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日本航空工業再開から
国産機50年史
参項資料73年4月号ヒコーキ野朗現在廃刊) 
(発行 社団法人日本飛行連盟(最新情報はこちらで聞いてください。)

国産機だけを集めて50年を振り返るが最初は簡単に説明していきます。
のちに更新しパワーUPしていきます、9月20日は空の日です  
 戦後航空界は時が止まったように生産を中止したが
朝鮮戦争が始まり米軍の航空機の修理から
日本の航空機復活が始まろうとしていた・・・・・・・


お断わりこの中で保管場所等は73年4月当時のものです。
最近の保管情報は私のリンクコーナーの
ヒコーキ雲さんのHPで判ると思います

写真は戦後民間プロペラ単発機第1号 
セスナ195 JA3001機体登録1952年で(読売多摩川飛行場にて撮影)
2002年現在単発機総登録数2000機ぐらいだそうです。
(日本飛行連盟機関紙エアロンカ4月1日号より)

国産機 説明
立飛R−52練習機
戦後、最初の国産機で、昭和27年9月に完成した。
新立川飛行機が、
同社に残存していた戦時生産の神風型エンジンをとりつけた純国産機で、
戦時中に同社が製作したR−38練習機の
経験によって、1機だけ製作した。
読売新聞社に属して、
学生航空連盟の練習やグライダー曵行などに使われたが、開放座席で

パラソル型高翼単葉という、戦後では珍しい機体である。
乗員2名、神風150馬力、最大速度199km/h、登録記号はJA3017.

東洋航空TT−10練習機
立飛のR−52についで、27年12月に完成した
戦後2番目の国産機、航空再開後、
いち早く藤沢飛行場に工場を設置した東洋航空が、

独創的な設計で2機を製作したもので、
コンパクトで好感のもてる軽飛行機であった。

2機とも発足したばかりの
青年飛行連盟(現在日本飛行連盟)の使用機となったが、惜しくも事故で失われ、
東洋航空もフレッチャーの国産化が行きずまって事業を中止したので、
本機も後続機がなかった。
乗員2名、ライカミング0−290−D2 140馬力、
最大速度220km/h、JA3026、3049。

日本大学N-52軽飛行機
日本大学工学部の航空研究会が、木村秀政教授の指導のもとで設計し、
岡村製作所が製作した並列複座の斬新な国産軽飛行機で、

28年4月に完成した。
はじめ米人から贈られたコンチネンタルA-65 65馬力をとりつけたが、
馬力不足のため、のちにコンチネンタルC-90 90馬力を買い入れて

換装し、最大速度165km/hを出すことができた。
戦後、3番目の国産機である。JA3024。


川崎KAL−1連絡機
戦後、川崎の国産第1号機で、28年7月に完成。
当時の国産キャビン機としては、注目すべき性能を発揮したが、
実用性は輸入の同級機に及ばず、
2機製作でつぎのKAL−2に発展した。

