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ハミルトン可変ピッチ・プロペラ
参項資料74年10月号ヒコーキ野朗現在廃刊) 
(発行 社団法人
日本飛行連盟(最新情報はこちらで聞いてください。)

可変ピッチプロペラ

可変ピッチ装置付
の雄飛号飛行船のプロペラ

昭和9年に
ハミルトン可変
ピッチプロペラを取り付けた
ガンマー軽爆撃機

初期の定速可変
ハミルトンプロペラ

ハミルトン可変ピッチプロペラの実用化テストされた
カーチス・ライトコンドル輸送爆撃機

先端に油圧ピストンをつけた
ハミルトン・ハイドロマチック・フェザー
リング・ピッチ装置

零戦の恒速プロペラ(ハミルトン式恒速三翅 CS40B(直径2.9m))

一般の固定ピッチ・プロペラに対する可変ピッチ・プロペラの優秀性は、
理論的には第1次世界大戦前から認められていたが、
その機構が複雑で操作がデリケートなため、実験では成功していても、なかなか実用化されなかった。
可変ピッチ・プロペラを採用して、実際にその成果をあげた最初の航空機は、
1910年頃にドイツでつくられたパルセヴァル飛行船で、
同型のP.L.13は明治45年(1912年)に日本でも輸入、
その後日本で国産化して「雄飛号」と名付けられ、大正ひとケタ時代の
日本の代表的な飛行船として有名。
この飛行船のプロペラは、鋼製骨組の4射翅で、着陸のとき飛行船の前進を停めるため、
手動操作でピッチにすることができた。
これは船などで、停船のときスクリューを逆回転させるのと、同じような目的のためである。

航空用エンジンでは、船舶用のように逆転用の歯車装置やクラッチなどをとりつけると、
重量が増えて損であるし、機構的にも無理が生じるから、
可変ピッチ・プロペラを採用したというのが実状のようで。
飛行機用の可変ピッチ・プロペラも第1次世界大戦前から研究されていたが、最初に有望視されたのは、
第1次世界大戦後、フランスのルヴァスール社が発明した手動式歯車装置のもので、
操縦席で調節ハンドルを回転すると、減速歯車を経てプロペラ翅の根元にかみ合う
ウォーム・ギアを回転し、翅の迎角を変えるという初歩的なメカニズムによるものであった。

その後、ドイツでこれと同じような原理で油圧式操作のものが試作され、
さらにイギリスのグロスター社では、遠心力による油圧調整器を
利用した自動可変ピッチ・プロペラを完成したが、実際に使ってみると、
故障が多くて実用にならないことがわかり。
同じようなことは、欧米ではほかのプロペラ社でも実験されたことがあるが、どれも成功しなかった。

日本海軍の技術航空研究部でも、前記のルヴァース式を改良した可変ピッチプロペラを試作したことがあり。
実用的な飛行機用可変ピッチ・プロペラを最初に完成したのは、
1929年イタリアのサヴォイア・マルケッティ社である。
同社のS.M.64長距離は、1929年4月に7、188km、同年7月に7,667kmの
世界航続長距離記録をつくったが、同じ機体に
可変ピッチ・プロペラをとりつけたS.M.64bisは、
1930年6月に一躍8,350kmに記録を更新することができた。
しかしこれは測定法が正規のものでないという理由で非公認となっている。

可変ピッチ・プロペラを商品として生産、一般に売り出した最初のメーカーは、
アメリカのハミルトン・スタンダード・プロペラ会社で、
1933年からライト社のサイクロンやプラット&ホイットニー社の
ワスプ、ツイン・ワスプなどにとりつけて、性能の大幅な向上を実証した。
はじめは油圧式高低2段であったが、
これを始めて採用したカーチス コンドル、ダグラスDC−2、ボーイング247、
クラークGA−43、ノースロップ ガンマなどの性能は、
同じ条件の固定ピッチ・プロペラつきのものに比較して、
離陸滑走距離の短縮、上昇力と巡航速度の
向上などに著しい進化を示した。

1934年(昭和9年)頃に日本でも前記のガンマ軽爆撃機、クラークGA−43、DC−2輸送機の
3機種を可変ピッチ・プロペラつき高速機のサンプルとして輸入、
このうちDC−2が国産化されて日本航空輸送KKの高速エアライナーの第1陣となった。
可変ピッチ・プロペラの実用化は、当時、引込み脚とともに、航空技術界に見る革新的な出来事であった。

はじめてハミルトン可変ピッチ・プロペラをとりつけたカーチス・ライト コンドル双発複葉旅客機による
固定ピッチ・プロペラつきとの性能比較実験では、次のような成績が確認された。
その後、定速可変ピッチ・プロペラについても実験されたので、その三つの場合を比較してみよう。
             固定ピッチ     2段可変ピッチ    定速可変ピッチ
離陸滑走距離     300m        210m         190m
実用上昇限度   5,900m      7、000m       7,200m

このハミルトン可変ピッチ・プロペラは、たちまち世界の航空界に民間、軍用の別なく普及し、
日本では住友金属工業が制作権を得て量産、
初期の国産機では三菱九六式陸上攻撃機、三菱九七式重爆撃機、中島AT−2旅客機、
三菱MC−20旅客機などをはじめ、
戦闘機では三菱零式艦上戦闘機、中島一式戦闘機「隼」などが、
このハミルトン系可変ピッチ・プロペラを装備して優秀な性能をあげた。

1935年当時、ハミルトン油圧式以外では、アメリカのカーチス電動式、
スミス手動式、フランスのラチェー風圧式、
ラチェー電動式、ノーム・ローン手動式、ドイツのゼッペラー遠心力式、
イギリスのビーチャム油圧式などがあったが、
実用性はハミルトン油圧式に及ばなかった。

1935年のコリヤー・トロフィ技術賞は、「航空界に最も功績のあるプロペラ設計者」である
ハミルトン・スタンダード社のフランクW.カードウェル技師に
授けられた。これは世界航空技師史の部門に見られる最高の栄誉である。

1936〜38年、世界の有名なプロペラ・メーカーは、競ってハミルトン可変ピッチ・プロペラの制作権を入手して、
自国の国産機に装備した。それは第2次世界大戦の直前、世界的なハミルトン・ブームに発展していった。

ハミルトンの定速プロペラは、さらにフェザーリング・ピッチ・プロペラに発展し、
その普及は他のいかなるプロペラをも圧倒し。
第2次世界大戦中は、アメリカのハミルトン・スタンダード、
イギリスのデハビランド・ハミルトン、フランスのイスパノ・ハミルトン、
ドイツのユンカース・ハミルトン、日本の住友ハミルトン、
イタリヤのフィアット・ハミルトン、そしてソビエト・ハミルトンなど、
全世界のハミルトン同士が戦争したことになった。

なお、戦時中に各国が開発した他の定速加速ピッチ・プロペラで量産され、
ハミルトンのライバルとなったものには、
アメリカのカーチス、イギリスのロートル、フランスのラチェー、ドイツのVDMなどがあり、
それぞれ特徴あるメカニズムを採用して、新しい分野を拓いていたことも
追記しなければならないだろう。