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第1次世界大戦〜第2次世界大戦の間に活躍した、女性パイロット特集してみよう! |
| 参項資料 |
航空スポーツマガジン ヒコーキ野郎(発行 社団法人日本飛行連盟) 1977年、昭和52年2月1日号 |
航空機パイロットは男の世界と思われがちだが、女性パイロットもいた、
女性パイロット6名を順に説明していこう!そして以外にも日本と関係も多い
![]() 立川飛行場に到着した、 ビクター・ブルース婦人(中央) (左)朴敬元女性飛行士 (右)本登勝代飛行士 ![]() ブルーバード型複葉軽飛行機 「Bluebird」 |
のんびり世界一周派女性パイロット「飛行士」(イギリス) 1920年代イギリスの自動車レースの名レーサーで 有名なビクター・ブルース婦人1930年にパイロットに転向して、 愛機”ブラックバーン式ブルーバード型複葉軽飛行機「Bluebird」を長距離ように改造し、 単独操縦の世界一周を計画し実行した、ただ、太平洋、 大西洋を早周りの記録飛行目的は無かったらしい、のんびり長期の漫遊飛行だった、 1930年9月25日ロンドンのハンワースを出発した 最初の目的地ウイーン〜ブタペスト、コンスターチノーブル、カラチ、ハノイ、香港、 アモイ、上海、木浦、京城、大阪、11月24日立川着、全航程約1万2千キロ、 ブルース婦人は英日間を飛んだ最初の女性パイロットであった、 この後、機体を分解して、横浜に運び横浜から船便でバンクーバーへ行き、 機体を組み立てて、アメリカを横断し、大西洋はまた船便で 航空機と船便であるが世界で最初の世界一周の女性パイロットなった。 のんびりと飛行機と船旅、レーサーから転進しパイロットなった、すごい女性である。 ブルーバード型は金属骨組みの進歩した物で外見は普通の複葉機だった、 日本では三菱が制作権を買い取りサンプルを購入し 又、のちに、ブラックバーン社(鋼管布張り・胴体・薄鋼板桁・主翼構造)から ベティ技師やボルトン・ウイルキンソン技師招いている、 元々海軍機のはずだったが、不適なり、陸軍機として採用された、 双発93式陸上攻撃機(陸軍機)技術がつぎ込まれている。 |
![]() コードロンC450軽飛行機競争機 |
フランスの7種類の最高速度記録の女性パイロット「飛行士」(フランス) 大戦中フランスで最高技量をもつ、女性パイロットいたその名前はエレナ・ブーシェ コードロンC450軽飛行機(競争機)で長距離速度記録作った、 当時、数多いフランスの女性飛行士中でも、 C450を操縦できたのは、ブーシェだけだった、 コードロンのテストパイロットでレイモン・デルモットは腕前を絶賛していた。 1934年8月11日当時の女性パイロットとしては 最速の、445キロ記録、さらに磨きをかけるため、高速飛行の研修を続けていたが、 1934年11月マルセイユ近くで墜落死亡した、 死後、フランス政府は世界最速の女性パイロットの業績たたえ、 レジョン・ド・ノールの、勲章贈った。 |
![]() デ・ハビランド式モス型複葉練習機と エミー・ジョンソン ![]() デ・ハビランド式 プス・モス型単葉軽飛行機 |
単独長距離飛行挑戦した女性パイロット「飛行士」(イギリス) 大戦中イギリスで有名な単独長距離女性パイロット エミー・ジョンソンは1929年6月操縦士免状を取得し、 元々はタイピスト勤めをしながらデ・ハビランド式モス型複葉練習機で ハンフリー操縦士の教育を受け、約1年でモス型の名手となる 中古のモス型に増加燃量タンクを取り付けて 1930年5月7日から24日ロンドン近郊のクロイドンから オーストラリアダーウインまでの単独長距離飛行に挑戦し、 18日間で1万2千キロを飛んだ、(愛機「Jason」、エンジンDHジプシー80馬力)。 この成功で、エミー・ジョンソンは訪日を企画する、 まず新型のデ・ハビランド式プス・モス型単葉軽飛行機を購入し 教官であるハンフリー操縦士を機関士として 同乗させて愛機の名前を「Jason U」とした、 1931年7月28日ロンドンを出発ベルリン、モスクワ、カザン、 オムスク、イルクーツク、チタ、ハルピン、奉天、京城、岡山など 19ヶ所で着陸し燃料補給し 8月6日立川着、10日間で1万2千キロを飛んだ、 帰航は8月24日に立川を出発、9月9日ロンドンに到着。 訪日はビクター・ブルース婦人の方が早かったが、 エミー・ジョンソンは飛行機だけで船は使っていない。 |