戦後の国産機では、最初の引込み脚機となった。
29年4月には、青年飛行連盟の台湾訪問飛行に、
セスナ170とともに参加して大任を果した。

乗員1名、乗客3名、ライカミングGC−435−C2 260馬力、
最大速度285km/h、JA3074、3066、JA3066は防衛庁に所属。



よみうりY−1ヘリコプター
読売新聞社の提唱で結成された日本ヘリコプター研究会が設計し、
東京機械化工業が製作した。

戦後、日本で最初の国産ヘリコプターであったが、主要部のメカニズムが
外国特許などにひっかかるなどして、完成がおくれ、ついに実用の

ヘリコプターには発達しなかった。
その後、ベルG−47が輸入されライセンス生産されたので、
本機の開発は中止された。

乗員2名、神風改造型130馬力、計画巡航速度130km/h、JA7009。

川崎KAT−1練習機
昭和28年、保安隊向きの新型練習機の候補として、
川崎が試作した戦後最初の引込み脚国産練習機で、
29年2月に初飛行した。

操縦性はすぐれていたが、
プロペラ効率その他実用機としては改善の余地があり、
のちにライバルの富士重工のメンターに破れて、

防衛庁では不採用になり、航空大学に所属した。
戦時中の「飛燕」戦闘機の再現を思わせるような
運動性の良い機体で2機だけである。

乗員2名、ライカミングGO−435−C2B 260馬力、
最大速度260km/h、JA3084、3100。


萱場式ヘリプーン
戦時中に各種のオートジャイロを製作して有名になった萱場製作所が、
戦後、独創的なアイデアによって試作した。

一種の複合ヘリコプターで、29年5月に完成した。
胴体はセスナ170のものを利用し、ラム・ジェットつきローターのほかに、
前進用のプロペラと、小さな固定翼をもつ、尾部の安定板や舵にも

特徴があった。同年、7月のテストで大破したが、
進歩的な研究が実を結ばなかったのが惜しまれた。

乗員4名、コンチネンタル145〜185馬力、翼端ラム・ジェット2基。

川崎KAL−2連絡機
前掲のKAL−1およびKAT−1から発達した
前輪式引込み脚の4〜5人乗り連絡機で、
富士LM−1のライバルとなった。

29年11月に完成し、その将来性が期待されたが、
まだ経験の浅い本機は実用性の点で、
メンターから発達したLM−1に及ばず、

試作2機のうち1機は海上自衛隊に、1機は航空自衛隊に所属した。
LM−1と同様に、やや馬力不足の感じがあった。
乗員1名、乗客3〜4名、ライカミングGO−435−C2B 240馬力、
最大速度278km/h。


立飛R−53練習機
前掲のR−52からの発達型で、
イギリス製のシラス・メージャーをとりつけ、29年7月に完成した。

戦時中のR−38とそっくりの機体で、
はじめ全日本学生航空連盟にチャーターされ、日本一周飛行にも参加した。

のちに航空大学校に寄贈されたが、
戦後の練習機としては時代おくれの感じで、まもなく立飛に返還された。

これも1機だけの試作で終わった。
乗員2名、シラス・メージャー155馬力、最大速度168km/h、JA3070。

立飛R-HM310軽飛行機
戦前、超小型串型自家用スポーツ機「空のシラミ」の設計者として知られた
フランスのアンリ・ミニエ氏が、
昭和29年に来日し、

新立川飛行機で同じ構想による戦後版「空のシラミ」を製作した。
戦後の試作国産機で、この1機だけは外人の設計によるものである。
子想に反して操縦がむずかしく、量産の計画は沙汰止みになった。

現在は、東京万世橋の交通博物館に保管展示されている。
乗員2名(並列)、
コンチネンタルC-90-12F 95馬力、最大速度150km/h、JA3094


富士LM-1連絡機
富士重工が29年春からライセンス生産を始めた
メンター練習機の機体を基準として、
その胴体を改造し、4〜5人乗りの

連絡機としたもので、30年6月に完成した。
もともとメンターの焼直しで、実用性がすぐれ、
陸上自衛隊向きに生産されたほか、
民間向きに「月光」の愛称で宣伝され、

2機がつくられた。
しかし、本家のビーチ・ボナンザよりも高価なのが缺点とされた。
乗員1名、乗客3〜4名、コンチネンタルO-470-13 
225馬力、最大速度297km/h、試作機はJA3098、

生産型第1号機はJA3105。


富士T-1Aジェット練習機第1号機
第二次世界大戦機の面影をのこす
ノースアメリカンT−6中間練習機に代わる。

ジェット動力の新型中間練習機として、
富士重工が32年11月に初号機を完成した戦後初の国産ジェット機。

ブリストル・オーフュースを装備したT1F2が先に採用になってT-1Aとなり、
国産のJ-3を装備したT1F1は35年3月に完成して

T-1Bとなった。
航空自衛隊のT-6とT-33Aを兼ねた近代的中間練習機として大いに期待され、
海外でも注目された国産機である。

芦屋基地の航空自衛隊第13飛行教育団で現用中。
乗員2名、オーフュースMk..11ターボ・ジェット推力1,810sつきの
T-1Aの最大速度780km/h。



富士KM-2練習機
いわゆるメンタリー・シリーズ国産機の発展型で、
前掲のLM-1の動力強化。訓練艤装機で、
はじめはLM-2として開発された。

33年10月に完成し、同機は34年12月9日、
吉沢鶴寿操縦士により高度9,917mに上昇し、
C-1C級の国際高度記録を
樹立して有名になった。
37年から海上自衛隊の制式練習機となっている。
外観はLM-1とよく似ているが、
KM-2はエンジン・ナセルの左側に大きな

