1976年(昭和51年)当時の記事で、あの徳川大尉のプロペラがうどん屋さんに有ったと言う話、当時の記事から紹介しよう。

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徳川大尉機 航空意外史、
うどん屋さんにあったカーチスのプロペラ

解説と写真で贈る、日本人初飛行した徳川大尉がアンリ・フォルマン1910型で飛んだ
プロペラが存在したそれもうどん屋さんの片隅で?・・・・


参項資料
 航空スポーツマガジン ヒコーキ野郎
1975年(昭和50年)7月1日号、1976年(昭和51年)6月1日号 
ヒコーキ野朗現在廃刊) 
(発行 社団法人
日本飛行連盟(最新情報はこちらで聞いてください。)
お断り76年発行の本で製作した為、もし後に判明した
新事実等あったら伝言板にて知らせくれたら助かります。
さぬきやさん店前
意外と私たちの周りには飛行機に関する物があるかもしれない。
1976年(昭和51年)当時の記事で、あの徳川大尉のプロペラがうどん屋さんに
有ったと言う話、現在のことは不明であるが、
お店事態あるかどうかわからないが、当時の記事から紹介しよう。

東横線の学芸大学駅近くのうどん屋さんに飛行連盟の編集部の記者が立ち寄った、
もうこのうどん屋さんには2年以上食べにきている、うどん屋さんには湯気がたちこめていて
メガネがくもりプロペラがくもっていてプロペラが飾って有ることに気がつかないでいた。

4月の初めやはりそのうどん屋さんに食べに行き時間があるのでトイレに行こうとしたら、
トイレの前に木製のプロペラが
針金で吊るされてあった、その横に「日本で最初の飛行機プロペラ(フランス製)
代々木原にて徳川大尉明治末期」と書いてあった。
編集部の記者が驚いたのはこんな身近な所に日本で始めて飛んだ
徳川大尉のアンリ・フォルマンのプロペラがすこし油がついているが
何の破損もなく現存しているなどとは夢にも思わなかったからであり
60年〜70年も過ぎている木製のプロペラが
記者の目の前に映ろうとは思ってもみなかったからである。

早速うどん屋さんの主人でありプロペラの持ち主である和田敏男さんに
徹底取材を決め込んだ、
和田さんの話によると6〜7年前に中里善三さん(故人)という人から3万円くらいで
譲ってもらったという、
その中里さんから徳川大尉が日本で初めて飛んだときのプロペラだと聞いて
うどん屋さんの店内に飾っておいたらしい、
初めの所有者である中里善三さんは4〜5年前に死亡しており、
親類や知人の足取りはつかめなかった、
和田さんによると中里さんは腕の良い板金工であり
日本で飛行機を制作する時のメンバーだった
そしてアンリー・フォルマン機を解体するとき記念としてプロペラをもらったということである。

もし、この話通り本物のプロペラであり実話なら貴重なプロペラと記者は
思い航空界の歴史研究に業績を残し航空意外史の連載記事を書いている、
野沢先生と後日うどん屋、「さぬきや」に取材に出かけた。

グノーム式金属製
アンリー・フォルマン
1910型
積合材を張り合わせ
状態を示す側面
左、前部ハブ・フランジ
(推進式プロペラエンジンはこの手前にエンジンがつく)
右、後部のハブ・フランジ
カーチス木製プロペラ
独特のカーブを描いている

右上に鋼張りつけてある
(野沢先生の話)
明治43年12月19日日本で初めて飛んだ動力付き飛行機
アンリー・フォルマン1910型ついていたプロペラが有ると聞いたので、
急な話だったのでプロペラの予備調査もしないで出かけた、
下見するつもりででかけてみたが一見して
明治末期か大正ひとケタ、逸品であることに間違いはない、
プロペラの写真を撮りお店のご主人に良く調べてみると約束し、
帰り道に中里善三さんが住んでいた家を写真に撮って帰った、
東京では珍しい古風のしにせの風格の家だった。
家に帰ってプロペラを調べることにした、
徳川好敏著「日本航空事始」昭和39年出版協同社刊)
64ページにこう記載してあった、
なお、この本の原稿の表題は本来は「日本航空の回顧  
初期の実相」というのであるが、
編集者、出版社の希望で前記のように改題して発行された。

「12月15日いよいよ飛ぶ日である、
午前中、発動機の試運転と牽引力の試験をおこない、
午後は4時40分から地上滑走試験をおこなった。
機が地面の小さな突起にぶつかったとたん車輪が脱け出し、
アッという間にプロペラと支柱2本を破損してしまい、
さあ大変だ、本番前の飛行にしてこの事故だ、冬の日は暮れかかっている。
支柱の破損は修繕できるとしても、問題はプロペラだ。
ところが、幸いなことに奈良原委員の手元に、
彼がフランスから取り寄せたグノーム式発動機用のプロペラがあるという、
それを取り付けてみようとみようということになり、
運んでやってみると、なんという幸運ピタリ適合した。
一同大いに喜んで夜を徹して修理を急ぎどうやら格好がついてきたのである。

その後エンジンの調子を整えるのに手間がかかって
初飛行は12月19日になったが、
その時のプロペラは臨時軍用気球研究会の
奈良原三次委員が自費でフランスから取り寄せておいた
グノーム50馬力用金属製プロペラで、初飛行はこのプロペラで成功した。」


