だ。 ご本尊の不空羂索観音さまをはじめ、十八体の諸仏諸尊が井戸端会議さながらに群像させられているのも、まあ珍しい図ではなかろうか。へづ屋の名誉の為に言い添えるが、これは決して悪口ではない。
誰がはじかれる事もなく、誰の話も少しずつ受け入れられて、一巡して最初の話題に戻っていくような・・・神々の囁きを余す事なく聴ける「井戸端会議」を開いている。こんな場所は他にはあるまい。 そして見るからに他院・他堂からの寄せ集めと判るお像をここまで調和のとれた一体感を醸し出す、空間への演出力に誰がケチをつけられようか。 天の邪鬼を自認するへづ屋もそこまでの不心得者ではない。良いものは良いのだ。
ましてや邪鬼たちがその空間を乱す事なく、却ってこの劇団を構成する一演者としての役割を担っているのだから放ってはおけない。
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その中でも『巧者だねェ〜〜』と思わせるのが、増長天の邪鬼たちである。
「邪鬼たち」 そう、増長天さまは左右の足をそれぞれ二人の邪鬼に乗せていらっしゃるのだ。 何と云う贅沢さ!(笑) しかし、この二人が実は演技派でちゃっかり者だから、
『ささ、こっちのおみ足はあっしに。そちらはそいつに』
ってな具合に、二人で使役される苦労を半減しあうと云うズルをしている。 そして文字通り“持ち上げて”(笑)、大将には良い気分になって頂いて。 お役目を果たしながらも、彼らは自分が愉しむ事は決して忘れていないのだ。
諸仏が集う荘厳な世界から下界を覗き込むように。 内陣の欄干の間からこちらを盗み見て、愉しんでいるのが見えるのだから。 お二方とも猿のようなお顔で(失礼!)歯を剥き出し笑っている。 『へへへ、キキキッ!』と奇声を上げたいのを必死に我慢しながら、それでも『アイツは・・・、コイツは・・・』と拝観に来る人間観察を繰り広げ愉しんでいらっしゃる。
長い長い槍のような持物を持ちながら渋いお顔の増長天も、ご自分の足元からボソボソと聞こえて来る掛け合い漫才を『仕方のない奴よ』と嘆きながらも殊更咎める事もない。 流石御大将、広い度量をお持ちである。何てったって千何百年も昔からこの状態で、この先何千年続くか判らないのだから。 この程度のお遊びは許容の範囲内と云う事か。
人々の信仰心がこの東大寺を支える限り、御仏たちはその対象であり続けるだろうし、邪鬼たちのささやかな暇つぶしもきっと・・・
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ただこの三月堂は全体的に暗く、最後方の広目天や多聞天は双眼鏡を使っても殆ど見えない。 ましてやその足元は言うに及ばずである。
一度じっくり、このお二方の下にいらっしゃる邪鬼さんたちの声にも耳を傾けたいと思っているのだが・・・
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