空気取入口が出張っており、プロペラが3羽になっているので、
すぐに見分けがつく。

初号機はLM-1のJA3105から発達したX-KMのJA3119である。
航空大学校、陸上自衛隊でも使用、本機の出現によって、
日本の国産練習機も、
並列座席、キャビン型操縦席に近代化した

ことになる。
乗員4〜5名、ライカミングGSO-480-B1A6 340馬力、
最大速度340km/h、JA3122。



川崎KH−4ヘリコプター
川崎が29年からライセンス生産したベル47Gを基準として、
独自の改造を加えて新しく国産化した小型ヘリコプターで、

座席まわりが大きく変化し、4人乗りになった。
動力が強化され、上昇力や航続力も一段と向上している。
原名称はベル47G-3B。

乗員1名、乗客2〜3名、ライカミングTVO-435-A 260馬力、
最大速度169km/h、初号機はJA7340「摩那」。


日大N-58シングネット軽飛行機
日本大学工学部航空専修コースの学生たちが、
木村秀政教授の指導により、
卒業設計として約3年がかりでつくりあげた前車輪式の

軽飛行機で、調布の伊藤忠航空整備が、
製作を担当して35年11月に完成した。

パイパー・トライペーサーの部品を利用することによって、
強度、操縦性もすぐれ、実用性に富んだ国産機となった。

1機だけ中止になったのが、惜しまれる機体である。
乗員2名、乗客2名、ライカミングO-290-D2 135馬力、
最大速度182km/h、JA3133。



日航製YS−11輸送機
昭和32年5月に発足した輸送機設計研究協会の構想による
YS-11は、戦後、日本で最初のターボ・プロップ双発旅客機で、

日本航空機製造を中心として、国内航空工業力を結集して、
その初号機は37年8月30日に初飛行した。

いらい日本国内航空、全日空、東亜航空をはじめ運輸省、
航空自衛隊などで主力輸送機として使用したほか、
43年からは
海外にも輸出され、経済的で離着陸性能の良い
日本製の中型ローカル線用輸送機として好評である。

改修型のYS-11A-200は、乗員3〜4名、乗客60名、
ロールス・ロイス ダートMk.542−105 3,060軸馬力2基、

最大巡航速度470km/h、初号機はJA8611。
零戦の技術が詰まったYS-11
新明和UF-XS飛行艇
戦時中、大型飛行艇のメーカーとして知られた川西の伝統を受け継ぐ
新明和が、PS-1飛行艇の開発資料を得るため、

アメリカ海軍から供与されたグラマンUF-2飛行艇を基準として、
新しく設計、試作した4発実験用飛行艇。

37年12月に初飛行し、各種の境界層制御装置、
波消し装置、STOL性の実験などに使われ、
大きな成果を納めることができた。

乗員7名、ライトR-1820 1,425馬力2基、
プラット&ホイットニR-1340 600馬力2基、最大速度333km/h。


三菱MU-2多用途機
名称「零戦」の三菱が、戦後に開発した独創的な研究成果を結集して、
昭和38年9月に完成した双発ターボプロップの多用途機で、

本来はビジネス機を主眼とした機体であるが、
利用範囲が広いため新聞社や陸上自衛隊などでも採用している。

部分的に斬新なメカニズムが採り入れられ、
日本で誕生した進歩的なビジネス機として、海外にも売り出されている。

すでにMU-2AからGまでの各型があり、前途なお有望である。
MU-2Gは、乗員2名、乗客4〜12名、
エアリサーチTPE-331−25Aターボ・プロップ705馬力2基(B型)、
最大巡航速度525km/h、

試作第1号機はJA8620。
Aはフランス製チュルボメカ・アスターズ−UK 562馬力
C型、D型、E型 防衛庁向け、
F型出力向上とストレッチ(長胴化)、G型下部にバルジを儲け
車輪を収納した。

