76年前の昭和3年10月5日、池上電気鉄道の雪ヶ谷駅を1両
の「4号電車」が、新奥沢駅へ向かって走り出した。新しい歴史の始まりで
あった。走り出した「4号電車」は、やがて右に大きく曲がり、神奈川県平
塚市在にあった徳川幕府の「中原御殿」への往還道の中原街道を横切り、耕
地理中の畑地の中の諏訪分駅に到着する。諏訪分駅を走り出すと、大正15年
6月5日に開校したばかりの調布高等女学校の隣地を北へ向かって一直線に新
奥沢駅を目指す。全長1.6kmの新奥沢線の歴史的な開通であった。人々は、
“ヘッポコ電車”とさげすんで呼んだ


新奥沢線を走った4号電車。パンタグラフとポールから電気を取り入れていた。 
 池上電気鉄道は、大正3年に五反田−蒲田間の免許を受けたのが始まり
で大正11年10月6日に蒲田−池上間が開通し、その翌年の5月4日に
池上−雪ヶ谷間が開通した。雪ヶ谷から五反田までの全線が開通したのは
年号も変わった昭和3年6月17日であった。 
昭和2年、池上電気鉄道は雪ヶ谷駅から中央線国分寺駅までの地方鉄道敷設
免許を申請し、同年12月には免許されている。申請どおりこの地方鉄道が開通
していたならば。しかし、新奥沢線の遠大なる計画も、前面に立ちはだかる大き
な壁によって建設を断念せざるを得なかった。大正12年11月1日に全線を開
通させた目蒲田電鉄は、大井町駅から玉川電気鉄道の玉川駅(現二子玉川
駅)を結ぶ新線を計画していた。第1期工事として大井町駅から大岡山駅までを
昭和2年7月6日に開通させ、さらに大岡山駅から二子玉川駅までの延長工事を
昭和4年12月25日までに開通させている。このような状況下で新奥沢線は、と
りあえず雪ヶ谷―新奥沢駅間を開通させたのである。しかし、その行く手を目蒲
線、東横線、大井町線に阻まれ用地買収も進まず、新奥沢線の免許失効と営業
不振とが重なり、昭和8年11月新奥沢線の営業廃止申請を提出したのである。
2年後の昭和10年11月に7年間にわたった営業を終わっている。この簡に池上
電気鉄道は発展を続ける目蒲田電鉄に買収され、昭和9年10月1日にその営
業傘下に入っている。

      写真中央の建物は調布高等女学校。その東隣が新奥沢線の線路。右下に見
えるのが諏訪分駅の一部。諏訪分は耕地整理直後で空き地が目立つ。