![]() ファルマンF190単葉機「Joe U」 ![]() ブレゲー29「Joe V」 ![]() ポーテス50bis改造実験機 ![]() 芸者さんを乗せたときの写真 |
高度記録にいどんだ女性パイロット「飛行士」 (フランス) エレナ・ブーシェ飛行士と同じ頃、長距離飛行が得意な女性パイロット マリー・イルズ嬢いた、彼女は、長距離飛行の他にも、高空飛行でも、 女性ではかなり優秀で抜群の成績を残している、 もう1つは、かなりの親日家でも有名で2回も訪日を行なっている。 1回目は、ファルマンF190単葉機「Joe U」にメール機関士を同乗させて 1933年4月1日パリを出発し4月16日羽田着、5月14日にパリ着。 2回目は、ブレゲー29「Joe V」で、 1934年1月26日にブラークス機関士同乗させ、 パリを出発したが、途中故障し修理で手間どり、羽田着は3月6日になった、 (今回使用したブレゲー29はフランス空軍の偵察軽爆撃機と同型で 全金属一葉半機で後部胴体が1本ブームになっている、 後部旋回銃の射角を広くするための構造だった)、 イルズ嬢は在日中、羽田の東京空港で、日本人数人を遊覧飛行している 数人の中に芸者さんも含まれていた、左下写真が芸者さんを乗せたときの 写真でかなりいい笑顔だ、中央の飛行服がマリー・イルズ嬢。 訪日後マリー・イルズ嬢は高空飛行実験に取り組んでいる、 1935年6月17日にはモラン・ソルニエ戦闘機改造の実験機で高度1万メートル、 を突破し、1936年6月23日にはポーテス50bis改造実験機で、 高度1万4千310メートル記録した、あと100メートルチョッとで 男性の世界記録を突破するはずだったが、無念の涙をのんだ、 でも女性パイロットで最高記録ある。 当時の男性の世界記録は、1万4千433メートル 女性パイロット マリー・イルズ嬢は長距離飛行と高空飛行が得意な女性だった、 もし日本が世界相手に戦争を始める秒読み段階である時期、 なければ、3回目があっただろうか? 多分あったのでは、ないか親日家だったから。 |
![]() フォッカーF7B/3M水上機 ![]() ロッキード式ベガ型単葉機 ![]() ロッキード10エクストラ双発機 ![]() アメリア・イヤハート・プトナム夫人 |
大西洋無着陸飛行に成功した女性パイロット「飛行士」(アメリカ) 大戦中もっとも有名な女性パイロット アメリア・イヤハート・プトナム夫人は、第一次世界大戦時は看護婦で 空の魅力に取り付かれ、戦後、操縦士免許取得し、 女性では初の大西洋無着陸飛行に挑戦した, 1928年6月17日 フォッカーF7B/3M 「Friendship」単葉水上機に イヤハート操縦士、ウイルマ・シュルツ副操縦士、レウ・ゴードン機関士の3人で ニューファウンドランドのトレーパーシーを出発 29時間49分の飛行でイギリスのカーマザン湾バリー港に到着、 女性ではじめて大西洋無着陸飛行に成功したが、 しかし、このときはフォッカーF7B/3M水上機の 名操縦士ウイルマ・シュルツ操縦士が同乗していた為、 本当の意味で女性1番乗りではなかった。 その風評に酬いる為、 1932年イヤハートは一人で単独無着陸飛行に挑戦するため、企画を始めた 使用機はロッキード式ベガ型単葉機で、1932年5月20日夕方 ニューファウンドランド島ハーバーグレースを出発 15時間15分の飛行でアイルランドのロンドンデリー州クルモア到着、 航程3千105キロ女性単独最初の大西洋無着陸飛行に成功 その後で「女リンドバーグと呼ばれた」 そして彼女は次々に記録を立てていく。 1932年8月24〜25日には、ロサンゼルス〜ニューヨーク間を3千939キロ飛び、 米大陸横断記録19時間4分の記録し女性新記録たてる 使用機はロッキード式ベガ型単葉機。 1934年には、1月に、女性初でもあるホノルル〜オークランド間を 3千874キロを18時間16分で飛行した使用機はロッキード式ベガ型単葉機。 