愛犬のこと
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愛犬クーが、2010年4月19日未明、天寿を全うして天国に行きました。 1995年4月10日生まれですので、15歳になって10日目でした。 散歩や車で出掛けることが好きでした。家人と出掛ける話をしていると、それを聞きとり、背伸びをし、 自ら出掛ける準備をしていました。出掛ける話が長引くと、先に玄関に行って待っていました。 自分は家族の一員であり、どこにでも一緒に行くのは当然だと思っていたようです。車で行くときは、 後ろ扉を開けると、喜んでパッと跳び乗りました。 2005年6月末に、私が定年退職してからは、毎日一緒に過ごしました。朝・夕・夜に散歩し、私が 2階でパソコンに向かっていると、必ず急な階段を上って来て、まるで秘書のように、ずっとそばに控えて いました。そのため、2階にも飲み水を置くようにしました。今も、その小鉢は置いてあります。 あらためて勘定しますと、私が退職した時、クーは10歳でした。犬の10歳は人間の60歳ぐらいであり、 盲導犬ならば引退する年齢です。私の退職とクーの還暦が、丁度、同時期だったことがわかりました。 クーを送りだした後に気づきました。 動物病院の血液検査では、肝臓や腎臓などが相当悪い数値でした。獣医師には、「これだけ 元気なのは、基礎体力があるからでしょう」と言われました。一般の犬の平均寿命は11歳だそうです から、長い間元気だったことに感謝しています。しかし、少しづつ老いが進み、13歳ぐらいからは、散歩 の距離が短くなり、車の座席に跳び乗るのが徐々に難しくなってきました。 14歳になると、散歩はゆっくり町内を回るだけになり、私が2階で仕事をしていてもあまり上がって 来なくなりました。きっと、目や耳も悪くなっていたのではないでしょうか。 2009年12月、一週間ぐらい、餌をほとんど食べないことがありました。自分で食べるのを制限し、 体調を整えたようです。その後、回復しましたが、半分以下の量しか食べませんでした。 2010年になると、外に出ても、しばし家の前でたたずむようになりました。しかし、何一つ不満な 表情を見せず、静かに運命を受け入れている様子でした。 4月になると、また食べなくなり、その上、食べていないのに時々吐くようになりました。 亡くなる日の前日(4月18日)まで、自力で外に出て、ゆっくり、ゆっくり散歩をしました。そして、 前日の夜、はじめて、もう動けないという様子を見せて、横たわりました。
クーとの出会いは、1995年5月5日でした。当時、高校生だった娘が、ジャスコで「子犬あげます」 の掲示板を見て来て、どうしても飼いたいと言い出しました。妻も同意して、二人に説得されました。 夕方近くになっていましたが、私が電話を掛けました。 相手の奥さんが電話に出ました。 「もう、みんなもらわれてしまったんですよ。メスなら残っているんですが」 雑種の子犬は、オスが先にもらわれて、メスは敬遠されるということを知らなかった。 「そうですか。それでは失礼します。」 電話を切って、妻と娘に電話の内容を伝えた。 すると、二人は即座にメスでもいいではないかと主張し、もう一度電話させられました。 夕方になっていましたが、もらいに行きました。我が家から3〜4kmぐらいの農業をしているお宅でした。 すでに暗くなっており、はじめての道であり、あちこち迷って、やっと着きました。 私は車に残り、二人が降りて行きました。 しばらくして、子犬をかかえて来ました。二人は、黒い子犬の方を選んだと言っていました。いつも縁の下 の奥でおとなしくしていた子犬らしい。 後で、夜、子犬をもらいに行ってはいけないと言われました。暗いため、子犬はどこに連れて行かれる のかわからず、とても不安になるからだそうです。また、生後1カ月ぐらいで、子犬を親兄弟から離しては いけないとも言われました。犬としての必要な学習がまだできていないからということです。 クーは4月10日生まれなので、初めに二つの過ちをしてしまいました。 数日間で慣れ、日中は庭で遊び、夜は玄関で寝ました。庭には犬小屋を置いていましたが、エアコンの 室外機下の狭いスペースを好きなようでした。今見ると、よくもこんな狭い所に入れたものだと思います。 いろいろないたずらもしました。外壁の角(出隅部)をかじり、玄関の下駄箱もかじりました。 体は、徐々に、黒から茶色になり、数か月経つと、鼻の先を残し茶色になりました。
