
古くは、武藏野国荏原郡玉川村大字等々力小字大平分といわれていたようである。大平分という呼び
名は、天文年間に大平氏により土地の開発が行われ、大平氏の所領になったところからの命名といわ
れている。江戸時代になると武藏野国荏原郡玉川村大字等々力字諏訪分と呼ばれるようになリ、等々
力の飛び地となったようである。明治22年5月1日、市制および町村制が施行されたときには、東京府
荏原郡玉川村大字等々力字諏訪分と地名変更された。この諏訪分という呼び名については、この地に
諏訪社という神社があった所からの命名といわれ、林大学頭述斎編纂の「新編武藏風土記稿」にもこの
ことは記述されている。
昭和7年10月、東京市域拡張により荏原郡はなくなり、世田谷町、松沢町、駒沢町、玉川村が合併し
て、世田谷区が誕生した。この時、諏訪分の地名も東玉川町と名を変えている。この町名は、玉川地
域の東端に位置しているところからの命名といわれている。東京市世田谷区東玉川町の誕生である。
昭和18年になると東京市と東京府が合併して東京都になり、さらに昭和42年6月には住居表示の実
施に伴う町区域の変更によって、自由通りを境にして1丁目と2丁目に区画され、現在にいたっている。
町名の変遷
年代不明 武蔵野国荏原郡玉川村大字等々力小字大平分
江戸時代 武蔵野国荏原郡玉川村大字等々力字諏訪分
明治22年5月1日から昭和7年9月30日までの地名
東京府荏原郡玉川村大字等々力字諏訪分
昭和7年10月1日から
東京市世田谷区東玉川町○番地に
昭和18年7月1日から東京市と東京府が合併して東京都に
東京都世田谷区東玉川町○番地に
昭和42年6月1日から
東京都世田谷区東玉川1丁目○番○号
2丁目○番○号に

昭和18年、戦時下町の細分化と組織強化のため地図の
中央赤線を境に上を東玉川西町会、下を東玉川東町会
に編成した。町会事務所は両町会で共用した。
昭和42年には、中央の点線を境に1丁目、2丁目に分
かれた。