したがってこの件に登場する問題の木製のプロペラは、12月15日に滑走中、
車輪が抜けて接地破損したプロペラを修理した物であると推測される。

しかし、念のために、さらによく調べてみると、次の点で、
これはアンリー・フォルマン1910型のプロペラでないことが確認された。

@はじめアンリー・フォルマンに付いていた木製プロペラは
フランスのショビエール社製で直径2.6b、ピッチ1.3bあったのに対して
 このプロペラは半径1.25bピッチはそれより浅いようである。

Aプロペラのブレードの形態がショビエール式とは違い全体的に細身である。

Bハブ・フランジの両側に菱形の止め金がついているが、
ショビエール式プロペラにはこれをつけていなかった。

Cアンリー・フォルマン1910型グノーム50馬力用エンジンは
エンジン・マウントとクランク・ケースの中間にプロペラを
 配置したロータリーエンジンであるがこのプロペラは軸穴が小さく、
ふつうのクランク・シャフト直結用のハブ・フランジをつけている。

以上のようなわけで、このプロペラはアンリー・フォルマン1910型のものではないことは
確かであるが、中里さんが話したように
アンリー・フォルマン1910型のプロペラが故障したときに、その代換として
使用したプロペラではないだろうか?そうではないのならいったい
どの飛行機についていたものだろうか?

カーチスOX水冷式
V型8気筒100馬力に
カーチス木製プロペラを
取り付けた
会式7号偵察機(大正4年)

カーチスOX水冷式
V型8気筒90馬力に
カーチス木製プロペラを
取り付けた
会式7号駆逐機(大正5年)

アメリカ人曲技飛行士の
カーチス・プッシャ複葉機
写真はアートスミス飛行士
伝え聞くところによると、アンリー・フォルマン機が寿命がつきて、
最後に分解してきたときに、
中里善三工手は長年苦労をともにした愛機の形見として、
徳川さんから貰い受けたということであるが、それはそれとして、
この特殊な菱形フランジつきプロペラの正体をつきとめるため、
臨時軍用気球研究会時代のプロペラの資料を手あたり次第調べてみることにした。
その結果、知り得た成果は、一応次のようなものである。

@アンリー・フォルマン1910型をはじめ、
多くの会式国産機を徳川委員のもとで制作整備した、
実務者は主任、中里五一技手と大島儀三郎作業手の2人を主任として、
杉山吉太郎、平野甚蔵両一等卒および数名の大工と助手、兵卒役10名であった。
会式とは臨時軍用気球研究所の略称で、所沢ではこの会式の設計主務者である、
徳川大尉の名を取って徳川式とも称し、
現地の新聞記者が徳川式と報道した為一般には徳川式と呼ばれるようになった。

A国産の会式(徳川式)には、明治44年1号機から途中の4号機除いて、
大正5年の会式7号機までの各型があり、
その後は制式1号機、2号機に名で試作が続いた。

B以上のうち、会式7号機という名の機体には
大正4年会式7号偵察機(1915年型アンリー・フォルマンの国産化)
および、大正5年の会式駆逐機(沢田中尉主務設計の最初の国産戦闘機)
および、
モーリス・フォルマン1914型改造機(通称 改造モ式14年型)の一部の機体だけが、
アメリカ製のカーチス水冷式V型8気筒90〜100馬力エンジンをつけていた。

C当時、菱形補強フランジをつけたプロペラは日本ではカーチス式だけで
今回の木製プロペラはハブ・フランジ部木製本体
および、先端部金属板覆いとも、前記の3種類のものに酷似していて、
臨時軍用気球研究会ではカーチス・エンジンつき以外の、
飛行機には同類のプロペラは見当たらない   

以上により、結論として、このプロペラはアメリカのカーチス社製で
大正4年頃に輸入したものに、
ほぼ間違いないことになる、 しかし当時、アメリカのカーチス飛行学校で
操縦術を習いカーチス・プッシャ複葉機をもって帰国した
日本人民間飛行士数名いたし、アメリカ人曲技飛行士の
何人かがカーチス・プッシャ複葉機で興業飛行していたので、
これらの機体の予備品として持ち込んだものを、
研究会が手に入れて前記の機体に取り付けたとも考えられないこともない。

したがって、この木製プロペラは、はたしてどの機体につけられていたかは、
当時の関係者を捜し歩いて思い出話を聞く他に、手がないのである。

いずれにしても、今から約60年前のプロペラがほとんどそのままの姿で
うどん屋さんの店頭に飾られていたいう事実は
多くのヒコーキ野郎たちに、びっくりさせるに足りる珍ニュースであるのに違いない。

なお、当時の資料によるとこのプロペラはマホガ二板の積合材で、
ハブ・フランジは鋼鉄製、止めボルトは8本
フランジの穴は前部16個、後部8個ブレード端部はカーチス式独特の鋼鈑覆いで、
最高回転数は1200回転/分となっている。
また、中里善三氏と中里五一氏の名前の違い、
もし別人ならその関係も知りたいものである。


この話はかなり前の昭和51年の話であり現在は見に行くわけも行かず不明ですが、
当時このような話があったのだけ知ってもらいたかった
最後にこの時代は、アメリカ人曲技飛行士だけでも数人来日している、
リンカーン・ビーチェー飛行士、チャ‐レス・ナイルス飛行士、
アート・スミス飛行士、ミス・スチンソン女飛行士等日本の航空界の発展に貢献している
また、多くの外国の人がフランス、イギリス、ロシア等曲芸ではないが多く来日している。
(管理者)