1937年3月には、映画出演で有名なポール・マンツを技術顧問として同乗させて、 ホノルル〜オークランド間を15時間52分で飛行した 使用機はロッキード10エクストラ双発機。 今度は女性では初となる、世界一周を企画し、敢行した、 使用機はロッキード10エクストラ双発機で、 パンアメリカン航空の航空士フレデリック・ヌーナンを同乗させ、 1937年6月1日アリゾナのマイアミ飛行場を出発した、 コースは赤道に近いサンファン、カリピート、パラマリーボ、 フォルタレザ、ナタル、セントルイス、ダカール、ガリ、フォールラミー、 アルファッシャ、アサブ、カラチ、カルカッタ、アキヤブ、ラングーン、 バンコク、シンガポール、バンドン、チモール島、クーバン、 ポートダーウインを得て、6月30日ニューギニアのラエに到着、 これまで、3万5千キロ、最大の難関の南太平洋横断を残すのみ 7月1日ラエを出発した、ハウランド島向かったが、 翌日、飛行地点不明の無線通信を最後に消息を絶ち その後、イヤハート機の遭難を信じない人が多かった、 日本領の小島に不時着してスパイとして暗殺された説も出たぐらいで、 真相は現在に、至るまで分かっていない。当時38歳 |
![]() ノースロップ式デルタ型 ![]() ジャクリーン・コクラン |
天才女性パイロット レプシロ〜ジェットへ スピードに命をかける「飛行士」(アメリカ) アメリカのジャクリーン・コクランは女性で最も天才的な女性パイロットで スピードの記録はすごい物がある 1932年美容院で、勤めていた、 暇を見つけては、練習機に乗り飛行機の免状取り 1934年ロンドン〜メルボルン間国際長距離レースにジー・ビー競技機で 女性ただ一人参加したが、ルーマニアにきてエンジン故障し棄権した、 最初の入賞は1937年ベンデックス・レースで3位になり、 翌年、当時陸軍最新鋭戦闘機と同型のセバスキーP-35で男性人をおさえて優勝した、 彼女のFAI公認国際女性速度記録は1937年9月21日の470・365キロメートルで、 女性では世界最高記録である、 彼女はP-35の他にノースロップ式ガンマー型をはじめ最新鋭機を乗りこなしている、 第二次世界大戦がはじまると、戦闘機や爆撃機B-17などの、 輸送任務を行なっていた、 戦後は新型ジェット機を職務上操縦した、 彼女の他は、フランスのオリオール夫人、 ソ連(ロシア)のポポウイッチ婦人の2人で、 女性ジェットパイロット(超高速ウーマン)は3人だけで世界のトップである 亜音速飛行はF-86セイバー戦闘機で、 超音速飛行はノースロップT-38タロン練習機の 時速千358キロ(15キロコース)実証され、 さらに、マッハ2に近い飛行をしたのは、 ロッキードF-104スターファイター戦闘機で 100キロコースで2千94キロ記録している、 彼女はスピードNO1であり、男性人を軽々と抑えて、 優勝など、スピードかける情熱はすごかったに違いない! |
| おまけの話 | 日本人最初の女性パイロットを紹介 航空スポーツマガジン ヒコーキ野郎(発行 社団法人日本飛行連盟) 1976年、昭和51年7月1日号より |
![]() 右側、兵頭精さん 左側、後輩の市原翠さん 後方にフランクリン式 16馬力地上滑走機 |
兵頭精(たかし)さんは男のような名前だが、女性である (当時視聴率50%のNHK,朝の連続ドラマ雲のじゅうたん (主演、小野間真琴役の浅茅陽子)のモデルと思われるが、 ほとんどが似ている点が多いのだが、当時NHKは違うと発表している、 秋田出身になっている) これは、記録と言う分けではないが、 日本最初の日本人女性パイロットを紹介してみよう、 1900年愛媛県北宇和郡東仲村(現在、広見町東仲)生まれ、 兵頭精さんは、父、林太郎氏の影響で、飛行機に憧れ、 大正8年から11年7月まで、4年間津田沼海岸の伊藤飛行機研究所で、 なれない飛行機に取り組み、 まず、フランクリン式16馬力地上滑走機(滑走練習用 時速25キロ)で滑走練習、 次に、日野熊蔵大尉が設計した、 30馬力エンジン搭載の伊藤式地上滑走機練習をする、 途中墜落事故などが、有ったのだが、 大正11年3月14日に三等飛行機操縦士試験に合格、 当時の練習費用は1分2円で当時としては大金である、 |