風と往く道 鬼恋うる道  〜東寺講堂の巻〜

 

 

 

東大寺・法華堂は、本来在るべき場所を火事などやむを得ない事情で失った仏像が避難先として運ばれて来たような、他のお堂からの移入であったり客仏であったりして。

それが長い時間を掛けて熟成されていくような感覚で、一つのハーモニーを奏でるような空間になっていった稀有なお堂であるが。

 

 

それとは正反対に、最初から計算され尽くした完璧なオーケストラを目指し、成功させたお堂もある。

 

 「立体曼荼羅」と名高い京都・東寺の講堂がそれである。

 大日如来を中心とし、如来、菩薩、明王それぞれのグループ毎の、それは立派で見事な像が形作られていて。

諸仏諸尊を守護する梵天、帝釈天、そして四天王が周りを取り囲むように配されているのである。

などと、言ってしまうのは簡単だが。

 

「密教」と云う一種の仏教宇宙でもって鎮護国家・人民救済を“祈念する”と云うより、“実現してみせる”とでも云うべき真言密教の開祖・空海の強い想いがそのまま型になったこの講堂内部は、予備知識が多少はあっても初めて中に入ってこの密教世界を眼にする人間には・・・その空間の濃密さにさぞかし圧倒される事だろう。

 京の都の玄関口に建ち、帝のおわす内裏に魔が入り込めないよう守護するのがこの東寺、真言宗総本山・教王護国寺のお役目であるが、その御寺の中でも最高の舞台に立つのは空海が己の理想実現の為にプロデュースした最高クラスの諸仏諸尊。

綺羅星の如く居並んだスターたちと共演するのは云うまでもなく我らが邪鬼クン(笑)。

 

 

 その中でお気の毒なのは増長天、愉快なのは広目天、だとへづ屋は思っている。

東寺ではもう当然のように一神の下に二鬼となっているので、そこにはもう触れるまい。

 

 

 

 

 先ず増長天の邪鬼だが。

右の鬼は片足だか片腕を捻り上げられようにしてその上に乗られ。

左の鬼はほぼ顔面に乗られているのである。

右の鬼は殆ど伏せの状態になっている為表情は判らない。

だが左の鬼は思いっ切り仰向けになり、見る者からは片眼と、食い縛った訳でもなく閉じた口と牙が見えるだけだ。そして増長天の足元に投げ出し、諦めを超え達観を具現した表現を見せてくれるその身体は、今は亡きコメディアンにして名優の懐かしい台詞を思い出させてくれるのだ。曰く――

 

『駄目だ、こりゃ』

 

 

 

 象に乗った帝釈天を挟んで、後ろから睨みをきかせているのが広目天だ。

彼の持物であるはずの筆と巻子を持っておらず、戟をお持ちで、へェ〜、平安時代の仏像はこう云う様式もあったんだ〜と感心しきりなのだが。

 へづ屋は無責任な観察者であって、様式の年代を詳しく調べたりはしないので、そこはご容赦願いたい。

 そして広目天下の右側の鬼は、左足を伸ばし、そのつま先を左手で押さえ、まるでストレッチをしているかのようだ。

だが左側の鬼はもっと凄い。体育座りか、胡坐をかいたような格好で思いっ切り右に向き直り、じっと横の相棒を見詰めているのだ。

 

『おめえも大変だなァ』風に。

 

自分たちの立場を理解しているのかいないのか。

広目天の存在など、ましてや自分たちが踏み付けられている事など“我関せず”だ。

 

 

 こんな自由な邪鬼がいて良いものだろうか。天皇が国家の安泰を祈らせる為、弘法大師に勅命を発して建てさせたこのお寺で、である。見つけた時にはかなり驚いたものだが。

 

 

 

 

 最近は奈良ばかりにご縁があったのだが、もしこれから旅行する機会に恵まれたら、是非とも京都駅を少し降りて、東寺の「長さん」「フリーマン・邪鬼」にお会いしたいものである(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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