動物病院に入院(一泊二日)して避妊手術を受けた。 迎えの時間を待って、病院に行くと、獣医の後から、クーがよろよろという感じで歩いて来た。 こちらを見ても喜ばず、ふっと目をそらした。茶色い毛が白っぽくなっている。 病院でいろいろ強制され、痛い目に合い、相当なストレスを受けたに違いない。 人間の都合で、手術を受けさせ、申し訳ないと思った。 コタツを出している季節だった。その晩、私はクーとコタツで寝た。 この日以来、クーは家の中で過すようになり、より密接なつながりができたと思っている。 散歩は私か妻のどちらかと行くことが多かった。しかし、三人(正確には、二人と一匹)で行く 時は、とてもうれしそうだった。足の運びがとてもリズミカルになった。 散歩の途中で、私か妻のどちらかが遅れだすと、決まって何回も振り返りながら歩いた。 そして自分は、二人の中間を歩きながら、「どうしたの」と振り返った。 ある時、どのくらいの間隔で振り返っているのか数えてみると、犬の足で10歩ぐらいの短い 間隔で首を回していた。 車で買い物に行くと、クーは車の中で待つことになる。歩いて散歩しながらの買い物の時 は、店舗の出入り口近くで私と待つことが多かった。妻の買い物が予想以上に長い時、 私が、「先に帰ろうよ」と綱を引くと、即座に首を後ろに反らし、「何を言っているの。待たな きゃだめじゃない」という表情をいつもした。 私と二人で散歩する時は、よく車で公園に行き、その公園を歩いた。 公園の道路脇などに駐車させることもあった。そんな時、よその人がたまたま家の車の方に 歩いていると、ピタッと歩くのを止めた。そして、その人が通り過ぎるまで、じっとおすわりをして 見つめていた。 自分たちの車が分かっていて、誰かに悪戯されないように用心していたとしか考えられない。 また、夜寝る時、家族は皆2階に上がるが、クーは必ずひとり1階で寝ていた。 クーは、家族を守るのは、自分の役目だと思っていたようである。
クーが亡くなる二日前の夜、がんばって、自力でソファに上がり、ひじ掛けにあごをのせた。 随分久しぶりに見せた、クーの好きなポーズである。 それを見て、私もソファの外側で膝を曲げ、そのひじ掛けにあごをのせた。クーと10cmぐらい の距離で見つめ合った。 これまでなら、あまりに近すぎるので、嫌がって視線を逸らしていた。しかし、今は嫌がらず 私の目をじっと見ている。 ここ数日、何も食べられないのに、ときどき吐いている。動くのもやっとである。体はきっと限界 状態に近づいていることだろう。 玄関から門まで数段の階段がある。目が悪くなっているせいか、散歩に出掛ける時、階段 の端に沿って降りるようになった。 今年は、階段わきの植え込みに、菜の花が2本、たくさんの花をつけた。どこからか種が 飛んできたものである。高さが1mぐらい、根元の茎が2cmぐらいに大きくなり、腕を広げた 菜の花が、階段の端を覆いトンネルのようになっている。 我が家に、はじめて咲いた菜の花の下を、ゆっくり、ゆっくり降りて、今日も散歩に行った。 体のあちこちが痛く、視覚、聴覚、嗅覚が衰えているはずである。しかし、まるで若いころに 戻ったような目で私を見ている。積極的に何かを伝えようという様子ではなく、ただ自然に じっと私を見つめている。 自分の運命を静かに受け入れ、あわてず、騒がず、すべてを悟っているように見えた。 私は、この時間がとても貴重なものであることを確信した。 クーの頭を撫でながら、遠くない時期に、天国に召されるだろうと覚悟し、その時はできる だけ苦しまないようにと心から祈った。 15年間、クーは幸せだったろうかと思った。 クーは、なにも言わず、ただじっと見ている。 そして、二日後、揺りかごに横になったクーは、菜の花に見送られて家を出た。
私が2階に上がると、いつもついてクーが必ず上がって来た。そして、机から少し離れた ところで、床にアゴをつけ、ねそべって過していた。 仕事の都合で週に1、2日、私がいない時も、時々、数時間は2階で過していたよう である。だから、私は毎朝、2階の飲み水をかえていた。 クーは2階にいる時、大体静かにしていた。しかし、3時頃になると、私の椅子のそばに やって来て、顔を私の足にすりつけた。おやつの催促であり、一種のコミュニケーションである。 私は、おやつを紙の上に移し、少しづつクーと交互に食べることにしていた。おやつはイカの 燻製やお菓子であった。初めに、私が食べ、次はクーに、そして、私、クーという順番で食べた。 私が食べる時、クーはじっと私の口元を見ていた。次に、私が差し出すと、待ってましたという ようにくわえた。 そんなことが4年以上も続いた。 今年初め(亡くなる4カ月前)頃から、あまり上がって来なくなった。木造住宅の階段は 約45度の急な階段であり、段板も滑りやすい。上がるのはまだいいが、降りるときが危ない。 筋力が衰え、目や耳が悪くなっているので、何回か階段の途中から滑り落ちた。骨折は なかったが、滑り落ちた直後、歩き方がぎこちなかったことがあった。 それでも、時々、階段を上がって来た。私が毎日替えている水を飲み、ねそべって過した。 しかし、降りるときは、必ず一緒に降りるようにした。私が先に降り、一段一段ゆっくり降りる ように、話しかけた。 今年3月(亡くなる1カ月前)、娘たちにクーの世話を頼んで、一泊旅行に出かけた。 このころは、ほとんど2階に上がらなくなっていたのに、この時、2階に上がったそうである。私が 見当たらないので、思い切って、念のため探しに上がったのではないかと思う。 この時が、2階に上がった最後であった。
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