日大N-62イーグレット軽飛行機
前掲のN-58に続いて、日本大学工学部航空コースの学生によって設計され、
伊藤忠航空整備が製作した軽飛行機で、

STOL性を加味し、量産性を考慮するなど、将来性を見込んだ機体となった。
39年8月に初飛行し、
N-58とともに日大航空部員の操縦により、軽飛行機レースに参加するなど、
実用性能の良いところを示して、

日本の軽飛行機界に精彩を加える特異な機体となった。
乗員2名、乗客2名、ライカミング0−320−B2B 160馬力、
最大速度209km/h、JA3216。


富士FA−200エアロスバル軽飛行機
富士重工が独創的な設計で40年8月に完成したFA200は、
前のLM-1、KM−2とは別な多用途性を狙った低翼、固定脚の軽飛行機で、

4人乗りのビジネス、レジャー、練習、作業、
2人乗りのアクロバット、スポーツ、練習に適し、
現在各地のフライング・クラブや訓練所、

学校などで多数使われているほか、
海外(西ドイツ、イギリス、オーストラリアなどに200機輸出されて、
一応国際的な普及機となったが300機以上生産されたが

不況の波で生産中止

テーパーのない直線翼、簡単な固定脚、
視界の広いスライド式の4座キャビンなど、
実用性と生産性を考慮した設計で、戦後の代表的な

国産軽飛行機の地位をかち得た。
ライカミングIO-360−B1B 160馬力、最大速度233km/h、
初号機は、JA3241。

200シリーズ160馬力、180、180Aシリーズ180馬力

新明和PS−1哨戒飛行機
UF-XSによる各種装置の実験成果を具体化して、
新明和が開発した改新的な4発ターボプロップ対潜哨戒飛行艇で、
初号機は42年10月24日に

初飛行した。
STOL性とすぐれた凌波性をもち、
現在、海上自衛隊のために生産続行中であるが、
数多い特徴が海外でも注目され、輸出の可能性もある。

さらにSS-2救難水陸両用飛行艇や旅客用水陸両用飛行艇の計画もあり、
魅力に富んだ新型飛行艇として大いに期待されている。

乗員9〜12名、G.E.T64−IHI−10 
ターボ・プロップ2,850軸馬力4基、最大速度545km/h。


川崎C-1輸送機
航空自衛隊のために日航製が41年製作を開始、
日航製、三菱、富士、新明和、川崎が製作を分担、
川崎が総組立をおこなったので川崎となる

近代的なジェット軍用輸送機で、
C−141やC-5Aのような大量物資輸送に有利な高翼で

床の低い稼動性のよい形式を採用している、45年初飛行し技術運用テストをへて
49年には輸送航空団の部隊編成がおこなわれた

これからは、C-46やYS-11とちがった
エアー・リフト方式新しい輸送任務に就くことになる
総計31機(内2機は航空実験団)

中型ながら直径3.8メートルの太く丸い胴体、乗員5名、輸送人数約60名、
または武装空挺隊員約45名または担架36名分、

最大ペーイロード8トン、
ターボファン・エンジン(P&W JT8D−9推力6,600キログラムX2基、
最大速度810km/h、物量ではジープ3台、

105ミリ榴弾砲などを後部胴体の観音開き扉から積載、
空中投下できる主脚は4輪ボギー式、

このC-1をベースとして航空宇宙技術研究所(NAL)が
昭和52年からSTOL実験機開発を始めたらしい


三菱T-2練習機
航空自衛隊の次期超音速ジェット練習機として、
三菱が開発した最新の国産機である。
昭和50年3月から翌年春に第4航空団(松島)で訓練飛行が始まった
英仏協力によるジャガー練習攻撃機のような多用途戦術機の性格をもち、
これからの新しいコンバット・プレーンのさきがけとなる可能性が強い。
練習機としては、T-1とF-104DJとの中間に位する。
乗員2名、チュルボメカ・アドア ターボ・ジェット 
推力3,050s2基、最大速度 マッハ1、6。