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島崎藤村
しまざき とうそん
城崎駅前
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大坂より城崎へ 朝曇りの した空もまだすゞしいうちに 大坂の宿を発ったのは、 七月の八日であった。 (「山陰土産」より) |
北但大震災の翌々年、昭和2年に画家の次男、鶏次とともに来遊。 朝日新聞の委託をうけて紀行文「山陰 土産」を連載。碑文は「山陰土産」の書き出しの部分。 |
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柴野栗山
しばの りつざん
東山公園
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風雨詠帰山吐月 濯纓歌罷水揚瀾 |
江戸時代中期の儒学者。昌平黌の教官と なる。彼が城崎を景勝観光地として推賞し たので、彼を慕う文人墨客が城崎に憧れ 多く訪れた。 |
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村瀬藤城
むらせ とうじょう
東山公園
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江戸中期の漢学者。 |
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白鳥省吾
しらとり せいご
地蔵湯
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雪の城の崎 あの子の髪に 溶ける淡雪 わがこころ |
昭和8年、吉井勇らと共に来遊する。 歌碑は、蟹を売る漁師の妻の姿を通して、城崎温泉の情緒を詠んだもの。 |
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富田砕花
とみた さいか
柳湯
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城崎の いでゆのまちの 秋まひる 青くして散る 柳はらはら |
大正、昭和の民衆派、代表的詩人歌人。 城崎にはたびたび来遊している。 |
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与謝野寛 与謝野晶子
よさの ひろし・あきこ
一の湯
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ひと夜のみねて城の崎の 湯の香にも清くほのかに 染むこころか(寛)
日没を円山川に見てもなほ 夜明目来たり 城崎くれば(晶子) |
明治〜大正にかけての明星派歌人。
昭和5年、夫婦で来遊。 |
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志賀直哉
しが なおや
城崎町文芸館前
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「城の崎にて」 全国唯一志賀直哉 直筆によるもの。 |
大正2年電車にはねられ養生のため来遊。滞在中、「生きる」事をみつけた体験が描かれている。 |
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松瀬青々
まつせ せいせい
ゆとうや
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一の湯の 上に眺むる 花の雨 |
明治から昭和にかけての俳人。大坂市船場に生まれる。雑誌「ほととぎす」に俳句を投稿しのち、自ら「倦鳥」を主宰。 |
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西坊千影
にしのぼう せんえい
御所湯
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梅の香や 御所の湯あみの 女から |
大津三井寺円満院の僧。化政期の京都俳壇で活躍。豊岡、城崎の俳人とも>交流があり、亨和3年来遊。 |
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司馬遼太郎
しば りょうたろう
つたや
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大阪市生まれ。新聞記者を経て歴史小説家として「竜馬がゆく」の取材のため、桂小五郎が潜伏した宿「つたや」に滞在する。 |
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藤井重夫
ふじい しげお
つたや別館
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「佳人」に題す。 |
豊岡市生まれの小説家。「佳人」(豊岡、城崎を舞台にした小説)は芥川賞候補に鳴り川端康成の激賞をうけ映画化される。 |
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吉井勇
よしい いさむ
まんだら湯
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曼陀羅湯の 名さえかしこし ありがたき 仏の慈悲に 浴むとおもえば |
初め明星派の歌人として出発したが後スバルに参加近代頽廃主義の歌風で名をなす。昭和8、9年来遊。 |
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松尾芭蕉
まつお ばしょう
月見橋
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雲おりおり 人を休める 月見哉 |
実際に来遊したという記録はいない。 この句碑の由来も不明。この碑にちなんで橋は「月見橋」と名付けられている。 |
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菅沼奇淵
すがぬま きえん
鴻の湯
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鴻の湯や 親子時雨るる 草のかげ |
江戸時代後記の大坂の歌人。 文化初年四国、中国、山陰を行脚中に来遊。 |
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田中冬二
たなか ふゆじ
つたや晴嵐亭
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「山鴨」の誌詩 |
大正、昭和の詩人。牧歌的で清澄な風 物詩をかく。詩集「山鴨」は城崎をうたった現代詩としては唯一のものと考えられる。 |
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有島武郎
ありしま たけお
温泉寺薬師堂前
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浜坂の 遠き砂丘の 中にして 侘しき我を 見出でつるかな |
大正12年4月当地を訪れてしばらく後の6月9日自殺。当地で執筆した「独裁者の会話」等から当地を「断念の地」とする説も。 命日には「星座忌」開催。 |
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山口羅人
やまぐち らじん
温泉寺参道
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暮れ行くや あしたの人の 初桜 |
京都の商人。当地方の門人たちによって宝暦8年温泉寺登り口に句碑が建立された。 |
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加茂季鷹
かも すえたか
温泉寺参道
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朝な夕な 末の世かけて 世の夢を うちおどろかす 鐘の声かも |
江戸時代後期の歌人。 京都上賀茂の祠官。 |
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山口誓子
やまぐち せいし
温泉寺
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観音の 千手を今年 竹も持つ |
京都市生まれ。俳人。 ホトトギスの句風を批判し後「天狼」を主宰し根源俳句を提唱。今年竹の句は句集「不動」より |
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吉田兼好
よしだ けんこう
大師山山頂
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しおらしよ 山わけ衣 春雨に しづくも花も 匂ふたもとは |
南北朝時代の和歌四天王の一人。 随筆「徒然草」の著者として有名。 |